第八章 友達の家庭訪問(4)
一方その頃。
サーキットに到着した総一は色々な準備に追われていた。
翌日のスポーツ走行はどうやら雨。
あいにくの雨で最終テストが上手くいかないのが目に見えていた。
週末の土日は晴れの予報。
−ツイてないな…−
総一はマシンの整備をしながらため息をついた。
雨は嫌いだ。
濡れるのが嫌、とかそういう問題ではない。
雨は総一にとって嫌な事が多い。
「こら、そんな顔をしない」
至が総一の両頬を軽くキュッ、と抓った。
「やめてくだはい」
そう言うものの、総一のムスッとした表情は明るくならなかった。
「そーちゃん」
至がため息混じりで手を離す。
「雨が嫌いなのはわかるけど、その気持ちを引きずったまま走らないでよ?」
「わかってる」
総一もため息をつきながらマシンを触り始めた。
全日本に参戦を始めてすぐの開幕戦。
雨が降っていた。
しかも初優勝目前で転倒。
数日間意識が戻らず、みんな諦めていた。
意識が戻っても結局、治療で1年を棒に振った。
その間に彼女だった沙織は隆道と出来ていて…
雨の日に別れた。
総一にとって雨は一種のトラウマだ。
また、何か起こるんじゃないかという恐怖。
今にも降り出しそうな空を恨めしげに見上げた。
「そーちゃん!!」
夜、電話の向こうの真由の声は元気な様子で総一はホッとする。
後ろが騒がしいのはかれんや他の友達も来ているのだろう。
「どう、順調?」
「うん」
普段と変わらない会話に総一は少し落ち着いてきた。
苛立った神経が少しずつ丸くなる。
「頑張ってね」
「うん」
総一は満足そうな笑みを口元に浮かべる。
「…それと」
真由の言葉が一瞬、止まった。
総一は首を傾げる。
「…今朝、そーちゃんと別れたばかりなのに、早くそーちゃんに会いたいなあって」
受話器を落としそうになった。
「ああ、でもね!!」
真由は慌てて付け加える。
「転倒してリタイアして早く帰って来てって言ってるわけじゃないの!
とにかくベストを尽くしてね」
「…うん、ありがとう」
気がつけば総一の目から涙が溢れていた。
「そーちゃん、どうしたの?」
宿泊先の部屋に戻ると至が目を丸くして息を飲んだ。
普段、冷静沈着な総一が涙をポロポロと零している。
「…何でもない」
総一自身、訳がわからなかった。
真由に『会いたい』と言われただけで抑えきれない感情が噴き出してしまった。
「…真由ちゃんと喧嘩でもしたの?」
その問いに首を横に振る。
「…わからない」
総一の小さな声が部屋に響いた。
「真由に『会いたい』と言われただけで急に苦しくなったんだ」
それを聞いた至はフッ、と息を吐いて
「そーちゃん、真由ちゃんに恋してるんだね」
目を丸くして顔を上げる総一を見て微笑んだ。
「恋…?」
「うん、それは間違いなく恋、だよ、そーちゃん」
至はフフッ、と笑うと
「恋する事は大切だよ、結婚しても奥さんに対してそう思えるのは良いことだよ。
…家で待ってくれている真由ちゃんの為にも、自分らしい走行をしないとね〜!」
そう言って総一の肩を叩いた。
「…正直、そーちゃんがそういう感情を持つ事なんて、一生ないと思ってた」
至は平気な顔をして総一に言う。
「そーちゃん、愛しい人の存在があれば更に自分が今、向かい合っている壁を乗り越える事が出来るはずだよ。
自分の為にも、真由ちゃんの為にも。
限界を超えるか超えないか、ギリギリの走りをして欲しいね」
至の言葉は胸の奥深く突き刺さった。