第十八話 ~ エマの書 ~
第十八話 ~ エマの書 ~ 序章
ゲルマニア帝国の帝都ヴァ-レのゲルマ宮殿は蜂の巣を突っついたように混乱していた。
宮殿の正門から中心部の神殿まで真っ直ぐに伸びた破壊の後は凄まじく帝国の歴史上かつてこれほどまでのダメージを受けたことは無い。
これがたった一人の人間の仕業とはとても思えまいが、大賢者の一撃によることは疑いのない事実である。
しかし、これほどの破壊であっても死者はおろかかすり傷程度の怪我人すら殆どいなかった、代わりに丸裸にされた者たちが目立った。
大破壊の瓦礫の中を裸の者がコソコソと動き回るという実に不思議な光景が広がっている。
この事件以降、大賢者はゲルマニア帝国では本来とは別の意味での恐怖の象徴となった。
祭殿に多くの神官たちが集まっているが扉は固く閉ざされこの中に入ることは許されない。
中の状況は全く分からず、マキシミリアン皇帝と大賢者がいる事しか分らない。
神官たちが手を拱いていると突然に祭殿の扉が開く。
そこからマキシミリアン皇帝が出てくる。
どよめきながら駆け寄る神官たちにマキシミリアンは命令を下す。
「大賢者殿はお帰りになられた」
「大賢者殿と余の盟約により全ての戦闘を中止する、即急にガリアには停戦の使者を出せ」
「兵は全て引かせよ」
「今言ったことは直ちに実行せよ!」
とマキシミリアンが言うと周り控えていた神官たちが一斉に動き出す。
神殿から正門まで真っ直ぐに伸びた破壊の後を見てマキシミリアンの口元に笑みが浮かぶ。
「この監獄から余を解き放つ道か……」
マキシミリアンの命によりこの破壊の後はそのまま残され整備された後に"大賢者の参道"として後世に受け継がれる事となる。
(マキシミリアンは大賢者専用の通路としてこれを残したのである)
跡形も無く破壊された宮殿の正門を見て笑みを浮かべるマキシミリアンの表情には呪縛より解き放たれた開放感が溢れていた。
神殿の片隅では大賢者との戦いに敗れ、気を取り戻したレオンが折れた剣をジッと見つめていた……。
そして……
"ふっ……ふっふふふ……"レオンは小さな声で笑うのであった。
その表情から迷いは消え去り、実に晴れやかであった。
第八十話 ~ エマの書 ~
村に帰ってきたマノンは困惑の連続だった。
自分は大賢者として誰もが知る有名人となったいたうえ、性別も初めから男ということになっている。
帰ってきてすぐにガリアの王女様に抱きつかれ、涙まで流されて帰りを喜ばれた。
町を歩けば会った兵士全員に敬礼をされ、村の若い娘には愛の告白される……。
(この場合の告白は"交わりの儀"の申し込みであり、"私と子作りして欲しいです"と言う意味である)
当然……そのたびにレナは不機嫌になる。
家に帰れば、両親ですらマノンの事を大賢者様と呼ぶ有様である。
妹のイネスにも自慢のお兄ちゃんと呼ばれ、仲の良かったクロエに至っては顔を見ただけで真っ赤になって逃げだす始末……。
どうやら、爺が"イリュージョン"を村全体に発動させたようだった。
何度となく爺に問いかけるが応答がない……きっと、何か事情があるのだろう。
私の過去を知るものはレナだけだった、レナだけがマノンの心の支えとなっていた。
レナだけが昔と同じように話が出来る相手だった……。
しかし、レナの心に大きな変化があることにマノンはまだ気が付いていない。
ようするにマノンは元女子であるにもかかわらず女心に極端に鈍いやつなのだ。
そんなマノンが心配でならないレナであった……。
当然、何が心配なのかマノンは全く気付いてもいない。
(あれから爺は、だんまりを通しているが何かしらの理由があることはわかってるつもり)
そんな中で十数日が過ぎた……。
王都からの使者が戦いの終結を知らせに村にやってくる。
戦争が終わり村がいつもの平穏を取り戻しつつあった。
とある日、シルビィとアーネットが数名の騎士をつれてマノンを訪ねてきた。
「大賢者様はおられますか?」
「今日は、大賢者様にお話があって参りました」
と何かしら改まったようにアーネットが言うと
「立ち話もなんですから……」
対応に出たイネスとの会話が聞こえてきたので私は居間の方に出で行くと
「大賢者様っお久しぶりです」
と嬉しそうにシルビィが挨拶をする
「実は先日、王都より使者が参りまして」
「父がどうしても大賢者様にお目にかかりたいと申しております」
「ぜひ、私どもが王都に帰還する際にご同行願えないでしょうか?」
「これは、国王陛下からの招待状にございます」
私は、アーネットから招待状を手渡された。
「私も父に大賢者様の事を紹介したく思います」
「出来ればご家族様もご一緒にいかがでしょうか?」
と嬉しそうにシルビィが言う
「家業の事もあるので一度、両親に相談してみます」
と私は言うと
「そうですか……後日、お返事を伺いにまいります」
「我らは二日後に王都に帰還いたします」
そう言い残すと挨拶をして帰ろとするアーネットに
「あの・・・・・・トルス騎士団は、今何処にいるのでしょうか」
私は、ずっとセシルの事が気になっていたのだった。
ア-ネットは少し考え込むと……
「確か……住民の避難誘導の任でバイヨンと言う町に待機しているはずですが」
「現在の状況など、詳しいことは存じません」
そう言うとアーネットは
「何か、気がかりな事でもお有りですか?」
私に問いかける
「私の知り合いの者が今期の騎士登用試験に合格しトルス騎士団にいるもので」
私が少し心配しているかように言うと
「……あっ!、聞いております」
「女性で騎士の登用試験に合格する者は極く稀ですので」
「私達、女性騎士にとっては本当にうれしい事なのです」
そう言うアーネットの表情は本当に嬉しそうだった
「それに、試験当日に一騒動あった事も聞き及んでおります」
アーネットは私を見てニヤリと笑った
「そっそっ、そうですか」
私はアーネットの意味ありげな笑いに、これ以上は何も言わない方が良いと思うのだった。
以前から気になっていたが、このアーネットと言う女騎士は何か不気味だ。
体格はイネスとほとんど変わらない、とても騎士には向いているとは思えないのだ。
かと言って別段に容姿が優れているわけでもない。
アーネットには大変失礼だが、ハッキリ言って黒髪の童顔でオマケに寸胴、そんなに美人でもない。
そんな者が王女のお付きなのだから、アーネットには何かとんでもない特殊な能力があるのではないかと私は以前から思っているのだ。
シルビィとアーネット達が帰るのを見送り家の方に振り返ると
私を見ながらニヤけた顔したイネスが
「お兄ちゃんっ……モテモテだねぇ~っ、妹としても鼻が高いよっ」
「でっ、どうするのっ、王女様のことっ!」
とイネスが聞いてくる。
「どうするって? 何の事??」
と私が真顔で言うと
「お兄ちゃんっ! 鈍すぎっ!! もうっ!!! 今の正式な両家顔合わせの挨拶だよ」
「招待状までもらっちゃたし……」
とイネスが呆れたかのように私を見て言う
「へっ? 何の事??」
私は訳が分からずにボケ~ッとしている
そんな、私を見てイネスがため息をついて言った。
「お兄ちゃんっ! 王女様と儀の礼(子作りの約束で婚約に近い)する気がないなら」
「ちゃんと断ったほうがいいよ」
「さっきの言い方だと家族(両親)の了承があればOKって思われても仕方ないよ」
とイネスは説教するように言った
「げっ!儀の礼っ! 何でそんなことになるのっ?」
「大体、身分が違いすぎるよっ! 私はただの農家の倅だよ」
「王女様から義の礼なんてありえないだろっ!」
と私は焦って言うと
「あのねっ! お兄ちゃんっ!! お兄ちゃんは"大賢者様"なのよっ!!!」
「その名の前だと身分の差なんて霞んじゃうよ」
「その辺のことお兄ちゃんは全然っ分かっていないのよねっ!」
「あ~あっ……レナちゃんが気の毒で仕方がないよ」
と言いながらイネスは何処かに行ってしまった。
※……この世界は我々の言う一夫一妻制はない、平均寿命も五十年に満たず疫病などの病や飢饉や戦乱などで早期に相方を失う事は多く共に終生を添い遂げられることはそう多くは無い。
甲斐があり当事者同士の了承があれば一夫多妻、一妻多夫、多夫多妻も普通であり、殊に王侯貴族など上流階級では子孫を残し家督を継がせるために常識となっている。
但し、第一親等同士で子をもうけるのは"禁忌"とされているが生まれた子に支障が出ることはない。
何故なら遺伝子学的に99.9%共通して我々とは違い、この世界の住人の遺伝子共通率は80%に満たないからである。
つまり、この世界の観念から言えばシルビィにとってはマノンに妻や恋人が居ようが血のつながった縁者であろうが気にならないのである。
政略結婚などではなく王族が自分が好いた人と自らの意思で結ばれること自体が立場的に見てもかなりの幸せと言える。
因みに、ガリア王は17年前の死熱病で妻と二人の息子を失っており、現在はガリア王には後妻(側室)との間に出来た一人娘シルビィ王女のみで王国の世継ぎ問題は世間に広く知られている。
最後にこの世界に我々の想像する結婚と言う概念は無い、共に生活をし子供を育て子孫を残すための生活体制の一つに過ぎないのである。
片親だけでも子供を育てて行ければ共に生活する必要はないし、子供も両親と生活を共にする必要もない、特に王侯貴族ではこのような傾向が強い。
とりあえず、私の立場を一番理解しているレナに相談してみよう……。
などと考えた私が愚かだった。
彼此、一時間以上も私は説教をされている。
「わかってるのマノンっ!」
「イネスちゃんの言う通りよっ! 鈍感にも限度があるわよっ!!」
正座させられながら、美人は怒ると怖いというが本当だと私はしみじみと思った。
それにしても、あの優しくて女神のようなレナがここまで怒るなんて想像もしていなかった。
一通りのお説教が済んだからレナのお怒りも少しは収まったように思えたので私は素朴な疑問を投げかけた。
「あのっ……。レナさん……どうしてそこまで怒るの?」
と何気なく聞いたとたんに……和らいでいたはずのレナの表情が再び鬼神のように変わっていく
「ひえ~っっっっ!!!」
それから……更に数時間の説教を食らうのだった。
ヘトヘトになり何とかレナから保釈され家に帰り付く。
夕食のときに今日あったことを両親に話すと農園の事は気にせず、おまえの好きなようにしなさいと言われた。
私にはどうしても一つだけやっておかなければならない事がある。
それは、ゲルマニア帝国の祭殿でエマさんが成仏する時に私に託した願い…。
その夜、私はこっそりと家を抜け出し魔法工房へとやってきた……。
工房に入ると真直ぐに書庫へ行く。
多くの本の中から一冊の本を探し出すのは苦労したが、エマさんの言っていた本を探しだした。
そんなに大きくも分厚くもないごく普通の本だった。
「これがエマさんの言っていた科学の本なのか」
「本を開いても何も書いていない」
「あれっ?」
と私が戸惑っていると
「ひさしぶりじゃな、お前さん」
といつもの声がした。
「爺っ! 聞きたいことが山ほどあるんだっ!!」
と爺に強く言った。
「まぁまぁ、落ち着け……この本はな隠し文字で書かれている」
「心を落ち着けてエマの声を思い浮かべてみよ」
と爺が言うのでとりあえずエマさんの声を思い出す
「あれっ、文字が浮かび上がってきた」
「表紙には"魔法を科学する"と書かれている。」
私が本のタイトルを読むと
「エマらしいの、科学とはな」
と爺が懐かしそうに言う
「科学って何???」
と私が問うと爺のウンチクが始まった…。
科学とは、世の理を理論的に実証する手段、一定領域の対象を客観的な方法で系統的に研究する活動とその成果と内容……らしい……。
私には難しくて良く分からないが、魔法と同じような現象を魔法に頼らずに人の手で起こすための方法、理論などだそうである。
私は、要するに魔法を使えない普通の人にも魔法と同じようなことが出来る方法を書いた本ということだと理解した。
「凄いっ! 凄いよっ! エマさんっ!」
と私は感動してしまった。
「といっても、限定的じゃぞ……あくまでもほんの一部にすぎん」
と爺が私の感動の鼻先をへし折るようなことを言う
「爺っ…」
「それより、なんだよ私の事を目一杯に捏造して」
「周りから大賢者様の扱いされて大変なんだぞっ」
「それに、どうしてレナだけ全て知ってるんだよ」
と私は爺に問い質すと爺の様子が変わった
「わしの勝手だが……お前さんには、わしの後継者になってもらいたい」
「お前さんほどの魔法の才能を持ったものはそれこそ三百年に一人」
「その力を役立ててほしいのじゃ……」
「レナちゃんは既に感付いていたから全てを話したまでのこと」
「後々の事を考えたら、お前さんのためでもあるし……」
「言っておくが……わしが指輪を嵌めたのは右手のひと指し指にじゃからな」
「それにあの指輪は、記憶操作魔法からレナちゃんを守るための物じゃし」
と爺は真剣に言う
「えっ! でも左手の薬指にしてたよ」
「それにお守りなら他の物にしろよっ……指輪なんかだと勘違いするよっ」
「それに、大賢者様の後継者って……」
「本気……私に、いくら魔法の才能があっても私には無理だよっ」
と私が爺に抗議すると
「あれは、レナちゃんが自分で左手の薬指に嵌め変えたみたいじゃ」
「常時身に着けるもので確実なものは指輪が適切だと思ったからで他意は無いし」
「レナちゃんにはちゃんと説明もしてある」
と爺が言う。
「指輪はレナが間違えて嵌めたんだね……」
「なんだそうだったのか……」
何故かここで私は納得してしまった。
ここで何の疑問も持たなかったことが、後に地殻に達する程の深い墓穴を掘ることになる。
「お前さんを後継者に選んだ最大の理由はな……」
「己の欲や謀などと無縁の脳味噌をしておるからじゃ」
「要するに能天気じゃから変な道には進まないとふんだからじゃよ」
と爺は言い放った。
「酷いっ!それって酷くないっ!!」
「それって、私が脳タリンの極楽トンボっていってるの」
と私は爺に半泣きで訴える。
「まぁ……簡単に言えば……そういうことじゃな……」
と爺は私が脳タリンの極楽トンボだと思っていることを何の躊躇いもなくあっさりと認めた。
それから、私は本を手に家に帰ると直ぐに眠りについた。
爺は、これだけの悩みがあるのに床に入って二分もせぬ間に熟睡する私を見て一抹の不安を覚えるのであった……その時爺は思った……。
「こ奴……正真証明の本物の馬鹿なのでは……」と
第十八話 ~ エマの書 ~ 終わり