2章
次の日に確認したUSBにはオーディオファイルが一つ入っていた。派手な登場にしては名刺すら残してなかったので、せめて「read me.txt」みたいなものでもあるのかなと期待したが、もっぱら「1.wav」だけだった。ただ、そのファイルには作曲家名がタグされていて、それを基に検索した結果、いくつか知ってる曲も含めて相当華麗なキャリアーをお持ちの人で、ポップと純粋芸術をつなぐ活動に主力する名誉高き作曲家だと知った。昨日の突然な出会いはもしかするとそんな芸術家の独り舞台を観覧した光栄な場だったのかもしれない。絶対にそうは思えないけど。
私が作曲した曲が有名アイドルグループの同時カムバックを勝ってMelonチャート一位を獲った事件(?)について、私はトラック提供以上の関与をしてはいない。正直私はいきなりの一位ニュースに感激するしかなくて、心の底からむずむず湧いてくる疑いの芽を咲かす余裕などなかった。曲をもらった男のラッパーとも業務関係以上の親しみもないし、ウイルス流行のせいであらゆる行事がない今、彼からはFacebookでライブ映像が高いビュー数を記録した以外の特別な活動の様子を見れなかった。
とにかく、白ずくめの男が提起した疑惑において、私は何も知らないし、責任の所在もないはずだ。ただ引っかかるのがあるとすれば、彼が指摘したメロディーの場合は確かに私の手で作ったという部分だけれど…。常識的に考えてあり得ない話だと知りながらも、どうも不憫な気持になった。まるで自分が被害にあったような言いぐさから論理の罠にはまってしまったのだろうか。「完璧」云々して発売を中止したのはむしろあちらの責任なのに。
「誤ったものは正す」
その言葉が亡霊のように頭の中を彷徨った。まあ、亡霊みたいな口調ではあった。
ステレオタイプだろうけれど、ヒップホップ・プロデューサーの大抵はおそらくラップから音楽を始めたと思う。私も分厚く歌詞を書いたノートが二冊くらいあるのだが、特に録音ができる場所もなく、家で家族の芽を咲けて生半可で録音しても、とてもミックスなんかでカバーできない自分の劣悪なパフォーマンス状態と作文能力に失望し、中学卒業後、自然に手放すようになった。でもその関心は、どうもタイプビートを探す要領もなく、音楽的にピンとくるものもない故に、著作権問題などを避けるために、いっそ自分でやり始めたトラックメーキングに程よく移っていった。
ヒップホップは私にとって楽器を扱えなくとも音楽ができる道だった。もちろんア・トライブ・コールド・クエスト((A Tribe Called Quest)や、ザ・ルーツ(The Roots)のようなヒップホップ・バンドもあるし、プロデューサーとして色々楽器を扱える方が当然表現の幅がはるかに広がるだろうが、扱えない場合はない場合の表現方法がある。パブリック・エネミー(Public Enemy)はサンプルのコラージュで音の壁を再現し、マッドリブ(Madlib)はiPadでアルバムを完成させ、リル・パンプ(Lil Pump)の〈Gucci Gang〉は世界中に鳴り響く。
このように限界から突破口を見つけるヒップホップ精神は、ラップのお約束だけでなく、プロデューシングからも見られるのだ。
「突破口が見えないよ…」
魅喜のところに訪ねて抱きついて泣いた。私より背の低い友達だけど、彼女の背中はなぜか安心できて、頼りになる。
「うん、でも私も前が見えないよ…」
彼女が私に押しつぶされて腰を上げられないまま脚をがくがく震えていた。安心できて…頼りになる…のかな?
売店のところに行きながらこのあやふやな感情を打ち明かした。夢(実際)の話はもう何日前にして、彼女は「新鮮な夢だね」と答えながらもどこか哀れな目をした。それでも魅喜は私の話をまじめに聞いてくれて、だからこそその目はいかれた人を見る目だと思えてきて気分が妙でありながらも、そのやさしさに甘えて深く考え込まず彼女に頼ることにした。物理的にではなく。
「『予想剽窃』はピエール・バイヤールの本で、『読んでいない本について堂々と語る方法』の著者でもあるよ。ロラン・バルトが提唱した『作者の死』の概念を飛躍の形で応用した感じかな」
「ピ、ピエール・ボーン? ロ、ローランド808?」
魅喜のことばに私は追いつけずこんがらがっていた。
「こんがらがる最中も全部音楽ネタに持ってっちゃうところ、偉いね」
「はは…。聴いてもない歌で知ってるふりしてるのばれちゃったみたいな題名だね…」
私は気まずく笑った。
「ええ? 何言ってるの! 由賢ちゃんはもうプロでしょ? よっ! 一位歌手、徐由賢!」
「歌手じゃないよ…?」
私の返事を聞いたのか聞いてないのか、魅喜は「アッソーレ! 偉いぞ! 天才少女徐由賢!」などのエールを呼び続けた。彼女の立場で実質的なアイデアや助けをくれることはないけど、その元気を分けてもらった気がして慰めになる。
そんな実のない言葉を交わす間に授業時間の鐘が鳴って、もう先生が授業を始めた教室の前で私が困っていると、魅喜は堂々と誇張したジェスチャーで「すんませんでした!」と言いながら入って座中を笑わせた隙に、こっそりついていって着席した。




