第十五話 ~ ゲルマニア帝国へ ~
第十五話 ~ ゲルマニア帝国へ ~ 序章
「行ってしまわれたのですね……」
一晩で忽然と姿を消した旧シラクニア軍の陣のあった方向をシルビィは茫然として見つめている。
「必ず帰る……約束する……か」
力なく呟くシルビィをアネットが優しく肩を抱く。
部屋の窓から机に肘を立て同じ方向を見ているレナの姿があった。
机の上には日記が置かれ、その人差し指には赤く輝く魔石の指輪がはめられていた。
第十五話 ~ ゲルマニア帝国へ ~
爺は、旧シラクニア軍の橇に載せられてガリア王国のヘベレスト山脈南側の平原を一路ゲルマニア帝国の帝都ヴァーレに向かって進んでいる。
雪上部隊でも特に足の速い隊のみで構成される三百人程度の先遣隊は本来は威力偵察を目的とする部隊である。
爺を一刻も早く帝都ヴァーレに送り届けるために本体を残しての先行しているのである。
既に侵攻の際に詳細な地理を確認しているので侵攻の際には一か月近かかった道のりを十日程で走破しようとしていた。
しかし、この時期になると昼間でも気温は氷点下で夜になると-15℃以下になることも珍しくない。
これでも序の口でへベレスト山脈越えはもっと厳しく山間部特有の激しい天候の変化もあり冬季は往来が困難とされている難所である。
もうすぐこの難所にかかるのだが、ここで旧シラクニヤ軍の先遣隊の本体はヘベレスト麓に残り、最も危険な山越えは麓に待機していた旧シラクニヤ軍山岳部隊が爺を帝都まで送り届ける手筈となっている。
「ふう~! 流石に寒いのう……」
と爺が背中を丸めて言うと
「我が故郷の真冬に比べればまだかなりマシですがな」
とナッセルが笑いながら言葉を返す。
この二人、僅か数日行軍を共に過ごしただけで仲良くなっていたのだった……。
お互いガチガチの騎士同士、ものの価値観や考え方が近かったことが幸いしたようだ。
「ようっ!大賢者さんよ風邪ひいて熱なんか出すなよ」
とルメラが爺に笑いながら声をかける。
一時は爺を殺そうとし父親のナッセルに勘当されたりもしたのだが、爺の口添えもあり勘当は取り消され今では爺に剣術の稽古を付けてもらう程に馴染んでいる。
「にしても、たいしたものじゃ少し稽古を付けてやるだけでこうも上達するとはな……」
(当然、何回も尻をぶっ叩かれながらである)
爺は感心したかのように言う。
(たとえ敵であったとしても遺恨がなければ寝食を共にしていると不思議と親近感が出るというのは事実である)
「剣の腕が上がるほどに嫁の貰い手は減っていくわっ!」
「その時は、大賢者様にでも嫁に貰ってもらえっ!!」
グハハハッと笑いながらナッセルが言うと
「バカヤロー! クソオヤジッ!! 変なこと言うんじねぇ!!!」
顔を真っ赤にして怒鳴るとどこかに行ってしまった。
それを見ていた副官のイーヴァルは数日の後に確実に訪れる大賢者との別れを考えると心苦しさを感じるのだった。
ここからは遅れて来る雪上軍本体との合流と引継ぎを副官のイーヴァルにまかせて山岳部隊と行動を共にする。
山岳部隊の人員数は50人程で体力・精神的にも特に強靭な者を選りすぐった精鋭部隊である。
その内の15人ほどが峠手前までの荷物運びに同行する、爺とともに過酷なヘベレスト越えに同行するのは僅か8人のベテランで爺とナッセル、ルメラを加え合計11人の編成となる。
本来は、もう少しの大人数でヘベレスト山脈越えを考えていたナッセルだったが、爺が逃亡する可能性が低いと判断し最も効率の良い人数に絞ったのだったが……。
しかし、ルメラはついて来る気のようだ……ナッセルはここに残るようにいっているようだが言っても聞くまい。
橇は使わず、スキー板と弓に毛皮のコートであり、軍隊というよりは猟師に近い風貌である。
「ところで大賢者さんよ、スキーは出来る?」
とルメラが聞いてくる。
「少しはできるがのう、得意では無いな」
と爺が答えると
「だったら、俺が教えてやるよ」
ニヤけた顔をしながらルメラが顔をのぞき込むように言ってくる。
出発の号令をナッセルがかけると全員が一斉に縦列となり滑り出す
その中に一人だけ歩いている者がいる…爺だった。
それを見た隊員達がが眼を剥くほどに驚いている。
普通なら降り積もった新雪に足が腰のあたりまで沈み込み身動きが取れなくなるが爺は普通に歩いている…ありえない光景に唖然としている。
「水面を歩くという大賢者の伝説は本当だな」
とナッセルが言う…ナッセルが”戦って勝てる相手で無いと実感した”瞬間だった。
「なんだそれっ!反則じゃねーかっ!」
普通に雪上を歩く爺をみてルメラが言う。
「どんな手品使ってんだよっ!その靴に細工してんのか」
と爺の靴を見て不思議そうにしている。
「わし自慢の魔装靴じゃ! 雪の上でも水の上でも溶岩の上でも歩けるぞっ! いいじゃろ!」
爺が得意げに言うと
「雲の上も歩けるのか」
とルメラが眼を輝かせて言う
「あ~…それは無理じゃ…」爺がすまなさそうに言うと
「なんだよ~中途半端な代物だなぁ」
と不満そうに呟く
「中途半端とはなんじゃ!」
と爺が拗ねたように怒る
まるで兄弟のような二人の会話の様子を見てナッセルは数日後の別れが寂しく思えるのであった。
本隊と離れて、ヘベレストの峠を越え最大の難所を通過した後にヘベレスト特有のブリザードに遭遇することとなる。
北の海から吹く冷たい風が山脈の当たり気流となり雪交じりの冷たいブリザードとなる。
やや湿り気を帯びた雪は衣服にへばり付き強風と相まって体温と体力を急速に奪っていく、古来より多くの旅人の命を奪ってきた死のブリザードである。
「あの岩陰でやり過ごすぞっ!」
ナッセルが巨岩が張り出して庇のようになって所を指差す。
峠越え直後で隊員の体力の消耗も激しい。
「暫し休息…」
とナッセルが言うと、隊員たちは荷を下ろすと風の当たりにくい所に炉を作り火を起こし暖をとる。
粗末ながら暖かい物を食べ体力の回復を計る。
そんな中、なにやら隊員たちが騒がしいので爺が行ってみるとルメラがぐったりとしていた。
「低体温症のようです…呼吸困難もあるようです」
「このままでは危険です」
と医療担当の隊員が言う。
それを聞いた爺は隊員に問いかける
「ちょっとばかし小細工してよいかの」
悲痛な表情の隊員は小さく頷いた。
「ちょっと御免よ嬢ちゃん」
と言うと爺はルメラの上着のボタンを外して胸に手を当てる
「この当たりかな」
と爺が言うとルメラの下着の中に手を入れると
黙って目を閉じた。
「…んっ」
と爺が何かに感ずいたようなそぶりをした。
暫くすると青ざめていたルメラの顔色は徐々に良くなって
呼吸の様子も楽になっていく。
「もう…大丈夫じゃ…随分と無理をしていたようじゃな」
「ゆっくり休むがよい」
※……爺が使った魔法は電子レンジと同じ理屈で心臓の血液を温めてやることにより体全体を温め体温を回復させたのだった。
というと爺は右手から白い布を錬成しルメラにそっとかけてやった。
(この布には高い保温効果がある)
隊員たちはただ茫然と目の前で起きる奇跡をみていた。
「大賢者殿っ! ありがとうございます」
とナッセルが涙目で爺に礼を言うのだった。
「当然このと…礼の必要ない」
と言うと爺は岩壁に座り込むと眠ってしまった。
(忘れているかもしれないが…爺と言っているが実際は15歳の少女である)
ナッセルや隊員たちも交互に休息をとりブリザードが収まるのを待つのであった。
(事実として、このような極限環境だと敵味方の垣根が低くなり友情さえ芽生えることがあります。)
ブリザードが収まりメルラの意識が戻ると急いで下山する、道中何事もなく日が落ちるまでに麓の村にたどり着いた。
麓の村にはゲルマニヤ軍の迎が既に到着していた。
「大賢者殿、小生はニクラウス・フォン・ベッカーと申します」
「皇帝の命によりお迎えに参上いたしました」
そしてナッセル達に向かって
「ナッセル殿ご苦労であった」
「これよりは我らがご案内申し上げる」
と慰労の言葉を述べた。
「世話になったのぅ、どうやらここでお別れのようじゃ」
と爺はラッセル達に礼を言って去っていく、その後姿を涙目で見送るルメラの姿があった。
「オヤジッ…」
とルメラが泣きそうな声で言う、ナッセルの目にも少し潤んでいた。
「名前っ! 名前なんて言うの」
とルメラがいきなり叫ぶと
「パッ……マノン・ルロワ……」
と爺は振り返り言った。
「マノン……マノンっ言うんだ……」
「変だね……女の子みたいな名前だね」
というとルメラの目からは涙が溢れかえった。
そして、爺は振り返ることなくゲルマニヤ軍の迎の馬車の中へと姿を消した。
第十五話 ~ ゲルマニア帝国へ ~ 終わり