10.女王
魔物に遭遇してから一ヶ月が経過した。
その後も魔物に出くわすことなく、ミヤトはいつも通りの生活を送っていた。
今日もバイトが終わり、ユイカと共にコンビニを出ればアサカが店の端に立っている。
彼女はいつもユイカの迎えにきており、すっかり見慣れてしまった光景だ。
アサカは二人に気付くといつも通りの言葉をかける。
「二人ともお疲れ様」
「おう」
「はー。疲れたよー」
ユイカが覚束ない足取りでアサカの正面に近づくと身体を預けるようにもたれかかる。
マイペースなユイカだが、なんだかんだで真面目に元気に仕事には向き合っている。
そんな彼女は客から人気がありレジに立てば混んでいない限り、彼女の方を選ぶ人が多かった。
「あらあら」
アサカはもたれかかるユイカの背に片手を回すと、あやすように背中をぽんぽんと叩いた。
ユイカがトロンとした表情で「うー」と謎の唸り声を上げる。
アサカはそのまま顔だけをミヤトへと移す。
「それで今日はどうするの?」
「もちろん送っていくよ」
バイト初日後もアサカはユイカを迎えに、ミヤトは二人を送ることが日課になっていた。
魔物の遭遇の件もあるが不審者などから二人を守るためでもある。
アサカが申し訳無さそうな表情を浮かべた。
「本当は二人きりにさせてもいいんだけれど、また魔物に遭遇するかもわからないから……ごめんなさいね」
「あ、いや、そ、そういうのは追い追いで、さ。ははは」
ミヤトは誤魔化すように笑う。しかし、発言は正直であった。
頭を掻いているミヤトにアサカは和やかな笑みを浮かべた。
ユイカは話を聞いておらず、癒されているのか息を「はー」と吐いてはアサカに自分の身体をくっつけている。
三人はユイカを真ん中に、横並びに歩く。
日の落ち方が徐々に長くなっており、空は夜空と夕焼けが混じり合った色をしている。
歩幅を揃え、ミヤトは一ヶ月前の出来事をふと口にする。
「あれから魔物の目撃情報すら聞かないよな。……俺たちが出くわしたあいつが稀だったってことか」
今思えば夢か幻であったのかもしれない、数分間だけの現実味のない出来事。
ミヤトはそれならそれでいいと思っていたが、何かが引っかかっていた。
「まあ、王都に出るなんて今までなかったものね」
「――それだ!」
アサカが相槌を打つと、ミヤトは閃く。
この国は歴代の女王と神との間で生まれた子である、女王が代々統治している。
神の子である女王は光の魔力で国を包み込み、魔物の脅威から護っているとされており、王城に近いほどそれはより強力な力を持つ。
学園付近は王城よりは距離があるが、それでも女王のお膝元であるのは変わりない。
五年前のあの日、王都からの被害者はミヤトの父親唯一人。
ミヤトの父親はその日、出張で他の町へと出向いていたため襲われたのだ。
タイミングが悪かったの一言では済まされないほどに運が悪かった。
「なんかおかしいと思ってたんだ。女王陛下の加護があるのに、この街に魔物が現れるなんて」
ミヤトの中のもやもやが晴れたが、再び小さな疑問も生まれ始める。
アサカが眉尻を下げて口を開く。
「先生が虚偽通報と疑ったのも、それが本当であるなら異常事態であると分かっていたからかもしれないわね」
担任のセーラは信じるとは言ったものの、それを公にすることはなかった。
ミヤトたちもそれを鼻にかけたりはしないが、注意の呼びかけをしないのは少々不審には感じていた。
武道の時間でアサカが魔物を倒したと意図せず発言したが、それを耳にした者は冗談だと思っていたのかもしれない。
なにせ証拠がない。
「やっぱり女王陛下の力が弱まってるってことになるのか?」
魔法を重視しなくなった現代において、魔力が衰えるのは仕方のないことだとミヤトは軽い気持ちで発言する。
投げかけられた疑問に対し、アサカが答える。
「現マリア女王陛下は歴代の中でも強い魔力を所持しているけど、最近はほとんど寝たきりが多いみたいだから……」
アサカはそっと目を伏せる。
その可能性はある、とほのめかしている。
百年ほど前から国の方針が変わり魔法に関しては女王が、人に関する政治については軍が執り行っていることもあり、あの日のことについては外部から王への批判も少なからずあった。
魔物から守ることが出来ないなら女王の存在意義はあるのかと、痛烈な記事も出たがすぐに言語統制されれることとなった。
そういう事情が祟ったのか。
女王陛下は五年前のあの日の時期を境に、体調を崩すことが多くなった。
「だけど、そこまで女王陛下の体調がすぐれないなら、娘のリアナ殿下に即位させてもいいんじゃないのかとも思うが……」
現女王陛下のマリアには御年二十五歳の娘リアナ殿下、孫のアリア殿下がいる。
娘のリアナ殿下はマリア女王より厳かさがなく魔力も劣るが、人の良さが国民から支持を得ている。
存命中に戴冠式が行われることも珍しくないため、ミヤトの発言は一般的にも考えつく疑問であった。
「……これは私の勝手な推測だけれど、多分マリア女王陛下はギリギリまで務めを全うする気なのかもしれない」
推測という割には表情が固く、真剣味を帯びた口調であった。
アサカなりに根拠があるのだろう。
女王が厳格であることは有名なため、その性格から鑑みても自分が存命である間は娘に任せないという凝り固まった気持ちがあるのかもしれない。
ミヤトはそう憶測し、言葉を発する。
「未熟な子供には任せられないってのはよくある話だけど、それでも魔物が現れた時にあの日みたいなことにならないように対策をするのは然るべきことじゃないか」
アサカとこんな談話しても意味はないのは分かっているが、父親を亡くしているミヤトにとっては愚痴の一つでも言わせて欲しかった。
体調を崩すタイミングなんてどうしようもないというのに、何故よりにもよってあの日だったのかと不満を抱いてしまう。
アサカが、ミヤトの言葉に顔を伏せる。
「恐らくあの事が原因でしょうね」
「あの事……?」
小さく呟かれたアサカの言葉は静けさがあるせいか、ユイカを挟んだ距離にあるミヤトの耳にも聞き取ることが出来た。
そこでミヤトの視界の下にプラチナブロンドの頭が映り込む。
ミヤトははっとする。
ユイカが一言も会話に参加していない。
慌てて顔を下げるとユイカが不機嫌そうに頬を膨らませ、口を尖らせている。
完全に蚊帳の外にさせていたことに気づき、まずいとミヤトはユイカに機嫌を伺う声音で声を掛ける。
「あの、ユイカ? えっと……ごめんな」
「いいの。二人が話し終わるまで私黙っとくから」
頬を膨らましたままツーンと瞳を閉じるユイカ。
完全に取りつく島もないとミヤトが絶望に似た表情を浮かべると、アサカが優しく声を掛ける。
「ミヤトくん、ユイカはあまりこういう話が好きじゃないだけだから気にしないで」
「いや、でも……」
「仲間外れにされて怒ってるわけじゃないのよ。ね、ユイカ」
むくれたユイカは黙ったまま頷く。
ミヤトは本当かな?と戦々恐々だったが、アサカの言葉を信じたいと強く願った。
アサカは言葉を続ける。
「それに、この話はここで終わらせるつもりだったの。人目があるここではちょっと、ね」
言いづらそうに口籠るアサカ。
人目があるといっても住宅街の路地に入ってからは周りにはミヤトたちしかいない。
ミヤトはユイカのことは気がかりだったが、ここで聞かなければこの先知る機会がなくなる気がしたので、アサカへと意識を向ける。
「聞かれたら不味いのか?」
ミヤトの問いにアサカは、言葉を選んでいるのか神妙な面持ちで返事をする。
「……私が思い当たっている件については緘口令が敷かれているのよ」
「え? そんなに重要なことをどうしてアサカが知っているんだ?」
アサカはミヤトから目を逸らしながら、独り言のように語る。
「……一時期生じた噂なんだけれど、その噂さえまことしやかに囁くことすら許されない」
重みを感じる言葉に、ミヤトは生唾を飲み込む。
知ればミヤトもそれを背負わなければならないと暗に言っているようだった。
アサカは真摯な眼差しでミヤトの瞳を射抜く。
急なことに目をそらすことが出来ず、ただ彼女の瞳を見つめ返す。
ミヤトは自分が困惑した情けない表情をしているのを感じ取っていた。
アサカはふっと表情を緩めると、ユイカに顔を向ける。
「ユイカ、終わったわよ」
「……本当?」
ユイカがしょぼくれながら念を押すように確認する。
「ええ。ね、ミヤトくん」
これ以上は話す気がない意である。
ミヤトは躊躇うも踏み込む決心がつかず、「ああ」と答える。
ユイカはぱあっと表情を明るくさせるとアサカの腕とミヤトの腕に腕を絡ませ、自分へと引き寄せる。
「じゃあ違う話しよう! 何がいいかなぁ〜」
「それじゃあ中間テストの対策についての話でもしましょうか」
「わ……わあー……で、でも違う話になるなら……それでもいい……」
ユイカは気難しい顔になりながらごにょごにょと声が小さくなっていく。
アサカが笑いながら「冗談よ」と言うとユイカはほっとしたように息を吐いた。
そのやり取りで本当に今の話題は終わったのだと認めることとなった。
ユイカに腕を回されて嬉しいはずなのに、ミヤトはアサカの言葉がわだかまりとして残り素直に喜ぶことが出来なかった。
二人を送り届け、家に帰り着いたミヤトは机に向かい、パソコンを起動させる。
起動に時間がかかり、急く気持ちの現われか無意識に机を人さし指で何度も叩く。
インターネットを開き、ミヤトはキーボードを打とうとした手を止める。
検索してしまって良いのだろうかと迷うが、意を決して打ち込む。
「女王陛下、噂……」
緊張を和らげるための独り言。
深呼吸をし、覚悟を決めてエンターキー押す。
読み込み時間に身体が落ち着かない。
ようやく画面に映し出されたのは女王の御用達のお店、最近のお気に入りなど。
カーソルを下げて目を通すも特段気になるような文章はなかった。
ミヤトは息を吐きながら椅子の背もたれに上体を預ける。
緘口令が敷かれているものがそうすぐに見つかるわけがない。
ミヤトは残念なような、しかし、安心したような感情になりつつも、この件については追い追い調べようと思い直し、パソコンの電源を落とした。




