25.浜辺の約束
と、そういえばと。
ミヤトはアサカとユイカがまだ現れないのを思い出す。
「そういえば、アサカはどうしたんだ?」
「ああ。アサカなら――」
「胸が目立たない水着探しに奔走してたわよ。エリア、あっちで遊びましょう」
エリアを海に誘いに来たシャーネが顔を背け、つっけんどんな態度で答える。
戸惑いながらもミヤトは「そうなんだ」と返した。
特に言及する必要はなかったが、アサカは他の女子に比べると胸がささやかだ。
それを気にする素振りを見せたことはなかったが、水着となると体のラインが顕著になるため、気になるのかもしれない。
アサカが来ないとなると、ユイカは待っているのだろう。
二人で来ると予想していたミヤトだったが、「おーい!」とユイカの声が遠くから聞こえそちらを向いた。彼女の姿を目にした瞬間、息が止まる。
エリアが走り寄ってくるユイカに声を掛ける。
「なんだ。アサカと一緒に来なかったのか?」
「うん! アサカちゃんが先に遊んで来なさいって」
そんな二人のやりとりを聞き流しながら、ミヤトはユイカの水着姿を目にして心のなかで悶えた。
「(か、可愛い〜っ!!)」
意外にもビキニの水着だったが、白色が清楚っぽさを醸し出し、ユイカの元気な性格と愛らしい顔にとても似合っていた。
そして、そんな姿で浮かべた笑顔が眩しすぎる。
ミヤトは好きな子の水着姿を収めることができ、感無量であった。
可愛いユイカに釘付けになっていると、彼女は機嫌よく歌いながら波打ち際の近くまで歩いて、しゃがみ込む。
そして海に興味を注ぐことなく、わっせわっせと両手で砂をかき集め始めた。
かわいい姿とは打って変わって、一連の行動が奇妙だ。
ミヤトは少し冷静になり、様子を伺うように慎重に声を掛ける。
「何やってるんだ?」
「ん〜? お山を作るんだよ〜。……もしかしてミヤトくん、興味あるの!?」
ユイカが、キラキラした瞳を向ける。
水着を着ているせいか、いつもより更に眩しい。
ミヤトは釘付けになり、生唾を呑み込む。
胸がドキドキ高鳴りながらも反射的に何度も頷く。
問われた内容はあまり頭に入っていない。
「そうなんだ! じゃあ一緒に作ろう! ミヤトくんは向かいに座ってね!」
指示された内容にミヤトは顔を赤くしながらこくこくと頷き、言われた通りにユイカの向かいに腰を下ろす。
緊張のせいでぎこちない動きで砂を集めていると、ユイカが手を動かしながら嬉しそうに語り始める。
「お山づくりはね〜、アサカちゃんに初めて教えてもらった遊びなんだよ〜」
記憶をなくしてからの初めての遊びだったから、思い出深いということか。
そういうことなら、とミヤトも気合が入る。
「そうだったのか。それじゃあ、一緒に大きいの作るか!」
「うん!」
二人はせっせと土を盛り始める。
道具がないので手のみの作業であったが、ひざ丈くらいの大きさには作ることが出来た。
表面を手のひらで固めていたユイカが、よしと頷く。
「じゃあミヤトくんはそっちからトンネル掘ってね」
「ああ。わかった」
指示された通り、片手で土を削っていく。
大きく作ったせいかなかなか開通しなかったが、暫くすると土ではない何かが指先に触れる。
「(ん……!? あれ!? これってもしかして……)」
それまで気づかなかったことに、ミヤトは気づいてしまう。
顔に熱が上昇し、掘り進めていた手が止まる。
そんなミヤトに構うことなくユイカは掘り進め、開通の完成を教えるように手を繋ぐ。
「やったー! 開通だぁー!」
笑顔で歓喜の声を上げるユイカ。
ミヤトは心のなかで叫ぶ。
「(砂遊び最高すぎる……!)」
ユイカの方から手を繋いでくれて、ミヤトは感極まり、ニヤけそうになる口元を空いている手で押さえた。
しかも、何度も上下に振っており、離してくれないのも幸せを感じてしまう。
「(これは握り返してもいいんだよな……! 良いに決まっている!)」
ミヤトが握り返そうと決意した瞬間、ユイカは別の方向を向いて手を離す。
「あ! アサカちゃーん! お山作れたよー!」
「あ……」
ユイカは立ち上がり、大きく手を振りだす。
行き場をなくした手は切なさを醸し出していたが、ユイカに手を握られたという実績を得られてミヤトは満足であった。
ようやく現れたアサカが長考の末選んだのはフレアトップタイプの水着で、上下に分かれた黒い水着にはフリルがあしらわれている。
可愛さを感じさせるデザインだというのに、大人っぽさを感じさせるのは色のせいか。
はたまたアサカの雰囲気のせいか。
手には何かが握られている。
「良い物を見つけたから皆でこれで遊ばない?」
アサカは手に持っていた物を見せる。
プラスチックで出来た水鉄砲の玩具だ。
ユイカが、瞳を輝かせ身を乗り出す。
「わー! 水鉄砲だ!」
「あんた、こんなものよく見つけてきたわね」
「水着を探してる最中に見つけたの。園でユイカと遊んだときのことを思い出しちゃって、皆で遊びたいなって。数は人数分あったから、どうかしら?」
「私にもできるだろうか?」
「簡単だから大丈夫よ」
不安がるエリアにアサカは微笑む。
ラースも誘い、皆がやる方向へと話が進んでいる中、ヴィンセントだけがビーチチェアに寝転んでいる。
「ヴィンセントくんも一緒にどう?」
「断る! 何が楽しくてそんな訳の分からないもので遊ばなければならない!」
ヴィンセントはビーチチェアから一切起き上がらず、声だけで拒む。
その姿から何があっても絶対に動かないという強い意思を感じる。
アサカが、やんわりと言葉を返す。
「あら、使い方なら簡単よ。この給水ボトルに水を入れて、ここの引き金をこうやって押せばいいのよ」
口での説明と同時に実際の順序を実物を使って行ったため、最終的に水鉄砲から飛び出た水がヴィンセントの顔面に命中した。
当たった水は顔を伝いポタポタと落ちている。
ヴィンセントにアサカが微笑む。
「ほら、簡単でしょう?」
「(絶対わざとだ……)」
ミヤトは心のなかでツッコむ。
そして、ヴィンセントの反応に見当がつく。
ヴィンセントは起き上がり、掛けていたサングラスを下にずらしてアサカを睨みつける。
「き、貴様……っ! いい度胸だな……。売られた喧嘩、受けて立とうじゃないかっ!」
その言葉が試合のゴングとなった。
意外にも、優勝者と言っていいのか。
一番上手だったのはユイカだった。
どの体勢からでも水を命中させるため、気付けば当たっているということが多かった。
一番下手だったのはラース。
押しても出なかった水鉄砲の先端をのぞき込みながら引き金を引くという、不器用な姿を晒していた。
しかし、本人は皆と一緒に遊べたのが嬉しかったのか、幸せそうであった。
ミヤトは何故かシャーネに集中的に狙われていた。
それも決まってミヤトがシャーネから視線を逸らす時だけだ。
胸を見ないようにしているだけなのに、睨みを利かせながら水を放ってくる。
当然そんな状況で避けられるわけがなく、ミヤトは何度も当たっていた。
皆遊び疲れ、各々休憩をし始める。
そんな様子を波打ち際で立って眺めていたアサカに、ミヤトは声を掛ける。
「アサカが持ってきた水鉄砲でこんなに盛り上がるとはな」
「ここにいるメンバーは勝負事には本気で臨むから、きっと楽しくなると思って持ってきたのだけれど、正解だったみたいね」
「ああ。凄く楽しかったよ」
ミヤトが笑顔で感想を述べ、アサカを見下ろしていれば違和感に気づく。
激しい運動で水着がズレたのだろう。
彼女の胸元を隠している水着と肌の間から、なにか黒いマーカーで描かれたような点が見え、無意識にミヤトは指をさしてそれを口に出す。
「アサカ、胸のところになにか黒いものが――」
続きは言えなかった。
指摘した瞬間、勢いよく顔を上げたアサカが酷く驚いた表情で、ミヤトの瞳が釘付けにされたからだ。
アサカは胸元を両腕で包むように隠している。
ミヤトはあまりの予想外の反応に、言葉が詰まり何を言おうか、まごまごしてしまう。
「あ、いや……そ、のぉ!?」
ミヤトの横っ面にドゴッと鈍い音とともに痛みが走り、あっけなく地面に倒れ込む。
そんな彼の耳に、シャーネの怒号が飛んでくる。
「最っ低! 私の時なんて全っ然見てくれなかったじゃない!」
投げられたものはビーチボールだったが、音と衝撃が重く、ミヤトは鈍器で殴られたのではないかと錯覚するほどの痛みを感じていた。
アサカは心配そうにミヤトを見下ろし躊躇っていたが、背を向けて去っていくシャーネの後を駆け足で追った。
波が打ち寄せ、地面にめり込んだミヤトの身体を濡らしていく。
アサカたちと入れ替わるように腕を組んだヴィンセントとラースがミヤトに近づき覗き込むように見下ろす。
ヴィンセントが呆れたように言葉を投げかける。
「言っただろう。根に持つ、と」
「返す言葉もない……」
しっかり理由はあったものの配慮にかけていたことをミヤトは反省した。
それからミヤトは皆から離れた砂浜に腰を下ろし水平線を見つめながら、たそがれる。
光が反射している海面がやけに切なく瞳に映る。
女子二人に侮蔑の扱いをされたのは流石に体にこたえた。
――何十分経っただろうか。
誰かの足音が近づいてきて、ミヤトの横で止まる。
ミヤトはその人物を見上げる。
「隣、いいかしら?」
声の主はアサカだった。
ミヤトが返事をする前にアサカは隣に腰を下ろした。
彼女は先ほどとは違い、薄手の白いパーカーを羽織っている。
前開きのファスナーは上まで上がりきっており、完全防備であった。
気にしているのは目に見えて明らかだ。
ミヤトは覚悟を決めて、アサカに向き合うと正座し勢いよく頭を下げた。
「さっきはすまなかった! あれはセクハラとかじゃなくて、胸のところに……」
ミヤトが言い訳を述べる前に、アサカはパーカーの胸元あたりをぎゅっと片手で握りしめる。
目線は横へと逸らされ、その瞳は潤んでいるかのように揺らめいている。
アサカは不服そうに小さく尖らせた唇を開く。
「まだ胸の話をするの……? ミヤトくん、私も一応女の子なのよ? それとも……胸がない私は女の子じゃないと思ってる?」
熱い日差しのせいか、アサカの頬が赤くなっているような気がしてしまい、ミヤトは再びどぎまぎしてしまう。
「あ、いや……そういうわけじゃ……」
夏の暑さのせいなのか。
アサカがこんなにも女の子のような振る舞いをするなんて。
胸のところは気になってはいたが、ミヤトはアサカの普段と違った雰囲気にそれ以上言及することが出来ず、口を噤むことにして再び海へと体を戻した。
沈黙が流れる中、さざ波の音だけが気まずさを和らげてくれる。
ミヤトはチラリとアサカの様子を窺う。
彼女もミヤトのことを窺っていたようで、ばちりと目が合う。
ミヤトは慌てて取り繕うように喋りだす。
「だけど、意外だな。俺に女の子として見られても、アサカにとっては興味ないもんだと思ってたからさ」
アサカは訝しげに首を傾げる。
ミヤトは可笑しそうにふと笑う。
「だって、アサカの一番はユイカだろ?」
周知の事実である質問。
当然、即答して返事を返されると思っていたミヤトだったが、その見当は外れた。
アサカの瞳は不意を突かれたように見開いてミヤトを映している。
それから悩ましげに目を伏せた後、口を開く。
「好意の一番を決めることが優先順位に直結しているなら、私の一番はユイカじゃないかもしれない」
「え?」
アサカは縮こまるように曲げた両足を腕で抱き込み、頼りなさそうな顔つきで言葉を続ける。
「私の中でユイカの幸せが一番だけれど、やるべきことを天秤にかけた時、私はきっと――」
言葉を切り、アサカは暗い顔のまま俯いて黙り込んだ。
いつもは冗談を言って人をからかっているというのに、一転してアサカは真面目に物事を捉えすぎているような一面を見せる。
海のさざなみがやけに哀れみを誘い、一層空気を重くする。
ミヤトはどう声をかけるべきか分からない。やるべきことがなんなのかは分からないが、それはアサカにとってとても重要なことなのだろう。
ミヤトは息をつき、諭すようにアサカに声を掛ける。
「好きってそう難しく考えることじゃないだろ。もっと単純に、純粋にさ。好きだって思えたらそれを素直に認めたらいいんじゃなのか?」
「単純に……」
アサカはミヤトの言葉を繰り返し呟いた。
しかし、表情が晴れることはない。
「それは……私には難しい。……早くユイカが、私の手から離れてくれれば安心できるのだけれど……」
「それは無理かもな。ユイカはアサカのこと大好きだし。それに危なっかしいところもあるから、アサカが見ててやらないと」
「だけれど、ずっとは一緒にいられない」
現実を突きつけるように、アサカがミヤトに言い渡す。
はっきりと口に出された否定の言葉に、ミヤトは何も返せず口を噤んだ。
「この先……私がいなくなったときに、ユイカは一人ぼっちになってしまう。私は、孤独になったユイカがどうなってしまうか、不安でたまらなくなる。だから、そんな時に傍に居てくれる人をユイカに見つけて欲しいの」
海を見つめて喋るアサカは、悲痛の表情を浮かべている。
そんな彼女にミヤトは気軽に言葉を返すことはできなかった。
何故なら、いつも帰ってくると思っていた存在が、前触れもなく、いなくなってしまうことを知っているから。
返事ができずにいるミヤトに、アサカは顔を向ける。
真摯な瞳がミヤトの瞳を捉える。
「ミヤトくん。私がいなくなったら、ユイカの傍に居てくれる?」
切実の願いの中に哀愁を含むような、そんな問いかけ。アサカは真っすぐミヤトを見ている。
そんな状況にならないように、と野暮なことを言う空気ではない。
彼女の求めている返事は2つに一つ。
ならば、ミヤトの返事は決まっている。
「ああ。約束するよ。必ずユイカの傍に居る」
ミヤトは穏やかに返事をし、頷いた。
アサカは安心したように、表情を緩ませた後、ゆっくり立ち上がる。
手を後ろで組み合わせ、ミヤトの顔を覗き込むように上体を屈ませた。
アサカの黒い髪がさらりと前に流れる。
「まあ、そのためにはミヤトくんがユイカの特別にならないといけないから、先は長そうね」
挑戦的な流し目で、からかい口調。
いつもの余裕が戻ったアサカだ。
ミヤトは、冗談を返すように問いかける。
「アサカから見て、何年くらいかかると思う?」
「さあ。どうかしらね。もしかしたらスタート地点にも立っていないのかもしれないし――」
「………それはあまりにも手厳しくないか?」
ミヤトが不服そうに物申せば、アサカが可笑しそうに笑う。
そうしてミヤトはようやく安心して笑える。
いなくなるなんてあり得ないと思わせるほど、二人はただの日常のやり取りを享受する。
二人で並んで皆のもとへと戻る。
砂浜についた足跡が二人が変わした約束の証のように残っていた。
それから帰路のバスの中、ミヤトは向かいの席をチラリみる。
遊び疲れたユイカが、アサカの肩に寄りかかり口を開けて幸せそうに眠っている。
そのあどけなさにミヤトはおかしくて笑みを零す。
「あんたは本当にユイカのことばっかりね」
隣の窓際に座っていたシャーネが呆れたように声を掛ける。
そちらを見れば彼女は頬杖をつきながら窓の景色を眺めている。
窓に映った姿を見て発言したのだろう。
「水着ちゃんと見れなくてすまなかった。――今更だけど、水着似合ってたよ」
シャーネはミヤトの方を向く。
完全には向かず、顔を窺うように横目でミヤトを見つめる。
「聞きたかった言葉はそんなんじゃないのよ……」
「え?」
聞き返したかったが、シャーネは顔を背けるように窓の外に顔を戻した。
頬杖を突いて、外を見続けている。
どんな言葉が欲しかったのか、ミヤトには分からなかったが、彼女の雰囲気から何かを聞けるような感じではなかった。
「(……シャーネにとって、俺は遊びなんだよな?)」
そんな疑問が、ふと浮かぶがそれを口に出すことはなかった。




