ヴィンセントの疑念とエリアのミッション (閑話)
シャーネと別れた後、会場内を見回ると黒髪が印象的な女性が視界に入り込む。
彼女はヴィンセントの視線に気づくと、凛とした姿で一直線上に足を進めて近づいてくる。
その堂々たる振る舞いは美しく、周りが霞んで見えるほどの存在感があり――何故か癪に障る。
アサカが目の前で立ち止まると、ヴィンセントは胸の前で腕を組んで顔を逸らして無愛想に言い放つ。
「言われた通りシャーネと踊ったぞ」
「本当にありがとう。……シャーネ、どうだった?」
「ミヤトと踊りたかったらしい。――まったく。僕は踊り損だ」
ヴィンセントがやれやれと大袈裟に息を吐く。
返答を聞いたアサカは困ったように眉を下げると、思い詰めた表情で視線を地面に落とす。
「やっぱりそうよね……余計なことしたかしら……」
「しつこく礼を言ってきたから気分転換にはなったんじゃないか?」
「……そうだといいわね。ごめんなさいね、手間を取らせてしまって」
「別に。――まあ、この機に借りを作って置くのも悪くないからな」
「そうね。ツケていてくれる?」
悩んでいた割には、軽口を叩く余裕はあるらしい。
ヴィンセントは鼻を鳴らすだけの返事をする。
「それじゃあ私は失礼するわ」
アサカは踵を返す。
ヴィンセントとしてももう用はなかったはずだが、ふと湧いた違和感が意図せず口から滑り出り出て、アサカの足を止めさせる。
「ミヤトとは踊らなくていいのか?」
ヴィンセントの問いかけにアサカが首を傾げ、訝しげる。
「どうして私がミヤトくんと?」
アサカの訊き返しに、ヴィンセントは何も答えない。
暫しの見つめ合いの沈黙の後、ヴィンセントはおどけた様子で口を開く。
「いや、なに。海の一件でミヤトからアサカが胸の小ささを気にしていた、と小耳にしてな。女の子らしいところもあるもんだと、驚いたんだ」
ヴィンセントが嘲るように肩を竦める。
アサカは一拍置いてから意味を理解して苦笑する。
「ああ。なんのことかと思えば。コンプレックスなんだから当たり前じゃない。相手がヴィンセント君であろうと、私は同じ反応をしていたわ」
「……今日は気にならないのか?」
「ええ。水着と違ってドレスはそんなに目立たないから」
ホルターネックのドレスで首下は隠れているが、アサカの体型に沿っているドレスは体の線が分かりやすく、スレンダーな彼女によく合っている。
だが、それではミヤトの話と矛盾する。
胸の大きさを気にしているなら選ぶことのない形状のドレスをなぜ身にまとっているのか。
それにこんなに堂々と指摘しているというのに、恥じらう様子もなく、とても胸を気にしているようには思えない。
反応を伺うため、ヴィンセントは煽る。
「そうでもないんじゃないか?」
「あら? やけに絡むわね。折角だから一曲踊る?」
「誰が踊るか。僕は失礼する」
アサカの誘いを一蹴し、ヴィンセントは背を向けて立ち去る。
ミヤトに好意があるのか、はたまた他に何か理由があるのか。のらりくらりと躱すアサカ。
「(つつけば綻びが生じると思っていたが、そこまで重要視しなくても問題ない、か?)」
そこまで考えて、ヴィンセントは顔を歪め深い溜息を吐く。
関わるつもりはないと思っていたが、気づけば他のクラスメイトよりも関係が深まっている現状が嘆かわしくもある。
非常に自分にとっては面白くない展開。
任務遂行には自ら関係を築いていく必要はなかったが、乗りかかった、いや、乗ってしまった船。後戻りは出来ない。
「(そもそも六年の間、特段気にする要因もなく日常生活を送っているのなら、今さら粗探しする必要なんてないような気もするが――)」
とはいえ、些細なことを気にしてしまうのは性分のようだ。
ヴィンセントはアサカがバルコニーに入る姿を視認し、「(念には念を、か)」と心の中で呟いた。
++
「アサカが胸に何かを隠している?」
創立記念祭が明けてからの登校日、エリアはヴィンセントに呼び出され人気のない校舎裏へと連れ出されていた。
エリアの復唱の問いかけにヴィンセントは頷く。
「正直なところ、ただの疑念に過ぎないが不安の芽は早めに摘んでいたほうがいいからな。そっちで何もないか確認してほしい」
「何かって……何を隠す必要が?」
「さあな」
見当もつかないところを見ると根拠が全くない、本当に彼のただの勘。
やや神経質すぎるかもしれないが、確認する術があるのならば捨て置けないのだろう。
エリアは海でのアサカの様子を思い出す。
体型や、水着の衣装を気にするのは女性から見たらごくごく自然なことであり、特に疑問を抱きはしなかった。
しかし、別の視点で、何かを隠すために意図的に行動していたと前提するのならば疑う余地はある。
「しかし、どうやって確認すればいい? 直接訊く、なんて不自然なことは出来ないぞ」
「タイミングなんていつでもあるだろう。例えば、武道の着替えの時なんかにさり気なくアサカを見ればいいじゃないか」
さらりと解決策を提案されるが、エリアは眉を顰める。
「さり気なくって……簡単に言ってくれるが、それがどれだけ難しいか……全てを脱ぐわけじゃないんだ。それに、あらぬ疑いを掛けられるかもしれない……」
「いくらアサカが鋭くても同性同士の着替えの最中ならどうとでも誤魔化せるだろ」
「そうではなくて! わ、私が……その……女子の着替えを覗く……へ、変態だと思われないかが不安なんだ……」
「思うわけがない。同性同士だぞ」
エリアが上擦った声で胸の内を物申すが、ヴィンセントは寄り添うことなく、きっぱりと断言する。
しかし、懸念が晴れることはない。
黙り込むエリアにヴィンセントは発破をかける。
「ただちらっと確認するだけだ。目が良いのだからそれくらい他愛もないことだろう?」
「それはそうだが――もし、何もなかったら?」
「それならそれで杞憂だったで終わりだ」
あっさりと言い放たれる。
なんというか、エリアにとっては割に合わないミッションだという気持ちが拭いきれない。
今まで築き上げてきた自分の評価が下がりかねない行為に、やはり渋ってしまう。
「君はそれで良いかもしれないが、私は不名誉を被ることになるかもしれないんだぞ……」
「まあ、やりたくないならそれでもいいが。どうせ不名誉を被るのがアサカになるだけだしな」
尻込みしているエリアに、ヴィンセントは息を吐き断念した口調で言い放つ。
途端にエリアは口を噤み、そっと目を伏せる。
ある説が濃厚となるならば、その内容を看過することは出来ない。
エリアは瞳を閉じて、人格としての含羞や迷いを心の奥底へと追いやる。
再び目を開いた時には、真摯な表情で覚悟の言葉をすっと口にした。
「――分かった。やろう」
決行は次の武道の授業前の更衣時間。
エリアは更衣する位置を隣のロッカーに指定するため、前の授業の話題をアサカに持ちかけて一緒に更衣室へ向かう手はずを整える。
エリアと反対の位置にユイカがいるのは、予想の範囲内であったが、唯一気がかりなことがある。
「私も一緒に更衣室に移動したいんだけど……だめ?」
あれだけミヤトにべったりだったシャーネが、やけにユイカ……というよりアサカに絡むようになった。
ダンスの一件でミヤトへの想いが離れたからと考えるのが妥当だが、事情を知らない彼女が一緒に行動するのはエリアにとっては想定外なこと。
静かに緊張が走るエリアだったが、やはりアサカは了承する返事をシャーネにする。
「良いに決まってるじゃない。ね、ユイカ、エリア?」
「うん」
「あ、ああ」
不自然に断ることは出来ない。
しかし、問題が発生する。
四人並んで廊下を移動するのは他の生徒の迷惑になるため、必然的に上下二人に別れなければならない。
エリアとしてはアサカの隣を維持したいところだが、あまりこだわりすぎるのも変に思われユイカたちが違和感に気づく可能性がある。
とりあえず隣の位置で着替えることが出来れば肌を視認できる。
作戦を変えたエリアは移動時はシャーネと隣あい、更衣室に入る直前でアサカに声を掛け、自然な流れで隣の位置を確保した。
しかし、いくら隣同士とはいえ、ロッカーを向いて着替えることとなるので、見るには顔を動かさなければならない。
しかもチャンスはシャツを脱いだときだけの短い時間。
エリアはシャツのボタンをゆっくり外しながら、意を決して開いたロッカーの扉越しにアサカをちらりと窺う。
アサカはシャツの上ボタンを数個外した状態で右腕をロッカーの中へと動かしていた。
その動きのせい肩が開けた部分を隠してしまい、肌が見えない。
それどころか視線に気づいたアサカがエリアの方を見たため目が合う。
エリアは咄嗟に顔をロッカーへと戻した。
「(……し、しまった! つい反射で顔を逸らしてしまった! 変に思われるかもしれない……)」
自分が犯した判断に動揺したが、エリアは様子を窺うためもう一度アサカを見た。
瞬間、再び目が合い今度は逸らす事はできなかった。
見つめ合う形になり、冷や汗が流れる。
アサカが緩やかに笑う。
「どうしたのエリア? 私になにか用?」
「あ……いや。その……実は、私も自分の胸に自信がなかったから……アサカがどの程度のものなのか……前々から気になっていて……」
苦し紛れにでた言い訳は、突拍子もない、嘘だと疑われても仕方がないものだった。
エリアは動揺を見抜かれないよう、それらしく胸元のシャツを掴む。
仕草一つで相手に与える印象は変わるものだ。
「あら。そんなに気にしなくてもエリアは私より大きいわよ。なんなら比べてみる?」
アサカがエリアの方に体を向け、両腕を緩りと広げる。
胸元は胸が確認できるほどには開けている。
「(これなら堂々と確認することが出来る……!)」
エリアは思わぬチャンスの到来に歓喜したものの、それをおくびにも出さないよう努める。
「ああ。少しやってみようかな」
女子同士のただのじゃれ合い。
そう意識しながらエリアはアサカに向き合う。
アサカのシャツの開いた箇所からV字型のキャミソールが見え、胸の上部も露わになっているが白い肌が見えるだけで特に変わったものはない。
「(――何もない!)」
エリアは視認して、ほっと安堵する。
どうやらヴィンセントの杞憂だったようだ。
そして頭が冷静になったことで今の現状に、はっとする。
「(これだけ近づいてなんだがーー既に目的は達成しているから抱き着く必要はないのだよな……)」
女子から抱きしめて欲しいと言われることは多々あり慣れている。
彼女たちのその真意はエリアが男性寄りのカッコよさを彷彿させる魅力があるからだ、と本人も自覚はしている。
しかし、今はそういう女子とは意味合いが違う。
どういうわけかダンスの練習以降、アサカがエリアを女子として扱ってくれることに気づいてしまってから、胸がむず痒い。
しかも今は、互いの服が気崩れているシュチュエーションというのも、恥ずかしいという気持ちを煽っているのかもしれない。
胸を覗くという下心を隠していた負い目もあり、エリアはおずおずとアサカに近づき抱きしめる。
服と服が擦れ合い、アサカもゆっくりと抱きしめ返してくれる。
「(……少し照れるが……触れている部分がやけに温かく……落ち着く)」
アサカは細いから自身の体の柔らかさか。微かに胸に感じる温もりが心地良い。
花のような香りも鼻腔をくすぐり、ずっとくっついていたいと思わせるような安心感がある。
「なにやってんのよ!」
急な鋭い言葉にエリアはどきりと心臓が跳ね、声がした方を見る。
わなわなと唇を震わせたシャーネがエリアたちを指差し、驚愕の表情を浮かべている。
「アサカッ! あんたって人は……節操というものがないの!? 誰でも彼でも抱きつかせて……一体どういうつもりよ!?」
「あら? シャーネも抱き着きたいの?」
「は、はあ!? な、な何言ってるのよ!? そ、そんなわけーー」
「あー! ずるーい! 私もアサカちゃんに抱き着こうー!」
もじもじしていたシャーネを余所に、ユイカが横からエリアごとアサカに飛びついて三人は密着し合う。
エリアは急なことで驚いたものの、苦笑する。
収集のつかない状態になってしまったが、これならエリアの本来の目的に気づかれることがないため、安堵の息を吐いた。




