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孤独とはこれいかに

作者: sorachi

 スマホのホーム画面をぼんやり眺めている。

 通知の一つもない画面、見慣れたホーム画面。横にスライドさせて数多のアプリを見ても同じく通知が一つもない。当たり前だ、通知を切っているのだから。ただ、最初の画面だけは通知を切っていない。つまりは誰からも何の連絡もないということだ。それを淋しいと思う訳ではない、ただこちらも誰にも連絡を取りたいとは思っていないことに軽い目眩を覚えるだけだ。

 というのは嘘だ。ただ一人だけの連絡を待っている。連絡が来ていることに一喜一憂したくないのに、連絡がくればもちろん嬉しいし、来なければ何をしているのかなと考えてしまうくらいには淋しく思う。

 この淋しさについていつも考えてしまう。家族に囲まれて生活をしていても、友達と遊んでいてもどこかいつも満たされない気持ちが生じる。いつも遠いどこかを見ている気がする。目の前の現実よりもここではないどこかに常に想いを馳せているような、何かを誰かを待っているようなそんな気持ちが拭えない。

 厄介なのは、「待ち」の姿勢でいることに他ならない。問題は自分が何を求めて、誰を求めているのかが解らないことだという自覚はある。それが解れば、きっと自分から動けるのでないか、そんなことを考え続けて今日に至っている。果たして、思考が十代のそれのまま気がついたら中年と呼ばれる年になっているにも関わらず、相変わらずそんな青臭い思考のまま抜け出せず、いわゆる大人になりきれずにいる。

 他者に理解してほしい気持ちはあまりない。故に自分のことはあまり語りたくないのだ。偏屈に見えるかもしれないけれど、自分をさらけ出すことには抵抗がある。そのかわり、いろいろな人に触れて、あらゆる考えを知りたいとは思う。

 たとえばいつも友人に囲まれて楽しそうにしている人、幸せだという友人、そんな人たちは孤独感を感じることはないのだろうか、と考える。きっとそんなことはないのだということももちろん解る。だけど、もしかしたらまったく感じない人もいるのではないのだろうか。私の祖母は祖父を亡くしてから、三十年以上一人で生活していたが、孤独を感じなかったのだろうか。子どもたちも巣立ち、広い家の中で幾日も幾日も繰り返される日常を一人で送っていて、何を思っていたのだろう、と考える。我が身に置き換えて考えてみると。私はきっと孤独に耐えられないのでないかと思うのだ。

 小学生の頃、叔母に映画に連れて行ってもらった。親友が亡くなる、友情について描かれた作品だった。私は遺される痛みよりも、遺して死んでしまう方がいいと感じた。叔母には「寂しがりなのね」と言われた。その言葉とその映画については未だによく覚えているし、今もその考えは変わらない。

 人の痛みに疎いのかもしれない。遺された人の気持ちを慮れないのかもしれない。それでも、たとえば大切な人の不在の痛みは想像を超える痛みと喪失で、私はそれを知りたくないのだ。己が可愛いゆえに傷つきたくない。

 でもそれはそれでいいのではないかと思う。誰しもみんな少なからず、自分勝手で己が可愛いに決まっている。きれいごとなんかは要らない。大切な人には自分より一秒でも長く生きていてほしいという想いと同じ強さで、自分だって長く生きたいはず。

 大切な人がいなければそもそもそんなことを考えないのではないか、という疑問。喪ったあとの孤独と一人でいることの孤独は、一見同じ孤独だけど質が異なる。ならば誰からも連絡のない今の孤独のままいた方がいいのではないか。でもそれはたぶん悲しい孤独。喪う孤独は、思い出がある。大切な人と過ごした記憶は孤独を支えてくれる。

 だから、人は人を関わって生きて行くのではないかと思った。一人だけど一人ではないこと。誰かと繋がること、支えること、支えられること。どんな形であれ生きて行く上では、気づかないうちにあらゆる人に支えられている。生かされている。

 人も自分も大切にすればいつかこの心の隙間は埋まるのではないかと思いながら、今日も生きている。

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