第四章 桜の花が咲く頃に(4)
予選。
路面はドライ。
コンディションは良い。
総一はレースになると冷たい雰囲気に包まれる。
スタート前の表情は無表情に近い。
今回、パラソルを持っているのは祥太郎。
妊娠していなければ、正社員としてK-Racingで働いている真由だった。
真由はグランドスタンドからその様子を見つめていた。
転倒しませんように…
祈るように見つめていた。
綺麗なライディングフォーム。
拓海とはまた違う総一の走行に引き込まれていた。
安定した走行。
けれど…積極的に攻める。
転倒することなく、予選7位。
1位、ポールポジションは隆道。
格が違う、と真由は思った。昔は総一の方が才能に溢れていたのにいつの間にか立場は逆転。
今では遠い存在だ。
真由は立ち上がるとパドックに向かう。
予選が終わると、パドックへ満が来ることになっている。
真由のドキドキが段々早くなってくる。
「緊張しているの?」
総一は心配そうに真由を見つめる。
「うん、少し」
「大丈夫だよ。父さんは。
真由を嫌がったりしないよ」
事情は全て話している。
それを総一から聞いた時の満の反応は『そうか』と言って苦笑いをしていた。
このままでいいのかな、なんて思っている。
でも。
もう今となっては。
予選のスケジュールが全て終わった。
総一は至とマシンを前に真剣な面持ちで話し込んでいた。
そこへ満がやって来て、一人椅子に座り周りの様子を伺っている真由を見つめて微笑んだ。
満はそのまま監督の賢司の元へ行き、また何やら話し込んでいる。
真由にはさっぱり、付いていけなかった。
やがて話が終わると3人はサーキットを後にした。
満がこの地に来たらよく行く料理店に2人を連れて行った。
そして個室に案内される。
少しだけ雑談をして、本題に入ると
「総一が選んだなら、いいじゃないか」
満は総一と真由の結婚には全く反対していなかった。
「…しかし、まさかお前もそういう人生を歩むとは」総一は口を閉ざしたまま、何も言わない。
重苦しい雰囲気に息が詰まりそうになる。
「真由ちゃんは。
総一の事をどう思ってるの?」
と、突然、沈黙を破った満の言葉。
「…えっ?」
「話を聞いていたら、どうも総一のペースで話を進めている気がして。
真由ちゃんは正直、総一をどう想っている?」
真由は下を向いてどう答えようかと考える。
どう…想っている?
確かに言える事は。
「大好きですよ。
…最初はただのバイク屋さんの親切で頼れるお兄さん程度だったけど」
総一は驚いた表情を浮かべている。
「いつも傍にいてくれて、私を心配してくれて。
頼りない私をいつも引っ張ってくれる。
そんな人を好きにならないわけがないですよ」
まさかこんな形で、告白するなんて…
真由は俯いて顔を赤くした。
総一は表面上、冷静さを装う。
けれど手に持った箸を落とした。
明らかに動揺している。
どちらかと言うとクールな印象が強い総一。
レースでもこれだけ動揺した事はないだろう。
満は意味ありげに笑って
「良かったな、そう言ってもらえて。
総一は真由ちゃんの事、どう想っている?」
誘導尋問が上手い。
総一も嫌々ながら口を開いた。
「…俺は最初、なんて考えの甘い子なんだって思ったよ」
真由を見つめるその視線が冷たい。
「でも。
守りたくなるんだ。
拓海の彼女とかそういうのはもう自分の中にはなくて。
その笑顔にホッとするし、いつも愛に溢れていてずっと一緒にいたいと思う」
そーちゃんは照れもせず、私に向かっていうので、私は頭のてっべんまで赤くなった。
「そっか。なら大丈夫だ。
お互いがそう想っているなら俺みたいな失敗はないはず」
満は安堵の笑みを浮かべた。
「俺は、総一のお母さんと結婚したとき、ただお腹の子供が可哀相で。
同情だけで結婚して、総一を結局、苦しめてしまった。
…色々、悪かったと思っている」総一は視線を下に落として
「俺は父さんには感謝してるよ」
切ない笑みを満に向けた。
少なくとも。
満が再婚するまでは幸せだった。
「…今でも俺がマシンに乗ってサーキットを走れているのは父さんの会社がスポンサーについてくれているから」
総一は真由を見つめて言った。
総一と満は今までの経緯を真由に話した。
総一が家を出て、柏原家で居候を始めた時。
継母は総一に対して一切の援助をしないように満に言った。
血は繋がっていないとはいえ、戸籍では親子。
他人に預けるのに何もしない訳にはいかない。
パーツなどの部品を製造、販売している満の会社が、K−Racingのスポンサーになって、総一にかかるお金をずっと出していた。
更に満が経営する会社は1、2を争うくらい大きいスポンサー。
しかもそれはあくまで会社で動かしているお金だったので継母も気がつかなかった。
会社の事は一切ノータッチだったから満にとってはやりやすい。
「総一も、部品の開発に参加してくれているし、俺はそんなにしているつもりはないよ」
満は真由を見て微笑んだ。
そういうさりげない優しさ。
何となく誰かに似ているなと気がついて勝手に真由の口から出ていたのは
「血は繋がっていなくても、それを超えた親子なんですね。
お義父さんとそーちゃんって」
その言葉に二人は顔を見合わせて、笑った。