クリスタルに口づけを
石と誰かの物語です。
私たちはもう四年目に入る。
給料も知ってるし、あなたに貯金がないことは百も承知よ。
でもね、でも一つ言わせて。
見たのよ、昨日デパートでアクセサリー売り場で女性と買い物してた。
初めはお姉さんか、妹か、あるいは百歩譲って従妹かと。
でも、翌日も見たの。会社近くで二人で食事していたわ。毎日家族と食事したり買い物したりしないでしょ。私は取引先へ新しい見積書を届けに課長と一緒。食事に入ったレストランで奥に座ってる二人。あなたと向かい合ってる彼女は前日にピアスを選んでいたあの人。
せっかく課長がおごってくれたトンカツも思わず胸につかえそうになったわ。
「うまいな」
「・・・はい」
盛り上がらないのは悪いと思ったけど、奥の二人が気になって。課長は大口の新規契約できたからすこぶる機嫌がいい。普段のワンコインランチと違って満足そう。二人が楽しそうに会話しているのを見ると、だんだんカッカしてきた。
なんなのよ、あの雰囲気。私と食事してもお互いが週刊誌や漫画を開いて黙々と食べるのに。初めのうちは楽しくおしゃべりしていたのに、もうはるか昔のような気がしてきたわ。
そうよね、彼女は高いヒールを履き、その体にフィットしているブラウスは高そうだわ。そのチェックはあのブランドね。バッグはロゴ入り。はい、知ってるけど私はボーナスはたいてそれを買うことはないわ。
「どうした、具合でも悪いのか」
「いえ、大丈夫です。花粉症です」
「そうか、僕はもう一つ寄るところがあるから。君は先に会社に帰ってくれていいよ」
「はい、わかりました。今日はありがとうございました」
「おう、おごるなんて滅多にないからな。じゃお先に」
さて、このままここにいても仕方がないわ。外に出るとウインドーにうつる自分の姿。リクルートみたいに紺のブレザーにグレーのタイト。薄いピンクのカッターシャツ。面白くもなんともない無難な格好。ネイルもしないツンツンに切った爪。指輪もない。耳には母からもらった18金の小さなイヤリング。
「あーあ、なんなのよ、これがアラサーのイケる女?」
いいの、これでも仕事はできるんだから。
さて、会社に着くとメールの着信音。
「今日は会える?」
と、送信した朝のメールに返信。
「無理、明日から日曜日まで出張で大阪だから。帰ったら連絡する」
「了解」
ふーん、大阪に行くのか。
『昼休みは楽しかったでしょ』
と送りたい気持ちを抑えてケータイを握る。いろいろ考えても会社に戻ると仕事が山積み。仕事に没頭していく。
あっという間に六時を過ぎる。
「帰らないの?」
みんなが帰るけど、今日の予定がない私。仕事を片づける。
「おいおい、残業はもうよせよ」
そうね、みんなに言われるまでもない。机のファイルを片づけてるとふいに涙がこぼれてきた。それほど気にしていると思いたくない。あいつのことなんかそんなに考えてない。くそっ、もう腹立つ。飲んで帰る。親父だわね。この感覚。
会社を出ると、いつもの喫茶が赤ちょうちん? そうか、夜だけ居酒屋に貸してるのか。
「いらっしゃいませ」
予想に反して素敵な女性。年齢は私くらい? アラサーか。
「お腹すいてるの」
「では、ピーマンの肉詰めなんかはいかがですか」
「へえ、おいしそう」
「ええ、和風にしているのでさっぱりですよ」
付きだしのサラダもミョウガが入っていい感じ。
「お飲み物は?」
「生ビール。ジョッキでちょうだい」
「はい、かしこまりました」
よく冷えたビールが何とも心地よい。バットに並んだピーマンを三つ取出しフライパンに。いい匂いがしてくる。目の前の鉢にはこんにゃくとごぼうのきんぴら炒め、ブリのアラ煮。筍の土佐煮。どれも好みだわ。
「このきんぴらもください」
「はい」
ピーマンに大根おろしと大葉をトッピングして酢醤油の小皿が出される。
「わあ、あっさりして美味しい」
「そうですか、嬉しいです」
「このお店はいつからですか」
「もう二週間です。幸い、夕方には帰る前にちょっと腹ごしらえに寄ってくれます」
「そうなの。知らなかった」
「ええ、どうぞごひいきに」
「うん、今度から寄るわね。でも、前からこういう仕事されてたの?」
「いいえ、ごく普通の会社員でした。でも、仕事もいいけど机上だけではやる気がどんどん失われてしまって。ちょっと顔が見える仕事がしたいなと。それでも資金が貯まる前に賃料はあがるし、とても手が出せないので、夜だけマスターに借りてるんです」
「そうなの。わかるわあ」
「あら、そうですか」
「そうよ、私だって特技があればなあ」
「そんな、特技というほどのことではないんですけど、母が小料理屋をしていたので、見よう見まねで」
「あら、お母さんも店を? どこで?」
「もう亡くなりましたが神楽坂で」
「あなたのお母さんならまだお若いでしょう」
「ええ、五十七でした。もう六年になります。父はどこかで生きてると思うんですけど。随分前に離婚したから」
彼女の料理はどれもおいしくて、ビールが進む。話も押しつけがましくなく感じがいい。
「これは今朝作ってみたんですけど、いかがですか。サービスです」
「この魚はなあに?」
「ニロギというんですけど、酢漬けが美味しいんです」
「あら、ほんと。今日はくさくさしてたけど美味しいものを食べると忘れるわ」
「そうですよ、胃袋が満たされると、人は幸せになるって母が言ってました」
「そうね」
そう言いながら涙がポトリ。
「明日はここは休み?」
「この一カ月は休みなしです。ちょっとマーケットリサーチといいますか、この町ではどの日がどういう動きをするのか見極めようと思いまして。それから定休日を決めます」
「そう、明日も来ちゃうかも」
「ぜひどうぞ。お待ちしてます」
入れ替わりに残業帰りなのか、男性が三人入って来た。
「みっちゃん、こんばんは」
みっちゃんって言うのか、知らなかった。
やっぱり仕事だけではだめだな。こうやって会話をするとどこかで気持ちが落ち着くもの。
ケータイが鳴る。
「おーい、大阪もいいぞ」
「あら、どなたかと思ったら。お元気でした?」
「なんだ、その嫌味な言い方は」
「いいえ、いつも通りですわ」
「いいものを買ったんだ」
「そうですか、それはようございました」
「ちっ、何怒ってるんだよ。仕方ないだろ、出張なんだから」
「そうですとも、お仕事たっぷり人間ですものね。何をお求めになりましたの」
あの二人の姿が目に浮かんでくる。ビールで怒りのスピードも上がる。
「ちょっとなんだよ、せっかく電話してるのに」
「私も仕事してまして、今会社に一人ですの」
「残業してるのか。帰りは気をつけろよ」
「ええ、どうせ、誰にも襲われる危険もないアラサーですから」
「はあ? 誰もそんなこと思ってないぞ」
「あ、社長が。ではごめんください」
切った。
くーっ、嫌な女の見本だわよ。
ピンポーン。
こんな朝早く誰よ。
のぞき穴から見る。目と目が合う。
「どうしたの、大阪ではないの?」
「帰ってきたよ。また、午後の便で行くよ。全く。なんだよ。一体」
そう言いながら、どんどんと部屋に入ってくる。
「ここに座って」
「はい」
「何があったのさ」
「何にも」
「嘘つけ。言ってみろよ」
「見たのよ、二日続けて見たの。それだけよ」
彼女と仲良くデートしたり、ランチしたり。腹を立ててないわと言いながら、ぐちぐちと言い続けた私。
彼は顔面がくしゃっとなるくらい笑い出した。破顔一笑とはこういうことか。
「あの人は姉の友だち。クリスタルクオーツを使ったデザインしてる人。いわゆるデザイナー。プレゼントに何がいいか聞いたらデパートで展示してるって言うから。見に行ったのさ。指輪もあるって」
話がつかめない。きょとんとしていると、彼は続けた。
「とてもダイヤは買えないけど、ハーキマーならと思って」
「ハーキマーってなあに」
「あのね、ドリームクリスタルともいうのさ。鉱物学的には水晶だけど、エネルギーを持ってて、バランスを整えるんだって。受け売りだけど」
「これさ」
小さな箱に可愛いリボン。
「あけてみて」
「わあ、きれい」
大きなハーキマーダイヤの周りに小さなルビーが付いている。まるで花飾り。
「どうですか?」
「素敵、本当に素敵」
「旅行資金は貯めたんだけど豪華な指輪までは貯まらなかった」
左の薬指にはめてくれた。
ハーキマーダイヤ。
うわーん、そのあと飛びついたおかげで、彼は机に頭を強打し後頭部にたんこぶを付けて大阪へ行った。
私たち、あの居酒屋で披露宴します。
もちろんみっちゃんのウエディングケーキが出ます。