第四章 桜の花が咲く頃に(1)
結婚式まで一ヶ月を切った。
真由の悪阻はまだ治まる気配はない。
「あーあ…」
毎日、苦しくて辛い。
もう、桜の季節なのに外へ行けないなんて…
そーちゃんと一緒に歩きたい。
真由は洗濯物を干しながらため息をつく。
行けないかなあ…
真由は再びため息をついた。
『今日は早く帰るよ』
昼過ぎ、珍しく総一から電話が入った。
あと一週間で全日本が開幕するのに、どうしたのかと不安になる。
今まで、こういう事はなかった。
−仕事やレースを優先させる−
それは最初に聞いていたから。
何かヤバイ事でもあったんじゃないかと思う。
「早く帰って来ないかなあ…」
ついつい独り言を言う真由だった。
「ただいま」
夕方、しかも6時に帰って来るなんて…有り得ない!!
「おかえり〜」
真由は走って玄関に行った。
「そんなに慌てて転んだら大変な事になるよ」
総一は苦笑いをすると
「誕生日おめでとう」
真由にそっと小さな包みを渡した。
「あ…」
今日は3月27日。
真由の18回目の誕生日。
自分の誕生日をすっかり忘れていた。
毎日毎日、何だか暇なようで目まぐるしい。
誕生日とか、全然意識していなかった真由。
「あ、ありがとう」
両手でその包みを受け取った。
総一と少し手先が触れる。
「やっぱり…自分の誕生日、忘れてたでしょ?」
毎日悪阻に苦しんで、今日が何日かも忘れてるんじゃないかと思っていた総一。
「…うん」
やっぱり…
総一は肩を大きく上下させると
「ケーキも買ってきたから後で一緒に食べよう?」
真由は本当に嬉しそうに笑って頷いた。
「開けていい?」
玄関だというのに、真由は開けたい気持ちでいっぱいだ。
「いいよ」
総一はそう言うと靴を脱ぐ。
真由はその間に包みを開けた。
そして目を大きく開く。
中はジュエリーボックス。
それをゆっくり開ける。
ダイヤの入った、ちょっと可愛いデザインのリングだった。
「婚約指輪、まだだったでしょ?」
あの時…総一が戻ったのはこの為だった。
「ちゃんと渡したかったから」
総一は真由からボックスを取り上げるとリングを取り出した。
そのリングを真由の左手にはめる。
「ありがとう」
「どういたしまして」
総一は優しい笑みを真由に向けた。
「今日は早かったんだね」
真由は心配そうに言うと
「社長が今日は真由の誕生日だっていう事を知っててさ。
…早く帰れって」
総一は言い終わるのと同時に真由の唇を塞いだ。
しばらく、長いキスが続く。
やがて総一から離れると今更ながら恥ずかしそうな笑みを真由に見せる。
「体調は?」
優しい笑みに真由はクラクラしながら
「うん…やっぱりダメ」
「あんまり、無理するなよ?」
総一は真由の頭を撫でると部屋の中に入っていった。
「全日本、私も一緒に行っちゃ、ダメ?」
食後にケーキを食べながら真由は聞いてみる。
まだ体調が安定しないから総一が渋るのは判っている。
「一緒に?」
総一の困った顔を見るとやっぱり、と思う。
「彩子さん達と一緒に来る?それかお義父さんとか?」
万が一があってはならない。
総一の頭の中は常にそれだ。
「そーちゃんと一緒じゃダメ?」
いつもレースの時は車で寝泊まりしているから、無理なお願いというのはわかっている。
でも…一度。
真剣に総一の走行を見てみたかった。
今までなら拓海のついでに、という感覚だったけれど…
自分の夫となる人がどういうライディングをするのか、しっかりと見てみたい。
「う〜ん…」
総一はしばらく腕組みをして俯いて考える。
やがて顔を上げると
「いいよ、新婚旅行も行けないし、ホテル取っとくよ」
総一は微笑んだ。