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30.月のお姫様


「あいつ、私のことなんとも思ってないみたいで、自信なくすっていうか……少しでも好きになってほしくてくっついてたってのに全然効果なしでーー虚しくなったのよね」


二人だけしかいないからか、それとも哀愁漂う辺りの雰囲気の所為か、素直に本音を口にすることが出来る。

愚痴を言いたいのか、それとも相談しているのか、シャーネ自身もわからない。

しかし、ただ聞いてもらうだけでも心が少しは軽くなるかもしれないと思って弱音を吐いた。

シャーネの吐露を、アサカは顎に手を当てながら静かに頷いて耳を傾けてくれた。

そうして話を聴き終えた彼女は口を開いた。


「――確かに。女性に免疫力がない男性に対して性的魅力を恋愛と勘違いさせる方法は有効だとは思うけれど、それは相手に他に好意を寄せている人がいる場合は必ずしも――」

「そんな打算的な行動じゃないのよ! あたしは!」


思っていた励ましと違う反応に、シャーネは呆れながらツッコミを入れる。

言葉を遮られたアサカはきょとんとしてシャーネを見る。

彼女は至って真面目に答えただけで悪気もなく冗談でもない様子だったため、シャーネは軽い脱力感を覚える。


「なら、どうしてくっついていたの?」

「うぐっ」


アサカにとってはただの疑問。

しかし、シャーネにとっては口にするのは恥ずかしい答え。

アサカが瞳を丸くして見つめてくるので、耐えきれなくなったシャーネはすぐには答えず、確認の念を押す。


「だ、誰にも言わない?」

「ええ。約束するわ」


さらりと返事をする。アサカはきっと約束を守ってくれるだろう。

シャーネはそう思ってはいるものの、やはり羞恥が襲ってくるため、言おうか逡巡する。

アサカは急かすことなく静かに待っているため、シャーネは観念して体をもじもじとさせながら俯きがちに、小さな声で答えを口にする。


「……く、くっついたほうが……か、可愛く見えるでしょ?」


可愛さをアピールするための、可愛いと言ってもらいたいだけの行為。

言わせたい欲求が強まれば強まるほど力がはいり、体を密着させていた。

しかし、可愛いと言われたのは洋服を買いに出かけたあの日だけだったので、頑張った分だけ虚しさが付きまとうのだ。


シャーネが意を決して話したというのに、アサカからの反応はない。

ちらりと上目遣いで様子を窺えばアサカと目が合い微笑まれる。


「なるほど。ちょっと検証してみようかしら」

「え?」

「シャーネ」


アサカは両手を緩やかに広げる。

ぎゅっとしてくれ、という意味合いだろう。

シャーネは頭を抱え、盛大なため息をつく。


「急に何言いだすのよ……。するわけないでしょう?」

「私は知りたいだけなの。軽い探究心と言ってもいいわ。理屈じゃないただの思いつきが、どれほどの効果があるのか確認させてくれないかしら?」

「……あんた、ちょっと私のことバカにしてるでしょ? ……はあ。もうなんか何もかもどうでもいいし、いいわよ」

「ありがとう」


諦めがちに言い放つとアサカが嬉しそうに笑う。

シャーネは再びため息をついてから、アサカに近づき真正面から抱きつく。

アサカの体は驚くほど細く、シャーネが力を入れてしまえば壊れそうだったため、加減しながら抱きしめる。


「(……なにしてるんだろう、あたし……)」


今の状況を鑑みて、冷静になったシャーネは心のなかでツッコミを入れる。

するとアサカが、クスリと笑うのが耳に入った。

シャーネはからかわれているのだと気づき、不満げに顔を離す。

視界にアサカの顔が映り込み、目が合うと胸がどきりと跳ねる。

シャーネはこのとき初めて密着していることを認識した。

驚き何も言えずにいれば、黒い黒曜石のような瞳が柔らかに弧を描く。


「本当ね、凄く可愛い」


アサカがシャーネに艶っぽく微笑む。

虚を突かれたシャーネは注がれる目線を意識し、徐々に顔に熱が集まり、心のなかで叫ぶ。


「(はあぁぁぁあ!?)」


弾けるようにアサカから離れ、距離を取って背を向けると両頬を手で包みこんでしゃがみ込む。


「(い、今の何よ!? どうしてこんなに胸がドキドキしないといけないわけ!? おかしいわよ!)」


初めて女子に抱いた感情にシャーネは戸惑いを隠せない。

感情を落ち着かせようと波打つ胸を手で押さえて深呼吸していると、草を踏む音が背後から聞こえビクリと体を震わす。

上から優しい声音が降ってくる。


「そんな可愛いお嬢様と、ダンスを踊りたいのだけれど――ご一緒してくれるかしら?」

「お、お嬢様って急になによっ!」


お嬢様に変わりはないがと思いつつも、動揺で変な返しをしてしまう。

シャーネが顔をあければ、アサカは覗き込むように屈んで黒いオペラグローブの着けた手を差し出している。

その表情はとても優しいもので、シャーネは居た堪れなくなりながらも気丈に振る舞う。


「い、一回だけならいいわよっ!」

「光栄だわ」


つっけんどんに応えたというのにアサカは、気にすることなくシャーネの手を引いて、湖の方へと誘われる。

湖の側まで着くとアサカはそのまま湖の水面に足を踏み入れようとしたため、シャーネは慌てて止める。


「ちょっと! 落ちるわよ!」

「大丈夫。足に魔力を集中させれば水面の上も歩くことが出来るのよ」

「あんたは出来るかもしれないけど、あたしはそんな器用な真似出来ないんだから!」

「出来るわ。魔具のサバレントを纏っているイメージで魔力を扱ってみて」


アサカに促され、シャーネは渋々と魔力を足に集中させる。

少し頼りなくはあるが、魔力が足に纏ったのを感じる。

だからといって、水面の上に足を踏み入れるのはやはり覚悟がいる。

しかも今自分が着ているのは新作ドレスでびしょ濡れといった明らかに気が滅入ってしまいそうな展開は避けたい。


そんなシャーネの気持ちなんてつゆ知らず、アサカは手を握ったまま湖に足を踏み入れる。

彼女は落ちることなく、水面に立っている。

シャーネは足先にある水面を心配そうに見下ろす。


「ええい! 女は度胸よ!」


シャーネは意気込んで足を水面へと踏み入れる。

沈むことはなかったが、足元が、張った布の上に立っているような頼りなさを感じる。

慣れない感覚に緊張で胸がどきどきと脈打つ。


「ほら、出来たでしょう?」

「そうだけど、落ちないか心配になるわ……」

「その時は私が支えるから安心して」


アサカが、和やかにシャーネに笑いかけたと同時に、握る手に少し力を込められる。

その行為でシャーネの不安は軽減する。

アサカをぼうっとして見つめて、心のなかで呟く。


「(不思議な女の子……)」


シャーネはアサカが、何を考えているのかわからない。

だけれど、彼女の優しさはこちらの心を見透かされているように的確で、それがとても心地よい。

欲しい言葉を、欲しい行為を彼女は与えてくれる。


「(なら、アサカの欲しい言葉ってなんだろう?)」


与えてくれるなら返したいと思うが、アサカの欲しいものはシャーネにはわからない。


「それじゃあ月の下で踊りましょうか」

「う、うん」


アサカに手を引かれるままにシャーネは足を動かす。

辿り着いた月が映る湖の下で二人はホールドし、アサカの鼻歌でステップを踏む。

アサカはシャーネに合わせて踊ってくれる。


シャーネは段々と楽しくなり、頬を緩ませる。

水面が星たちを映し出し、とてもロマンチックな光景だからだろう。

シャーネもアサカに合わせて鼻歌を歌っていると、クスリと笑い声がして顔を向ける。

目の前のアサカが、慈しむような瞳で口を開く。


「月明かりがシャーネを照らしていると、まるで月のお姫様みたいで可愛いわね」

「な!」


シャーネは震える唇を必死に押さえながら言葉を絞り出す。


「お、女の子が女の子に言うようなセリフじゃないでしょ……」

「あら? 女の子が言ったらいけない台詞なの?」

「……いけなくはないけど……その……変な感じになるから……」


シャーネは言葉を詰まらせる。

ただでさえ、顔の熱や心音は完全に引いてないのだ。

このままではこの感情を勘違いしてしまいそうになる。


「そ、それにアサカにとっては、あたしよりユイカの方が可愛いでしょう?」

「あら? 折角のデートなのに、他の女の子の名前を出すなんて無粋じゃないかしら?」

「デ!? は、はあ!? 何言ってるのよ!?」


不意に出された単語にシャーネはさらに動揺し、大声を上げるとステップを間違えバランスを崩しそうになる。

シャーネの肝が冷え、脳裏には自身がびしょ濡れになる姿が過った。

が、腕を強く引かれ、少しの浮遊を感じたと思えば、シャーネはいつの間にかアサカの腕の中に収まっていた。

倒れてしまいそうになった恐怖心と羞恥が混じり合って胸の鼓動が煩く鳴る。

アサカが耳のそばで囁く。


「私はシャーネに可愛いって言ったのよ。他の誰でもない貴女にね」


シャーネは恥ずかしさでプルプル震える唇を噤んだ。

さすがにこのままではアサカに呑み込まれ兼ねないと感じたシャーネは、彼女から距離を取り、湖を歩き回りたいと提案する。

アサカは二つ返事で了承した。


冷たい夜風と、湖から感じる冷気が段々とシャーネの火照った体を落ち着かせる。

少し冷静さを取り戻したシャーネは少し離れたところに立っているアサカをチラリと見る。


「(……あーあ。アサカが男の子だったら良かったのに)」


こんな素敵な夜をプレゼントしてくれるのが、女の子ではなくて。嬉しさの反面、落胆もある。

正直なところ、アサカが男だった場合シャーネは恋に落ちていただろうと確信に似た思いを感じていた。

シャーネがこっそり肩を落としていれば、不意にアサカに名前を呼ばれ顔を向ける。


「私が男の子じゃなくて良かったわね」


シャーネの胸がどきりとはねる。

心を読まれたと焦っていれば、アサカはクスリと笑う。


「だって私が男の子だったらシャーネ、私に惚れてたでしょう?」


揺るぎない自信の中に含まれる少しの冗談。

シャーネの心はますます動揺に揺れ、返す言葉が咄嗟に思いつかず苦し紛れに出たのはいつも張っている虚勢だった。


「は、はあ? そ、そんなわけないでしょ!?」


アサカが満足気に笑う。からかわれているのだ。

核心を突いているから、たちが悪い。

シャーネの反応を享受したアサカは後ろで手を合わせると、ふいっと横に体を逸らす。


「冗談よ。私が男だったとしても、シャーネは綺麗だから相手にもしてくれないでしょうね」


そして一転して卑屈じみた発言。

シャーネは普段自分のことを美しいと言ってはいるものの、本当は自覚している。

アサカやエリアに比べれば自分の容姿は凡人であると。


先ほどは月のお姫さまと言ってくれたが、本当はその言葉はアサカのほうが相応しい。

普段の虚勢がほんの少しなりを潜め、彼女の美しさを今日だけは素直に認めてもいいんじゃないかと心が動き、シャーネは顔をしかめる。


「それを言ったらアサカの方が……」


言い返そうとして、シャーネの言葉は途切れる。

アサカは月を見上げていた。

精巧につくられた横顔、顎を上げて伸びる首筋は長く、黒い髪が白くつややかに輝いていて、細い身体に纏った藍色のドレスは月の光でもう一つの夜空を連想させ、どんな芸術家が彼女を造ったのだろうと思わせる。


シャーネはそんな彼女を見て、目を見張った。

例えば雪の結晶が衣服についたとき。

その美しさに触れたくて、指を伸ばせば途端に水に変わってしまうような。

花火が開いた後に咲き誇った花びらが地上に流れ落ちて闇に溶けゆくような。

そんな儚い美しさを、アサカに抱いてしまった。

アサカの髪や肌、ドレスが月の明かりで淡く光り、少しでも目を離したら彼女は消えてしまうんじゃないかって、そんな思いを抱いてしまったのだ。


「(――駄目。こんな感情、人に抱いていいものじゃない)」


シャーネは自分を諭す。

受け入れてしまえば、認めてしまいかねない。

アサカが儚い存在だと。

アサカから目が離せなくなる、体が動けなくなる、息をするのも躊躇うくらいに。

シャーネは目の前の彼女が消えてしまうことを、静かに恐れた。

夜風が吹き、二人の髪とドレスが揺れ、冷たい風が体温を奪っていく。


「風が出てきたわね。帰りましょうか」


アサカはシャーネに顔を向けると微笑む。

困惑を抱くシャーネに構うことなくアサカは近づく。

彼女は目の前に立つと自分のショールを外し、シャーネの頭上に腕を回す。

背中に回ったショールの感触以上に、存在感のあるアサカの手が両肩に触れる。


あまりの自然な動作でシャーネは不意打ちを食らい、目の前のアサカを呆気にとられた表情で見つめる。

数秒の瞳の交差の後、アサカがにこりと笑いかけてきてシャーネははっとする。


「あ、ありがとう」

「どういたしまして、シャーネ姫」

「ちょ、ちょっと。まだそれ続ける気?」


いたずらっぽく笑うアサカに、シャーネは狼狽えながらも抗議する。

それまで透き通るように澄んでいた空気が、一気に現実へと戻ったのを感じた。

先ほどのシャーネが感じた思いなどなかったみたいに。

ほっとする。しかし、完全に消え去ったわけではない。一抹の不安がシャーネの心に確かに残る。

アサカがシャーネの抗議に首を傾げる。


「嫌だった?」


シャーネの顔をのぞき込み、薄く笑っているアサカの問いかけ。

瞳は探るものではなく、見透かされているものだ。

シャーネはぐっと喉を鳴らし、俯く。

アサカに羽織ってもらったショールをぎゅっと掴み、それを引っ張れば抱きしめられているかのような錯覚に陥る。

熱くなった顔を見られたくなくて、シャーネは顔をそらし、口を尖らせながら小さく小さく返事する。


「……嫌じゃない……」

「それならよかった」


アサカの顔を見ることはできなかったが、その声音の穏やかさから、きっと優しい微笑みを浮かべているのだろうとシャーネは想像した。

俯いているシャーネの眼前に黒いオペラグローブをした手が差し出される。

火照りがおさまっていない表情で、少しだけ顔を上げればアサカと瞳が交差する。


「お姫様のエスコート、私にさせてくれるかしら?」


汚れない、真っ直ぐな瞳での申し入れ。

シャーネは何も言えなくなるが、破裂しそうな心臓を必死に抑えながらもおずおずと手を出し、アサカの差し出された手の上にのせる。

それを確認したアサカの指たちがゆっくり撫でるようにシャーネの手を下からそっと包みこむ。


ドギマギしているシャーネと対比するようにアサカは余裕ある表情で「行きましょうか」とシャーネに促す。

しばらく無言で横並びで会場に戻っていれば、シャーネの体に籠もっていた熱が徐々に和らいでいく。

そして、こっそりアサカの横顔を眺め見る。


「(暗闇の中、月夜に照らされているあたしたちは、会場中の誰よりも美しい。……なんてね)」


ショールを掴む手にちょっとの力を込めて、シャーネは笑みをこぼした。




パーティーから二日の休日が明けて、通常授業が始まる。

送迎の車を降りて、校舎に向かえば見慣れた男の後ろ姿が見えてシャーネは声を掛ける。


「おはよう、ミヤト!」

「あ!? ああ。おはよう」


そのまま過ぎ去ろうとすれば、呼び止められて足を止める。

不思議そうな表情のミヤトがシャーネをみている。


「今日は鞄持たなくてもいいのか?」


ミヤトの間抜け面に、シャーネは苦笑する。

全く未練がなく、清々しいほど心は晴れている。

シャーネはミヤトの背中を叩くと明るく言い放つ。


「もういいわよ。あんたはお役目御免よ!」


呆気にとられているミヤトの顔にシャーネは笑い、走り去る。

教室に入れば最初に目に入ったのはユイカの姿。

向かい合うよう位置に立っている彼女と目が合いシャーネは元気よく挨拶する。


「ユイカおはよう!」

「シャーネちゃんおはよう!」


そのやり取りでユイカと一緒にいた彼女が振り返る。

パーティーの夜以来の再会。

心が弾むような喜びと、恥じらいからの緊張、そして僅かに残る不安。シャーネは様々な思いを胸に彼女に声を掛ける。


「アサカも、おはよう」


そんな挨拶をすれば、アサカが柔らかく笑う。


「おはよう、シャーネ」


ただの挨拶。

だけどそれが安心感を運んでくれる。

その日からいつも目にするアサカの姿が、シャーネにはちょっと違って見えるようになった。






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