24.海に行こう!
いつも通り実技訓練に集まるとシャーネが、満面の笑みを浮かべながら唐突に提案を持ちかけてきた。
「ねぇねぇ、いい修行場所を見つけたんだけど、皆で一緒にいかない?」
皆がきょとんとする中、ヴィンセントが訝しげにシャーネの話を掘り下げる。
「いい修行場? 一体どんなところだ?」
「それは当日までの秘密! すっごい良いところだから楽しみにしてて!」
シャーネが嬉しそうに答えれば、ヴィンセントが釈然としない表情を浮かべる。
返事をするか渋っているのが目に分かる。
そんな中、エリアがシャーネのフォローに出る。
「シャーネの父君はいろんな事業を展開しているから、その繋がりで良いところがあるんじゃないか?」
「そうそう。エリアの言う通り! それにいつも同じところで訓練するより、たまには違う場所でやったほうが気分転換にもなるでしょ?」
「……シャーネにそれを指摘されるのは癪に障るが、言い分としては的を得ている」
「捻くれた言い方しないで、素直に褒めなさいよ」
シャーネは顔を歪ませ批判の目線を向けるが、ヴィンセントは素知らぬ顔で聞き流している。
ヴィンセントが言おうとしていることは、場所、環境に関係なく戦えるようにするためにはシャーネの提案は悪くないということだろう。
「それじゃあヴィンセントの許可も得たし、皆で予定合わせて遊び……じゃなかった! 訓練、頑張りましょうね!」
手を合わせたシャーネがやけにウキウキしていて、楽しそうだった。
そんなやり取りをして皆の予定を合わせた1週間後、ミヤトたちはシャーネが用意したリムジンバスに乗り込み揺られ、辿り着いた先は海であった。
特に合宿所等があるわけではなく、ただただ晴天の下青い海と白い砂浜が広がっている。
視界をくらませるような眩しい日差しが海と砂浜を反射して、さんさんと輝いている。
すべてを悟ったヴィンセントの額に青筋が立つ。
「……なぁにが、いい修行場だ! ただ海で遊びたかっただけではないか! 変な言い回しで人を騙すそうとするな!」
「だってこうでも言わないと、あんた絶対一緒に行かないじゃない!」
「当たり前だ! 遊びに付き合うほど僕は暇じゃない」
「折角の夏休みなんだから、少しくらい付き合いなさいよ! 息抜きは大事なんだから!」
ヴィンセントとシャーネが不毛な言い争いを始める。
それを余所に他のメンバーは次々とバスを降り立ち、海を眺める。
「風が気持ちいいな」
「夏休みに海に友人とお出かけ、か。……いい……!」
文句を言っているのはヴィンセントだけのようで、海を眩しそうに見つめるエリア、歓喜に震え密かに拳を握るラース。
予期せぬシャーネの企みは好印象である。
ミヤトとしても夏の風物詩である海に友人と行けるとは思ってもなかったことだったので、自然と笑みがこぼれる。
ユイカが、軽い足取りでバスを降り立つと海に向かって駆け出し、両手を大きく広げる。
「すごーい! 砂がいっぱいあるー!」
ユイカの予想外の叫びに、ミヤトはがくりと気が抜けてツッコミを入れる。
「そこは海に感動するところじゃないのか?」
「うん。だから海って凄いなーって!」
笑顔で振り返るユイカ。
どんな基準かは分からないが、ちょっとズレている感想がユイカらしいと言えばらしい。
それからユイカは物珍しそうに辺りをきょろきょろ見回している。
「初めての海に、はしゃいでるわね」
いつの間にかバスを降りていたアサカがミヤトの隣に立ち、ユイカを目で追っている。
「記憶をなくしてから初めての海、か」
そう思うとユイカの行動が、記憶を取り戻そうとしているようにも見えてくる。
ただ純粋に楽しんでいるだけかもしれないが。
「アサカは海は初めてじゃないのか?」
「小さい頃に行ったらしいんだけれど、物心ついてない時だったから……ある意味ユイカと同じで、海は初めてね。ミヤトくんは?」
「俺も小さい時に両親と一緒に来たのが最後かな」
ミヤトは海を見つめ追想するように目を細める。
父が浮き輪を膨らまし、それをミヤトの体に通すと海へと連れられた。
海の波で揺られる感触が面白さと心地よさが入り交じり楽しかったのを覚えている。
母は体型を気にして水着を着ることはなかったが、近くの砂浜に立って父とミヤトに笑顔で声をかけていた。
幸せだった日々の記憶を、さざ波の音が蘇らせてくれる。
やけに穏やかに思い出せるのは、アサカが何も聞かず隣で黙って立っていてくれているからか。
不思議な居心地だ。
そんな中、エリアが風を体に浴びながら優雅な仕草で横髪を耳にかけ、独り言をこぼす。
「折角海に来るなら、水着を持ってくればよかったな」
「そこに抜かりはないわ!」
その呟きを、いつの間にかバスを降りてきたシャーネがすかさず掬い取る。
彼女が言うにはトウドウグループの系列店で水着から浮き輪まで一通りレンタルできる店が近くにあり、そこを利用するとのこと。
お金のことは、騙して連れてきたようなものなので気にしなくていいと言い渡される。
そんなことより、早く遊びたいとの思いが強く、ミヤトたちはシャーネの言われるがままにレンタル店へと赴き男女で別れ着替えを済ます。
男性陣のほうが早く終わったのか、店内の出入り口前に出ても女性陣の姿はなかった。
ミヤトは隣にいるビーチボールを脇に挟んでいるラースに問う。
「これは……待ってた方がいいのか?」
「――どうだろうか? 見方によっては待っていることで急かしていると捉えられ、余計なプレッシャーを与えてしまい、女子達に不快な思いをさせてしまう可能性があるかもしれない」
「それは流石に考えすぎだろ」
「待てとは言われてないのだから、別に待つ必要はないだろう」
受付で何か話していたヴィンセントがミヤトのもとに訪れそう答える。
彼の性格から導き出した意見だろうが、ミヤトは唸る。
「うーん……だけど居なかったらあっちが俺たちを待つ羽目になったりしないか?」
「だったら、好きにすればいい。どうせ水着選びで時間がかかるぞ。まあ、僕は待たないが」
興味なさそうに言ってのけるとヴィンセントは去っていった。
ミヤトとラースは顔を見合わせる。
「じゃあ、5分待っても出てこなかったら先行っとくか」
そう決めて5分経ったが女性陣は誰も現れなかったため、ミヤトとラースは海へと向かった。
先に行ったヴィンセントを探すとラースが見つけたようで、ミヤトはそちらに目を向ける。
そこにいたヴィンセントは、パラソルの影で隠れたビーチチェアに頭の後ろで腕を組んで寝転がっていた。
目にはサングラスが装備されている。
否を唱えていた姿は幻だったのかと疑うほどに優雅にくつろいでいる。
パラソルの下に備え付けられたテーブルには、ストローが刺さったゴブレットグラスに黄緑色のジュースが注がれており、張り付いていた気泡の粒が時折上へと上がっていっている。
下に沈んでいるのはさくらんぼ。
近づいたミヤトはグラスから視線をヴィンセントに移す。
「文句言っていたわりには楽しんでないか?」
「仕方なくだ。帰る手段がないのなら、1日ここでどう快適に過ごすかを考えるしかないだろう」
ヴィンセントはやれやれと言った具合に起き上がると、テーブルに置いていたグラスを取りストローを口にして、中のメロンソーダを吸い上げる。
考えるまでもなく現時点で快適そうで、海の過ごし方を心得ている。
ミヤトはヴィンセントからラースに視線を移す。
「俺たちはどうする、ラース?」
「それならミヤトくん、待っている間これで遊ばないか?」
ラースは手に持っていたビーチボールを掲げる。
ミヤトは「いいな」と返事をして頷き、視界の端に見えていたビーチバレーコートに目を向ける。
「あっちにあるコートって使っていいのかな?」
「聞いたところによると、もともと備え付けられている設備は勝手に使ってもいいらしいぞ」
ヴィンセントが答える。
先ほど受付で聞いてきたのだろう。
ミヤトとラースはコートに入ると、最初は軽くパスする程度だったが、段々と熱が入り始め最終的には互いが本気で打ち込み始めていた。
ラースのアタックを、ミヤトは砂に飛び込むように腕を伸ばしたが、拳に当たったボールは遠くへ転がっていく。
ボールを視線で追うとそれを誰かが拾い上げる。
「二人とも白熱しているな」
エリアが拾い上げたボールを両手に、ミヤト達を見て笑いかける。
その姿にミヤトは見惚れる。
透け感のある赤を基調としたボタニカル柄のクロスデザインの水着に、腰には同様の柄の長いパレオを身に着けている。品のいい女性に見え、エリアにぴったりであった。
とはいえ、やはり普段見えていないところが露出しているのは見慣れず、視線が忙しなく泳いでしまう。
ボールを差し出してくるエリアに、ミヤトは緊張しながらもお礼を言って受け取る。
そして、水着の感想を口にしようとして、はっと気づく。
「(いや、待てよ……。これって褒めたらセクハラになったりしないか?)」
男子が女子の水着を褒めるという行為は何処まで許されるのか。
洋服ならばすんなりとできる行いが、やけに躊躇われてしまう。
見られていることに気づいたエリアが不思議そうに首を傾げる。
「どうかしたかミヤト?」
「え、ああー……えーっと……水着似合ってるよ」
「なんだそういうことか。ありがとう」
エリアは薄く笑ってさらりと受け流す。
自分が余計なことを気にしすぎていただけだということに、ミヤトはホッとする。
「ミヤトー!」
シャーネの声だ。
ミヤトは声のした方を見た瞬間ぎょっとする。
ピンクのビキニを身に纏ったシャーネが片手を上げながら笑顔で走ってくる。
髪を結い上げているためか、普段と違い大人っぽく見える。
しかし、エリアとは違い彼女を凝視することは出来ない。
何がとは言わないがめちゃめちゃ揺れているからだ。
「(今シャーネを見るのはまずいっ!)」
咄嗟に顔を逸らす。ただでさえ女の子の水着にドギマギしているのに、シャーネの否応なく視界に入ってくる、存在感があるそれは今のミヤトには刺激が強すぎた。
見ないようにと意識していても、きっと見てしまう自信がミヤトにはあった。
そんなミヤトの気も知らないで、目の前に来たシャーネは下から覗き込むように嬉々として無邪気に問いかけてくる。
「ねえ、この水着どう思う?」
ミヤトはそっぽ向いたまま、答える。
「え、えーっと……あ、ああ。いいと思う、よ」
「……ちゃんと見てないじゃない」
答える態度が気に食わなかったのだろう。
不満げな声がミヤトの耳につく。
「ほら! こっちちゃんと見なさいよ! そして具体的に! 具体的に感想を述べなさい!」
「勘弁してくれ……」
回り込んでくるシャーネの姿を見ることなく、ミヤトは瞳を固く閉じる。
瞼を閉じれば、一瞬しか目に映っていないのにたわわな胸が焼き付いて離れないように思い出される。
「(は、早く! 早くこの時間が過ぎ去ってくれ……っ!)」
強く願う。
どうにか見てもらおうとあれこれとアプローチしていたシャーネだったが、ミヤトが頑なに目を開けようとしないので、諦めて離れていった。
去る際にシャーネに恨めがましい目線を向けられるが、ミヤトが気づくことはなかった。
「(すまないっ! だけど! まだ慣れてないから! 慣れてないから!)」
心のなかで言い訳するように何度も唱える。
照れからの焦りでシャーネの様子を窺う余裕などなかった。
シャーネがいなくなったことを薄目で確認し、ミヤトはほっと息をついた。
シャーネと入れ違いでヴィンセントが現れる。
「ミヤト、これは経験上の忠告だが、自分が乗り気じゃなくても相手から求められた時は、社交辞令でもいいからしっかり返していたほうがいいぞ。特に女は根に持つ」
「え? も、もしかしてヴィンセントって彼女がいたことがあるのか?」
まさかの恋バナの気配にミヤトはそわっとする。
ヴィンセントはそれを気に留めることなく、溜息をつく。
「母親が面倒な性格でな。服を購入するたびに意見を求められるから面倒くさくて一度無視したことがある。そうしたらもう、ウジウジウジウジッ!と拗られ、過去のことも蒸し返し、こちらが謝り話が終わったかと思えば、その後何かあった度に『あの時の素直なヴィーくんはどこに言ったの〜』と嘘泣きされ……毎度毎度そんなやり取り……付き合ってられるかっ!」
「(母親にヴィーくんって呼ばれてるのか)」
思い出して癇癪を起こすヴィンセントに、ミヤトは意外な事実を耳にし、驚いた。
エリアがミヤトにこそっと秘密話をするように耳打ちする。
「ヴィンセントの愛称呼びは母親間で有名だよ。ヴィンセントの母君に乗っかって、他の母親たちも面白がって呼ぶものだから、ヴィンセントが愛称嫌いというのは同学年貴族の間では有名な話だ」
「それってめちゃめちゃ不憫な上に不名誉じゃ……」
「親からみたら子供を可愛がっているだけなんだろうな」
エリアは苦笑する。
ヴィンセントがアサカを苦手とする理由がミヤトは何となく分かった気がした。
その母親たちと同じでアサカも質が悪い時があるからだろう。




