第31話 新さん、どうしてここに?
夕暮れ刻。
昼過ぎにおえた墓参りだったが、墓から目的地までは遠く、電車での移動に時間がかかってしまった。
寧々ちゃんはいるだろうか、あの場所に行っていたとしてもすでに帰ってしまってはないだろうか。
はやる気持ちを抑えられず駅を降りてから俺は走っていた。
走っていて心拍数が上がっているのと、夏になりかけの暑さの両方で汗が垂れる。
遠くから蝉の鳴く声がする。まだ夏本番ではないが早くにでてきたやつがいるのだろう。
そいつは他の蝉に会うこともなく、ただ一人で鳴くだけで生涯を閉じてしまうかもしれない。
そして、ようやく目的地がみえてきた俺は安堵する。
視界の先には黒と赤の髪がなびいて夕日を反射していた。寧々ちゃんだ。
彼女も俺が走ってきているのがみえたからか驚いた表情を浮かべていた。
良かった、顔を合わせたら走って逃げられるんじゃないかと思っていたけどその心配はなさそうだ。
「はあ、はあ。寧々ちゃんやっぱりここにいた」
彼女の目の前まで着いた俺は肩で息をしながら声をかける。
「新さん、どうしてここに?」
「だって今日は寧々ちゃんと俺が初めて会った日だから」
俺と寧々ちゃんがいたのは、以前に寧々ちゃんのアルバイト先から帰るときに遠回りして寄った橋の上だった。
この場所は寧々ちゃんと初めて会った場所だ。
そして今日は寧々ちゃんと初めてあった日だから、ここにいるんじゃないかと思っていた。
「それに寧々ちゃんがこの場所を大切にしていることを前に教えてくれただろ?」
わざわざ帰り道に寄ってこの景色を眺めるのが好きだと寧々ちゃんは言っていた。
困惑している様子の寧々ちゃんだったが俺は構わずに続ける。
「今日、寧々ちゃんのおかあさんに会ったよ」
「そっか……」
俺の雰囲気とひとことで全てを察した寧々ちゃんはうつむいて小さくつぶやいた。
「全部聞いたんだね」
「ああ、そうだ」
「だったらなおさら、どうして会いにきたの?」
酷く辛そうな顔で寧々ちゃんは俺に向きなおる。
俺は寧々ちゃんに言わねばならないことがある。
「ありがとう、って伝えたくて」
「寧々ずっと新さんに嘘ついてたんだよ?」
「そんなことは関係ない。寧々ちゃんが俺にしてくれたことは全部本当だし、きっかけが嘘だっただけでそんなのは些細なことだ。だから、」
――――ありがとう。
俺は頭を下げて改めて寧々ちゃんにお礼をいう。
「やめて新さん、寧々は感謝されるほどいい子じゃないから。寧々が新さんを傷つける理由を作ったんだから……」
寧々ちゃんは今にも泣き出しそうになりながら口を開いた。
「ひとつ後悔してることがあるの。寧々が三年前の今日、あのまま……」
「よせ、冗談でも言うんじゃない」
俺の制止を振り切って寧々ちゃんは続ける。
「あのままここから飛び降りていたら、新さんが傷つくことはなかったんじゃないかって」
時が止まったような静寂。
俺はあの日のことが頭にフラッシュバックしていた。
梅雨もあけて夏に入りかけの頃、寝苦しくなってきた深い夜。
橋の欄干の上に女の子が立っていた。
初めに目に入ったときは幽霊かなにかだと思った。
視界が暗くて欄干の上に立つ姿が宙に浮いているようにみえたから。
それはひどく現実離れしたような光景だった。
しばらく呆然としていたのだが、やがてそれが実体のある人だと認識できたときに俺は走りだしていた。
『なにやってるんだ!!』
足がすくんでどうにもならなくなっている彼女の身体を引き寄せた。
そして彼女は喚くわけでも抵抗するわけでもなく、ただ一言だけ、
『この世界からいなくなりたい』
と、悲痛な言葉を漏らしたのだった。
年端もいかない少女の口からこの言葉が出てくるまでになにがあったのだろうと想像して、俺は胸が締め付けられた。
『なにもわからなくて無責任かもしれないけど、それでも俺は君に生きてほしいと思うよ』
そして警察に連絡して彼女を保護してもらった。
寧々ちゃんは俺から離れようとしなかったので、警察が来るまでの間や、警察署に移動してご両親が来るまでの間も俺は寧々ちゃんと話をしていた。
どうやら彼女は学校でいじめにあっていたようだった。
きっかけは友達グループが二つあってそのどっちに属するかで問題になったそうだ。
友達間のいざこざは中学校ではよくあること。
寧々ちゃんはどっちにも仲の良い友達がいたからどっちのグループとも遊んでいたのだが、その態度が気に食わなかったらしく、徐々にどっちのグループにも遊ばれなくなって孤立していった。
そのときに仲が良かった友達もグループから離れるのを恐れて寧々ちゃんと関わることはなくなったそうだ。
それからは孤立するだけでなく酷いことをされるようになったのだという。
内容を聞こうとすると涙が溢れて止まらなくなっていたので、俺はそれを聞くことはしなかった。
「あの日、たまたま通りがかった新さんに寧々は救われたの。でもそれがきっかけで藤咲家と関わりができて、あんなことになっちゃった……」
当初は、寧々ちゃんの婚約者にするという話も出ていたのだが、年端もいかない少女だったのと精神的にまだ不安定だと判断して、姉の姫乃さんと婚約することになったのだ。
「結衣さんに言ったように、あの日救われた寧々が今度は傷ついた新さんを支えてあげたいって思ったのは本当だよ? 最初は断られるんじゃないかって勇気がでなくて……だから理由をつけて新さんに会いにいったの」
俺は黙って寧々ちゃんの話に耳を傾けていた。
「初めの頃は新さんに会えることが嬉しくて楽しくて。でも嘘をついて会いにいったことにどんどんと罪悪感が出てきたの。いつか打ち明けようと思ってたけど、嫌われるのが怖くてどうしようもなくて……」
下を向きながらぽつりぽつりと寧々ちゃんは言う。
気持ちのままに脈絡もなく、それは俺は受けとめたいと思う。
「それに新さんが傷ついた原因は間接的に寧々にあるって気づいてからはどうしたらいいか分からなくなっちゃった」
そんなときにね、と寧々ちゃんは前置きをおく。
「新さんのアメリカ行きの話を聞いたの。離れるなら今だって、良いタイミングだなって思った。そしたら寧々の嘘もバレることはないし、全部自分の保身のため。新さんの思うような良い子じゃないんだよ」
俺の家に来ていた理由も、離れた理由もわかった。
「幻滅したでしょ?」
今にも消えそうな声で俺に問いかける。
違うんだ。
寧々ちゃんはひとつ大きな誤解をしている。
「幻滅なんてしない。人の心はときに嘘をつくし論理的にいかないことだって多々ある、だって俺がそうだから。俺はあの日寧々ちゃんに生きて欲しいって言っただろ?」
「うん……、その言葉がすごく響いたから寧々は頑張れているよ?」
「そうだと嬉しいよ。でも俺はどの口がそれを言ってんだって自分に思う。だって――」
ひと呼吸おいて俺はいう。
「あの日、俺もここから飛び降りるつもりだったんだ」
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