第七章 二人の時間(4)
砂浜が広がっているこの海は波も穏やかでゆったりとした時を刻んでいるように思えた。
真由は少し物思いに耽る。
拓海といつか来た、あの海に似ていた。
「靴、脱ごっか?」
総一の明るい声に真由は我に返る。
そして、笑顔で頷く。
砂に素足を置く。
最初は違和感を感じるがやがて慣れてくるとその感触が気持ち良い。
更に波が足に当たってひんやりとする。
今日は晴れて良かった。
連日、梅雨のうっとうしい雨が続いていたのでどうなるかと思っていたけど、晴れてくれた。
「暑くない?」
総一は汗一つかくことなく涼しげな表情をしている。
暑さには慣れっこだった。
「大丈夫」
真由は笑った。
梅雨の合間に見せる太陽は蒸し暑さを漂わせるけれど、今日はそんな不快感を感じさせない快晴だ。
ただ、押し寄せる波の音だけが辺りに響いて普段では味わえない、のんびりとした時間が過ぎていく。
「そーちゃん、見て!」
真由が目を輝かせて指を差す。
波打際のすぐそばまで魚が来ていた。
こんな近くまで魚が来るのを見た事がなかった真由は嬉しそうに総一を見て笑った。
−まだまだ子供だよな−
総一も微笑む。
真由の無邪気な笑顔を見ると自分まで昔の自分に戻りそうになる。
こんな風に笑えたのはいつだっただろう?
太陽の光が波に反射してキラキラしている。
総一は目を細めた。その光と真由が重なって、幻想的な姿に一瞬、目を見開く。
−女神というのはこんな感じだろうか?−
真由は何度も総一を見て微笑んでいた。
総一も微笑み返す。
そして二人はそっと手を繋いで波打際を歩いた。
旅館に戻るとすぐにお風呂に入った。
部屋に付いている露天風呂で二人気兼ねなく。
真由はどれほど楽しみにしていたか。
滅多に出掛ける事のない総一。
その彼と旅行だなんて夢のようだった。
「そーちゃん!!」
真由は総一の掌を取るとそのまま自分のお腹に当てる。
「さっきからずっと蹴っているの」
真由が興奮しているのを察してか、お腹の子供も動きまくっている。
「ホントだ」
総一にもその動きが伝わってくる。
お腹から真由に視線を移した総一は愛おしい目で見つめるとそっと唇にキスをした。
体温が伝わる。
何度もお互いの唇を重ねる。
いよいよ熱も上がってきて…!!
『コンコン』
ノックする音が聞こえて慌てて二人は離れた。
「ビックリした〜!!」
部屋に食事を持って来てくれたノックに二人はドキドキしたけれど。
何とか悟られないように平静に努めた。
その後、真由は満足そうに食事をしている。
普段、節約生活を強いられているからこういう時しか贅沢は出来ない。
「美味しい?」
総一が微笑みながら聞くと真由は幸せ一杯な笑みを浮かべて頷いた。
−連れてきて良かった−
そんな笑顔を見ると心からそう思う。
レースに出る為にあまり生活費にお金は出せない。
一番苦しいのは、家計を預かっている真由。
毎日、スーパーのチラシを見ては安いものだけを買って来て食事を作る。
おかげで総一は独身の時よりもお金は貯まっている。
ただ貯めても、レースに出ていくが。
真由みたいな子に出会えて本当に良かったと思う。
自分の事を理解しようと努力してくれる真由。
あの年頃だと自分の事にいっぱいいっぱいなはずなのに。
総一を優先してくれる。
どれだけありがたい事か。
−また、時々は外に連れ出そう−
本当に美味しそうに食事をする真由を穏やかに見つめる総一だった。
「ほら、お風呂に何回も入るからこんな事になるんだよ」
総一は呆れて布団で横になる真由の髪の毛を撫でていた。
「アハハ…」
顔が真っ赤の真由。
個室風呂、というのが逆効果だったのか。
家よりも広いお風呂だし気持ちいいので何回も入ったら、のぼせた…
「だって…」
−旅行なんて滅多にないんだもん−
しばらくは行けない。
そう思うと満喫したかった。
「はいはい。もっと旅行に行けるように働きますよ〜」
真由の気持ちを察したかのように総一は呟くとそのまま布団に寝転んだ。
そして後ろから真由の体を抱きしめる。
「…俺達ってさ」
総一がしみじみと言う。
「今、こうしているのは不思議だよね」
「うん…」
もし。
全てのタイミングが違えば。
真由の隣には拓海。
総一の隣には沙織。
…だったのかもしれない。
けれど今は。
真由の隣は総一。
総一の隣は真由。
今ではそれが当たり前。
「こうやって二人で過ごすのもあと少しだけど…。
子供が生まれてもいつまでも仲良くしたいな、なんて思う」
総一はギュッ、と真由を抱きしめられる。
真由の心臓はバクバク。
今だにこんなシチュエーションには慣れない。
「…そうだね、ずっと仲良くいれたらいいね」
ようやく声を絞り出して前に回された総一の掌を撫でる。
いつの間にか寝ていて。
気がつけばもう明け方。
真由の後ろから総一の寝息が規則正しく聞こえる。
真由のお腹に回された総一の手を優しく握る。
温かい。
人の温もりがこれほど幸せに感じるとは。
これからもこのような穏やかな時間を過ごせるように真由は心の中で祈った。