第九章 突然の…(3)
「…昨日から」
総一は両手で真由の頬を押さえたまま言葉を続けた。
「どれだけ心配したか、わかってる?」
総一の瞳からキラキラと光る水滴が落ちた。
真由は打たれたショックもあるけれど、何より。
総一の涙の方がショックだった。
「昨日の夜も電話に出ない、今朝も…
何かあったらどうしようって、こっちは一睡も出来ていない。
朝に繋がればそれはそれで良かった。
けれど繋がらない」
総一は唇をギュッ、と結んだ。
「そーちゃん、ごめん…」
やがて真由の瞳からも大粒の涙がこぼれ始めた。
「…真由の体にもしもの事があれば取り返しがつかない。
だから置いて来たのに!!」
総一は真由の頬から手を離すとそれを真由の背中に回した。
「…本当に無事で良かった」
ギュッ、と真由を抱きしめる。
「そー!!」
賢司はヤレヤレ、といった表情を浮かべたまま、二人を見つめていた。
「そんな元気があるなら、走られるな?」
総一は賢司を見つめて頷くと
「はい、もちろんです」
その目には涙が浮かんでいたけど、ようやくその顔に笑顔が戻っていた。
「真由ちゃん」
総一がウォームアップ走行に出てから至が声を掛けた。
まだ真由は動揺しているのか、目に涙を浮かべている。
「そーちゃんが怒るのも無理ないよ」
そう言って肩に手を置くと真由も黙って頷いた。
「昨日の夜からずーっとイライラしていたからね、そーちゃん」
真由は何と答えていいのかわからないから黙って俯いている。
「総一としては…拓海から預かったも同然の2つの命。
本当に何かあればあいつは自殺するよ?」
普段は優しい至の目がキツくなった。
真由はますます落ち込む。
「総一の事を想うなら、自分の想いだけで追いかけちゃ、いけないよ?
…総一だって、真由ちゃんの事は好きで好きでたまらないんだ。
本当は自分の手元から離したくない。
けど、ここへ連れて来て万が一転倒した時、総一が付き添っていられない時もある。
もしくは…」
チラッ、と目線を前に向けた至は目の前を通過していく総一を見つめた。
「万が一、総一に大変な事が起こった時…」
真由の背中に冷や汗を感じた。
総一に大変な事…それは死に至る事だ。
「そんな事、目の前で見たら…
また、そんな事が起こったら耐えられる?」
真由の脳裏にあの、拓海の痛ましい事故が蘇る。
真由の手が震えていた。
喉もカラカラだ。
そして何より。
優しい至が怖かった。
口調もいつもとは全く違う。
総一の事は常に『そーちゃん』と呼んでいるのに『総一』と呼び捨てだ。
−それだけ、迷惑を掛けてしまったんだ−
軽はずみな行動に出てしまった自分を悔やんだ。
あの時…
『そんなに会いたいなら、みんなで一緒に行こうっか!』
かれんの彼氏、松原 大輝が言い出して大輝の車で3人、やって来た。
総一が喜ぶって思ったし、何より自分が会いたかったから。
でもそれが、総一をどれだけ苦しめていたのか。
しかも大切なレース前。
予選とはいえ、最近急成長している総一には一戦一戦が大切。
わかっていた。
…つもりだった。
やがて総一がピットに戻ってきた。
感触は良いみたいでしばらく賢司と話をしてから再び時間一杯までマシンと共にコースに出た。
ギリギリまで調整したいのはよくわかる。
昨日の雨とは打って変わって今日は快晴だ。
「すみませんでした」
しばらくして大輝とかれんが賢司や至に謝ると
「いやいや、本当は真由ちゃんにいて欲しかったと思うよ、そー」
賢司は屈託なく笑った。
「ただ、真由ちゃんを叩いたのは…ちょっと怒らないといけないかな〜」
そう言う賢司に真由は慌てて首を振って
「悪いのは私だから」
総一の事を甘く見ていた、としか言いようがなかったから仕方がない。
真由はそう思っていたけど。
「いや、ダメダメ!!」
ウォームアップ走行を終えてピットレーンに入ってきた総一を賢司は鋭く睨んでいる。
−また…揉めるのかな−
ますます真由はへこんだ。