26.生誕祭
夏休みが終わり、女王の誕生祭が行われるとのことで、魔法学園の生徒は毎年ボランティアとしての参加が義務付けられている。
貴族出身の生徒は色々な役割があるようでバタバタと忙しない日々を過ごしているが、ミヤトのような一般枠の生徒は大義な役割はなく、パレードの経路と式典を見守る役だけだったのでやることはあまりない。
誕生祭は盛大に行われるため、街もいつもとは違い様々な出店や催しがあり、国民全体が浮き立っていた。
そして当日になり、ミヤトが配置されている場所と同じ担当のアサカが集合場所に来るがユイカの姿がなかった。
「あれ? ユイカはどうしたんだ?」
「ユイカは……体調を崩しちゃって今日は休みよ」
言われて、ミヤトは思い当たる節があった。
着々と誕生祭の準備が進んでいく中、ユイカのいつもの明るさが鳴りを潜め、心なしか落ち込んでいっているように見えていた。
具合が悪いのかと声をかけてはみるが、そういうわけではないとの返事が返される。
しかし、やはり体調がすぐれなかったのだろう。
「大丈夫なのか?」
「……ええ。いつものことだから大丈夫よ」
ミヤトは首を傾げる。
「いつものことって、どういうことだ? 毎年この時期になるとってことか?」
ミヤトの追求に、アサカは困ったように頷く。
それなら季節の変わり目だから体調を崩したと考えるべきだが――。
「(そういえば、前にもユイカの様子がおかしいことがあったような……)」
あれはいつのことだったかと、ミヤトが考えている間に配置場所への移動が開始された。
思考するのをやめ、ミヤトは慌てて後を追った。
女王陛下たちを乗せた専用の車が通る道は、城から出て王都の中心街を直線上に通っていくルート。
ミヤトたちが配置された場所はその直線上に繋がる中間地点。
配置場所の大通りの道路沿いのビルの上からミヤトがパレードの様子を覗えば、歩道にはたくさんの人が集まり、女王陛下の姿を今か今かと待ちかねている。
昔は城内でのみ式典が行われ、特定の人しか女王の尊顔を拝せなかったが、軍側から国民全員を平等に扱うべきだという意見があり、近年になって街道でパレード行進を行った後、式典という形式に変わった。
この移行は参加資格がない人でも遠くから拝することができるので、国民からとても評価されている。
発案者の責務からか、パレードは軍が中心となり執り行っている。
なので地上の街道沿いには軍服を着た人たちが民衆を見張るように立っている。
とはいえ、こうしてミヤトたちが見守っているということは、完全に任せるまでには信用を得てはいないということだろう。
女王陛下たちを乗せたパレード用のオープンカーがゆっくりと街道を進んでいく。
それと並列するかのように、ミヤト達のビルの上に誰かが降り立つ。
20代くらいの黒髪の若い男性で、白い騎士服には王家の紋章が刺繍されている。
女王陛下に仕える近衛騎士だ。
彼は女王陛下を確認した後、ミヤトたちを引率者していた教師に向き合う。
「ご苦労。引き続き任務に当たってくれ」
「はい」
そんなやりとりを教師の背後で背筋を伸ばしながら控えていると、騎士の男性の視線が教師越しにミヤトたちに注がれる。
いや、ミヤトたちではなく、その目はアサカを見据えているようだった。
アサカの様子を窺えば、彼女は動揺することなく涼しい表情で男を見つめ返していた。
男性は何も発することなくアサカから視線を外すと、黙ったまま女王を追うように去っていった。
緊張が解けて、ミヤトは思ったことをアサカに問う。
「今、アサカのこと見てたよな? 知り合いか?」
「――いいえ」
「なんだったんだろうな?」
「わからないけれど……もしかしたら、あっちは顔見知りだったのかもしれないわね」
「そっか」
あちら側が一方的に知っているだけなら、アサカが見られていた理由が分からないのも当然だ。
不思議には思ったが、答えがわからないのならそれ以上の問答は不要だった。
意識をパレードの方に移す。
女王陛下のパレード車が去った後、しばらくして装甲車が何台か見世物のように通っていく。
「(ただの鉄の塊って感じだけど、あの無骨さに惹かれるんだよなぁ……)」
ミヤトはしげしげと装甲車を眺めていた。
パレードが終わり、城で式典が行われるためミヤトたちは再び移動する。
城といっても城の敷地内にある闘技場が会場になっていて、参加者は貴族出身の者だけではなく、抽選で選ばれた一般の人たちも参列できる。
ミヤトたちが配置された場所は舞台上からは遠い最後部の通路。
粛々と式典の進行が進んでいき、次はマリア女王陛下の孫であるアリア殿下が賛美歌を披露するようだ。
ミヤトは今年御年6歳になる小さいお姫様がどのように歌うのか興味津々で舞台を見下ろした。
舞台の中心に立ったアリア殿下がすうっと息を吸い込み歌い始める。
幼さと作られたソプラノが重なり合い、不思議と懐かしく、それでいて無垢で美しい響きが耳を震わせる。
子供にしか出すことのできない歌声でゆっくりと丁寧に歌っている。
ミヤトが感心して聴き惚れていれば、隣にいるアサカが顔を向ける。
「ミヤトくん、讃美歌って微かに光の魔力が宿ってるって知ってる?」
「え? そうなのか?」
聞くやいなやミヤトは片手を添えて耳を澄ます。
アリア殿下の歌声は確かに感動するものではあるが、聴いていても魔力を感じるような感覚はない。
だが、自分が感じ取れないだけなのかもしれないと、ミヤトは眉間に力を入れて感じ取ろうと努力する。
そんなミヤトにアサカが、穏やかな口調で助言する。
「耳で聴くんじゃなくて、リラックスして……体全体に行き渡るように、酸素のように取り入れて心臓に響かせる感じを意識してみて」
「わ、わかった」
ミヤトは瞳を閉じて心を落ち着かせ、肩の力を抜いた。
そして歌声を取り入れるように深呼吸する。
取り入れた空気に歌声が乗り体内を震わせ、心臓の核にじんわりと温かな光が染み渡る。
確かに感じた光の魔力にミヤトは目を見張る。
「あ………」
「ね?」
アサカが嬉しそうに笑い、顔を再び姫へと向ける。
「もともと人が光の魔力を持っているからか、それとも歌声に世界を覆っている光が集まっているのか、理由はわからないけれど……この神に捧げる讃美歌だけは誰が歌っても、魔力がない人が歌っても魔力を生み出すことができる唯一の方法なの」
「魔力がなくても、か」
賛美歌は人々が感謝して、神に捧げる歌だから光を宿す必要があるのかもしれない。
しかし、アサカの言っていることとはいえ、実際に魔力がない人が歌っているのを聴かないことには、完全に信用しきれない。
賛美歌を歌い終えたアリア殿下が神に対してお辞儀する。
そして大きな拍手が彼女を包む。
顔を上げたアリア殿下は微笑みを浮かべながら拍手を贈ってくれる人々を見上げて見回していたが、ある一点で身体が止まるとそちらに向かってぴゅーっと駆け出した。
傍にいた付き人が慌ててその後を追いかける。
アリア殿下は舞台を降りると観客席の下で何かを拾い上げる。
上を向き拾ったものを天高く掲げてぴょんぴょん跳ねていれば、付き人が察したのかアリア殿下を抱え観客席へと飛び上がる。
アリア殿下は地面に下ろしてもらうと、目の前にいた人に落ちていた何かを手渡していた。
受け取った相手は焦った様子でお礼を言っているのか頭を何度も下げている。
アサカが可笑しそうに小さく笑う。
ミヤトは自ずと彼女に目を向ける。
「しょうがないお姫様」
呆れたような呟き。
その表情は穏やかで慈しみ、眩しいものを見るように目を細め、心なしか輝いている。
アサカが姫を敬愛していることは、簡単に見て取れた。
それから問題が生じることなく式典は終わり、解散が言い渡されるとアサカがミヤトに声を掛ける。
「ねぇ、ミヤトくん。時間があるならユイカの様子を見てきてくれないかしら?」
「え? でもユイカは寮にいるんだろ?」
学園の寮は男子禁制の決まりだ。
アサカと一緒に行ったとしても特別な理由がない限り、入れはしないだろう。
「実はユイカは寮じゃなくて、学園の保健室にいるの。一人にさせるのは心配で」
「心配なのにアサカは今日出てきてもよかったのか?」
「……ユイカが行くように勧めてくれたのよ。私が楽しみにしてたから、きっと気を遣ったのね」
ユイカの性格ならアサカを引き止めると思っていたが、自ら送り出していた。
いつもと違うユイカの様子が気がかりになり、ミヤトは見舞いに行くことを決める。
「分かった。ユイカの様子を見てくるよ。……アサカは行かないのか?」
「私は――ミヤトくんが話し終えたら行くわ。だから、ゆっくり話してきてね」
アサカの返事にミヤトはそれ以上は訊かずに「わかった」と返した。
保健室に出向くとカーテンの仕切りが閉められたベッドが一箇所あった。
養護教諭の女性にユイカと話をする許可を得ると、彼女は用事があるため席を外した。
「ユイカ、起きてるか?」
控えめに声を掛ける。
寝ていた場合、起こしてしまっては申し訳ないからだ。
「ミヤトくん?」
返事があり、ミヤトは再び尋ねる。
「ああ。開けてもいいか?」
「うん」
白い仕切りカーテンを開ければ、ユイカはベットの上で上体を起こしていた。
表情に明るさがない。
ミヤトはカーテンを閉め、近くにあった丸椅子をベッドの横につけると腰をかけた。
「もしかして、起こしたか?」
「ううん。ずっと起きてたから気にしないで」
「アサカから聞いたよ。この時期にいつも体調悪くなるんだって?」
「……うん」
いつもとは違い口数が少なく、発言をためらうようにユイカは下を向いていた。
華やかで楽しそうなお祭りに参加できないことが残念なのだろうとミヤトは思い、解散後に再び街に出向いて買って来たお土産の焼き菓子の入った小さな紙袋を手渡す。
「これお土産。出店で買ってきたんだけど」
ユイカが受け取った紙袋を見て、はっと息を小さく吸った。
特別仕様の紙袋で女王陛下への祝いの言葉が簡易に綴られている。
食べ物ならば喜んでくれると思っていたが、お礼を言うことなく、表情は晴れない。
「も、もしかして苦手だったか、アーモンド」
なんの反応もなかったため、嫌いなものだったのかもとミヤトは焦りながら問いかける。
ユイカの反応を窺っていれば、彼女は紙袋に視線を落としたままゆっくり口を開く。
「ミヤトくん、私が女王様嫌いって言ったら驚く?」
独り言のように小さく問われた言葉にミヤトは目を見開いた。
誰にでも笑顔で話しかけているユイカの口から、嫌いな人を言う姿を想像したことがなかったからだ。
しかし、思い返してみればユイカは女王に関しての話をしている時に黙り込むことが多かった。
その態度も嫌いという理由ならば辻褄はあう。
唖然としているミヤトを置いていくように、ユイカは紙袋を持つ手に力を込めて、独り言のように毒づく。
「生まれたときから色んなもの持ってるくせに、助けてほしいときに助けてくれない。だから、ずるくて嫌いなの」
はっきりと言い切った。
俯いているユイカの表情は髪で隠れ、暗くてよくは見えない。
ミヤトはユイカの言葉を心のなかで呟く。
「(助けてほしい時に助けてくれない、か)」
気持ちは少し理解できる。
女王も万能の存在ではないと分かっていても、彼女なら魔物の被害に遭った父親を助けることが出来たのではないかと思ってしまうこともある。
あの日の生き残りのユイカも同じ気持ちなのだろう。
記憶をなくしてしまい、すべてを失ってしまったユイカに対し、何一つなくすことなく君臨している女王。
光の象徴である女王はユイカの目に人一倍綺羅びやかに映っているのかもしれない。
「(そういう理由があるなら、俺だって好きか嫌いかと聞かれたらはっきりと好きだと答えられる自信はないかもな)」
そう考えれば、誰だって表立つことのない仄暗い感情があってもおかしくはない。
普段明るく振る舞っているが、ユイカはあの日の凄惨たる現場に居合わせているのだ。
記憶をなくしてはいるが、意識的なものとして残酷な記憶が残っている可能性もある。
だとするなら、そう思うのは当然の権利だとミヤトは納得する。
「(とはいえ、同調したところで余計に気分が沈むだけかもしれないし……どう声をかけたらユイカを元気づけることができるんだ?)」
重い空気の中、ユイカは俯き続けている。
話したことを後悔しているのか、ただ落ち込んでいるのか判断はできない。
ユイカの好きな食べ物も今は心に響かない。ならば、彼女を元気づける言葉は一つしかない。
ミヤトは努めて明るくユイカに声をかけた。
「だけどユイカは、女王陛下にないものを持ってるだろう?」
興味を持ってくれたのかユイカが顔をようやく向けた。
覇気のない表情だ。
ミヤトはニカッと笑いかける。
「アサカだよ! ユイカの大好きな人だろ?」
ユイカの暗い顔がみるみるうちに普段のような明るい表情に戻っていく。
ユイカは笑顔で大きく頷いた。
「うん! 私にはアサカちゃんがいる!」
アサカという、存在するだけでユイカを笑顔にさせる人。
ライバルは強大だと知らしめされることとなったが、ユイカが元気になってくれるなら、今はそれでいいだろうとミヤトは頬をかいた。
ユイカは身を乗り出しながら、ミヤトに子供のように尋ねる。
「きっとアサカちゃんは、女王様より私を選んでくれるよね!」
ユイカが無垢な笑顔でミヤトの瞳をのぞき込む。
ミヤトは大きく頷き太鼓判を押す。
「そりゃあそうだろう。アサカ、ユイカのこと大好きだからな」
きっと選んでくれる、と思うと同時に浜辺でのアサカの言葉を思い出す。
――好意の一番を決めることが優先順位に直結しているなら、私の一番はユイカじゃないかもしれない。
嘘をついたようで少し心がチクリと痛む。
だが、誰でも家族のほうが大事だと思うのは当たり前だ。
それはアサカも同じはず。
ユイカは、欲しい返事がもらえて自信に繋がったのか自分に言い聞かすように「そうだよね! 絶対そうだよね!」と口にしては何度も頷いている。
「ありがとうね、ミヤトくん!」
ユイカは満面の笑みをミヤトに向ける。
ミヤトは元気になってよかったと思うが、目の前であまりにも喜ばれると、段々とアサカに対して対抗意識が芽生え始めた。
自分も意識されたい。
いや、自分もユイカのこと大好きだよと伝えたいと。
少し照れくさかったが、鼻を擦りながら意を決して口を開く。
「俺もユイカのこと――」
「はー! なんだか安心したらお腹が空いてきちゃった! ねぇ、ミヤトくんがくれたお菓子食べたいから食堂にいこ!」
「え、あ。はい……」
ユイカは掛け布団をガバっと剥ぐとベットから足を下ろして靴を履き始める。
ミヤトが何かを言おうとしていたことにも気づいていないのだろう。
靴を履くなりカーテンを開け「早く行こう!」と急かすユイカ。
完全に言うタイミングを逃してしまい、不完全燃焼の思いを抱えながらミヤトは「ああ」と返事した。




