第九章 突然の…(9)
真由にとってこの展開は緊張し続けるものになっていた。
常にトップをキープし続ける総一。
見た事がない展開に手が震える。
−そーちゃん、頑張って!!−
思わず手を胸の前で組んだ。
マシンを正確に操り、最大限までその性能を引き出す。
確かに隆道のマシンには及ばない性能。
けれどもライダーの能力とその性能が合えば信じられない力を出す。
今の総一みたいに。
「もっと早いマシンに乗れたらなあ」
賢司が嬉しいような寂しいような複雑な顔をしていた。
「…そーに移籍の話があるの、知ってる?」
真由は目を丸くして首を横にブンブン、と振った。
初耳だ。
そんな事は一切言わない。
「しかもワークスから」
そこへ行けば!!
今みたいに苦労しないで済む!!
一瞬、心躍った。
「でも、そーは…」
賢司は苦笑いをしながら真由を見つめた。
真由がウキウキするのもわかるから。
「断ったよ。
バイク屋の店員をしながらレースに出るのが自分には合ってるって。
お客さんとのやり取りが楽しいし、何より自分が先頭切ってマシンを触りたいんだって」
面白いくらいに真由は感情を顔に出すから思わず賢司も笑ってしまう。
「まあそーちゃんは」
そこへ至が話に入ってきた。
「拓海が生きていたら自分が拓海のメカニックをする予定だったから。
あの時、まさかここまで走る事が出来るなんて思ってなかったからね。
…まあ、でももし機会があれば一度早いマシンに乗って欲しいね。
間違いなく、池田くんには勝てるよ」
真由はちらっとモニターを見た。
映し出される総一。
相変わらずトップを走行している。
レースは中盤。
どのチームもタイヤの消耗が気になっている。
「他のチームが先にくたばってくれたらいいんだけどね〜」
目の前を通過していった総一の後ろ姿を見つめながら至は呟いた。
−くたばってくれ−
真由がそう思った瞬間、それは起こった。
「あー!!」
チーム中に悲鳴が響く。
総一の位置からでは見えなかったスローダウンした周回遅れのマシン。
ギリギリ避けたように見えたが、一部が接触。
前のマシンはよろけながらも何とか無事だった。
けれど総一のマシンは宙に舞った。
そのすぐ後ろを走っていた隆道も接触したがバランスを崩しながらもなんとか持ちこたえた。
「そーちゃんは?」
至の顔が真っ青になる。
「俺、ちょっと見てくる!!」
祥太郎は慌てて自転車に乗って転倒したアップダウンの激しいコーナーまで走って行った。
レースは赤旗中断。
「真由…」
かれんが心配そうに真由に声を掛ける。
が、真由は茫然として動きもしない。
総一が来るな、と言っていたのはこういう事もあるからなのかもしれない。
今更ながらに真由は後悔していた。
やがてサーキットのコース内に救急車が走る。
ピットも慌ただしく動いていた。
場内のアナウンスによると全く動けない訳ではないらしい。
意識はあるという事で少しだけ気分は楽になった。
幸いコーナー手前だったのでスピードはそれなりに落ちていた事も良かった。
最高速で突っ込んでいたら大惨事だった。
「真由ちゃんは待ってて」
賢司は慌てて医務室に向かった。
真由はゆっくり息を吐くと椅子に座り込む。
−そーちゃん〜…−
泣きたい気持ちを必死に怺えていた。
もし、万が一があればどうしよう。
本当に生きていけない。
頭がグルグル回る。
そんな中、レースは再開され、結局隆道が優勝した。
「真由ちゃん」
やがて祥太郎が帰ってきた。
「そーちゃん、大丈夫だったよ」
こちらに戻って来る途中、医務室に立ち寄った祥太郎は少しだけ微笑んで真由の肩を叩いた。
頷きはするものの、本当にその姿を見るまでは安心出来ない。
隣にいるかれんや大輝も不安そうにしていた。
レース後、回収されてきたマシンを見て尚更思う。
修復不能なくらい大破。
その一言に尽きた。
「あーあ…」
至は声にならない声を上げてガックリとうなだれる。
真由はさっきから気分が悪くて仕方がない。
拓海が事故に遭った時でもあれほどバイクは壊れていなかった。
賢司も中々帰ってこないし、祥太郎に嘘を言わせて真由を安心させようとしているんじゃないだろうか、とか。
疑ってしまう。
「みんな、ゴメン」
やがてパドック通路から声が聞こえて真由は慌てて顔を上げる。
腕には痛々しいくらい包帯が巻かれているが、自分で歩いてるし、総一に労いの言葉を掛けるスタッフに謝りながらガレージに入って来た。
立ち上がると真由は震える足を何とか前に出して総一に近付く。
「真由…」
総一は情けない、という表情を浮かべて苦笑いをした。
「ゴメン、転倒しちゃった」
その瞬間、近くにいた人がみんな慌てて振り返るくらい、大きな泣き声が響いた。
「そーちゃああん!!」
あまりにも激しい泣き方に総一が目を丸くして慌てて駆け寄る。
大号泣する真由をおもいっきり抱きしめた。
「ゴメン、真由、ゴメン」
総一のそんな声は真由の泣き声で掻き消されてしまう。
「そーちゃんがいなくなったらどうしようって…!!」
真由は泣きながら必死に想いを伝える。
「うん、ゴメン」
真由のサラサラな髪を撫でながら謝る。
「そーちゃんのバカー!!心配させないでよー!!」
バカ呼ばわりされた揚句、心配させるなとはライダーにとって拷問に近い。
周りが呆気に取られている。
まあ、その何もわかっていない感じが総一にとって可愛くて仕方ないのだが。
「はいはい、真由、俺は大丈夫だからね〜。
いい加減泣き止まないと買い物に付き合ってあげない」
総一は笑いを堪えながら真由を抱きしめていた。
至はそんな台詞を吐く総一を見て声を上げずに笑っていた。
「…それはイヤ」
涙を流しながらも真由は声を上げて泣くのは止めて総一を見上げる。
至は思わずその瞬間、しゃがみ込むとクックッ、と少し音を漏らしながら笑った。
「はい、良く出来ました」
頑張って泣き止んだ真由を総一が強く抱きしめるとチーム内は爆笑に包まれた。
あの、クールな総一がすっかり家庭に染まっている。
レースはリタイアしてしまったけれど、笑いで終われた一日だった。
次の章で完結予定です