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43.負の遺産


理事長室を後にしたミヤトが廊下を歩いていると、前方から長身の男性が一直線にミヤトの方へ向かってきていることに気づく。

その美しい容貌と腰の下まで伸びている青みがかかった髪を見て、ミヤトはラースの父親だとすぐ分かり、距離が近くなると明るく声をかける。


「あの、ラースのお父さんですか?」


しかし、男性は正面を見据えたまま足を止めることなく無言でミヤトの横を通り過ぎた。

至近距離で声が聞こえなかったというはずはない。

ならば無視されたと考えるべきだが――


「(俺のことを認識してない?)」


ミヤトは何の根拠もないがそう思って振り返る。

男性は歩調を変えることなく理事長室の方へと遠ざかっていく。


すれ違った時に見えた男性の表情は無機質で、瞳には何も映していない冷たさがあり、人と言うよりは人形と言った方が適切だと思えてしまうような印象を受けた。


ミヤトは男性の様子に違和感を抱きながらも踵を返し、再び教室へと足を動かした。


教室に入れば既に一限目は始まっていたが、教師がいない自習だったため、ミヤトはヴィンセントのもとへと足を運んだ。


「ヴィンセント」

「ん?」

「ありがとうな」

「……なんだ急に気色の悪い。理事長室で変なものでも食べさせられたか?」


本から顔を上げたヴィンセントは嫌そうに顔を歪めながら上体をのけぞらせ、ミヤトから距離を取った。

そんな彼を見てミヤトがふと嬉しそうに笑えば、ますます気味悪がられる。


あえて理由を語る必要はない。

が、これ以上不快にさせるのも恩を仇で返すようでよろしくない。

そう思ったミヤトは自席に戻ろうとしたが、教室内にラースの姿がないことに気づいた。


「ラースは今日はまだ来てないのか? さっきラースのお父さんらしき人を見たんだけど」

「……ラースはしばらく休みだ」

「体調が悪いのか?」

「ラースは自分の家、つまりシュクツァル家の負の遺産を受け継ぐんだ」


ミヤトの問いかけに答えるように、エリアが口を挟んだ。

彼女は席から立ち上がるとミヤトのもとへと歩み寄った。


「負の遺産って?」

「シュクツァル家は五百年以上前、大罪を犯した。その時代の次期当主の力に嫉妬し、狡猾な罠を仕掛け陥れた結果、次期当主は命を落とした。喜んだのも束の間、その事柄は次期当主の母である、時の女神の怒りを買ってしまったんだ」

「時の女神……」


女王が神の子であるなら、他にも人の子として存在していても不思議ではない。

ミヤトの呟きに応えるようにエリアは頷き、続きを語る。


「ならば強大な力を与えよう――と時の女神は男を氷の中に閉じ込めた。男の魔力に女神の負の魔力が混ざった力、それがシュクツァル家の遺産だ。しかし、その代償として受け継いだ者の感情は氷のように冷たく、閉ざされる」

「つまり女神の怒りはその男に留まらず、今もなおその子孫にまで及び続けているということだ。その証拠に、怒りを買った祖先は今もなお、シュクツァル家の下で眠っている、と謂われている」


ヴィンセントがエリアの説明に補足する。

感情が冷たく閉ざされる、という言葉にミヤトは先程すれ違った男性を思い出す。


彼がエリアたちが言っている遺産を受け継いでいるとすれば、無機質だった表情が一気に痛ましく、悲しげなものに見えてくる。

それがラースの受け継ぐ、負の遺産。

そこまで考えて、ミヤトはハッとした。


「それって、つまり……ラースの感情がなくなるってことか?」

「そういうことになるな」

「そんなの……そんなのってあんまりじゃないのか……!?」


突きつけられた事実に、ミヤトは感情のままに言葉を発した。

そして脳裏に蘇ってくるのは、遊園地に行った次の日、学校でラースと会話した日のこと。


当日は気づけなかったが、風船をくれたクマの着ぐるみの正体がラースだったと明かされてミヤトは驚きを隠せなかった。

しかし、すぐに動作がラースのそれだったと気づくと、段々とおかしくなって笑ってしまった。


『ラースがあんな可愛い着ぐるみを被ってた、なんて知ったら、両親がびっくりするんじゃないか?』

『そんなことはないよ。昔から両親は、俺が何をやっても動じたことはないからね』

『それは小さい時の話だろ? 見た目がクールな息子があんな可愛い着ぐるみ着てたら、絶対驚くって。いや、寧ろ両親を遊園地に招待して驚かせるのも面白いかもな』


ミヤトが太鼓判を押せば、ラースは柔らかく微笑んで『そうだといいな』と呟いた。


そうして今、エリアたちの話を聞いて、あの時の呟きが彼の切実な願いだったことに気づいた。

幼い頃のラースが何をやっても動じなかったのは感情がなかったからだ。


知らなかったとは言え、ミヤトは軽口を叩いた自分に怒りを覚えた。

ミヤトが顔を伏せ、痛いほどに両拳を握りしめていると、エリアがゆっくりと口を開く。


「それが家の掟であるなら、従うのは当然じゃないか」


温度のない高い声が凛と響く。

目を見開いたミヤトが顔を上げれば、エリアが冷たい表情でミヤトを見据えている。

掛けられた言葉の意味がうまく理解できず、ミヤトは動揺のままに彼女に言葉を返す。


「エリアだって、ラースが感情を失ったら悲しいだろ……?」

「シュクツァル家に生まれた時点で、ラースも覚悟は出来ているはずだ。なら、周りがとやかく口出しするようなことじゃないだろう?」


同調してくれると思っていた当てが外れ、割り切れと突き放されたことに、ミヤトは言葉を失った。

ショックを受けているミヤトに、エリアは見下すような視線を向ける。


「――私のことを冷たいと思うか? でもこれが貴族なんだ」


エリアはそう言い放つとミヤトに背を向けて自席へと戻った。

呆然とエリアの後を目で追えば、視界に入った周りの生徒達が気まずそうに顔を逸らす。


その行為で、貴族としてエリアは当たり前のことを言っただけなのだと頭では理解するが、それでも薄情だと非難してしまいそうになる。

ミヤトは釈然としない思いが自ずと口から溢れ出た。


「何百年も前の先祖が犯した罪を、どうして関係のない子孫が償わなくちゃならないんだ……! そんなのおかしいだろ……!?」


誰も何も答えてはくれない。

ミヤトの訴えがおかしいのか。

貴族の考え方は分からない。

それならば彼らもミヤトの考えが分からないのではないか。


しかし、仮にそうだったとしても言わずにはいられない。

何故ならラースはミヤトが母のことで狼狽しきっていた時に、いち早く気づき、優しく気遣うように母のところに行けと背中を押してくれた。


そんな彼が、顔も知らない先祖の過ちを、どうして償わなければならないのだ。

例え賛同されなくても、あまりの理不尽さに怒りが収まらないミヤトはそれを口にした。


「犯した罪はその人自身が背負うべきだろ!」


教室がシンと静まりかえり、ミヤトは悔しげに下を向く。

わかっている。こんなことを訴えてもどうにもならないことを。


そう悟っていたミヤトだったが、固く握っていた拳が白く細い両手に包み込まれた。

ゆっくりと拳を掬い上げられる過程で手の主を辿ればミヤトの瞳に、アサカの強い意志が宿った瞳が映る。


いつの間にか隣にいてくれたアサカは、ミヤトの胸元まで持ち上げられた拳を両手で包み込んだまま、目が合うと唇に弧を描いて頷いた。


「ミヤトくんの言う通りよ。罪はその人が背負うべきもの。当然だわ」


ミヤトの拳を覆っているアサカの手に力が入る。

まるで貴方は間違っていない、と後押ししてくれているようだ。


「ラースくんを助けましょう、ミヤトくん」


迷いのない言葉に、ミヤトのやるせない思いが晴れていく。

自分の思いを汲んでくれることが、ミヤトの心を強くしてくれる。

ミヤトは笑顔を取り戻した。


「そうだな。もしかしたら、話し合えば継承のこと考え直してくれるかもしれないしな!」

「シュクツァル家に行こうとしているなら止めておけ」


ヴィンセントがすかさず鋭い口調で待ったをかけた。

その表情は咎めるというよりは、警告の意を感じる。


「どうしてだ?」

「あの家には、生半可な強さじゃ手に負えない守護者が存在している。継承の阻害に気付かれれば怪我だけでは済まされないぞ」


やはりと言うべきか。

彼はミヤトたちの身を案じているようだ。

ミヤトはもしかしたらヴィンセントも一緒に動きたいのではないかとの考えが浮かび、それを口にしようとする。


「ヴィンセントは――」

「手は貸さないぞ。僕はエリア側だ。それに、感情がなくなったとしても、ラースはラースだからな。僕の中で何かが変わることはない」

「――そっか」


感情がなくなったとしてもラースはラース、確かにそのとおりだ。

ミヤトはヴィンセントのその考えを聞いて少し安心した。


そう考えると、エリアの発言も別にラースを拒絶していたわけではなく、ただそれぞれの家庭の事情に首を突っ込むべきではないと言っているだけのこと。

先程エリアに感じてしまった失望を反省する。


それに気づけたのは、揺れたミヤトの心を支えてくれたアサカの存在が大きいだろう。

彼女のおかげで他に思考を割けるくらいに頭は冷静になれている。


改めてアサカを見れば、彼女は顎に手を当て何かを考え込んでいるようだった。


「守護者、か――。ヴィンセントくん、遺産の継承がいつになるか分かるかしら?」

「……聞いた話が確かなら、恐らく明日の夜だ」

「それだけ時間があるなら助かるわ。――ユイカ、今回は貴方の頑張りにかかっているのよ」

「私?」


ずっと黙って事の成り行きを自席で見つめていたユイカは急に話を振られると、首を傾げて自身を指さした。

アサカは頷いて、彼女の側に歩み寄ると肩にそっと手を置き顔を合わせ優しく言葉をかける。


「そうよ。やってくれるわね?」

「――うん! 私、アサカちゃんのために頑張るよ!」


その返事に、ユイカはもしかしたら話についていけてないのではという疑惑が生じたが、本人はやる気満々のようなのでミヤトは水を差すのはやめておいた。


ユイカとアサカのやりとりを見守っていれば、ユイカの前の席にいるシャーネと目が合う。

彼女はぐっと息を呑むと、躊躇いがちに口を開いた。


「……あたしも行ってあげたいけど……貴族と軋轢が生じちゃうのは家に迷惑かけちゃうから……ごめん……!」


シャーネは泣きそうな表情を浮かべて、机に顔を突っ伏した。

それぞれの事情があり無理強いはできないので、責めることはない。


これでこの件に関わることになったのはミヤトとアサカとユイカだけとなった。


「(それにしても、話し合いをするのにユイカが鍵になるって……大丈夫なのか?)」


ただただユイカに気合を入れるためのアサカの方便なのかもしれないが、ミヤトはちょっと心配になった。







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