36.誕生日(前編)
進級するのも間近になった頃。
ミヤトは、アサカに人知れず教室を連れ出され、着いた先は人気のない階段の踊り場だった。
前を歩いていたアサカは立ち止まると振り返ってミヤトに向き合うと早々に話を切り出した。
「実は来週、ユイカの誕生日があるの」
「え!? ユイカの誕生日!?」
面食らうミヤトにアサカは頷いた。
「ええ。だからプレゼント、一緒に買いに行かない?」
「行く! 寧ろこっちからお願いしたいくらいだ!」
ミヤトは間髪入れずに食い入るように返事した。
力強い返事の理由としては、ユイカの誕生日プレゼントは是非とも買いたいが、女子へのプレゼントとなるとファンシーな雰囲気漂う店内に足を踏み入れなければならない。
勇気を振り絞り入ることは出来るが、落ち着いてプレゼントを選べるかは自信はなかった。
しかし、アサカが一緒であれば周囲の目を気にすることなく、プレゼント選びに集中できるだろう。
少し情けない話ではあるが、良いプレゼント選びのためだとミヤトは拳を握る。
アサカは嬉しそうに口元を綻ばせ、胸の前で両手を合わせた。
「ミヤトくんならそう応えてくれると思っていたわ。それじゃあ、行く日は次の休日でいいかしら?」
「ああ。時間はどうしようか?」
「そうね――少し色々と考えてみるから、保留にしてもいいかしら?」
「わかった。じゃあ、また決まったら教えてくれ」
「ええ」
約束を交わして二人は教室へと戻った。
その後、アサカから改めて待ち合わせ時間を教えてもらい、約束した休日になった。
ミヤトが待ち合わせの駅前に着けば、離れた時計台の前に見たことがあるような男性二人が立っている。
見間違いかを確認するため目を凝らし、まじまじと見つめるが、男性二人はやはりヴィンセントとラースであった。
二人は距離は近いものの、特に話すことなく立っていることから、偶然にもそれぞれが誰かと待ち合わせしているのだろう。
ミヤトは予期せぬ出会いを嬉しく思いながら、彼らの元へと歩みを進め、軽く手を挙げて声をかける。
「ヴィンセント、ラース!」
声に気づいた二人が顔を上げ、ミヤトを見るとヴィンセントはぎょっとし、ラースは嬉しそうに目を輝かせた。
「な……! ミヤト……!?」
「ミヤトくん! 君も何処かにお出かけするのか?」
「ああ。俺も待ち合わせしてるんだ。一緒に待たせてもらってもいいか?」
「勿論良いに決まっているよ」
絶句しているヴィンセントを余所に、ラースは嬉しそうに返事をした。
素直なラースをミヤトは照れくさく感じながらも苦笑する。
「それにしても、三人揃って同じ時間、同じ場所で待ち合わせだなんて本当、奇遇だよな」
「――やはり友人というのは図らずとも引かれ合う何かがあるのかもしれないな」
「……貴様らはこの不自然な状況をただの偶然で済ませる気かっ! クソッ! 嫌な胸騒ぎがする……ミヤト、ラース! 誰と待ち合わせしてるか言ってみろ」
「「アサカ(さん)」」
声を揃えて返事をすれば、途端にヴィンセントが頭を抱えて蹲る。
落胆しているような、絶望しているような悲壮感が漂っている。
そんなヴィンセントを見下ろしながら、ミヤトとラースは答え合わせのように今日の目的を口にする。
「俺はユイカの誕生日プレゼントを一緒に買う約束をしている」
「俺もユイカさんの誕生日プレゼントを選んで欲しいと言われて来たんだ」
「……ユイカの誕生日?」
ゆるりと顔を上げたヴィンセントは聞き慣れない言葉のように二人の共通した言語を復唱する。
眉間に皺が寄っているので、気づいたが、受け入れたくないといった様子だ。
どうやら一人だけ違う用事で呼び出されたのだろう。
「ごめんなさい。待たせたかしら?」
ヴィンセントの悩みの元凶が、洗礼された優雅な歩みで三人の前に姿を現した。
ミヤトたちが返事をする前に、立ち上がったヴィンセントがアサカの前にずかずかと歩み寄り、青筋を立てた顔をずいっと近づける。
「……ユイカの誕生日とは何だ?」
「あら。もう聞いてしまったのね。実は、そうなの。ヴィンセントくんにもユイカの誕生日プレゼントを選んで欲しいと思って今日は呼んだのよ」
自分の口から直接伝えられなくて申し訳ない、という雰囲気でアサカは眉尻を下げた。
その一連の流れからヴィンセントはアサカに嵌められてここに来ていたことをミヤトは悟った。
ヴィンセントが奥歯を噛み締め、声のない唸りを上げる。
「っ〜! 深刻そうな表情で『――とっても大事な話があるから休日に会えないかしら?』って言っていたから、何のことかと思えば……ユイカの誕生日プレゼント選びだと〜ぉ? ッ! そ……んなっ! くだらない用事で僕を呼び出して貴様なんのつもりだ!?」
「私にとっては大事な話よ」
「貴様にとってはな!」
怒りが収まりそうにないヴィンセントをアサカは涼し気な表情でじっと見つめたあと、彼の横から顔を出し、ミヤトとラースに声を掛ける。
「本当はシャーネとエリアも誘ったのだけれど、断られちゃったのよね」
「話を逸らそうとするな! 僕の話はまだ終わっていない! そうならそうと初めから言えばいいだろう!」
「だって、言ったらヴィンセントくん断っちゃうでしょう?」
「当たり前だ! どうしてこの僕が貴重な休日を削ってまであのアホために思考を割かなければならない!」
収拾がつかなそうな二人のやり取りにミヤトはやれやれと肩を竦める。
とりあえず、憤っているヴィンセントを宥めようと、後ろから彼の肩に手を置けば気づいたヴィンセントが反射的に振り返る。
眉間には不機嫌さを現すように皺が寄っている。
「まあまあ。折角来たんだし、付き合ってやればいいだろ。選ぶのが面倒なら適当に選んで終わらせてもいいしさ」
「……なんだ? ミヤトは自分の好きな女が適当なものをプレゼントされてもいいのか?」
「フッ。大丈夫だ。その分俺の選んだプレゼントで喜んでもらえるからな。だから、安心して適当な物を選んでくれよ」
「……ほう。なるほど。つまり、僕が頑張れば頑張るほどミヤトはそれ以上の物を見つけなくてはならなくなる、か。――面白い。アサカ! あのアホのためにプレゼント選びをしてやろう!」
「まあ! やる気になってくれて嬉しいわ!」
「待て待て待て! 動機が明らかに俺の邪魔をしようとしてるだけだろ! そういう不純な気持ちでプレゼント選びしようとするなら帰れ! ユイカに失礼だ!」
聞き捨てならないとミヤトが凄むと、ヴィンセントは腕を組み意地の悪い笑みを浮かべながら目を細め、挑発的に煽り始めた。
「なんだ〜ミヤト? 僕より良いプレゼントを見つける自信がないのか? どうなんだ? ん?」
「ぐ……あ、あるに決まってるだろ……!」
「そうかそうか。それなら何の問題もないな」
「あ、ああ。ユイカのことならアサカの次に理解していると言っても過言ではないからな……!」
どこか迷いが拭いきれない声音ではあったが、ミヤトはそう答えた。
そんなミヤトとヴィンセントのやり取りを黙って見つめていたラースはハッとする。
ここに呼ばれた真の目的に気づいたといったように衝撃を受ける。
「そ、そうか……! これは誰が女性の気持ちを汲み、欲しいものをあげれるかの男力チェックということか……! ……僕に務まるだろうか……」
ラースは顎に手を当て地面の一点を見つめてぶつぶつと呟きながら悩み始める。
そんな三者三様のような有様にアサカはペースを乱されること無く「それじゃあ移動しましょうか」と声をかけると踵を返した。
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アサカから移動を提案したものの特に行き先は決まっていなかったようで、しばらく歩いてからミヤトたちにどこが良いかを尋ねる始末であった。
プレゼントする物の候補すら考えていないらしく、全くのノープランにミヤトたちは呆気にとられる。
とりあえず向かった先は以前シャーネたちと買い物をしたショッピングモール。
ここなら様々なテナントが入っているため選びやすいだろう。
「私の贈り物のことは気にしないで、ミヤトくんたちが何をプレゼントしたいのかを聞かせてもらえないかしら?」
「うーん……色々考えてはみたんだが……結局決めきれなくて……色んな物を見てみたいなとは思ってるよ」
「なるほど。ラースくんは?」
「俺もミヤトくんと同じだ」
「プレゼントなら花が無難だろう」
アサカが問う前にヴィンセントがさらりと答える。
迷いない物言いに、ミヤトは前にヴィンセントがエリアの弟に花を贈るという話をしていたことを思い出した。
「ヴィンセントは花は贈り慣れていそうだな」
「何かと付き合いがあるからな」
「やっぱりか。ラースも贈ったりするんだろ?」
「――俺から贈ったことはないな。そういう手配は執事長がしてくれるんだ」
「それはヴィンセントも同じなんじゃないか?」
「僕は直接手渡しすることもあるが……ラースは……家柄、花を贈ること自体が少ないだろうな」
言葉を選んでいるような歯切れの悪さを感じ取ったミヤトは首を傾げる。
貴族には階級があることは理解しているが、二人がどのような立ち位置にいるかなどは詳しくは知らない。
しかし、クラスメイトの雰囲気からなんとなくヴィンセントとラース、エリアは上なのではないかと察していたので色々と事情があるのだろうと解釈した。
「それじゃあまずは花屋に行きましょうか」
一階のテナントの花屋に入ると、花の甘い香りとそれに混じって茎が水に溶けた青臭さがほんのりと鼻腔をくすぐる。
店内は色とりどりの生花が細長い銀のバケツに飾られており、店内は少し暗いというのにそれが花の良さを引き出しているように華やいでいた。
光の調節が絶妙というのもあるのだろう。
ミヤトは、花を眺めていると心が落ち着き不思議と穏やかな気持ちになった。
「(花も良いよなぁ。今度母さんにプレゼントするのもありだな)」
そんなことを考えて花を眺めながら、提案者のヴィンセントが先導していく後ろを歩んでいく。
ヴィンセントが少々得意げに話し始める。
「花は大抵のことが丸く収まるところが気に入っている。嫌いという女性も少ないからな――これなんてどうだ。あの明るいアホにぴったりじゃないか?」
黙っていたアサカが、ヴィンセントの指し示した花に視線を向ける。
そこには黄色のガーベラが生けられており、花びらがみずみずしく、色味がより鮮明に感じられて美しい。
生花のため、花束にして花瓶に飾ることを想定した贈り物だ。
アサカは和やかな目つきで暫く花を見つめてから、目線をヴィンセントへと戻すと口を開いた。
「駄目よ。ユイカが花のお世話なんて出来ると思う?」
「……貴様がすればいいだろう」
「あら。ユイカが貰ったものなら、しっかりユイカに面倒を見てもらわないと。私がそういうのに厳しいの、知っているでしょう?」
ヴィンセントは眉間に皺を寄せ、口を噤み黙った。
どうやら理解したようだ。
そういう情報は花屋に来る前に言って欲しいものだが、アサカは自主性を大事にしているのだろう。
ヴィンセントが文句の一つでも言うかと思っていたが、その後の手入れを見据えていなかったのは自身の落ち度と捉えたのか、諦めたように大きくため息を吐く。
「ならばプリザーブドフラワーか……。あまり形に残るものは勘違いされたくないから贈りたくはないが……まあ、あのアホならそんな心配は無用か」
独り言のような小さな言葉だったが、ミヤトは聞き逃さず鋭く口を挟む。
「待てヴィンセント。それはユイカになら勘違いされてもいいと同義語にならないか?」
「なるわけがない」
ミヤトの疑念をヴィンセントは不可解な表情で一刀両断する。
ミヤトは納得がいかないのかうーんと唸りながら恋愛脳を忙しなく回転させていた。
そんな中、顎に手を当て静かに思考していたラースが、顔をあげて皆に向かって口を開く。
「花で思いついたんだが、野菜の苗はどうだろうか?」
きょとんとするミヤトとアサカを余所に、ヴィンセントは呆れたように息を吐きながらラースの意見の問題点を指摘した。
「ラース……さっきの話を聞いていなかったのか? ユイカは植物の世話なんてしないんだ。苗なんて枯らすに決まって――」
「素晴らしい慧眼の持ち主だわ……!」
「はあ!?」
感嘆の声を上げるアサカにヴィンセントは片眉を吊り上げすかさず声を荒げる。
さっきとは打って変わった反応に納得がいかないようだ。
アサカはそんなヴィンセントを気に留めることなく、話を続ける。
「ユイカは食べ物のことなら一所懸命にお世話をするのよ。実った時に直接食べられるのが嬉しいらしいの」
「やはり……彼女は食べ物に目がないから気に入ると思ったんだ」
「流石だわ、ラースくん。よくユイカのことを分かってくれているのね」
ほのぼのとした会話が繰り広げられる中、ヴィンセントが肩をわなわなと震わし「それなら……そうとっ……早く言え……っ!」と小さく怒りの声を露わにしているのをミヤトは困り顔で「まあまあまあ」と宥める。
結局、花屋は保留となり四人は次の店へと足を運んだ。




