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46.既視感のある光



幼い頃、ラースは父のいる執務室に行くのが好きだった。

特に話しをすることもなく黙々と仕事をこなしていく父を横目に、自分の椅子と本を持ち込んでは何時間も共に過ごしていた。

時折ちらりと父の様子を伺うが、変化はない。


感情がないので表情が変わることはないが、邪魔だと叱られることもなかったので、ラースは嬉々として執務室に入り浸っていた。

母は父に合わせているのか、感情を表立って出さないように努めているように見え、彼女もそんなラースを咎めることはなかった。


ある日、いつも通り執務室で本を読んで過ごしていれば、父がペンを床に落とした。

それはラースにとって初めての出来事だった。

父が動くより先に、ラースは走ってペンを拾い上げると手渡した。


受け取った父の表情は相変わらず無表情で、ラースのことも見ていない様子だったが、ラースは今まで起きなかったその変化が嬉しくて、ニコニコしながら喜んだ。

そして自分の椅子に戻ることなく、次はペンをいつ落とすかをソワソワしながら待っていた。


執務机は高さがありラースには大きかったが、つま先立ちをしては父の手をのぞき込むように何時間も見続けた。

変化が起きることを待ち望みながら――。





儀式を早めるためにラースは執務室に向かい、父親を呼んだ。

出てきたラースの父は、ミヤトが廊下ですれ違った時と同じように、無機質で人形のようだった。


儀式のためには移動をするようで、一緒に行くことは叶わないだろうと思われたが、思いの外、ミヤトたちを同行させることをラースが提案しても特に何も言われることはなかった。

感情がないから興味がないのかもしれない。


ラースの父の後をついていけば、一階の廊下の扉から地下へと続く階段が現れ、等間隔に配置されている壁掛けの燭台が火を灯して先を照らしている。

人一人が通れるほどの幅であったため、ラースの父、ラース、ミヤト、シャーネ、ユイカの順番で1列になり降りていく。


しばらく長い階段を降り、目的地に着いたのか、ラースたちが止まったのでミヤトが前を覗えば、鉄の扉の前でラースの父が鍵束を取り出している。

その扉は、上の屋敷の造りは洗練されているというのに、やけに無骨なデザインだった。


「(まるで牢屋だな……)」


ミヤトはそう思いながら、再び歩みを始め闇の中に呑まれるように消えていくラースたちの後についていこうと下を向き、足元に気をつけながら、敷居を越える。


瞬間、全身にぞわりと鳥肌が立った。

室内の気温は低く、皮膚にひやりとした冷気を感じたがそんな体感的なものではなく


「(誰かに見られている――?)」


突き刺すような視線をそこら中から感じたミヤトはぶるりと身震いをし、顔を上げて周囲に気を配った。

視界に入ってきた景色は暗かったが、目を凝らせば何となく中の構造が見えてくる。


部屋というよりは洞窟の中にいるようで周りは氷で覆われているのだが、無色透明ではなく、光を一切反射しない純粋な黒。


輝きがない暗黒に支配された空間に、気を抜けば意識が吸い込まれてしまいそうで、監視されているような視線もそこから生まれているのではないかと錯覚してしまうほどに、不気味さを感じてしまう。


そして空間がどれほどの広さであるかが分かりづらく、狭くも感じるし、果てがないようにも感じられる。


ラースの後を警戒して追えば、背中の服が引っ張られる。

後ろを見ればシャーネが不安そうに辺りを見回している。

恐らくその後ろにはユイカがいるのだろうが、明かりなど意味がないほどに暗いので目先のものをみるのがやっとだ。


見えない足元、行き先に少しの恐怖を抱きながらも、ラースを見失わないようについていけば、着いたのか立ち止まる。

目を凝らして、立ち止まった先を覗き込めば、拓けた場所に出たようで、中心には巨大な黒い氷の塊が眼前を支配するように置いてあった。


間近で見れば禍々しい魔力が宿っているのが直に伝わってきて、ミヤトは思わず顔を顰める。


氷は黒い闇――いや、よく見れば血のような赤が混じっていて、奥を見ようとすればするほど、深い喪失、悲しみ、怒り、憎しみ、悪意の魔力が心に絡みついてきて、継承の阻止を企てたミヤトを非難しているようだった。

ラースが巨大な黒い氷にそっと手を触れる。


「この中に御先祖様は眠っているらしい」

「五百年以上もここに……」


眠っている、と言ったが本当に眠っているのだろうか。

眠っているのならばこの暗黒を意識しなくていいが、もしも眠っていないのであれば否応もなく意識しなくてはならない。

それを五百年以上も、と考えただけでもゾッとする。


「それじゃあ父さん、始めようか」


ラースはそう言って自身の核を掌に取り出す。

核は無色透明の輝きを放っていて、それをそのまま父親へと差し出した。

受け取った核をラースの父が先祖の眠る赤黒い氷に押し付ければ、一瞬のうちに核は赤黒く侵食され、禍々しい強大な魔力を放ち始める。


それを目にしたミヤトは気づく。

これは魔力の継承ではなく、憎悪を受けるための生贄だということに。

怒りが鎮まらない女神のために生贄を捧げているのだ。


禍々しい魔力が宿った核を持ってラースの父はラースに向き合う。

遂に継承が始まる。


ミヤトはこれを止める目的でここに来た。

しかし、時の女神の魔力に触れた今なら分かる。

どう足掻いてもこれは止められない。


五百年以上衰えることのない憎悪を、せいぜい十六年程度しか歳を重ねていないミヤトが、話し合いで解決など出来るはずがない。

寧ろ、ここで待ったをかければ継承をやめたラース達の方が被害を被る可能性だってあるのだ。


「(光の魔力であるなら闇を凌ぐこともあるらしい、が……)」


ミヤトは胸の服を握りしめる。

自身の魔力量は大体把握出来ているので、一部ならどうにか出来るかもしれないが、根本をどうにかしなければ恐らく意味はないだろう。

寧ろ、中途半端な魔力を使ってしまえばミヤトのほうが呑み込まれかねない。


そうやって悩んでいる間にも時間は止まってはくれずに、目の前でラースの父が憎悪の宿った核を掌の上に乗せてラースに差し出している。

その光景は何も出来ない無力さを突きつけられているようで――


「(――いや。少しでも可能性があるなら掛けてみても良いんじゃないか?)」


ミヤトはそう思い直し、顔を上げる。

何も出来ない無力さならば、何かを起こす無力さのほうがまだ希望が生まれることだってあるだろう。

このまま指を咥えて見ているだけでは、ここに来た意味がない。


時の女神の憎悪は恐ろしいが、そもそもそんなものを向けられる謂れはラースの父親にも、ラースにもないのだから、お門違いというものだ。


それにこれはミヤトが勝手にやっていることだと時の女神に思わせれば、怒りの矛先はミヤトに向き、ラースたちが被害を被ることもないだろう。

ミヤトは深呼吸し、掌を握り込め自身の核を取り出そうとしたが、


「――うん。分かるよ」


後ろから近くなるようにユイカの声が聞こえてきて、振り返る。

彼女は瞳を閉じながら、ゆっくり歩みを進めてミヤトの横を通り過ぎる。


「私もたぶん同じ立場だったらそうしちゃうと思う。だけどね、アサカちゃんに頼まれちゃってるから――ごめんね」


誰かと話をしているようにユイカは瞳を閉じたまま穏やかに言葉を紡いで、ラースたちの前で止まると、取り出したハートの装飾の魔具を両手に握った。


闇が支配している空間だというのに、ユイカのロッドは鮮明に輝いて見える。

ユイカはラースの父の掌に乗っている核にロッドをかざすと、閉じていた目を開き、叫ぶ。


「闇を、包み込む――!」


瞬間、ロッドから目が眩むほどの光が広がる。

それは女王の最期に放った光に酷似していた。


ミヤトは腕で光を遮りながら薄く目を開けて、何が起きているのかを視認する。

空間を覆っていた暗黒だった氷が徐々に光に照らされていき浄化されていく。


「(これがアサカが言ってた切り札……!?)」


ようやく光が収まったときには、空間は白く澄んでいてラースの核は無色透明に戻り光を反射して幻想的に輝いていた。


未だに漂っている光の魔力は美しく、そして清らかであった。

ミヤトの光の魔力とは違う、聖なる光。

まるでマリア女王陛下が放った魔力のようだ。


先祖が眠っていたと謂われる巨大な氷はなくなっていた。

彼がどうなったのかは、今となっては確認の仕様もないが、唯一わかることがある。


「(よかった! これでラースは感情を失わずに済んだ!)」


ミヤトは、放心しているように上を向いているユイカに労いの言葉をかけようとして、回り込む。

しかし、彼女の顔を見た瞬間その表情は何かに怯えているように強張っていた。


「……こ、こわい……」


ユイカは震えながらそう小さく呟くとその場に倒れ込んだ。





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