第七章 二人の時間(2)
6月下旬。
梅雨前線が活発で毎日雨が続いている。
バイク屋も若干暇だ。
「そー」
会議から帰ってきた店長兼チーム監督の賢司が旅行パンフレットを大量に抱えて帰ってきた。
「はい」
総一は目の前の机にドサッと置かれたパンフレットを見て慰安旅行にでも行くのかと思う。
「真由ちゃんと旅行にでも行ってきたら?」
突然の話に総一の眉間にシワが寄った。
「こらこら」
賢司は苦笑いをしながら人差し指で総一の額に触れた。
「明らかに面倒臭い顔をするな」
「面倒とかそういうのではなくて…」
「金か?金なら心配するな。
ボーナスに上乗せしてやる」
確かに最近、レースでは上位に入る事が増えてきたのでスポンサーも更にチームに肩入れしているのは総一も知っている。
「いや、そういう問題ではないんです」
総一は周りを見渡した。
いくら暇とはいえ。
至は常にフル回転で動いてるしやる事はたくさんある。
ただでさえ忙しいのに。
こんな時期に旅行なんて行かなくてもまとめて休みが取れる盆や正月、GWに行けばいい。
休めば職場に迷惑を掛ける。
そんな総一の表情を見て再び賢司は苦笑いをすると
「二人だけで過ごせるのは『今』しかないんだよ。
8耐にも出ないし7月上旬にでも行ってこい」
仕事をしながら二人のやり取りを聞いていたスタッフは皆、総一を見て微笑んだ。
−悪いなあ−
皆の笑顔を思い出しながら総一はパンフレットが入った袋を抱えてマンションの階段を上がる。
「ただいま」
ドアを開けるのと同時に言うと真由はリビングから顔を出して
「おかえり」
その瞬間、総一の緊張感が解けた。
今日は結婚式から2ヶ月目の6月25日。
同時に拓海が亡くなって6ヶ月になる。
それを考えると嬉しい日なのか悲しい日なのか微妙だけど。
毎月25日はケーキを焼くのが真由のポリシーになっていた。
一応入籍記念日、という事で。
これはこの先もずっと続く事になる。
「今日は何作ったの?」
総一はテーブルにパンフレット入り袋を置いて聞く。
まだケーキはオーブンの中で香りだけが漂ってくる。
「シフォンケーキ」
嬉しそうに真由は笑った。
けれど誤算だった。
いつもなら総一は午後9時前後に帰ってくるのに今日は7時半。
食事の準備もこれからだ。
「真由、旅行に行こうか?」
突然の発言に真由は目を丸くする。
「えっ?」
「前、旅行といっても全日本のついでにホテルに泊まっただけだし、純粋にプライベートで行きたいなあ、って」
皆に急かされて。
…とは付け加えなかったけど。
総一は穏やかに微笑む。
「社長が今のうちに行ったら?って言ってくれているんだよ」
「結婚式の時もお休みくれたのに、悪いんじゃない?」
真由も自分と同じような感覚でいてくれて総一はホッとした。
「俺もそう言ったけど、子供が産まれてからだと2人でなんていけないからって」
確かにそうだ。
2人きりの時間なんて子供が生まれてからだと全くと言っていいほど、ない。
真由は頷くと同時に慌てて夕食の準備に取り掛かる。
「手伝うよ」
総一は店の作業着を脱ぐとジーンズとTシャツというラフな格好に着替えた。
早く食事を済ませ、パンフレットを見つめる。
二人、横に並んで座って話をする。
何気ない事にドキドキしている真由。
総一のさりげない仕草や態度。
ふと、気がつく。
拓海の事は確かに大切だけれど、徐々に自分の中では総一のウエイトが大きくなっている。
これは恋なんじゃないかと。
結婚したのは形だけ、みたいなものだった。
けれど…
本当に恋をしていた、いつの間にか。
総一も同じだった。
子供を救済するという、形だけの結婚。
それが。
手を触れるだけで…ドキドキする。
今更…こんな事でドキドキするなんて。
「じゃあ、ここにしようっか」
海に近い温泉旅館で、個室風呂のある所だった。
「そーちゃん、ここ高いよ?」
パンフレットに書かれてある値段を見てため息をつく真由。
「いいんじゃない?
新婚旅行よりはうんとマシだよ」
総一は笑って真由の膝に頭を乗せた。
いわゆるひざ枕。
そしてお腹に手を添えて子供の動きを確認する。
最近、これが毎日の日課。
でも、これをするだけでドキドキする。
真由の体温が心地良い。
「もう、8ヶ月なんだよね」
お腹に手を当てていると動くのがよくわかる。
「うん、あと少しだね」
真由も総一の髪の毛を撫でる。
性別はもうわかるけど、聞いていない。
当日のお楽しみという事で。
「あと、2ヶ月か…。
レースと重ならないで欲しいな」
総一はお腹の子供に言い聞かせるように言った。
予定日より10日後に全日本がある。
それが少し不安。
今のところ、立ち合い希望で、父親学級にも参加している総一。
おむつの替え方とか本当に上手いと評判だ。
拓海や祥太郎の面倒を見てきたから当然だけれど。
間違いなく自分より子供の扱いは上手いだろうな、と思う真由だった。