第1話 その結婚ちょっと待ったされたんだが
「その結婚ちょっと待った!」
結婚式の真っ最中。
チャペルに似つかわしくない大声とともに木製の扉が勢いよく開かれた。
神父から定番の問いかけのあと。
新婦がお決まりの『誓います』という返事をする直前。
狙い澄ましたかのようなタイミング。
突然の出来事にその場にいる全員の視線が当事者の青年に注がれる。
なんだこれは。タチの悪い余興か?
席に座って現場を眺めているだけなら俺も少しは楽しめたのかもしれない。
だけど俺は新郎として祭壇に立っている。
花嫁略奪される側というのは、冗談でもたまったもんじゃないな。
シンプルに気分が悪い。
この余興は俺の数少ない友人の仕業ではないようだ。
冗談でもこんなことをするやつを俺は知らない。
となると、姫乃さんのご友人だろうか?
隣にいるウェディングドレスをまとった彼女は藤咲姫乃さん。
俺の婚約者だ。
彼女とは三年前に姫乃さんの妹さんがきっかけで知り合った。
それから先方の両親に気に入られ、俺を姫乃さんの婚約者にしたいとの申し出があった。
姫乃さんの父親である誠司さんは日本でも有数の大会社、藤咲グループの社長だ。
藤咲グループは世襲制で代々男性が跡を継いでいる。
しかし、男の子宝に恵まれずに困っていた。
そこで俺に白羽の矢が立ったわけだ。
父親同士が見知った顔だったらしく、あれよあれよと話は進んだ。
その時に初めて父親からお褒めの言葉を頂いたことを覚えている。
それ以来、あの人は俺と彼女の関係が良好かを逐一確認してくるようになった。
横目で彼女を見る。
姫乃さんは両手で口元を隠して驚きを隠せない様子だった。
「湊くんどうして……」
小さく漏れ出た声は震え、瞳には涙を浮かべていた。
姫乃さんもこの余興については知らないようだった。
まさか、これは余興じゃないのか――。
俺がそう思い至っているなか、青年はレッドカーペットを駆け上がってきた。
つい先ほど彼女が父親とともに厳かに歩いてきた道を踏みにじるかのように。
余興だと思っているのか、はたまた呆気にとられているのか、誰も止める気配はない。
「なんだ君は、結婚式の最中だ」
俺は一歩前に出て青年の前に立ちはだかる。
もしこれが物語なら完全に俺が悪役か当て馬だよな。
婚約者なら当然の行動をとっただけなのに、なぜかそんなことを考えてしまう。
「悪いが俺は姫乃に話があるんだ! そこをどいてくれ!」
「姫乃さんに話があるなら後にしてくれないか」
「いいや、今じゃなきゃいけない話なんだ!」
人の話を聞けない様子と場をわきまえない態度で思い出した。
彼はたしか、俺と姫乃さんとの食事会のときに『あんたに姫乃はふさわしくない!』と啖呵を切ってきた青年だ。
たしか、海野湊といったかな。
姫乃さんが大学時代に知り合った友人らしく、いまでもグループで遊んでいるのだとか。
あの時も苦労させられたけど今回は結婚式だぞ。
一体なにを考えているんだ?
「湊くんどうしてここに来たの!」
腰のあたりに強い衝撃が走る。
あれ、姫乃さんに押し退けられた? え、俺が?
「どうしてって……、姫乃のこと迎えに来たに決まってるだろ?」
「だって湊くん、瑞稀ちゃんとデートのはずじゃ……」
「それがさ。俺ずっと浮かない顔をしてたみたいでさ。今日姫乃の結婚式があるって言ったら。瑞稀に、何してんのよ! さっさと迎えに行きなさいよ! って怒られちまった」
へへっ、と照れながら頬をかく海野。
この男、女の子とのデートしてたのを放り出してここに来たのか。
来る方も来る方だが、見送る方も見送る方だ。
「瑞稀ちゃんらしいね……」
「だろ? ほんとあいつには助けられてばっかだ。そんで無我夢中で走ってるときに姫乃のことばかり頭に浮かんでさ。気づいたんだ、これが真実の愛だってさ」
真実の愛?
何言ってるんだこいつは。
そんなこと寒いことを言われて姫乃さんもさぞドン引きして――
「湊くん……っ」
引いていない!?
頬を赤らめてむしろ喜んでる!?
「――好きだ姫乃。俺と結婚してくれ」
青年が取り出したのはオモチャの指輪だった。
「それは……っ!」
「ようやく思い出したんだ。君があの日結婚を誓い合った女の子だったってことに」
「あの日、私があげた指輪……。今も持っててくれてたんだね」
「当たり前だろ? 忘れるわけない」
いやいや、さっきようやく思い出したって言ってただろ。
俺はなにをみせつけられているんだ?
「いい加減にしてくれ。今は俺と彼女の大事な日、結婚式だぞ」
辛抱たまらなくなった俺は冷静に言い放つ。
返ってきたのは予想外の方向からの反応だった。
「新さんっていつも冷静ですよね。花嫁が奪われそうになっているのに声を荒げることもしないですし。愛が伝わってきません」
なぜ俺が責められているんだ?
「やっぱ姫乃の言ってた通りの男だな、ロボットみたいでなに考えてるか分からねー」
「なんだと……?」
「初めの頃は顔はかっこいいなって思ってましたが、表情も乏しくて感情表現が豊かじゃないしおまけに身長も高くて威圧感あって怖いです。あなたみたいな人より湊くんの方が愛嬌があって喜怒哀楽の感情が豊かで、はっきりいって彼の方が一緒にいて楽しいです」
たしかに俺は昔から近寄りがたい雰囲気があると言われていた。
背も高く、三白眼だ。印象を少しでも和らげようとメガネをかけてるが、どうなのだろうか。
学生時代は遠巻きにひそひそと噂話をされることも少なくなかった。
目の前の青年、海野はぱっちりとした二重で人懐っこそうな顔立ちをしている。
身長もほどよくて怖がられることはないだろう。人に道を聞かれる経験も多そうだ。
ちなみに俺は人に道をたずねられたことはない。
たずねたら逃げられたことならあるが。
それにしても散々な言われようだ。
感情を出すのが下手なだけで感情がないわけじゃない。
さすがに悲しくなってきた。
褒められている彼はどこか得意げだ。
「姫乃どうかな? この指輪を受け取ってくれるか?」
「――はい、喜んで」
返事をきいた海野は姫乃さんの左手の薬指に指輪をはめた。
そして指輪をうっとりの眺めながら姫乃さんは呟く。
「きれい……」
「姫乃の方がずっと綺麗だぜ?」
「湊くんったら! もう!」
衝撃で動けない俺をよそに、二人だけの世界は進んでいく。
「じゃあ、行こうか」
「湊くんちょっと待って」
海野が手を引いていこうとしたそのとき。
姫乃さんは立ち止まってこちらを向く。
「最後に新さん、こちらはお返しします」
手渡してきたのは、俺が以前渡した婚約指輪だった。
これは母から受け継いだ指輪だ。
それを返すというのは本気なんだろう。
あのとき喜んでくれたのは嘘だったのだろうか。
胸が痛い。
「そして、婚約破棄いたします」
言葉がでてこない。
そうか。俺はまた、選ばれなかったんだ。
「あ! あの男だ! 見つけたぞ!」
開かれた扉から警備員が数人あらわれる。
その事態でやっと余興ではないことに気づいた式場が騒然とする。
「早くここから逃よう!」
「ええ、あなたとならどこまでも!」
海野は姫乃さんの手を引いて出口に向かって走り出した。
警備員を突き飛ばしながらも二人は進んでいく。
二人の頭にはドラマのエンディングのように、疾走感のある音楽が流れていることだろう。
祭壇にひとりみじめに残された俺は、去って行く背中をみることしかできなかった。