真夜中の殺人鬼
魔術学園の制服を着たこの少女は、にこやかにリヒトに顔を近づける。
「こんばんわ、オニーサン」
「……入れ替わり手品か。やられた見抜けなかったよハハハ。────で、本当の店主はどこにいる?」
「落ち着いテ。奥で少し眠って貰ってるだけダカラ。オニーサンと私の貸切だヨ~」
グラスに布を被せて指を鳴らすと、水は酒に変わっていた。
魔力のようなものは感じなかったあたり、正真正銘の手品なんだろう。
「まずは召し上がレ。安心して、毒は入ってないしこの店の安いの選んでおいたカラ」
しかしリヒトは酒に口をつけない。
黙って不審の目を向けながら、姿勢よく座り直し足を組む。
「飲まないの?」
「君は酒を飲んだことはあるか? いいやないだろう。だからこんな真似ができる」
「こんな真似って?」
「大人にとって貴重な酒の時間をたちの悪いイタズラで水を差すな。そういうのはクラスメイト相手にやれ」
少女の顔から笑みが消え、ポカンとしたものになる。
そのあとジッとリヒトを観察するような仕草をする彼女が、今なにを考えているのか見当も付かない。
だがそんなものに動じるリヒトでもないし、恐れを抱く道理もない。
見るからに怪しい少女が自分になんの用なのかを突き止めようという使命感が彼の胸に宿っている。
「ふぅん、手厳しいネ」
「敬意を欠いた発言だとは理解している。だがお互い見ず知らずの間柄にも関わらず居場所を突き止め、夜間外出禁止令が出ている時間帯に学生が凝った演出で出てくるあたり、どう考えても普通じゃない。警戒のし過ぎだとでも言いたいか?」
「……いいや、オニーサンは正しいヨ。でも、少しでも楽しませようとしたのはわかってほしいナ」
「びっくりはした。そこは認める。……要件を言え」
その言葉を待っていたといわんばかりに少女の笑みが戻る。
「私の名前はシェオル。わけあってアナタたちを調べてたのサ」
「大仕事だな」
「そりゃあもう。……情報がまったくないんダ。この街に現れるまでの情報すべてが存在しない。人探しでこんなことはありはしなかっタ。不思議ダネ」
「情報屋かなにかか? 学生は仮の姿でっていう」
「おー勘が良いネ。……アナタたちを初めて見たとき、もしかしたら"アイツ"の正体をなにか知ってるかもって思ったんだけどナ」
「アイツとは? 知り合いを探してるってわけでもなさそうだが」
「恐ろしい怪物だよ」
「怪物? ……それはこの街の夜のことについても関わりのあることかな?」
「正解。その言いぶりからすると、この街の事情をよく知らないみたいダネ」
「とにかく夜は早く帰って寝ろって話だ。事情くらい教えてくれてもいいだろうに」
「それは仕方ないサ。みだりに騒ぎを大きくすることをこの街の責任者は嫌ってるから、公言しないよう法律でも決めてル」
「……それで、俺にその話をするってことはなにか意図があるんだろ? 言うだけ言ってみろ」
バーでシェオルから話を聞いている一方、ヴィナシスはゆっくりと入浴を愉しんでいた。
裸身を湯船に浸からせ、鼻歌交じりに腕や足を滑らかな手つきで撫でる。
「ん~、安宿にしては結構イイじゃん」
パシャパシャと湯が揺れる中で、部屋のドアが静かに開いた。
その人物はゆっくり、それはもうゆっくりとした足取りで室内へ入り、周囲を見渡す。
血濡れた鳥籠のような帽子と布で顔を隠し、漆黒のマントにも似たコートの周りには仄暗い霧状のモヤがかかっている。
ベッドに無造作に脱ぎ捨てあったヴィナシスの衣装を見たあと、視線をバスルームへと映した。
女性の鼻歌を聞きながら、気取られぬよう近づき、隠し持っていた管槍をセットしてバスルームへと。
「────ッ!!」
カーテンの奥に見える人影向かって一気に槍を突き通した直後、自分がどれほどの失態を犯したかを身をもって味わうことになった。
「このド変態。リヒトの足音じゃないと思ったら……」
2本の指で先端を万力のように固定するヴィナシスに驚愕の色を思わせるかのように肩を震わせた謎の人物。
フィジカルには自信はあったが押しても引いても抜けないこの状況にさらに戸惑う。
次の行動に移ろうとしてももう遅かった。
もう片方の手から放たれる超重力メスに腹を撃ち抜かれたその人物はもんどりうちながらドアを突き破り、壁に激突する。
タオルを身体に巻いて出てきたヴィナシスは、自身の入浴を邪魔されたのと半ば覗きにきたといっても過言ではないその人物に近付いていった。
「誰の差し金かどうかは知らないけど、乙女の入浴を台無しにした罪は重いわよ。さぁどんな拷問がいい?」
そのときドアが思いっきり開き、鬼気迫る表情のリヒトが状況を確認する。
「ヴィナシス今の音はなんだ!?」
「……あぁアナタ。それならコイツよ。ニッチな覗き魔か、あるいは殺し屋か……」
ヴィナシスの視線がリヒトに向けられていたその隙は、窓を突き破って逃げるにはうってつけだった。
リヒトが「あっ!」と声を上げるころにはすでに夜闇にまぎれ、風景に溶け込むように逃げていく。
追おうともしたが、その身のこなしの速さともう姿が見えなくなったのを鑑みて、窓際でそれを見送るしかなかった。
「やっぱり現れたんダネ」
「シェオル……あれがお前が言っていた怪物か?」
遅れてシェオルが部屋へと入って来た。
陽気な笑みは消え、部屋の惨状から物語る例の人物の気配を感知している。
「今はもう血に飢えた殺人鬼として悪名高き……【怪人ダンサー・イン・ザ・レイン】」