13.昔の知り合い
ミヤトがいつも通りバイトに勤しんでいると妙な胸騒ぎを覚えた。
店内にいるミヤトと同年代くらいの男性客が、入店してからユイカをチラチラと見ていることに気付いたからだ。
ミヤトは険しい目を向ける。
何か悪さ(ナンパ)をした時のためにいつでも動ける体勢を取った。
青年は商品片手にユイカを見据えたまま、彼女のレジのカウンターへと商品を置いた。
笑顔で対応するユイカに青年はそわそわと落ち着かない様子で目を泳がせている。
ミヤトの監視の目がますます強くなる。
青年は会計を済ませたタイミングで口を開いた。
「あのさ……君、東の方の田舎にいたことない?」
青年の問いかけにユイカは戸惑った表情を浮かべた。
「えっと、わからないです」
ユイカが答えたにも拘らず青年は話を続ける。
「俺昔そこに住んでたことあるんだけど、君その時に遊んでた女の子に似てるんだよね」
青年は興奮が押さえきれないのか、身を乗り出し声音が高揚している。
ユイカがますます困惑の表情を浮かべる。
見かねたミヤトはユイカと青年の間に割って入った。
「はいはいはい! 従業員をナンパするような真似やめてくださいねー!」
いきなりミヤトが現れたことで青年は驚き身を引いた。
「ナンパとかじゃないんですけど……勘違いさせてしまったなら謝ります。すみません」
咎めるようにミヤトが睨みを利かせていると青年は申し訳なさそうに頭を下げた。
ミヤトの背後からその姿を見たユイカは躊躇いながらも声を掛ける。
「あの私、昔の記憶がなくって……会ってたとしてもわからないんです。……ごめんなさい」
「え?」
青年は顔を上げユイカをみる。
言及を逃れるようにユイカはそっと顔を伏せ黙り込む。
沈黙が生まれ、間に挟まれたミヤトは顔を後ろに向けユイカの様子を窺う。
ユイカの元気のない姿を初めて目にしたミヤトは微かな不安がよぎり胸がざわめく。
そんな中、青年はめげずにユイカに声を掛ける。
「俺、明後日には地元に帰らないといけないから……明日少し話せない? ほら、今日は急だったから1時間だけでも……」
ミヤトが睨みを利かせると青年は気圧されたように言葉がしりすぼみする。
しかし、ユイカは情に絆されたのか迷いながらも承諾の意向を示した。
「明日、バイトが終わったあとなら……」
「ほんと!? ありがとう! それじゃあ何時頃終わるのか教えて貰ってもいい?」
食い気味に青年はミヤトの身体の横から顔を出す。
ミヤトを隔ててやり取りをする二人に、ミヤトは苦い顔を浮かべる。
ユイカが決めたことならミヤトは口を出せない。
しかし、まだミヤトには切り札があった。
これはあの方に報告しなければならないと、そっと決意をする。
バイトが終わり、いつも通りミヤトとユイカ、アサカと三人で帰路につく。ミヤトは早々に告げる。
「今日ユイカの知り合いを名乗る男が現れたんだ」
「ユイカの知り合い?」
アサカが目を丸くし、驚きの声をあげる。ミヤトは頷き、今日あった出来事を話す。
「その男、昔ユイカに会ったことがあるっていうんだ」
「ユイカの知り合い、ねぇ……」
アサカが地面を見つめ呟く。
事態を重く受け止めているような深刻そうな顔つきをしている。
「まあ、昔の記憶がないユイカの唯一の手がかりなのかもしれないが……ほんとかどうかも疑わしい」
ミヤトは渋い顔をする。
口ではそうは言ったが、知り合いだと名乗る青年のユイカを見つめる目は明らかに想い人を見つけたかのような熱いものを含んでいた。
嫉妬からの疑念である。
「ユイカはその人、見覚えあったの?」
「ううん。ないよ。だけど、悪い人じゃないみたいだから明日お話してみようかなって思ったの」
「そう……」
ユイカの言葉にアサカが覇気なく頷く。
しばしの沈黙のあと、アサカは二人に問いかける。
「その人はこの近くに住んでるの?」
「違うんじゃないか? 明後日には地元に帰るとか言っていたし。昔住んでたところは……東の田舎とかって言ってたか……?」
「東の田舎……?」
ミヤトが答えるとアサカが、訝しむように復唱する。
「間違いない?」
「ああ。ユイカも聞いたよな?」
「うん。確かにそう言ってたよ」
「……そう」
それ以降アサカは黙り込んだ。
何かを考えているのか地面を見続けている。
会話なく、歩き続ければあっという間に寮に辿り着いた。
特にどうするなどの意見をアサカから貰えはしなかったが、彼女の様子から話しかけるのも憚れたため、ミヤトは何も訊くことなく二人に別れを告げる。
「じゃあ俺は帰るな」
「うん! いつもありがとう!」
「え……ああ。もう着いてたのね」
アサカははっと顔をあげた。無意識にミヤトたちに着いてきていたのだろう。
自分がどうして足を止めのかも気づいていなかったようだ。
ミヤトは手を振り、踵を返しもと来た道に引き返す。
「ミヤトくん!」
名前を呼ばれ振り返る前にミヤトは腕をつかまれそのまま下へと引っ張られる。
上体が前へと傾くと視界にアサカの顔が現れる。
「明日、バイトが終わる三十分前くらいに店内に来るからどんな相手か教えてくれる?」
アサカは小声でそう言うと黒曜石のような瞳でミヤトの瞳を見つめる。
この瞳を向けられると、ミヤトは目が離せなくなる。
しかし、言葉の意味は理解し了承する。
「分かった」
「よろしくね」
アサカはミヤトから手を離す。
解放された身体をミヤトは正した。
「気をつけて帰ってね」
「ああ」
互いに手を振って別れる。
ミヤトの背後からユイカの賑やかな声が聞こえる。
二人が何をしたのか気になってアサカに尋ねているのだろう。
「(昔の知り合い、か……)」
ユイカの記憶がない以上それが本当であるかどうかは分からない。
だからアサカも心配しているのだろう。
ミヤトはそう思うと俺も警戒せねば、と気合を入れて拳を握った。
――そして次の日。
そろそろ約束の時間に近づいてきたのでミヤトはユイカと一緒だとアサカが声を掛けづらいだろうと思い、ユイカに揚げ物の補充を頼み、自分は店内の商品棚の整理をし始める。
「ミヤトくん」
後ろから微かに聞こえた自分を呼ぶ声にミヤトは振り返る。
そこには黒い帽子をかぶり、目にはサングラス、口にはマスク、身体には革の黒いロングコートを羽織っているいかにも怪しい客が立っている。
周りを見回すがその客しか居ない。
ミヤトはにわかには信じられない――信じたくなかったが、約束していた女性の名を小さく声に出す。
「アサカ、か?」
黒いコートの人物――アサカはコクリと頷いた。
ミヤトは絶句する。
長い髪の毛は帽子の中に隠しているのだろう。
まさかこんな怪しすぎる格好をしてくるとは予想外であり、言葉を失い、沈黙が流れる。
「あの……サングラスどうしたんだ?」
何から問えばいいのか迷った挙句、触れたのは主張の激しいサングラスだった。
アサカは「ああ」と納得したような声を上げるとズレたサングラスを指で直す。
「変装と言えばサングラスってユイカが言ってたから、ここに来る前にワンコイン店で買ってきたわ」
普通ならからかわれていると疑うところだが、相手がユイカであるなら本気で言っているのだろう。
そしてそれをアサカが鵜呑みにしたのかとミヤトは目を白黒させる。
そんなミヤトに構うことなくアサカは話を続ける。
「あとパンと牛乳と新聞が必要だって言ってたけど、この3つは現地調達でいいと思ってまだ買ってないのよ」
色々情報が入り乱れているし、その格好のまま買い物まで済まそうとしている神経に、アサカはひょっとしたら天然なのかとミヤトの中で疑惑が生まれる。
現に買い物カゴを手にしており、中には牛乳とパンと新聞が一つずつ入っている。
ミヤトが凝視していることに気づいたアサカは、手元にあるカゴに目を落とす。
「やっぱり先に買っていたほうがいいわよね」
「ま、待て! レジを通すなら俺にしとけ!」
アサカは言うなりスタスタとレジの方向に歩いていく。
正体を知られたくないがための変装なのでは!?とミヤトは心のなかでツッコミ、口では彼女を制止する。
しかし、時すでに遅し。
アサカはカウンターに買い物カゴを置いていた。
ちょうどユイカは揚げ物の陳列を終えておりアサカに挨拶する。
「いらっしゃいまー……せっ!?」
ユイカはアサカを見てぎょっとしていた。
呆気にとられて動かなくなる。
ミヤトはあれだけ一緒に過ごしていてバレないわけがないか、とアサカの変装作戦は終幕を迎えることを察した。
しかし、ユイカは警戒するようにキョロキョロと周りを見回し、アサカに声を潜めて話しかける。
「も、もしかして尾行とかですか?」
察しのいいユイカはその3つの商品で気がついてしまったようだ。
アサカが黙ったまま頷くとユイカは瞳を輝かせ「や、やっぱり〜」と小さな声で歓喜の声を上げる。
「アニメでよく見てます! お仕事頑張ってください!」
「(変装の知識はそこからかー)」
ミヤトは合点がいった。
しかも正体がバレていない。
ユイカはキビキビとレジ業務をし、アサカは支払いを済ませ、商品を受け取る。
「ありがとうございました! またのお越しをお待ちしております!」
「あ、まだ店内にいます」
ユイカがいつも以上に丁寧に頭を下げれば、アサカは作り声で正直に動向を伝えていた。
積極的に接触を持とうとする姿に、ミヤトは本当は気づいて欲しいんじゃないのか?、と勘ぐる。
すると頭を上げたユイカは目を輝かせて、喋りかける。
「も、もしかして、今ここに事件性が――」
「ユイカ! ほら、お客様もいろいろ忙しそうだし、あんまり引き留めると悪いぞ!」
慌ててミヤトが声を掛けるとユイカははっとして「確かに……」と呟く。
分かってくれたようだ。
ようやくユイカから離れたアサカはレジから遠い場所へと移動した。
ミヤトも再び棚整理に戻る。
互いに近くにはいるが、顔は別の商品棚を見ながら声を潜めて話す。
「まったく。バレないか肝が冷えたぞ」
「完璧な変装なんだから、そんな簡単にはバレないわよ」
アサカがこんな格好するなんて思いもしないのでそういった意味ではバレないのかもしれないとミヤトは呆れつつも納得した。
会話なく二人が待っていると、自動ドアが開き昨日の青年が入ってきた。
ミヤトはすかさずアサカに報告する。
「あの男だ。ユイカの昔の知り合いだって名乗ってたやつは」
ミヤトの言葉にアサカは瞬時にしゃがみ込み青年に顔を向ける。
青年はユイカのことだけが気になるようでアサカの視線には気づいていない。
ミヤトはアサカの反応を窺うが、なにせ顔がサングラスとマスクで隠されているため何も読み取ることができない。
長く黙り込むアサカに、見極めているのか?とミヤトは推測する。
そうしてようやくアサカが何かを言おうとする――。
「なんだ。好青年じゃない」
あっけらかんと言い放つとアサカはすくっと立ち上がった。
帰ろうとしている雰囲気をミヤトは感じ取る。
「それじゃあ私はこれで」
「いやいやいや! アサカさん! あの男はどこぞの馬の骨ともわからないやつなんですよ!? そんな男とユイカを二人きりにさせて大丈夫なわけがないじゃないですか!」
予想通り去ろうとしたアサカに、ミヤトは小声で必死に訴える。
アサカの考えが変わっていないならユイカの相手は誰でもいいのだろう。
「あら? そう思うならミヤトくんが見張っててくれればいいじゃない」
アサカは弾んだ声でそう言うなりレジ袋をミヤトに渡す。
中に目を落とせば先ほど買った牛乳とパンと新聞が入っている。
「それじゃあ私は一時間過ぎた頃に迎えに来るわね」
取り残されたミヤトは呆気にとられただ立ち尽くし、アサカの後ろ姿を見送った。
結局ユイカと青年の接触を止めることは出来ず、ミヤトは近くの公園に向かう二人の後を新聞で顔を隠しながらこっそりつけていた。
二人はベンチに腰掛ける。
ミヤトは近くの茂みへと姿を隠し、会話の内容を盗み聴く。
思い出を一方的に青年が語って、ユイカは相槌を打っている。
話しの内容はあまり聞き取れないが、子供が思いつく遊びをしていたようだ。
ミヤトは新聞を脇に抱え、袋からパンを取り出すと包装を開け、パンに噛りついた。
「(ユイカの過去か……)」
咀嚼しながら空を見上げる。
本当に彼がユイカの過去に関わる人物であるなら、そこから両親などの所在が分かったりもするのだろう。
それなら積極的に関わったほうがいいのだろうが、もしも悲惨な最期を辿っていたとしたら――知ることは正解なのだろうか。
ミヤトは父親が亡くなったことを知ったことで人生がガラリと変わってしまった。
「(知ることで辛い思いをするなら、いっそのこと知らないほうがいいのかもしれない)」
いつも笑顔のユイカが、曇ってしまうくらいなら。
そう思ってしまうのはエゴなのかもしれないが、ミヤトはそう思わずにはいられなかった。
食べ終わったパンの包装をレジ袋に入れ、牛乳を代わりに取り出す。
青年がユイカに傷を直してもらった日の思い出を語っているのが微かに耳に入る。
ミヤトはそれを聞き流しながら取り出した牛乳パックにストローを突き刺し、口に付ける。
吸い上げるとまだ冷たさを保っていた牛乳が熱くなっていた身体をひんやりと潤した。
1時間経ち、青年とユイカは公園前で別れた。
特になんの進展もなさそうだったが、青年は次も会えたら話をしようと約束を取り付けたことから、強かさが垣間見え油断は出来ないとミヤトは気を引き締める。
コンビニに向かうユイカの前にミヤトは先回りし、今心配して来ました風を装った。
気づいたユイカが、目を丸くする。
「ミヤトくん! どうしたの?」
「そろそろ話し終わった頃かなって思って迎えに来たんだけど……どうだった?」
「楽しかったよ! 遊んだことのある遊びの話だったから懐かしくなっちゃった!」
「何か思い出せたか?」
ミヤトが問うとユイカはそっと目を伏せ、首を横に振った。
良かったのか、悪かったのか分からなかったがとりあえず変わらずにいられるユイカにミヤトは安堵しながら「そっか」と返事した。
コンビニに戻れば制服姿のアサカが店の端に立って待っている。
見慣れた姿にミヤトは心底安心する。
「どうだった?」
アサカの第一声はミヤトと同じ質問だった。
ユイカは首を横に振った。
「やっぱり思い出せなかったけど、とっても素敵な思い出で……私の過去がそうだったら素敵だなって思えたよ」
「そう」
アサカは和やかに相槌を打った。
瞳は優しく細められている。
誰も何も話さず、三人の間に静寂が生まれる。
少し肌寒さを感じる風が流れ、頬の熱を奪う。
「だけど、私にはアサカちゃんとの思い出があるからそれで十分だよ!」
ユイカが、明るい声で言い切る。
微塵も嘘を感じさせない答えに、ミヤトはユイカは自分の過去を知りたいとは思っていないのかもしれないとの考えに至る。
ミヤトはユイカがそれでいいのならそれを受け入れようと思った。
アサカも同意見のようで、頷く。
「そうね。これからは私とだけじゃなくてミヤトくんとも思い出が増えていくし、ね」
アサカが、ミヤトに意味深な視線を投げかける。
ミヤトの顔の熱が上昇する。
「え、あ……それって、そういうことって捉えても……」
「そうだよね! ミヤトくんやエリアちゃん、シャーネちゃんにヴィンセントくんとラースくん、それにクラスの皆とも思い出が増えていくよね! 楽しみだなぁ〜」
「……ソウデスヨネ。オモイデイッパツクロウネ」
淡い気持ちを容赦なく一刀両断されたミヤトは、上昇していたはずの熱がすっと下がったのを感じた。




