1.出会い
ミヤトの父が亡くなった日から五年の月日が流れた。
当時十歳だったミヤトも十五歳になり、高校の入学式を迎えていた。
張りのある癖のついてない白いブレザーを身に纏えば、体の可動域が制限される。
少々動きにくいがそれが新しい門出だと意識させ、自ずと背筋が伸びる。
準備を終えリビングに降りれば、母がミヤトの姿を目にした途端口元を綻ばせた。
「とうとう高校か。早いものね」
父が亡くなった事実を受け入れることが出来ず、憔悴しきっていた母も今では前と変わらず笑えるようになっていた。
いつもと変わらない表情にミヤトはほっとする。
「高校生活、目いっぱい楽しむのよ。……そうねぇ。贅沢は言わないから、卒業までに彼女の一人くらい紹介してくれたら母さん嬉しいかな」
欲望に塗れた冗談を言えるくらいには回復しているようだ。
そんな簡単に出来るわけがないと思いつつもミヤトは耳たぶのピアスを指でいじる。
「それがどんだけ贅沢なこと言ってるかわかってるんだろうな?」
「えー。これって贅沢なのー?」
目を丸くしながら頬に手を当てわざとらしく大袈裟に驚く。
ミヤトは分かっていってるだろうと、ジト目で返事をしながらも玄関へと歩みを進める。
母も彼の後に続き足を動かす。
ミヤトは玄関で腰を下ろすと靴を履き、立ち上がり下駄箱の上に飾ってある家族写真を見つめた。
父と母とミヤト。三人がミヤトに笑いかけている。
ミヤトは母と向き合った。
「それじゃあ行ってきます」
「はい。気をつけて行ってらっしゃい」
穏やかに笑う母にミヤトは口元を緩めドアノブを回し家をあとにした。
通う学園は電車と徒歩で30分ほど。
周りを見れば違う制服を身に纏った学生たちが多く目につく。
しかし、ミヤトと同じ制服は見られなかった。
「(それも当然か)」
ミヤトの通う学園は由緒正しくはあったが、現代においてあまり重視されていない魔法を学ぶ場である。
五年前の魔物の発見からこれまで、魔物の遭遇報告は数回しかなかった。
あの悍ましい事件が起きた当初は、魔法の重要性の見直しをニュースで何度も報道されていたが、一年、二年と年数が経つにつれて人々の危機感は薄れ、その事件を忘れたかのようにいつもどおりの日常に戻っていた。
ミヤトもあの事件さえなければ科学を重視した学校に通っていただろう。
電車から降り、学園まで歩くとようやくミヤトと同じ制服を着た生徒がぽつりぽつりと見えてきた。
塀続きの長い歩道を歩き終え、校門の中央で立ち止まるとミヤトは城にも似た校舎を見上げる。
ショートの黒髪を遊ばせ、少々鋭い双眸は希望に満ちたようにきらきらと輝いている。
「(中学ではできなかったおしゃれにも気を使って、思い切って耳にピアスも開けた。自分で言うのもなんだが、なかなかイケてると思う。これなら可愛い彼女だって作れる……はず!)」
意気込み、拳をぐっと握りしめる。
そんなミヤトに注目することなく他の生徒たちは横を通り過ぎ校舎へと歩いていく。
ミヤトはすーっと息を吸い込み、ゆっくり吐き出す。顎を引いて前を見据えた。
「(いざ、高校デビューだ!)」
足を踏み出そうとしたその時、後ろから走ってきた女子に勢いよくタックルされる。
衝撃を受けたミヤトは前方へ吹っ飛んだ。
両手を地面に突いて受け身を取ったものの、入学早々無様な姿をさらしてしまったことに少々ショックを受けた。
「(公衆の面前で吹っ飛んで倒れるとかダサすぎる……!)」
しかも校門前。ミヤトは両手を地面についたまま項垂れる。
「ごめんなさーい! 大丈夫ですか!?」
焦りを含んだソプラノが上から降ってきたのでミヤトはのろのろと顔だけをそちらに動かす。
くりっとした瞳。プラチナブロンドをボブにした丸顔の小柄な少女が屈んでミヤトの顔を覗き込んでいる。
瞳が彼女を捕らえた瞬間、ミヤトは釘付けになった。
胸が鷲掴みにされたように縮まりきゅんとときめく。一目惚れだ。
「あ、いや、大丈夫です。っていうか俺が校門前で突っ立ってたのがそもそも悪いので。ははは」
頬を赤く染めながら、ぎくしゃくしてつい早口の敬語で返事をする。
心配そうに少女が差し伸べている手に、無意識に手を伸ばそうするが触れる寸前でミヤトははっとその手を止める。
「(これは合法的に女子に触れられるってことか……!?)」
思い返せば最後に女子と手を繋いだのは体育祭のダンスの時であった。
柔らかそうな彼女の手をミヤトは見つめた。
「(こんな下心のまま、こんなかわいい子と手を繋いでしまっていいのだろうか……いや、いいんだ!)」
一瞬だけの葛藤をしてミヤトは下心を選んだ。
少女の手を握ろうとした瞬間、横からさっと白い別の手が現れミヤトの手を掴んだ。
予期せぬ出来事にミヤトは驚く。
正体を確認するため白い腕を目で辿りその主を見上げた。
ストレートの黒髪を腰のあたりまで伸ばし、顔の整った美しい少女がミヤトを見下ろしている。
その瞳は黒曜石のように艶がある。
「危険な女は好きかしら?」
呆気に取られているミヤトに黒髪の少女は小首を傾げ不思議な問いかけをする。
値踏みするように目を細める黒髪の少女の美しさにミヤトは息をのむ。
「(危険な女は好きかだって? そんなの決まっている!)はい! 興味あります!」
ほとんど即答。元気よく返事する。
危険な女という魅惑的な響きにミヤトは興味津々であった。
黒髪の少女は返事を聞くと口元がふっと緩んだ。
「とりあえず合格ね」
「はい!ありがとうございます!」
少女の手を掴んだままミヤトは自力で立ち上がる。
何が合格かは謎だが、褒められているのだろうと都合よく解釈していた。
立ち上がったミヤトの顔を追うように黒髪の少女は口元は笑みをたたえたまま顔を上げる。
「ねえ、折角だから私たちと一緒に校舎に行かない? 貴方も新入生でしょう?」
「え!? 君も私たちと一緒なの!?」
「あ、はい。まあ、そういうことになりますね」
女子と喋りなれていないミヤトは頭を片手でなでながら、目を泳がせ照れ臭そうに言葉を返す。
女子二人の視線を同時に浴びてどぎまぎする。
プラチナブロンドの少女はミヤトが同じ学年であると知ると瞳を輝かせた。
「それじゃあ一緒に行こうよ! ね!」
「ふ、二人がいいのでしたら是非ご一緒させてください」
「いいに決まってるよ!」
ミヤトの控え目な返事に対し、プラチナブロンドの少女が眩しい笑顔を向ける。
彼女から後光を感じつつも、ミヤトの胸は再びキュンと高鳴り胸を押さえた。
こんなにも歓迎されているのあれば断る理由はない。
ミヤトはにやけそうになりながらも、お誘いを受ける返事をするため口を開く。
「それじゃあ一緒に――」
そう言葉を紡ぐとミヤトはふと黒髪の少女が無言のままじっと顔を見つめていることに気づいた。
注がれている意味深な視線にミヤトはどきどきしながら、上ずった声で訊く。
「な、なにか?」
「手、握ったまま行くの?」
少女は妖艶な笑みを浮かべながら微かに首を傾げる。さらりと黒髪が流れる。
言葉の意味を理解するため、自身の手元に目線を下げれば彼女の手を掴んだままだということにミヤトは気づいた。
慌てて「すみません」と謝罪して手をぱっと離した。少女は可笑しそうにふっと笑った。
それからプラチナブロンドの少女を真ん中に、三人で横並びに校舎へと歩き始める。
「ねぇねぇ、君の名前はなんて言うの?」
プラチナブロンドの少女が目を輝かせながら、ずいっとミヤトに顔を近づける。
身長差もあり見上げている形ではあったが、あまりの距離感のなさにドキリと胸がはねる。
「ミヤトって言います」
「ミヤトくん! よろしくね! 私はユイカって言うの。それでこの子はアサカちゃん!」
ユイカは嬉しそうに両手を合わせたかと思うと、アサカと紹介された黒髪の少女の腕を掴むと自身の体に引き寄せる。
その行動にアサカは少々呆れたようにユイカを一瞥した後、ミヤトに「よろしくね、ミヤトくん」と微笑む。
「はい。二人ともよろしくお願いします」
ミヤトの返事にユイカはきょとんと瞳を瞬かせる。
「どうして敬語なの?」
「あの、その……失礼がないように」
目をさ迷わせ、それらしい言葉を口にする。
女子との会話に緊張しているとばれたくないからだ。
ユイカはそれを耳にすると目を丸くして驚きの声をあげる。
「そんなの私、全然気にしないよ! それよりもミヤトくんが遠慮してるほうが悲しいよ!」
「そうよ。折角お友達になれたんだもの。気楽に話してくれていいのよ。それに……ユイカの方がもっと失礼なことするわよ」
「あー。アサカちゃん酷いー。これでも私成長してるんだから」
アサカの腕を抱いたままユイカは頬を膨らましぷんぷん抗議をする。
そんなユイカをアサカは「えー?」と疑うように横目で見て頭をこてんと彼女の頭にあてる。
そんな彼女たちを余所に、ミヤトは自身の置かれた現在の状況に感無量であった。
入学早々、友達が二人もできたこと。
それも可愛い女子と美人な女子の二人。
幸先のいいスタートを切れたのではないかと、ミヤトは先ほど吹っ飛び倒れたことも忘れ、高校デビュー成功の手ごたえを感じていた。