第156話 ~ 似て非なる者 ① ~
第156話 ~ 似て非なる者 ① ~
序章
王都ガリアンの表通りから少し外れた所にマノンに手紙を渡したロクサーヌの父フィルマンが経営するガラス工房"ルメール"はある
「やはりダメか……」
ひび割れの入ったガラスの器を見て呟く
もう半年近くも試作品を作っては失敗の連続である
「やはり、私では無理なのか……」
工房の床に座り込むと頭を抱えて大きなため息を吐く
疲れ果てたフィルマンの目には深い隈が出来ているのであった
王立アカデミーからの受注を受けてもうすぐ半年が過ぎようとしている
火を当てても割れないガラスなどという難しい受注を受けたのには理由があった
王室御用達という看板を掲げている体面、そして技術には自信があったからなのだが……
今は後悔しているというのが本当のところである
「かの大賢者の作られたガラスの器は火を当ててもヒビ一つ入らぬと聞く……」
「一体何が違うのだ……」
じつは、この難しい注文をフィルマンに出したのは王立アカデミーのバロー導師なのである
バローは"死熱病"の薬を自ら作ろうとしたがどうしても上手くいかなかった
ルシィの手記通りに何度やっても出来上がった薬は変色したり異臭がするのである
バローは何度も実験を重ね、その原因が生成に使っている器機であることに気付く
薬剤を加熱した際に金属の器では金属成分が薬剤と反応し変化してしまうのである
かと言って、通常使っているガラスの器では加熱すると割れてしまい用をなさない
困ったバローは王国一と言われるガラス工房"ルメール"に制作を依頼したのである
因みに、地球で耐熱ガラスが初めて作られるのは19世紀末のドイツである
この世界の時代設定が地球で言う12~13世紀であるから約700年後ということになる
フィルマンが如何に無謀な挑戦をしているのかうかがい知れる……
マノンがフィルマンと出会うのはこれより10日後の事である
第156話 ~ 似て非なる者 ① ~
マノンが早い朝食を取った後で薬学科の実験室へと向かう
既にマノンは導師候補生となっており一般の生徒と同じ講義に出ることはない
独自に薬学の研究を行いその成果を論文としてまとめ複数(3人以上)の導師に認められると修了となる
分かりやすく言えば日本の大学で言う修士課程にあたる
これを修了すれば正式に資格を得て導師となる事ができ、その修了には約二年を要するが能力により多少の差異がある
更にその上に日本の博士課程にあたる王国導師課程があり修了には三年を要する
王国アカデミ-では導師総代ジェルマン、王宮では宮廷医師のカミーユなどがそれにあたる
王国導師課程までを修了する者のはごく少数であり年に数人程度と言ったところである
マノンは薬学専門課程であるために薬学科の導師候補となっている
王立アカデミ-の大規模な組織改編後の現在では各科の専門課程に在籍する者の合計は28人である
その内、薬学専門課程の導師候補生はマノンを含め4人だけである
そして、その中で女性は1名だけである……
その紅一点が"ルイーズ・ルモニエ"である
身長165センチ、髪の毛は癖のある長い金髪で標準体型、容姿も標準的で見た目はどこにでもいる普通の女子であるのだが……
じつは、王都でも1、2位を争う大商人"セルジュ・ルモニエ"の一人娘であり"ルモニエ商会"の次期後継者である
性格は実直で堅実であり富や権力を振りかざす事はせず、ここ王都の金持ちの子息令嬢としては例外ともいえる程の立派な人格・性格の持ち主である
ルイーズのこの性格は強欲で強引な父のセルジュを反面教師とし形成されたものである
当然、王立アカデミ-への入学も一般入試を経てからこの薬学科の導師候補生となっている
そのために金や権力を目当てにすり寄ってくる連中を心底、軽蔑し嫌っている
自らが置かれた立場から王立アカデミ-でも親しい友を作らず一人でいる事が当たり前のようになっている
そんなルイーズにとっては、薬学専門課程の導師候補生に女子が一人しかいないというのは本来は理想的な環境なのであったのだが……
そこに自らの信念を脅かそうとしている者が現れたのだ
そう……"大賢者の弟子"と噂されるマノン・ルロワである
ルイーズが初めてマノンの事を知ったのは有名な"新入生代表の挨拶"ではない
マノンの受験時の成績である
同じ薬学科でもズバ抜けていたからであった
当初、孤独に講義を受けるマノンの姿にルイーズは共感を覚えその心象は非常に良かったと言える
しかし、日を追うごとにアカデミ-内でマノンの導師・生徒との接し方を見ていると……
"大きな力を持つ者は孤高して孤独であるべき……"
"軽々しく、むやみに他人と接するべきではない"
と言うルイーズの信念を脅かし始めたのである
これは、爺こと大賢者パトリック・ロベールにも言えることであった
時間が流れるに従い、次第にルイーズはマノンの事を嫌うようになっていくのであった
そして……その日、偶然にも同じ薬学科の実験室で2人っきりで顔を合わせることとなるのである
ルイーズの朝は早い、理由は人の少ない(寝坊助マノンがいない)時間帯に実験を行うためである
マノンはそこまでルイーズに嫌われているのであるが本人は全く気付いていない
しかし、その日は違っていた……
何とマノンが早朝から実験室へとやってきたのである
"えっ……なんで……"
ルイーズは早朝から実験室に入ってきたマノンに心の中で驚きの声を上げる
「あっ! おはよう……るっ……」
マノンは挨拶しようとしたがルイーズの名前が思い浮かばない
"何んなよ……この人……"
"4人しかいない人の名前もまともに覚えられないの……"
ルイーズの名前を必死に思い出そうとしているマノンを見て呆れるように呟く
「おはよう……マノン・ルロワ君……」
「どうも、初めまして……ルイーズ・ルモニエよ」
「今日は随分と朝が早いのね」
ルイーズは少し嫌味ったらしく言ったつもりなのだがマノンは何とも思っていないようである
"……こう言う人なのね……"
ルイーズは少し呆れたように心の中で呟くとため息を吐く
「こんなに早く来るのは初めてだよ」
私は後ろ頭を掻きながら言うとルイーズは目を細めている
「……ルイーズさんって何の実験しているの」
目を細めているルイーズに私が訪ねる
「弱った体を回復させる"滋養強壮剤"よ」
ルイーズは面倒くさそうに答えるとマノンを無視して実験を始める……
ルイーズが"滋養強壮剤"を研究しているのには訳があった
母のフェリシテが病弱で虚弱体質だからである、特に夏場の王都の暑さはフェリシテの体力を奪うのである
「マノン君は何の実験なの」
ルイーズにとっては嫌いな人でも大賢者の弟子、天才と噂されるマノンが何の実験をしているのか少しは気になるのである
「実験じゃないよ……」
「これは"エイペック"骨を使った"滋養強壮剤"だよ」
「シラクニアから来ている留学生にあげるんだ」
「寒い国育ちだから王都の暑さでヘロヘロにバテちゃっててね」
「もう少し多めに作っておこうと思って……」
私が薬の事を話しているとルイーズに様子が急変する
「"エイペック"骨を使った"滋養強壮剤"っ!!!」
ルイーズはいきなり大きな声を上げる
「えっ!!!」
私はルイーズの声に吃驚して振り向く
「どうしたの……」
私が振り向くとルイーズは目を見開いてこちらを睨むように見ている
「ごっごめんなさい……急に大声出しちゃって」
ルイーズは少し申し訳なさそうに言う
「その……"エイペック"骨を使った"滋養強壮剤"って効果はあるの」
ルイーズは真剣な表情で聞いてくる
「特に、疲労なんかで体が弱っている人には……」
私がそう言うとルイーズはこちらの方に急いで近付いてくる
「えっ……何々……」
ルイーズのあまりの勢いに私は後ずさりする
「マノン君っ! その薬っ!! 少し分けて欲しいわっ!!!」
「それなりのお礼はキッチリとするわっ!!!」
ルイーズは私のすぐ傍に来ると顔を近付け私の目をジッと見て言う
ルイーズの目は真剣そのものであった
「お礼なんか要らないよ……」
「でも……訳ぐらいを聞かせてくれるかな」
私がそう言うとルイーズは少し躊躇ったが訳を話し始めるのであった
「そういう事なんだ……」
「いいよっ! 多めに作るから持って行くといいよ」
私がそう言うとルイーズの表情が嬉しそうになるのがわかる
「どうせなら、一緒に作ろうか……」
私がそう言うとルイーズは小さく頷くのであった
ルイーズと一緒に薬を作り始める
「作り方は凄くシンプルで簡単だよ」
ルイーズは私の方をジッと見ている
「でも……"エイペック"骨なんてよく手に入ったわね」
「家の商会ですら手に入らなかったのに……」
ルイーズはそう呟くと"エイペック"骨の粉を珍しそうに見ている
「だったら"阿膠"もあったりするの……」
ルイーズは興味深そうに聞いてくる
「ルイーズさん……"阿膠"の事を知ってるの」
私は少し驚いたように言うとルイーズが意味ありげに微笑む
「あるなら……譲って欲しいわ……」
「当然、十分な報酬は払うわ……」
ルイーズはニヤリとすると私の顔を覗き込むように言う
「……あるには……あるんだけど……」
私は"阿膠"が乾燥・熟成するまでに1ヶ月近くかかる事をルイーズに説明する
「そうなんだ……そんなにかかるんだ」
ルイーズは残念そうに言うのであった
「こんな事を聞くのは良くないかもしれないけど……」
「ルイーズさんのお母さんってどこが悪いの」
私がルイーズに問いかける
「……」
ルイーズは何も言わずに暫く黙り込んでいたが母が病弱で虚弱体質であることを話し始める
「そうなんだ……」
私がそう言うと爺の声が何処からともなく聞こえてくる
"母親思いの娘じゃのう……"
"ここは儂が少し力を貸してやろうとするかのう……"
爺はこの手の話には黙って見過ごせない性格である事を私は良く知っている
"わかったよ……"
私は爺に返事をすると爺が大賢者秘伝の薬の材料と調合法を話し始める
それを聞いた私はルイーズに爺の秘薬の事を伝える事にする
「もしも、よかったら……」
「虚弱体質に効くかもしれない薬があるんだけど……」
私がそう言った途端
「欲しいわっ!!!」
全てを話す間もなく返事をするルイーズであった
「用意する物があるんだけど……」
「普通に市場で売られている物ばかりだから」
「今度、買いに行かない……」
私がそう言うとルイーズは無言で私の手を引っ張る
「ちょっと待って!」
「これが終わるまで、待って!!」
出来上がった"エイペック"の骨の薬を小瓶に急いで詰めるマノンであった
「この薬を貴賓寮に届けてくるから待ってて」
「これは、ルイーズさんの分ね」
私はそう言うと小瓶の一つをルイーズに手渡し慌てて実験室を出て行くのであった
そんな、マノンを見てルイーズが呟く
「マノン君は、私と似ているけど……似ていない……」
「それに、マノン君からは邪な下心が全く感じられない……」
「今まで私の傍にいた人とはまるで違う……」
「私……マノン君の事を誤解していたんだ……」
マノンに貰った小瓶を見てルイーズは微笑むのであった
ルイーズにとって今日と言う日は忘れえぬ日となる事になる
後にルイーズ本人はこれが"腐れ縁"の始まりと周囲に言っているのだが……
本当は……
第156話 ~ 似て非なる者 ① ~
終わり