第四章 桜の花が咲く頃に(2)
「今日はトレーニングしないの?」
夜8時になっても総一は外に出ようとしないので真由は心配になって聞いた。
「うん、昼間に少しやってたから…」
昼の休憩を潰してトレーニングをしていた。
今日だけは真由と少しでも長く一緒にいたいと思った。
だからお昼休みは取らなかった。
真由は迷う。
そーちゃんと桜を見たい…
何度も総一の顔を見ては目が合いそうになると目を逸らし、なかなか言えない。
「真由?」
不審な動きをする真由に声を掛ける。
「…わがまま、言っていい?」
真由の真剣な表情に総一は何事かと、頷く。
「桜、見に行きたい」
「早く言ってくれたら良かったのに…」
総一は苦笑いしながら真由の手を握っていた。
春とはいえ、まだ夜は寒い。
薄手の上着を羽織って二人は近所の桜並木で有名な川沿いを歩く。
桜がまだ三分咲きなので人も疎らだ。
「だってそーちゃんが疲れるんじゃないかって…」
あまりわがままは言えない、と思ったから。
「遠慮はいらないよ」
総一は真由の手を握りしめた。
淡い光に照らされた桜は幻想的で、まるで夢の中にいるみたいだった。
「まだ散らないな…」
総一がまだ咲き始めた桜なのにそんな事を言うから真由は不可解な顔をしていると総一は微笑む。
「俺は満開よりも咲き始め…更に好きなのは散り際の桜なんだ」
少し切なそうに真由を見つめて、いい頃合いを迎えつつある桜を見つめた。
「昔、父さんと二人で住んでいた時はよく夜桜を見に来たよ。
散って、花びらの絨毯みたいな道を歩くのが好きだった」
総一は低い枝に付いている可愛らしい桜に触れる。
「…あの時が一番幸せだったな」
総一の微笑みは本当に切なくて真由の心、奥深くに刻み込まれる。
過去でそこが一番幸せだったなら。
じゃあ未来は…?
「そーちゃん」
真由は立ち止まった。
春の、少し冷たい風が体を通り過ぎていく。
総一も立ち止まり、振り返る。
「じゃあ、それ以上に幸せになろう!
私がそーちゃんを幸せにしてあげる!!」
大胆な発言だ。
普通それを言うのは俺だろう、と総一は思ったけれど、真由なら本当に自分を幸せにしてくれるような気がする。
「…楽しみにしているよ」
総一は再び右手を差し出した。
真由は左手を差し出す。
総一の掌に微かにリングの冷たさが伝わる。
「また、散り際も見たいな…」
風に吹かれても今はまだ凛としている桜の花。
散り行く花もまた趣がある。
「じゃあまた見に来ようよ!!
全日本終わってすぐくらいがいいかもね」
多分その頃には美しい桜吹雪も見られるだろう。
「うん、じゃあ、また来ようね」
総一が言うと真由は頷いて
「その前に全日本、頑張ってね!!」
真由が満面の笑みを浮かべると
「もちろん!」
総一は左手を握りしめて空に向かって突き上げた。
全日本開幕まであと一週間。