第27話 新さん、ありがと
「いただきます」
寧々ちゃんを待とうかと思ったが、冷めないうちに食べて欲しい、とのことだったので俺はひと足はやく料理に舌鼓をうつ。
オムライスで玉子の包みかたは数種類あるが、ここの喫茶店はドレスドオムライスだった。
高く盛り付けられたチキンライスの上を、半熟の玉子が渦を巻いていてドレスのスカートのような美しいドレープが包んでいた。
その周りを生クリームが回しがけられたビーフシチューが囲い、仕上げのパセリの緑が鮮やかに華を添えている。
「見ためがとてもいいな。若い人たちの間で人気になっているのがわかる」
可愛い従業員以外にも、つい写真を撮りたくなるような映える盛り付けが人気の秘訣だろう。
早速、スプーンですくって口へと運ぶ。
「美味しい」
ひとくちで分かる完成度の高さ。
ただ映えることだけを狙った料理とは一線を画していた
玉子の半熟加減も絶妙で、チキンライスにはマッシュルームが入っていて、きのこの旨味と食感のアクセントになっていた。
ビーフシチュー単体ですらホテルに出てきてもおかしくないような絶品なのに、それを掛け合わせたら美味しいことは間違いなかった。
ひとつひとつが丁寧で作り手のこだわりが感じられる。
寧々ちゃんを待つために程よいスピードで食べようと思っていたのだが、これはスプーンが止まらないな。
二口目、三口目へとどんとんと手が伸びる。
「それではコーヒーを頂くか」
濃厚な味が口いっぱいに広がったところに、ひとまずリセットを図る。
スプーンを置いてカップを手に取り、コーヒーを啜る。
「……これは、良いな」
目がさめるような衝撃ではなく、目を細めたくなるような上品な美味しさがそこにあった。
少し深煎りなクラッシックな味わいの中に、どこか遊び心が加えられていて、このお店を体現しているようだった。
一気にこの店への好感度が上昇する。
「豆を買って帰ろうかな」
この喫茶店はコーヒー豆を売っていた。
普段は手間がかかるためコーヒーマシンにしているが、ときには自分で淹れることもある。
思わず買って帰りたくなるような好みの味だった。
それからしばらくしてオムライスも食べ終わり、残されたコーヒーを味わっているところに学校の制服姿の寧々ちゃんがやってくる。
リボンを忘れた日以来、寧々ちゃんは俺が貸したネクタイをずっとつけていた。
「お待たせ。あれ、新さんもう食べちゃったの? 早いね」
「ゆっくり食べるつもりだったんだが、美味しくてつい」
早く食べたことを言われてちょっと恥ずかしくなった俺は、頭をさすりながらいう。
「良かった。満足してくれたみたいで嬉しい」
寧々ちゃんが胸をなでおろしながらこたえる。
「お、寧々ちゃん良かったねえ。自分が作ったオムライスを一ノ瀬さんに褒めてもらって」
「て、店長! ちょっと!」
寧々ちゃんの後ろからひょっこりと月見さんが顔を出す。
「なんで隠してるのお? 自分で作ったー、ってボクだったらすぐ言っちゃうのにい」
月見さんは首を傾げなら寧々ちゃんをみる。
寧々ちゃんは顔を赤くして黙ったままだった。
「これ、寧々ちゃんが作ったのか?」
「う、うん……。レシピはこのお店のだけど……」
「すごいじゃないか! 玉子の焼き加減とか俺には真似できそうにない」
レシピがあっても作る人の腕次第なので素直に感心する。
「ですよねえ。うちはウェイターとシェフのどっちもしたいって子には両方教えるようにしてるんです。まあ可愛い子に料理作ってもらえたらそれは格別ですからねえ。最近はコーヒーの淹れかたも教わりたいって言ってたけど、その意味が今日わかった気がするなあ」
「……店長」
「おおっと、また喋りすぎたみたいだねえ。お邪魔してすみません」
ぷくっと頬を膨らました寧々ちゃんが月見さんをにらむ。
すると月見さんは流れるように去っていった。
そして、ようやくテーブルへとついた寧々ちゃんだった。
「あの寧々ちゃん」
「ん?」
「どうして横に座ってるんだ? 向かいの席が空いているはずだが」
テーブル席なのになぜか俺の横に座っていることを尋ねる。
黒と赤の綺麗にのびた髪が俺の肩に触れそうな距離にあって、料理とは違った甘く優しい匂いがする。
「あ」
言われた寧々ちゃんは恥ずかしそうに両手で顔を抑えていた。
この反応は無意識だったのだろうか。
俺の家ではいつも隣に座っているからその名残ということか?
「ごめんなさい、移動するね」
立ち上がろうとしたそのとき。
「お待たせしました。ナポリタンとクリームソーダです」
退勤する前に頼んでいたのであろう寧々ちゃんの料理が運ばれてきた。
移動するタイミングを失った寧々ちゃんはそのまま俺の横でご飯を食べることになったのだった。
そこから寧々ちゃんがアルバイト入りたてのときの話を聞いたり、月見さんのとんでもエピソードを聞いたりして、落ち着いた店内で楽しいひとときを過ごすことができた。
◇ ◆
日が落ちて、青と橙の二層になった夜の境目。
そんな空の下を俺と寧々ちゃんは歩いていた。
『ちょっと遠回りして帰ろ』
そう誘われて、店から駅までの距離を通常よりも時間をかけて進む。
「寧々ちゃん、今日はお店にお邪魔させて貰ってありがとう」
改めて俺はお礼をいう。
「こちらこそ、来てくれてありがと」
「料理も美味しかったし、月見さん癖はあるけどいい店長だった。とってもいい店だな」
「うん、寧々の自慢のバイト先なの」
どこか誇らしそうな顔で寧々ちゃんは笑う。
自分の職場を褒められるのは嬉しいことなのだろう。
あれからだが、月見さんは二人分の食事を無料にしてくれたのは驚いた。
お会計を対応してくれて、もう一度お礼を言ったら、
『今日はいいもの見れたから、気にしなくていいよお』
と、こちらに恩を着せることなく返してくれた。
だから俺は多めにコーヒー豆を買って、少しでもお店に貢献するのだった。
「新さんみて」
俺は寧々ちゃんに声をかけられて顔をあげる。
気がつけば川に掛かる橋の上を歩いていた。そこから抜けるように広がる空の綺麗なグラデーションが目に映る。
「良い景色だな」
「でしょ? だから寧々はわざわざここ通ることがあるの」
それに、と寧々ちゃんはひと呼吸はさんで続ける。
「――ここは新さんと寧々が初めて会った場所だから」
どことなく見覚えのある景色に記憶がよみがえってくる。
しかし、あの日は深い夜だった。
「初めて会ってから、もうそろそろ三年経つんだよ。早いね」
「ああ、そうだな」
あの日からもうすぐ三年か。
「あの日のおかげで寧々はこうしていられるの。学校もアルバイトも楽しんでるよ?」
「その感じは伝わってくるよ」
朝にご飯を一緒に食べながら話している会話の中の寧々ちゃんはいつも人に囲まれて楽しそうだ。
「新さん、ありがと」
真剣な目をした寧々ちゃんが俺に向き直っていう。
「どうしたんだ急に」
「ううん、言いたくなっちゃっただけ」
俺たちの間に沈黙が流れる。そこからしばらくして歩き出す。
他愛もない会話をしているうちに駅に到着した。
「あ、もう駅に着いちゃった」
「遠回りをしたのに早かったな」
「ふふ、そうだね」
俺のひとことに寧々ちゃんが微笑む。
「じゃあ寧々ちゃん、また」
「新さん、ばいばい」
寧々ちゃんが手を振って去っていく。
その後ろ姿をみてなぜか、追いかけないといけない、そんな気持ちになって手を伸ばす。
当然のように手は空中をさまよった、居心地の悪くなった手を引っ込めて俺も家に帰ることにした。
次の日、寧々ちゃんが家に来ることはなかった。