第136話 ~ 大賢者・マノン・ルロワ ➄ ~
第136話 ~ 大賢者・マノン・ルロワ ➄ ~
序章
港の埠頭での騒ぎは、すぐにダキア王国の国王バルバート・エラルド7世の知るところとなった
以前より、コレット王女の傍若無人ぶりは国王バルバートの知るところであった
それでもバルバートは大目に見ていたのであるが今回は少し違っていた
「……との事でごさいます」
国王のバルバートは側近のデュドネ・アルブーから騒ぎの顛末の報告を受ける
「そうか……これでもかと言うほど尻を叩かれたか」
「あの乱暴者もこれで少しは懲りよう……」
そう言うとハルバートは少し笑う
「その……コレット様に狼藉を働いた騎士らしき者にございますが」
「いかがいたしましょうか……」
側近のデュドネがハルバートにお伺いを立てる
「見つけ出して捕らえ、然るべき罰をあたえよ」
国王としては、ごく当然の対処ではあるのだが……どうも、デュドネの様子がいつもとは違う事にハルバートが気付く
「どうした……他にも何かあるのか」
「あるのであらば、遠慮なく申せ」
ハルバートは何か言いたそうにしているデュドネに話すよう催促するような口調で言う
「……では、申し上げます」
「コレット王女様に狼藉を働いた騎士らしき者にございますが……」
「巷では"大賢者様"だと噂されております」
「コレット王女の護衛が如何に力に劣る女騎士とはいえ……」
「僅か数分で20人も瞬殺したるその剣技、尋常ではございません」
「事が終わると忽然と姿を消す処などは……」
「噂に聞く"大賢者"その者にございます」
デュドネの言葉を聞いたハルバートの顔から見る見る血の気が引いていく
「……それは……誠か……」
「ならば……尻を叩くというのも……」
震える声でハルバートが問い直すとデュドネは大きくゆっくりと頷いた
ハルバートはデュドネの目とその表情からこれが事実であると悟るのであった
「コレットをここへ呼べ……」
ガックリと肩を落とすとデュドネにそう命ずるのであった
信心深いハルバートは"大賢者"の超常の力を信じ心底恐れているのである
ハルバートが恐れたのは今や大陸中の知られた"大賢者の呪い"をコレットが受けたのではないかと思ったからである
それに、ダキア王国の王家には"大賢者"にまつわる、ある言い伝えもあるからだった
暫くすると王の間にコレットが護衛の女騎士を従えて姿を現し、丁寧な挨拶をすると護衛の騎士共々ハルバートの前に跪く
「父上、お呼びにより参上いたしました」
いつものコレットとはまるで別人のような態度に国王のハルバートも側近のデュドネもその周りの者達も"鳩が豆鉄砲を食らった"ように驚きのあまり凍り付き王の間は静まり返る
(いつもなら"親父っ!何か用でもあんのかっ! "である)
「……」
王の間は静まり返り誰もが呆気に取られて身動きできず言葉の一つも出ないでいる
「どうかなされましたか、父上」
まるで何処かの姫君のような真面な態度のコレットにハルバートは意識が飛んでしまっている
「父上……」
無表情で凍り付き固まったままのハルバートにコレットが心配そうな表情で問い直す
「ひっ! ひぃ~」
間を置いて正気に戻ったハルバートは小さな悲鳴を上げると玉座からずり落ちそうになる
「お前はいったい何者だっ!」
コレットの余りの変わりようにハルバートは偽者だと疑う
「儂の説教が嫌で身代わりを寄越すとは……」
「如何に我が娘といえども愚弄するにもほどがあるわっ!」
「この偽者めが本物のコレットはどこにおる」
マジ切れしたハルバートは烈火のごとく怒る
「父上……私は本物コレットにございます」
「以前の私を見れば偽者と思われるのは無理もない事にごさいます」
「父上の耳にも既に届いてはいるとは存じますが……」
「つい先ほど私は己の愚かさをこの身に思い知らされました」
「あの時より、私は生まれ変わりましてごさいます」
「今までの放蕩三昧、お許しくださいますようお願い申し上げます」
コレットはそう言うと深々と頭を下げた
「……」
ハルバートは魂が抜けたようにポカンと口を開けたまま玉座に座ったまま凍り付いている
それはハルバートだけではなかった、王座の間にいる全ての者が同じようにポカンと口を開けたまま凍り付いていた
「父上、それでは失礼いたします……」
「この場におられる、皆様も息災であられますよう」
コレットはそう言うと周りの人々にも頭を下げ王の間を出て行くのであった
コレット出て行った後も王の間は静まり返っていた
「儂は……夢でも見ておるのか……」
ハルバートはポツリと呟くと周りの者達も正気を取り戻す
「これもまた、"大賢者様"の成せる業なのか……」
「正に……言い伝えの通りか……」
そう言うとハルバートは大きなため息を吐くのであった
ハルバートは肝心の"大賢者の呪い"の事は完全に忘れてしまっているのであった
アメリーが豹変してしまった姉のコレットと対面するのはこの少し後である
因みに、ダキア王国では軽犯罪者への刑罰としてこの国ならではの"尻叩きの刑"が執行されている……
まだ、人生のやり直しが効く軽犯罪者の曲がった根性を文字通り叩きなおすという意味合いが込められている刑罰である
建国の父である初代王も粗雑で乱暴だった若かりし頃に大賢者に気を失うほどに尻を叩きまくられて心を入れ替えたという言い伝えから取り入れられたダキア王国独自の刑罰でもある……
第136話 ~ 大賢者・マノン・ルロワ ➄ ~
マノンを乗せた船がペントンの港に入り接岸しようとしている
港から見るペントンの町は遠目にも多くの人でにぎわっているのが見て取れる
"随分と活気のありそうな町だね"
私が港の埠頭を行き交う大勢の人々を見ながら言う
"この沖合の海は大陸一と言ってもよい絶好の漁場じゃからな"
"それに、魚の取引は威勢の良い連中が多いからの……"
爺はそう言うとパックが私の方を見る
"ここの魚は安くて種類が多く、しかも新鮮で旨いっ! "
私は爺の言葉を聞いただけで口から涎が出そうになるのであった
「あの船は……」
船が接岸する寸前に爺が何かを見つけたようだ
「間違いなの……アッ……ペッタンコ王女の船じゃ」
どうやら爺はアメリーの名前を忘れてしまったようである
「アメリーだよ……」
「本人が聞いたら凄く傷つくと思うよ」
私は爺に注意するように言う
「すまん、すまん、歳を取ると物忘れが酷くてのう……」
爺は都合のいい時だけ年寄りのフリをする
「見つかったら不味いの……」
爺は不安そうに言う
「心配ないよ……どう見ても別人にしか見えないよ」
「この船に乗る時も何事も無かったし」
私は自信をもって言うと爺は納得したようだった
暫くすると船は埠頭に接岸し舫い綱が掛けられ岸壁と船の間に木の板が掛けられ乗客が次々に船を降りていく
私も乗船券を手に船を降りる……船を降りる時に乗船券は回収されるようになっている
「ここがペントンか……」
そんなに大きくはない港町だが多くの船が停泊している、埠頭には荷物を積んだ荷車や魚を入れた木箱や素焼きの壺が所狭しと並べられている
「本当に活気があって賑やかだね」
この港町には王都ガリアンの下町の商店街のような活気がある
行き交う人々の表情も明るく治安が良く暮らし向きが良い事を示している
「先ずは……飯ッ!!!」
私はそう叫ぶと周りの人々が"何事か"と言う表情でこちらを見る
"お前さんっ! 心の声が駄々洩れじゃぞっ! "
爺が慌てて私に言う
私は断末魔の悲鳴を上げる腹を抱え急ぎ足で町の方へと歩いていくのであった
海と山の僅かな平地に築かれたペントンと言う港町は山の斜面に沿って家々が建てられている……当然、坂道だらけの街である
港を出て町に入ると生臭い魚の匂いが少しするところなどは港町と言った感じがする
"この街の名物は何"
私が爺にお勧めの名物料理を尋ねる
"この町の名物は魚醬じゃよ……"
"魚を発酵させて作った調味料じゃな……"
"ガリア王国やゲルマニア帝国などではあまり馴染みがないが"
"ピオ-ネ三ヶ国では食卓になくてはならぬ物じゃからの"
爺がそう言うとパックが港の外れの方を向く
"港の外れに建物がいっぱい並んでおるじゃろう、あそこで魚醤を作っとる"
"ペントンは魚醤の一大生産地なんじゃよ……"
"港の埠頭に並べられていた壺の中身は魚醤じゃよ"
"300年ほど前にあったイスパニア王国との戦争でイスパニアの軍勢がダキア王国に攻め込んだ時にもここだけは破壊されなんだ"
"魚醤のお陰じゃな……"
そう言う爺の言葉には何か郷愁を感じさせるものがあった
少し坂道を登っていくと、こじんまりとした広場のような場所に出る
そして、ここにもあの銅像があるのであった……
辺りを見回すと周りよりもひと際、古そうな建物が広場を囲むように立ち並んでいる
その中の一軒が食堂のようである……私は躊躇うことなくその店に近付いていく
店の前に来ると古びた看板が目に留まった"創業300年・ペントン最古の店"と書かれている
"まだ……あったか……"
爺の呟く声が聞こえてくる
"知ってるの……この店……"
いつもと違う爺の声とその口調に何かあるのだなと直感する
"気が乗らないなら別の店に行ってもいいよ"
私が爺に問いかける
"いや……この店で良い"
爺は少し間を置いて答える……そして、私は店へ入って行った
古びた外観とは対照的に店の中は明るく清潔だった、そう広くはないが手入れの行き届いた店内には4つのテーブルがありそれぞれに4脚の椅子が用意されていた
「いらしゃいませ……」
歳の頃なら40歳ほどの小太りの女性が声を掛けてくる背丈は160センチ程で黒髪のショートヘアで如何にもお母さんと言った感じの良い人だった
時間は午後の二時を過ぎている事もあり私の他には誰も客はいなかった
「何になさいますか」
女性はそう言って木の板に書かれたメニュー表を差し出してくれる
「この店のお勧めをお願いします」
私は女性が差し出してくれたメニュー表を見ることも無く注文を出す
「どちらからお越しになりましたか」
女性はメニュー表を片付けると少し笑って問いかけてくる
「ガリア王国の王都ガリアンからです」
私も少し笑って答える
「随分と遠くからお越しですね」
女性は少し驚いた様子でお勧めの料理を説明してくれる
「ご存じだとは思いますが、この町の名産は"魚醤"です」
「魚醤を使った料理が名物です」
「でも、少し癖があるのですが、どういたしますか」
女性は料理の説明をし終えると私に問いかけてくる
「大丈夫です、せっかく来たのだから土地の名物を食べないとね」
私はそう言って笑うと女性も微笑み厨房へと戻っていた
"……"
さっきから爺が何も言わないのが気にかかる
普段なら料理の説明のウンチクのひとつもするはずなのだが……
"どうかしたの"
私は姿を消したまま何も言わずに黙り込んでいるの爺に問いかける
"ああ……大した事ではない"
"少し昔の事を思い出してしもうてな"
"柄にもなく感傷的になってしもうただけじゃよ"
爺がいつもと違うのは、きっとこの町に何か忘れられない思い出があるのだろう
それが何なのか気にはなるが、それもあえて問う事はしなかった
そうしていると料理が運ばれてくる
「これは魚醤を付けて焼いた小魚、そしてこれは今が旬の金目鯛の魚醤の煮つけ」
「魚醬とスパイスで味付けした麺と海藻のサラダ……」
「最後にダキア王国の主食のポテにワインと……これで終わりっと」
少し癖のある変わった匂いがするがどれもこれも上手そうである
空腹も手伝って物凄い勢いで料理を平らげる、あまりの食いっぷりに女性も呆れたように笑っている
「ああ~旨かったっ!」
そう言って私は満足そうにお腹を擦りながら最後に残ったワインを飲み干した
代金を問うと何と10ガリア・フラン(800円)だった……量的にも質的に見てもガリア王国の半値以下である
しかも、旨いのだから移住者が多いのも納得であった
「見事な食いっぷりだね……」
「このペントンは初めてなのかい」
女性は空になった器を片付けながら話しかけてくる
「はい、初めてです」
「これから、サボンと言う村の温泉に行こうと思っています」
私がサボンの温泉の事を話すと女性は何かに気付いたように"あっ"と言う表情をする
「ああ~お客さん……」
「確か、あそこの温泉には姫様が来られているからね」
「警備の騎士やら兵士やら、お付の人がうじゃうじゃいて何かと不自由だと思うよ」
女性はそう言うと気の毒そうな顔をした
「そうですか……」
私が困ったように返事をするとずっと沈黙を続けていた爺の声が聞こえてくる
"すまぬがお前さん……"
"一つばかし、そこの女性に聞いて欲しい事があるのじゃがの"
爺が私に話しけてくる……やはり、いつもとは雰囲気が違う
"いいよ"
私は快く返事をすると爺が聞きたいことを話し出す
それは……この店を開いた"ブリジッタ"と言う女性の事だった
どうやら、300年も経っているのに気になるのだから爺とは何やら深い関係があったようだ……
私は器を片付けている女性に話しかける
「あの……一つお伺いしてもいいでしょうか」
私が話しかけると女性は快く承諾してくれる
「この店を開いた"ブリジッタ"と言う女性の事なのですが」
「300年も前の事なのですが、お分かりになりますか」
私の質問を聞いた途端に器を片付けている女性の手が止まる
そして、ゆっくりと私の方を見る……女性は物凄く驚いた表情だった
「あなた……どうして、そんな事を知っているの」
余りの驚きに女性の声と顔は少し引きつっているように見える
「もしかして……あなた……大賢者様の……」
女性はそう言うと手にしていた器を隣のテーブルの上に置き準備中の札を手に取ると店の入り口に掛ける、そして私の正面の空いている椅子に座る
「あの……何か不都合な事でも……」
女性の行動と表情に何か危機感を感じた私は恐る恐る問いかける
「そんなに、怖がらなくていいわよ」
「初めに自己紹介するね、私は"ベッティーナ・ゾーラ"……」
「ブリジッタの子孫よ、そしてこの店の15代目店主よろしくね」
私も自己紹介しようすると女性は首を横に振る
「いいわ……」
女性はそう言うと少し考えた後で話を始める
今から300年ほど前の昔、このペントンがまだ小さな港町だった頃にまで遡る
当時のペントンはとても貧しい漁村で人々は苦しい生活をしていたそうである
そこに、一人の旅人が訪れこの地に住み着いたそうだ……この旅人こそが大賢者パトリック・ロベールだった
彼は村人達を説得しこの地に港を築き、沖に出ることのできる大きな船の作り方を教え、風と波を操る航海術も教え、新しい漁の方法も考えだした
そして、有り余る豊富な魚で"魚醬"を作ることも教える
貧しかったペントンは徐々に豊かになっていき人々の暮らし向きも良くなっていった
村人たちはその旅人に大変感謝し村の長になる事を切に願うようになる
村の長には年頃の娘もいたのでちょうど良いと考えたようである
(村の長と言っても当時のペントンでは町内会長のようなものだった)
しかし、それからすぐにイスパニアとの戦争でダキア王国に攻め込んだイスパニアの軍勢に村は包囲されてしまう
幸運なことに、イスパニアの指揮官はこの村が"魚醤"の一大生産地であることを知っていたために村への大掛かりな攻撃は無かったのだが、料理店を営む村の長の娘を人質を差し出すよう要求してくる
その娘がブリジッタだったそうである、その時ブリジッタは17歳で旅人に恋心を抱いていたようだった
残念ながらブリジッタの一方的な思いで旅人にその気は全く無かったらしい
ブリジッタは人質としてイスパニアに向かうその日の前の夜に自らの思いを遂げるために旅人のもとを一人で訪れるが……既に、そこには旅人はいなかった
呆然とするブリジッタはテーブルに置かれていた置手紙を見つける
手紙には、ただ1行で
"イスパニアの軍勢は何とするので人質を差し出す必要はない"
とだけ書かれていたそうである
そして、その手紙通りにイスパニアの軍勢はすぐに村から撤退していったと言う事だった
その後、ブリジッタはひたすら旅人が帰ってくるのを待ち続けたが帰ってくることは無かった
ブリジッタはその後、別の男性と交わり子をもうけこの店を継いだそうだ
その後、村人は旅人に心からの感謝を込めて広場に旅人の銅像を建てた……それが、あの銅像なのだそうだ
村人が旅人の正体が"伝説の大賢者パトリック"だったと知るのは戦争が終わって数年後の事だった
今でも、このペントンだけは3女神よりも大賢者を信仰する者が遥かに多いのだそうだ
全てを話し終えるとベッティーナは大きな息をする
「やっと来てくれたわよ……ご先祖様……」
小さな声で呟くベッティーナの表情は幸せそうだった
「あなた……"大賢者様"でしょう」
「こんな辺境の地にも噂はいろいろと伝わっているのよ」
そう言うと私の顔をジッと見つめる、私は微笑むと小さく頷いた
「よく見ると……ホントにいい男ね……」
「うちに行き遅れの娘がいるんだけど要らないかな」
ベッティーナの表情から冗談なのか本気なのか分からないので少し焦る私であった
「美味しかったよ、ありがとうございました」
私はお礼を言って店を出て行こうとすると店の玄関先に誰かいるようである
「どういう事よ、閉まってるじゃないのよっ!」
この声は……アメリーの声だ……
「しばらくお待ちください、すぐに店を開けますので」
後ろからベッティーナが叫ぶと私に目で厨房の方に行けと合図する
私は厨房へと身を隠すと"認識阻害の魔術"を発動する
ベッティーナが急いで店の玄関を開けるとそこにはアメリーがお付の騎士たちを連れて立っているのであった
私は息を潜めゆっくりとその横をすり抜けて表に出ると狭い路地は20人ぐらいのお付の者達でごった返しているのだった
こいつ……結構迷惑な奴だなと思いながら、その場を後にするマノンであった
第136話 ~ 大賢者・マノン・ルロワ ➄ ~
終わり