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28.好かれるために


創立記念祭は夕方からあり、ミヤトは朝からソワソワと洗面所と自室の行き来きを行い、暇があれば鏡を見ていた。

何度目の洗面所の訪問か。

鏡の前に立って髪型を整えていれば、見られているような視線を感じ、出入り口へと顔を向ける。

そこには壁から半分顔を出した母親がミヤトをじーっと観察していた。

露骨に驚いたミヤトは逃げるように距離を取る。


「なんだよ母さん!?」

「……パーティーがあるからとはいえ、いつもより見た目に時間を掛けている……ズバリ、女の子と踊るのね?」

「ぐっ!」


鋭い推理にミヤトが言葉を詰まらせれば母親は瞳を輝かせ顔を完全に出した。


「やっぱりー! ねぇねぇ、どんな女の子なの? 性格は? 得意科目は? 好きな食べ物は?」

「はいはいはい! 今日は時間がないからそういう話はまた今度な!」


母親を強制的に回れ右させ、洗面所から追いやるように背中を押してリビングのソファまで連れて行く。

ソファに腰を掛けた母親は興奮覚めきれない様子で浮き浮きと声を上げる。


「ミヤトが女の子と踊るなんて楽しみねー! 頑張りなさいよ!」


実際には見ることができないのに、自分のことみたいに喜ぶ母親に、ミヤトは照れ隠しで「はいはい」とあしらった。


創立記念祭のドレスコードは学生服かフォーマルな衣装の、どちらかを選ぶことが出来る。

特に確認はしなかったが、ユイカも学生服で来るはずなのでミヤトは学生服を選んだ。

この先着るか分からない燕尾服を買っても仕方ないし、自分だけが張り切っているようで浮いてしまってはパートナーであるユイカに悪い。


そして待ち合わせ場所の校舎前で待っていると自分を呼ぶ声が聞こえ、ミヤトは顔を上げる。


「ミヤトくーん!」


夕闇の中、ふわふわとしたシルエットが揺れてこちらに駆けてくる。

ミヤトは瞠目する。明らかに制服ではない姿。

目の前で立ち止まったユイカをミヤトは惚けて見つめる。


ユイカが着用しているのはイエロークリーム色の肩紐がないビスチェタイプのドレスで、胸下から膝丈まで広がっているスカートはバルーン型。

光沢のあるサテン生地は高級感があり、気品が漂っている。

薄く化粧をしているのか、白い肌に桃色の頬、艶がある唇。

色のある雰囲気に、ミヤトは口から上手く言葉が出てこない。


今から一緒にいれる嬉しさと、普段と違う姿への戸惑い、しっかりエスコートできるかの不安。

どきどき胸の鼓動が鳴っているミヤトに、ユイカは唇をゆっくり開く。


「あのね、ミヤトくん」

「は、はい」

「今日ね、すっごいご馳走があるんだって! しかも、いっぱいあるから楽しみにしてなさい、って理事長が言ってたよ!」


満面の笑みで胸の前で両手の拳を握って力説される。

いつも通りのユイカに、ミヤトは少し気が抜けて安堵した。

とはいえ、褒めることは忘れずに口にしなければならない。

顔を赤らめながらも意を決して、ミヤトはユイカに伝える。


「そっか。それは楽しみだな。……それはそうと……ドレス、似合ってて……か、可愛いよ」

「ありがとうー! これね、理事長がプレゼントしてくれたんだよ。いつも頑張ってるからって」


ユイカが前や後ろのデザインをくるくる回ってミヤトに見せる。

話を聞けば選んだのはユイカ達自身で、お金を出したのは理事長らしい。

そして理事長の今日のダンスの相手がアサカという事実にミヤトは目を白黒とさせた。

とはいえ、昔からお世話になっている恩人のような関係であるならアサカも喜んで申し出を受けたことだろう。


「それじゃあ、会場に向かうか」

「うん」


腕を差し出せばユイカが手を絡める。

袖越しに伝わってくるユイカの手の圧。

ちらりと見下ろせば近づいたユイカの顔がよく見え、体が近くなったことを意識させる。

ミヤトは緊張で体を固くしながらもぎこちなく歩みを進めた。


会場は学園内にある木造づくりの洋館で、昔から使われている古い建物だ。

扉をくぐればオレンジ色の照明がレッドカーペットを照らし、それを辿っていけば大きな階段が構えていて、そこを登ると踊り場をへて、会場内に足を踏み入れる。


既に到着した人たちの間で待っていると、しばらくして開会の挨拶が始まった。

ミヤトの頭の中はダンスのことで占められていたため、話の内容はまったく入ってこなかった。

いよいよダンスの時間になり、二人は緊張した面持ちで向かい合う。


「い、いくぞユイカ……!」

「い、いつでもいいよミヤトくん……!」


固唾を呑んで、今からダンスをするとは思えない言葉を交わし、二人はホールドを組む。

控えていた楽団がワルツの曲を奏で始める。

二人は「せーの」と小さく合図してステップを踏み始めた。

心のなかでリズムを取りながら考えて踊る。


「――あ! 悪い! ステップ間違った!」

「ううん、私も――あ、間違えた」


練習通りとはいかず二人でわたわたとしながら足をあちこちに動かし、周囲の人たちに比べるとぎこちないダンスをしているが、足に意識が集中していてそのことにも気づかない。

ミヤトがふとユイカの顔を見やれば、普段見たことのない気難しい表情を浮かべている。


「ユイカ、難しい顔になってるぞ」

「ミヤトくんこそ怖い顔してるよー」


お互いの必死さを指摘して、顔を合わせると同時に噴き出した。

踊ることに気を取られすぎて、大切なことを忘れていたようだ。

ミヤトは足を止めて、改めて提案する。


「間違ってもいいから楽しく踊らないか?」

「そうだね! 楽しく踊るのが一番だよね!」


ユイカも同意し、二人はもう一度最初から始めることにした。

ホールドを組み、リズムを合わせながら二人はステップを踏んでいく。


「「あ」」


ステップを間違えて同時に声を上げ足が止まる。

気にしないようにと伝えあったというのに数分持たずにお互いが約束を破ったことに対して、二人は顔を見合わせ苦笑いを浮かべる。

そんなやりとりが可笑しくてミヤトとユイカは一緒に噴き出した。


終わってみれば、ミヤトは不思議とやりきったという晴れやかな気持ちになっていた。

それはユイカも同じで「やったね!」と囁き喜んでいた。


「おやおや。パーティーは始まったばかりだというのに、随分と楽しそうなことだ」


声をかけられ振り向けば理事長が、アサカをエスコートしながらミヤトたちのもとに現れた。

アサカは彼の隣でミヤトたちに微笑みかける。

自分で選んだという、藍色のホルターネックのドレスと羽衣ショールはアサカの細身の体にあっており、とても同じ年の女性とは思えない美しい姿見をしている。

理事長の掛けられた言葉に対し、ユイカが笑顔で頷く。


「はい! 楽しいよね、ミヤトくん!」

「ああ」

「ハッハッハ! 若者は少しの体験で感情が高まりやすいから羨ましい!」


理事長は愉快げに笑う。

少し嫌みっぽい言い方だが、彼に悪気はないのだろう。

ユイカがミヤトから離れ、アサカの眼の前へと進み出る。


「ねぇねぇ、アサカちゃん。私とも踊ってくれる?」

「ええ。いいわよ」


アサカは笑みを浮かべ頷くとユイカの手をとり、ミヤトたちから離れた先に誘いながら流れるように踊りだした。

遠目で見ているとミヤトの時とは違いスムーズに踊れていて、実力の差を見せつけられているようだ。

とはいえ、そんなことは些細なこと。

二人が楽しそうに踊っている姿を見ていると、ミヤトもつられて笑みが溢れる。

そんなふうに眺めていれば、隣にいた理事長が話しかける。


「先ほどのダンスは、ユイカくんと上手く踊れたかね?」

「周りから見れば下手だったかもしれませんが、俺は彼女と踊れただけで幸せでしたよ」

「それはよかった。私の方はアサカくんが美しすぎて、手をとるのもやっとの思いだったよ」


理事長は冗談のように口にした。

親子ほどの年の差があるため、ないとは思うが、一抹の不安が過ったミヤトは声を潜めて理事長に忠告する。


「一応なんですが、生徒に手を出したら駄目ですよ」


聴き終えた理事長は呆気にとられた表情でミヤトを見つめた後、噴き出し笑い出した。


「ハッハッハ! アサカくんは私にとって特別な存在だが、そういう感情は一切ないから安心してくれ」

「そ、そうですよね。すみません」


心配をしてしまった自分が恥ずかしくなるくらい豪快に笑われ、ミヤトは頭を下げる。

心配のしすぎだったかもしれない。

理事長はゆるやかに笑うのをやめ、ミヤトを穏やかな瞳で見つめると、不意に問いかける。


「ミヤトくん。もしも、あの二人が自分の思っているような人ではなかったとき、君ならどうする?」

「え?」


ミヤトは顔を上げ、理事長を見る。

穏やかな瞳の奥に見定められているかのような鋭さがあるのは気のせいか。

問われた内容に何も言わずにいれば、理事長は目を細め、楽しそうに踊っているアサカたちを眺めて口を開く。


「君は知らないとは思うが、あの二人は複雑な生い立ちでね。ああやって明るく振る舞ってはいるが、心には深い闇を抱えている。そんな一面を知ったとき、二人と仲のいい君が果たして変わらずにいられるのか、気になってしまってね」


理事長が仄めかしているのは、あの日の生き残りであることと、ミヤトがユイカの口から直接聞いた隠していた本音のことだろう。

どちらもミヤトがもう知りえていることだからか、落ち着いて言葉を返すことが出来る。


「それを言うなら俺だって、二人が思っているような人間じゃない可能性だってあるんですから、お互い様だと思いますよ」


そう返せば理事長は、意表を突かれたような表情を見せた後、満足気に唇の両端を上げる。


「とても私好みの返事をありがとう。それじゃあ私はこれで失礼するとしよう。今日は、心ゆくまで楽しんでくれたまえ」

「はい。ありがとうございます」


掌を挙げて去っていく理事長の後ろ姿を見送る。

しばらくして、踊り終えたユイカたちがミヤトのもとに戻ってくる。

アサカはユイカの手をとってミヤトの隣へと案内すると、改めて顔を合わせる。


「それじゃあミヤトくん、ユイカのこと頼むわね」

「一緒に行動しないのか?」

「ええ。先約があるの。それじゃあユイカ、また寮でね」

「うん!」


アサカは呆気なく去っていった。

理事長以外の先約とは誰のことを指しているのか。

もしかしたら練習時にクラスメイトの誰かと約束していたのかもしれない。

あれこれ考察しながらアサカの後ろ姿を見送っていれば、腕を引っぱられる。


「ミヤトくん! お腹すいたからご飯食べに行こう!」

「ああ。そうだな」


アサカに背を向け、立食用のテーブルへと向かう。

白いテーブルクロスが敷かれた長テーブルには様々な主食、メイン料理、副菜、デザートなどが並べられており、ユイカは身を乗り出しながら瞳を輝かせる。


「これ好きなだけ食べていいの〜!?」

「他の人の分もあるから全部は駄目だな」

「それじゃあどのくらい食べてもいいの?」

「うーん……1種類ずつとかか?」

「それじゃあ1種類ずつ……!」


ユイカは受け皿を手に取ると、料理の横に備え付けられているトングを次から次へと持ち替えては横に高速移動する。

ミヤトは目を見張り、恐れおののく。


「(は、早いっ! とてもじゃないがついていけない……!)」


ミヤトも受け皿を手に取り、後に続こうとするが、どれを食べようか悩んでいる間にユイカはフォークを手にしていた。

適当に載せているのかと思えば、綺麗に敷き詰められていて、まるで初めから計算尽くしていたと言われても驚かないほどであった。

ミヤトは簡単に食べ物を取り終えてユイカの隣に並び、先ほどのアサカとのダンスの話題に触れる。


「良かったな、アサカと踊れて。本当は一緒にいたかったんだろう?」

「うん。でもね、アサカちゃんの言うことは聞かないといけないから、いいんだ」


口調は穏やかだが、まるで決められているかのような物言いだ。

ミヤトは少し驚くも、言うことを聞かなかったところで、アサカが怒るとは思えなかった。

ミヤトは諭すように訊く。


「だからって、アサカも別に強要しているわけじゃないんだろう?」

「だって、ちゃんと言うこと聞いていれば、私のこと好きになってくれるでしょ?」


ユイカの返答にミヤトは静かに息を呑む。

彼女は手にしていたフォークを皿の上に置き、遠くにあるバルコニーの方を見つめながら語り始める。


「こう見えても私、アサカちゃんに選ばれるために努力してるんだよ。だからアサカちゃんのやりたいことは止めないし、アサカちゃんの言われたことは叶えるために頑張ってるの」


ミヤトは話を聴き、合点がいく。

言われたことを実行しているのは素直な性格だからだと思っていた。

しかし、純粋に愛情を欲することが彼女にとっての原動力だった。

全てはアサカに自分を選んでもらうため。

それを踏まえて考えると、入学式にクラスメイトに積極的に話しかけていたのは、アサカが友人を作るという目標を与えたからでもあるのだろう。

生誕祭以来、ミヤトには胸の内を打ち明けやすくなったのか、ユイカは言葉を続ける。


「だけどあんまりしっかりしすぎると、アサカちゃんが突き放そうとするから……バランスよく、だらしないのとしっかりするのとを、頑張ってるんだ」


それにしては傾きが平均になっておらず、やや隔たりがあるような気もしたがそれは言わぬが花だろう。

ミヤトはなんだかんだ抜けているところは彼女の素なのだろうと苦笑する。


「それじゃあ頑張らないとな。友達、百人だっけ?」

「うん! だけどバランスとらないといけないから……五十人くらいでもいいもしれないね」

「そこでもバランスとるのか」


笑いながらツッコむと、ユイカも笑った。彼女なりの冗談だった。

好きになった女の子と過ごす時間はとても穏やかで、ミヤトはずっとこんな時間が続けばいいなとひっそりと思った。






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