42.明かされる秘密
ミヤトは学校に登校し、下駄箱で靴を履き替えていれば、昨日会ったクラスメイトの男子生徒に声をかけられる。
「おはようミヤトくん。お母様、大丈夫なのかい?」
「おはよう。ああ。色々と、心配してくれてありがとうな」
二人は教室まで並んで歩く。
ミヤトは昨日抱いた疑問について話題を振った。
「それにしても、貴族社会に対してやけに冷めているんだな」
「貴族社会、というよりは魔力至上主義の身内に対してだけどね」
陰りを見せるその様子は、心底辟易していると訴えているようであった。
彼は重いため息をついて、内なる思いを吐き出した。
「彼らは魔力を持たない人間をいないものだとして扱うんだ。……多分、ミヤトくんも会ったら僕と同じ気持ちになると思うよ」
「……」
彼の言う魔力至上主義の思想は、ミヤトにとっては確かに理解し難いものである。
実際にそんな人物を目にしたことはないが、魔力を持っていないことを取り立てて蔑む理由が分からない。
そこまで話をして教室に入れば、「おっはよー! ミヤトくん!」と笑顔で両手を大きく振っているユイカの声が響く。
久しぶりの再会に、正直なところ少し身構えていたミヤトの胸はどきりと跳ねた。
男子生徒は苦笑してミヤトに「じゃ」と軽く挨拶をして自席へと向かった。
ミヤトは表情が緊張で硬くなりながらも、ユイカの傍へと歩み寄った。
「おはよう、ユイカ。……アサカも」
ユイカの隣にはアサカがいた。
特にこれといって変わったところはなく、普段通りのアサカだ。
ミヤトを見たアサカは穏やかに笑いかける。
「おはようミヤトくん。久しぶりね」
「あ……実は俺は昨日アサカを見かけてるんだけど……」
「ええ。知っているわ。ミヤトくんが元気なのはこの子で確認済みよ」
アサカは手のひらから黒い蝶を出現させた。
どうやらアサカはあえてミヤトに声をかけなかったらしい。
呆気にとられたミヤトは、言葉を詰まらせながらぼやく。
「そ、それならそうと声くらい、かけてくれればいいだろ……」
「? 元気であるなら声を掛ける必要はないでしょう?」
どうやら彼女はこんな時でも効率主義のようだ。
なんだかあまりにもいつも通りの様子に脱力感さえ覚えてしまう。
とはいえ、お互いに何事もなかったことを素直に喜ぶべきだ。
そんなやりとりをしていれば、教室に入ってきたヴィンセントから「ミヤト、理事長から呼び出しだ。理事長室まで来るように、だと」と言伝を受けた。
彼は鞄を持っていないので今しがた登校したわけではなさそうだ。
ヴィンセントの顔を見て、ミヤトは開きかけた口を閉じた。
本当は三日前に彼が仄めかしていたアサカの件を訊きたかったが、なんとなく口にしてはいけない気がした。
アサカが危険だという時に、家族のこととはいえ、助けに行けなかったことに引け目を感じているからかもしれない。
それにアサカがいつもと変わらぬ様子で登校しているということは、ヴィンセントが言っていた良くないことは回避できたということだろう。
それさえわかれば良いと、ミヤトはそっと結論づけた。
ミヤトが黙り込んでいればそれを不思議に思ったのか、ヴィンセントが首を傾げる。
「ん? どうした?」
「いや、なんでも。呼び出しだったな。行ってくるよ」
ミヤトは首を横に振って誤魔化してから、駆け足で教室を出た。
呼び出される理由に心当たりはなかったが、急ぎの用事があるのだろう。
ミヤトが理事長室に足を踏み入れると、理事長のクロドは窓の前に立って外の景色を眺めていた。
「すまないね。登校して早々、呼び出してしまって」
「いえ。お話って何でしょうか?」
問いかけに理事長は振り返り、ミヤトの緊張を解すように穏やかに笑いかけて執務机の前に置かれた椅子に座るよう促した。
ミヤトが言われた通りに腰を掛けると、クロドも自分の席へと座り、机を隔ててミヤトと向き合う。
「話というのは他でもない、アサカくんとユイカくんについてだ」
「二人がどうかしたんですか?」
「……君は二人と仲が良い――いや、知っていたほうが後々ショックを受けないと、配慮あっての決断だ。そう踏まえてほしい」
「? はい」
よく分からないが、ミヤトはとりあえず了承する。
クロドはミヤトの了解を得ると、話を切り出した。
「今回、クラスメイトの貴族子息令嬢たちが、セーラ先生の待機命令を破ってまで動いた理由は、知らないだろう?」
ミヤトが知りたかったことだ。
興味がわいたが、あの時のヴィンセントの様子が頭に過ぎる。
彼はミヤトに事情を話す気がないようであったので、聞かずにいようと思っていたが、それをクロドの口から聞いてもいいのだろうか。
ミヤトは迷う素振りを見せたが、クロドは気付いていないのか話を進める。
「彼らはいち生徒の前に貴族として王命を受けている。それはアサカくんとユイカくんの二人に、気づかれることなく見張ることだ」
「見張る? どうして?」
意外な言葉に迷いが消え、一気に意識が理事長へと向く。
理事長は口を閉じ、深刻な表情でミヤトを見据える。
重く閉じられた口が再び開いた時、予期しなかった言葉がそこから発せられる。
「アサカくんとユイカくん、どちらかが魔王である疑いがかけられているからだ」
「――え?」
それは衝撃的で、にわかには信じられない嫌疑にミヤトは意図せず聞き返す。
声は動揺でわずかに震えている。
そんなミヤトに理事長は同情するように瞳を伏せた。
「六年前のあの日、東の辺境の地で起こった惨劇。死亡者数と魔物の亡骸が数百ずつ。生存者は絶望的だと思われた中、生き残っていたのが十歳の少女二人。普通なら、魔物の目から逃れて子どもが逃げおおせたと考えるだろう。――しかし、二人が見つかった場所は広場の中心部。身を隠していたということであるなら、そこにいるのはあまりにも不自然だ」
体の芯が冷えていく。
しっかり立っているはずの身体が、揺らめいているような感覚を覚える。
「そして彼女たちは傷一つない状態で見つかった。あの日については未だに不可解な点が多く、私たちは二人をあの日の重要参考人及び監視対象として保護した」
「どうして……どうしてこのタイミングで……最初から言ってくれなかったんですか?」
「――私としてもあの二人のどちらかが、なんて思いたくなかったからね。それに君は二人にとても良くしてくれている。偏見の目を持ってほしくなかった……。しかし、魔物が出現した今、個人的な私情を優先するわけにはいかない」
ミヤトは下を向く。
ヴィンセントがアサカの所在を優先させた理由はこれだったのか――。
魔王の嫌疑がかけられている状態で行方知れずになれば、当然疑いが深まってしまう。
彼の気持ちが痛いほど分かった。
「三日前、アサカは見つからなかったんですか?」
「いや、見つかった。セーラ先生と共に行動していたと、セーラ先生自身から言質を取っている」
「セーラ先生と?」
三日前、魔物出現の報告を受けすぐに教室を出たセーラはあの後すぐにアサカと出会ったということか。
ミヤトのざわついてた心がほっとし、ようやく落ち着きを取り戻す。
「セーラ先生は今どこに?」
「――彼女は人が魔物に襲われているところを目撃してしまい……心身ともにショックを受けているようで休職させている。大分落ち込んでいるようだ」
「……そうですか……」
彼女が何を見たのか。
ミヤトは父の姿を思い出し、胸を痛める。
しばしの沈黙をへて、クロドは再び口を開く。
「彼女の証言と共に、アサカくんは魔物の討伐に一躍買ってたこともあって……一時的にだが、疑いは晴れている」
「アサカは相当な量の魔物を倒したってことですか?」
「それもあるが――どうやらアサカくんが飛ばしている黒い蝶が魔物の核の位置を教えてくれていたようだ」
ミヤトはハッとする。
母を探しに向かった際に遭遇した魔物の肩に、黒い蝶が止まっていたことを思い出す。
あの時は母のことで頭がいっぱいであったが、ミヤトもアサカに助けられていたことに気づく。
「とはいえ、二人を完全に白と証明するには決定打に欠けている。……そこでミヤトくん。君は二人と特段、仲が良い。だから、他の貴族の子たちより見えるもの、感じるものがあるだろう。彼らと共に――いや、彼らの先頭に立ってアサカとユイカを探ってほしい」
クロドの真摯な眼差しがミヤトの瞳を捉える。
彼が言っていることは、あの日についての二人の記憶を、傷口を抉れと言っているようなものだ。
そんなことが――出来るわけがない。
それに二人が魔王だなんてあり得るわけがない。
一年過ごした日々は伊達ではない。
二人がただの女の子であることなんてミヤトじゃなくても分かるはずだ。
だからこそミヤトはハッキリと口にする。
「俺は、アサカもユイカも魔王とは関係ないと思います。だから、お断りします」
クロドはしばしの間をおいて、静かにそれを受け入れた。
「――そうか。この話は忘れてくれていい。無駄な時間をとらせてしまったようだ」
「いえ。ヴィンセントが俺に話さなかった理由がわかって良かったです」
ヴィンセントは二人と仲のいいミヤトを不安にさせまいと口を閉ざしたのだ。
いつもは悪態をついて意地悪ばかりする彼だが、不器用な気の回し方にミヤトは苦笑する。
気にした素振りを見せないミヤトを目にしたクロドはほっと息をつく。
「少し安心したよ。正直なところ、こんな話をしてしまえば、君の二人を見る目が変わってしまうのではないかと思っていたんだ」
「そんなことにはなりませんよ。二人とも大切な友達ですから」
クロドは理事長としての顔を消し、なにかを慈しむように目を細める。
目尻に皺ができ、優しい相貌だ。
「私の個人的な願いとしては、ミヤトくんはクラスの生徒達とは逆のこと、つまりアサカくんとユイカくんが無実であることを、信じ続ける存在になって欲しいと思っている。――本当に個人的な願いになってしまうが……」
「お願いされなくても、俺は二人を信じてますよ」
段々と顔が下がり、申し訳なさそうな声音で懇願するクロド。
その不安を掻き消すように、ミヤトは力強い言葉をかける。
顔を上げたクロドは嬉しそうに口元を緩めながら満足げに頷いた。




