2.教室へ
一年生の教室は一室しか設けておらず三人は自ずとクラスメイトとなった。
教室内に入るなり、ユイカは手当たり次第に生徒たちに声を掛けて挨拶をしていく。
ミヤトは呆気にとられながら彼女の様子を眺めた。
声を掛けられた女子生徒が戸惑いながらも挨拶を返す。
そのユイカの積極性にミヤトは感心した。
「ユイカは凄いな。物怖じしないっつーか」
独り言のようにミヤトが呟くと、同じように彼女を見守っていたアサカがユイカの原動力のきっかけを口にする。
「高校に入るにあたって、ユイカに友達を百人作るようにって目標を提案したの。そしたらもう昨日から張り切っていたわ」
「じ、純粋すぎる……。だけど、生徒数からみて百人は難しいかもな」
今年の入学者数は二十人を切っており、それを含めた全学年数も七十人にも満たない。
物のたとえとはいえ、ユイカの様子から本当に百人作ると言葉通りにとらえている可能性が高い故のミヤトの発言だった。
アサカがクスリと笑う。
「それならそれでいいのよ。本当に百人作って欲しいわけじゃなくて……ユイカにとって私以外の大切な誰かをみつけてくれたらいいな、って。それだけが私の望み」
その優しい口調にミヤトはアサカに目を向ける。
彼女は穏やかな表情でユイカを見つめていて、瞳には慈愛のようなものを感じる。
そこで二人の関係性について聞いていなかったとミヤトはふと思う。
普通に考えれば友人とか幼馴染なのだろう、が。
「だから、その相手がもしかしたらミヤトくんになってくれるんじゃないかって少し期待しているのよ?」
思いがけない発言にミヤトの胸がドキリと跳ねる。
アサカの意味深な視線を含んでいる瞳と目がかち合う。
あまりにも都合のいい展開。夢なのではないかと疑うほどに。
ミヤトはユイカに目を向ける。彼女は笑顔でクラスメイトと話をしていた。
出会ったばかりではあるが、ユイカを天真爛漫で表裏がない性格の娘だとミヤトの中で印象付けていた。
ミヤトのユイカを見つめる目がだらしなくとろりと蕩ける。
「(とっても可愛い……。15歳にしては少々言動が幼い気もするが。そこも愛らしい。あんな子が彼女だったら毎日幸せだろうなぁ)」
手を繋いで登下校したり、デートをしたりなどと高校生らしいほわほわとした妄想が頭に浮かぶ。
しかも、彼女と仲の良いアサカからそういうことを期待されている。
ミヤトが現実になりうるかもと夢を抱くには十分であった。
そんなミヤトに見られているとも知らずに、壁に寄りかかって腕組している男子生徒にユイカは声を掛ける。
ミヤトはその男子生徒を目にした瞬間、瞠目した。
青く長い絹のような髪に涼やかに閉じられた目元。
高身長で体躯がすらりとしており人ならぬ美しさを持っている。
ユイカに声を掛けられて開かれた銀色の双眸は、冷たい印象を与えるがそれが特別なものだとより一層際立たせる。
見るからに他の生徒とは一線を画しており、同性であるミヤトも話しかけるのも躊躇われるほどだ。
モデルでもしてそうな容姿、佇まい。
ミヤトが劣等感を抱くほどに彼はイケメンであった。
その証拠にクラスメイトの女子たちが青年を見てひそひそと話し合い熱のこもる視線を送っている。
しかし、ユイカは特に気にしていないようで他の生徒と同じように挨拶をする。
「初めまして! 私、ユイカって言うの! 君の名前はなんて言うの?」
ミヤトは居ても経ってもいられず、アサカに不安顔を向けた。
「だ、大丈夫なのか!? ああいうの少女漫画だと恋に落ちちゃったりするんじゃないのか!?」
「そうね――もしかしたら、彼がユイカの大切な人になってくれるのかもしれないわね」
はらはらしているミヤトに、アサカは目を細めて青年を見つめながら輪をかけるように不安をほのめかす。
頼みの綱だと思っていたものがあっさり放されたミヤトは、尚もすがろうした。
「アサカさん!? さっきの俺への発言を忘れたんですか!?」
ミヤトが指しているのはミヤトがユイカの大切な人になれるかもというアサカの期待の言葉だ。
アサカはミヤトを横目で見ると不思議そうに首を傾げる。
「あら? 私としてはユイカが大切に想う相手役は誰でもいいのよ」
彼女がミヤトにかける期待は思っていたよりも軽薄なものであった。
焦りは積もるがユイカと青年のやりとりが気になったミヤトは再び二人へと目線を戻す。
名前を聞かれた青年は長い間を要した後、ゆっくりと口を開いた。
「ラース・アーク・シュクツァル」
訊かれたことだけに答えるとラースは口を閉じた。
ユイカは名前を聞けたことに対して嬉しかったのかぱあっと笑顔を浮かべる。
「ラースくん! これからよろしくね!」
ユイカが手を差し出す。
握手を求める手をラースはしばし見つめた後、ふいっと顔を横に逸らす。
ユイカの手に応えることなく組んだ腕をそのままに、ラースは素っ気なく「ああ」と返事をした。
ユイカは特に気にすることなく手を引っ込めると近くにいた赤髪のショートカットの生徒へと挨拶をしていた。
その生徒は美形ではあるが、スカートを履いていることからミヤトはほっと胸をなでおろし、ぽろりと言葉が滑り出る。
「女性なら安心だな」
アサカはその言葉を聞き逃すことなく拾い上げる。
「あら? そんなことはないんじゃない? 私としては相手が女性でも全然構わないわ」
ミヤトはその発言に衝撃を受ける。
アサカの許容範囲は無限大であった。
彼女にとって重要なのはユイカが大切な人を作ることであって、それがどのような姿かたちをしていようが気にしないのだろう。
つまりすべてはミヤトの努力次第であると暗に言っているようなものであった。
「(ま、まずい……このままだとライバルが増えてしまう……)」
あんなかわいい子を好きにならないはずがない!
心の中でそう断言したミヤトは監視するようにユイカを目で追い始める。
下心を出す人間を見逃さないためだ。
カッと目を見開いて、どんな反応も見逃さない。
ユイカは、席に座っている金髪の男子に近づいていた。
彼は端正な顔立ちをしているがつまらなそうに机に頬杖をついている。
「初めまして! 私はユイカって言うの! よろしくね!」
ユイカは彼の顔を覗き込むように挨拶する。
挨拶された男子はユイカを一瞥した後、鼻で笑った。
「あまり寄るな。田舎臭さが移る」
意地の悪く、馬鹿にした笑いを浮かべながら金髪の男子はシッシッと手で追い払うしぐさをした。
ユイカは目を見開くと男子から一歩距離を取った。
ミヤトの眉間に皺が寄る。
「あいつはきっと生粋の貴族の出だろうな。いけ好かねぇ」
ミヤトは吐き捨てるように文句を漏らす。
近年、世間では魔法使いの重要性は下がっていたものの、貴族間では名誉ある職業として未だに人気であるため学園の生徒のほとんどが由緒正しい貴族出が多い。
中でも金髪の彼は選民意識が高い方なのだろう。
折角ユイカが声を掛けてやったというのに、社交辞令を返すこともできないのかと嫌悪感を抱く。
きっとユイカは傷ついたのだろう。その場から動かない。
ユイカの傍に寄ろうとミヤトが足を動かすのと同時に彼女はくるりとミヤトたちの方を見ると大きく口を開いた。
「ねぇねぇ、アサカちゃん! 田舎臭いってどういう意味ー!?」
嫌味は一切伝わっていなかった。
金髪の男子は的が外れたことに拍子抜けのような表情をした。
知らないほうがいいのか、はたまた意味は知っていたほうがいいのか。
ミヤトはアサカがどう答えるのか気になった。
「誉め言葉よ! 田舎っていい匂いがするでしょう!」
「そっかー! 確かに田舎の匂いって自然がいっぱいで空気いいもんね」
「そうよ! だからこれに対する返事はね」
アサカがユイカの傍まで歩み寄り手を添えてひそひそと耳打ちする。
ユイカは純粋な眼でうんうんと頷いている。
説明が終えたのか「分かった?」というアサカの確認にユイカは笑顔で大きくうなずいた。
ニコニコしながらユイカは金髪の男子にもう一度向き合った。
「君は貴族臭いね!」
「ぶっ!」
ミヤトは思わず吹き出し口元を手で押さえた。
悪意のない無垢な言葉であったためにその返しは面白かった。
金髪の男子は聞き逃さず瞬時にミヤトを睨みつける。
しばし睨みつけた後、彼は顔をユイカへと戻し人のよさそうな笑みを浮かべた。
「……ヴィンセント・セーレ・アゼメルファだ」
「ヴィンセントくん? よろしくね!」
「……ああ。よろしく。ところで、そちらの黒髪の女性とあちらの男性の名前は?」
「この子がアサカちゃんで、あっちの男の子はミヤトくんって言うの!」
名前を聞けたことで仲良くなれそうな気配を感じ取ったユイカは笑顔で二人を紹介する。
ヴィンセントは作り笑いをしたまま「そうか」と返事した。
「アサカにミヤト……貴様らの名、しかと胸に刻んだぞ」
顔をしかめたヴィンセントは忌々し気に、アサカとミヤトを交互に睨みつける。
アサカは動じることなくヴィンセントを見つめ、ミヤトは睨み返す。
ユイカは三人を交互に見て、完全に蚊帳の外を感じ取り思わず自身を指さす。
「私の名前は!?」
「そうよ。ユイカだけ仲間外れにするのは酷いんじゃないかしら?」
「黙れ! 僕に恥をかかせたこと、後悔させてやる!」
からかうようなアサカに、ヴィンセントは怒声をあげると勢いよく立ち上がり、教室を出ていった。
静まり返る教室内。
ヴィンセントが出ていった扉を見つめながらユイカがぽつりと呟く。
「どこに行くのかなヴィンセントくん?」
「もう先生来るのにね」
「ぶっ!」
ユイカとアサカのやり取りにミヤトは噴き出した。