39.巻き戻る時間
次の日登校すると教室にアサカの姿はなかった。
ユイカは登校しており、自席に座り窓の外を見ている。
となると、アサカは用事で席を外しているのかもしれない。
とりあえずミヤトはユイカの傍まで行き、挨拶をする。
「ユイカ、おはよう」
そう声を掛けるミヤトだったが、ユイカは顔を向けることなく「んー? おはようミヤトくん」といつもの元気はどこへやら、見るからに上の空な返事を返す。
「どうしたんだ? 体調でも悪いのか?」
「んー?」
ユイカは質問に答えなかった。
ぼーっと窓の外を眺めている。
質問に対して明確な返答がないためミヤトは戸惑った。
もしかしたら、アサカと何かがあったのかと思い訊こうとしたが、いつの間にか登校したシャーネがミヤトたちのもとへと来て、先にユイカに声をかけた。
「ユイカ、アサカはどうしたの?」
「んー? 体調が悪くて今日はお休みだよ」
「え!? 大丈夫なの!?」
「休んでたら良くなるって言ってたよ」
「そ、そう?」
やはりユイカは窓の外を眺めたままシャーネにも顔を向けずに覇気のない声でそう答えた。
一応アサカがいない理由が判明した。
アサカが体調不良で休むなんて初めてのことだ。
まあ、食事を十分に摂れていない状態で今まで元気だったのがおかしかったのだったのだろう。
ミヤトは再びユイカに声を掛ける。
「アサカがいなくて元気がなかったのか。早く良くなるといいな」
「そうだねー」
気遣いの言葉にさえ適当に返事をするほどユイカの心はここにあらずといった状態だ。
ミヤトもこの状況が初めてのことなので、困惑して助けを求めるようにシャーネを見たが、彼女は「お見舞いは花がいいかしら?」と考え込み始めていたため力になってくれそうにない。
あまり構いすぎても鬱陶しいと思われかねない。
そう危惧したミヤトはおずおずとユイカから離れた。
自席に着くと上から「おはよう、ミヤト」と落ちてきたため、顔をあげればエリアが立っていた。
「エリア、おはよう。……なんかユイカの様子が変なんだよな」
「アサカが休むなんて珍しいから、ユイカも気落ちしているのかもしれないな。かくいう私も少し寂しさを覚えているよ」
「ああ。俺も寂しいよ」
エリアの助言もありユイカの違和感はアサカが休んでいるためと解釈した。
朝のホームルームの時間になり担任のセーラが教室に入ってきた。
皆が座席に戻ると、セーラは出席を取り始めた。
――異変がおきたのは一限目の授業途中だった。
窓の外からサイレンのような音が聴こえた、と思えばその数秒後に校内放送でそれがけたたましい音で流れた。
その後に流れた報せに誰もが耳を疑う。
『都市部内で多数の魔物が発生。教職員及び生徒は緊急時の対応を速やかに行うこと――繰り返す』
放送が流れるスピーカーを見上げたセーラの瞳が動揺で少し揺らぐ。
しかし、すぐに背筋を伸ばし毅然とした態度で皆に向き合った。
「……今の放送しっかり聴きましたね。私は街へ向かいます。貴方たちはここで待機するように」
それだけを言い放つとセーラは身を翻し、教室の扉へと向かいそうになったため、ミヤトは慌てて立ち上がり声を上げる。
「待機、って俺たちも討伐に向かったほうがいいんじゃないですか?」
「詳しい状況が分からないまま、貴方達を危険に晒すわけにはいきません。――いいですか? なにがあってもここにいなさい。いいですね?」
立ち止まったセーラは有無を言わさないために口調を強めて釘をさしてから、足早に教室を去った。
教室がシンと静まり返る。
緊張とただならない不安が押し寄せる。
ミヤトは動けずにいるこの状況に焦燥感を覚えながらも皆が動かないでいるので、急く気持ちを押さえながら不満の言葉をこぼす。
「待機って言ってもなぁ……」
「まあ、状況的に見ても、動かない方が今は都合が良いな」
ヴィンセントがどこか違うところを見ながらミヤトのぼやきを宥める。
彼の視線の先を追えば、ユイカがいた。
緊急事態だというのに、相も変わらず彼女は窓の外を眺め続けている。
ミヤトはヴィンセントに目線を戻し言葉の意味を問う。
「都合が良いってどういうことだ?」
ヴィンセントはユイカから視線を外し、ミヤトに顔を向ける。
数秒じっと見つめられた後、顔を逸らされる。
「……ミヤトは知らなくていい」
「俺以外ならいいのかよ」
「……どうだろうな」
投げやりのような、はっきりしないもの言い。
しかし、ただ意地悪をしているようには思えない。
言いたくないのか言えないのか。
やんわりと答えるのを拒否している。
ミヤトは気になってはいたがそれ以上追及するのはやめた。
教室を沈黙が支配する。
外は微かに騒がしい。
しばらくして静寂を破るように「ねぇ!」と女子が声を上げた。シャーネだ。
「あのさ、体調が悪いアサカを寮に一人にしておくのも危険なんじゃない? せめて……保健室にいさせておいた方がもしものとき、安心出来ると思うんだけど。な、なんなら私が一緒についているし……その、ユイカも一緒に、ね!」
やけに遠回しな言い方が不思議であったが、一理ある。
体調が悪いアサカを一人で寮にいさせるのは危険だろう。
ヴィンセントも心配しているのか「そうだな。アサカも目に見えるところにいてくれる方が助かる」と同調した。
シャーネの表情がぱっと明るくなる。
「だって、ユイカ! 一緒にアサカを迎えに行きましょ!?」
「……」
「ちょっとユイカ! 聞いてるの?」
「んー?」
シャーネの言葉にユイカは顔を向けもせず、窓の外を見つめながら空返事をする。
明らかに様子がおかしい。
アサカがいないからだと思っていたが、アサカの身を案じているシャーネの提案にやけに興味がなさそうだった。
アサカを心配しているなら真っ先に動きそうなものだが。
ミヤトと同じでそれを訝しんだのか、ヴィンセントが核心を突く疑問を口にする。
「ユイカ、アサカは本当に寮にいるのか?」
その言葉に窓の外を見ていたユイカがようやく顔を向ける。
問いかけに答えることなく、ユイカはヴィンセントをただただ見つめ返す。
いつまでも返事がないのを否と捉えたのか、ヴィンセントの表情に焦りがにじみ、小さく舌打ちして「この状況でアサカがいないのは不味い……!」と苦々しく呟く。
「状況が変わった! アサカの所在を確かめるのが最優先だ! ここを出る!」
クラスメイト達が固い表情のまま頷くと立ち上がり、それぞれが準備をし始める。
明らかに空気が変わった教室にミヤトは驚き茫然とする。
「え? なに……? どういうこと……?」
状況が飲み込めないのはミヤトだけではなく、シャーネも戸惑っているようで、クラスメイトたちが立ち上がり戦闘の準備を始めている動きを目で追ってはおろおろと立ち尽くしている。
察したヴィンセントは苦悩で目を細め、言葉を絞り出すようにミヤトとシャーネに伝える。
「――詳細は言えない。だが、このままアサカが見つからなかった場合、アサカにとって良くない状況になる、とだけは言っておこう――ユイカ、アサカがどこに行ったか心当たりはないか?」
「多分街だと思う」
「っ! よりにもよって街か……! どうしてアサカは街に行ったんだ!?」
ヴィンセントがイラつきを押さえない口調でユイカに詰め寄る。
ユイカはそれに顔色を変えることなく平然とヴィンセントを見つめている。
ミヤトはユイカの言葉でアサカが街に行った理由を理解したため、苦虫をかみつぶした表情になりながらもヴィンセントに説明をする。
「……もしかしたらアサカは大事になるより前に、魔物の出現に気付いたのかもしれない。ユイカ、そうだろ?」
ユイカは黙って頷く。
それに納得がいっていないヴィンセントが矛先をミヤトに向け怪訝に問いかけを続ける。
「どうしてアサカは魔物に気がついた?」
「アサカは普段から魔力で造った蝶を飛ばして、魔物がいないか見回っていたから気づいたんだ」
「蝶……?」
「ああ。黒い蝶だ」
ミヤトはヴィンセントの問いに応えながらも頭を抱える。
――忘れていた。
アサカは魔物のこととなると、後先考えないで行動をすることを。
魔物との遭遇が一定期間なかったことを理由にするには、あまりに不注意だった。
ミヤトは、拳を握り、奥歯をかみしめる。
「(アサカ、忘れたのか!? お前一人じゃ魔物の核は破壊できないんだぞ!?)」
心のなかで苛立ちをぶつける。
しかし、アサカに届かなければそんな怒号も意味をなさない。
ヴィンセントがクラスメイトに指示している。
ユイカ、シャーネ、数人の女子生徒は教室内に待機。
他の生徒はアサカの捜索に割くようだ。
ミヤトもアサカを探すために準備を整えようとすると携帯の着信音が鳴った。
ミヤトは苛立ちながら通話を押し、耳に押し当てた。
『ミヤト!? 今何処にいるの!?』
ミヤトが声を発する前に憔悴しきって、取り乱した声が電話越しに聴こえる。
一気に高まっていた熱が冷め、息を呑む。
現実に引き戻されたような錯覚を覚える。
「(――そうか)」
冷静を取り戻した頭が、思い出させる。
ミヤトは震える声で、落ち着いて母親の問いかけに答える。
「学校だよ」
『そうなのね!? 母さん、すぐ迎えに行くからそこで大人しく待っているのよ!』
瞬間、言葉を無くし、背筋が凍る。
言い返そうと言葉を発する前にぶつりと切られた音がやけに耳に響き、絶望への誘いのようだ。
そこから一気に頭の中が、母親のことで占められる。
「(魔物が溢れている中で、母さんが迎えにくる? 魔法を使えない母さんが……外に――)」
最悪の結末が脳裏を過ぎり、身の毛がよだつ。
はっとして再び電話を掛け直す。
――繋がらない。
回線が混み合っている状況で、一度きりでも繋がったことが奇跡だったのだろう。
携帯を握りしめた腕を下ろし、立ち尽くす。
血の気が引き、心臓がどくどくと音を立て、呼吸が乱れていく。
「ミヤトくん、大丈夫か? 顔色が悪い」
異変に気づいたラースが気遣うように顔を覗き込む。
気遣うような目がミヤトの目と合って、不安を払拭したくて、縋るように心情を吐露する。
「母さんが、迎えに来るって……」
「ミヤト君のお母様が?」
「ああ……」
「……魔法は使えないんだったな?」
ヴィンセントの問いかけにミヤトが俯きながら無言で頷く。
小さく「そうか」とヴィンセントは応えた。
ラースがミヤトの肩に手を掛ける。
「ミヤトくんは、お母様のところに行ったほうがいい。アサカさんは俺達がなんとかするよ」
「ラース……すまない……ヴィンセントも……他の皆も……」
「いいから早く行け。他のことは気にしなくていい」
「……本当にすまない……っ!」
ヴィンセントの言葉にミヤトはその身一つで急いで教室を飛び出した。
母親のことしか頭にないミヤトは、ユイカがミヤトを見ていたことに気づかなかった。
駅に向かう道中、走ってこちらに向かってくる人たちとすれ違う。
怯えきった形相を見ると魔物から逃げているのだろう。
初めてのことで街が、人が混乱をしているのが、そこらじゅうから聞こえてくる悲鳴や怒号、何かが弾ける音、雑踏でひしひしと感じてくる。
想像以上に魔物が出現しているのかもしれない。
ミヤトの脳裏に母が魔物に襲われている姿がよぎる。
その想像に不安を煽られ、ミヤトは一心不乱に走る足を速める。
電車は当然のように止まっていた。
肉体を魔力強化してひたすら走る。
無理をしているのを感じ取った身体が、悲鳴を上げ始め、千切れそうになるような痛みが手足の節々、肺を襲う。
目に見えた景色が一瞬で流れていく途中、前方に二メートル程ある黒い巨体が視界に入り、その下には腰を抜かして怯えきった表情でそれを見上げている男性が見えた。
瞬間、魔物だと脳が理解して、あとは殆ど無意識だった。
ミヤトは叫び声を上げながら刀を取り出し、勢いを殺さず巨体を目指して飛びかかった。
スローモーションのような視界が魔物の肩に黒い蝶が止まっているを捉えると、考えるより先に本能が理解して、蝶が止まっている箇所に刀を突き刺した。
魔物が砂のようにさらさらと崩れ去り、ミヤトは地面に着地する。
助けられた男性は腰を抜かしたまま何度も必死にお礼を言ってくるが、ミヤトは何も言わずに背を向けて、再び歩み始める。
急に立ち止まったことで足が限界を迎えたようだ。
よろよろとした足取りで歩いていれば、道の先で見慣れた姿が視界に入ってミヤトは足を止めた。
乱れた呼吸が徐々に落ち着いてくる。
アサカが、クラスメイトが魔物と戦っている。
魔力を持たない人々が魔物に襲われている。
父を襲った魔物はすぐそこにいる。
そんな事柄が全て後回しになるほどに母親のことで頭がいっぱいだった。
行動を起こしそうになる衝動を引き留めているのは目の前の母親の存在。
人の目など気にしていないほどに髪は乱れ、足は近場用のサンダルを履いている。
途中で倒れたのか、衣服が汚れている。
母の瞳には涙がにじんでいてその取り乱し様は、まるであの日以降の彼女に戻ったようだ。
ミヤトは刀を握っている手の力を抜き、魔具を収納する。
表情を緩ませ母親に優しく笑いかける。
「帰ろう、母さん」
ミヤトは母親に寄り添い肩を抱いて家へと歩む。
背後で鳴りやまないサイレンは、正面に続く道へ足を進めていけばいくほど静けさを増していくようだった。




