人材派遣会社OTENKI
分厚い灰色の雲が見る見るうちに空一面に覆い被さり、大粒な雨が降り出した。乾いた大地に激しく打ちつける雨音は恐ろしいほどであったが、日本酒が名産である、ここO村の人たちにとっては違っていた。今年三月から六月末までまとまった雨が降っておらず、稲作や果樹、野菜などに深刻な被害が広がっていた。久しぶりに降った雨に、農業を営む村人たちは、家から飛び出し、雨を全身に浴び歓喜を上げていた。彼らにとってこれは恵みの雨なのだ。雨は激しさを増している。数日間は降り続けるであろう。
村にある唯一の旅館に、男が泊まっていた。部屋の窓を開けて、降りしきる雨の様子を眺めニヤリと微笑んだ。机の上に置いていた携帯電話を手繰り寄せると、会社に連絡を入れる。「任務、完了しました」
男は、天気を扱う人材派遣会社OTENKIに籍を置く。男の担当は「雨」。雨を降らせるのが仕事である。雨を降らせるといっても、目的地に出向き、数日間滞在するだけだ。彼は雨男なのである。OTENKIは、超難関試験を突破した「雨男」「雨女」「晴れ男」「晴れ女」「雪男」「雪女」の精鋭が揃う、スペシャリスト集団であった。
異常気象が猛威を振るう今の時代に着目した全く新しいビジネスではあったが、日に日に需要は高まりつつあった。顧客は多種多様で、天候に振り回される農業関係はもちろん、ダムの水が干乾び水不足で悩む市町村や、運動会を晴れにして欲しいという学校関係者からの依頼も多くなった。今や天気もお金で買う時代なのだ。
人材派遣会社OTENKIは、郊外の古いアーケード商店街にある雑居ビルの一室にあった。この日の最初のお客が事務所のドアを開け、警戒するような顔で入ってきた。「いらっしゃいませ」と、会社の設立者である所長が、人当たりの良い顔を向けて、カウンター席を勧める。
映画製作会社の名刺を差し出した男の年齢は二十そこそこ。まだ駆け出しといった感じだった。鬱屈とした顔を見れば、監督かプロデューサーに無理難題を押し付けられ、藁をも掴む思いでやってきたことは容易に想像できた。
「今日はどのようなご依頼でしょう」
「来年春公開予定の映画の撮影をしているのですが、監督が本物の雨でないとラストシーンは撮れないと言い出しまして」
「たいそう拘りの強い監督さんなのですね」
「困った事にラストシーンに出る俳優さんの撮影スケジュールが残り三日しかなくて。天気予報を確認すると、三日共晴れで、降水確率0%なんです。監督もプロデューサーも何とかしろと僕に当たってきて、もうどうしたらいいんだか」
お客は泣きそうな顔を浮かべた。打って変わって所長の方は、自信たっぷりの顔を浮かべてこう言った。
「では、明後日までに雨を降らせればいいという事ですね。お任せください」
「え、それは、その、雨を降らす事ができるという事ですか。そう聞こえましたけど…」
「はい、そう申しました。雨をご希望されておられるんですよね」
「そうなんですが、降水確率0%ですよ」
「大丈夫でございます。三日もあれば充分です」
所長は、雨男を派遣して雨を降らせるシステムを簡単に説明した。ますますお客の顔を曇らせてしまった。そしてお客は言いづらそうに言う。
「自分からやって来てこんな事言うのも何なんですが、天気をコントロール出来るなんて信じられなくて。しかも雨男を派遣して雨を降らすなんて…馬鹿げているというか」
「皆さま最初はそうおっしゃいます。ですが、うちで契約している派遣社員は能力も実績も申し分ありません。きっと成果を上げさせていだだきますよ」
「でも、雨男なんてのは、迷信っていうか。科学的根拠はないですよね」
「信じられないと言うことでしたら、無理強いはしません。でももし他に打つ手がないのでしたら、指をくわえて待つよりかは、わが社に懸けてみるのも良いかと思われますが」
お客は心から納得したわけではないようだが「…まぁ他にあてなんてありませんしね」と依頼してくれる事となった。駄目元というやつだ。
所長は、椅子をパソコンの前に向け、キーボードを打つ。依頼内容、依頼場所、希望の天候を入力すると、画面に適した人材の一覧が現れる。その中から、所長が最も適した人材を選出する。
「こちらの人材が良いのではないかと思われます」
モニターをお客の方に向けた。そこに映る派遣社員は、細身で色白の頼りない感じの男。
「仕事が出来そうなタイプとは思えませんが…大丈夫なのですか?」
「先日も三カ月間まとまった雨が降らなかった農村を救ったばかりの、優秀な人材であります」
所長はそう言い、棚からその派遣社員のファイルを取り出し、彼宛に届いた御礼の手紙や雨に喜ぶ農家の人々と一緒に撮った写真を見せた。
利用者の生の声というのは説得力があるもので、お客の曇った顔に少し光が射した。
「じゃあ、この方でお願いします」
お客は契約書類にサインをし、前金を払って帰っていった。残金は成功した場合に支払われる事となっている。所長は早速派遣社員に連絡を取り、すぐに向かうように手配した。
次にやってきたのは、眼鏡を掛けたインテリ風の男だった。
「こういうものです」
名刺には、某プロ野球球団ゼネラルマネージャーと記載されていた。
「早速、お話を伺いましょう」
「ここに来れば、雨を降らせてくれるという噂を耳にしまして」
「少々原始的なやり方ですが、雨男を派遣して天気をコントロールするシステムを取っております。それで、どういったご依頼でしょうか」
「今晩の試合を、雨で中止にして欲しいんです」
その球団は、現在8連戦という強行日程の真っ只中で、本日は4試合目にあたる。雨を希望する理由は、疲労困憊した選手の体力回復であった。ペナントレースの終盤になると、この手の依頼は増える。
「なるほど。雨を降らせる事は可能でありますが、当日のご依頼は、派遣員の数を増やしての対応になりますので、料金もその分頂くことになりますが、宜しいでしょうか」
「雨が降るなら、構いません」
「そうしますと、すぐに雨担当の派遣員を3名球場に向かわせます。これで降ればいいのですが、降らなかった場合は、試合開始一時間前に派遣員を10名に増やし対応いたします」
「助かります。それと、この件はくれぐれも内密に」
「もちろんです。守秘義務はお守りしますよ」
ゼネラルマネージャーが帰っていくと、入れ違いにやってきたのは、見るからにウブな男の子であった。中1ぐらいだろうか。
「あの、今度の日曜日を晴れにしてほしいんです」
「晴れを希望する理由をお聞かせいただけますか?」
男の子はうつむき口を閉ざしてしまった。
「天気は他人に影響が出るので、理由を聞くのが約束になっております」
「デ、デートなんです。初デートなんです」
男の子は恥ずかしそうにモジモジする。
「雨のデートというのも悪くないとは思いますが」
こう言ったら何だが、デートぐらいで天気は変えられない。だからといって頭ごなしに無下にするわけにはいかない。お客には晴れ晴れとした気持ちで帰ってほしい。
「晴れが良いんです」男の子は頑なだった。
「雨だと相合傘も出来ますし、2人で1本の傘に入れば自然と距離が縮まり、よいムードになると思いますが」
「ぼ、僕、癖毛で」と、男の子は顔を赤くしてコンプレックスを口にした。「雨だと髪型が決まらないんです」
所長は失礼ながら男の子の髪の毛に視線を向けた。確かに、うねっていた。癖毛にとって雨は天敵。朝しっかりセットしても、湿気で広がったり、うねったり、パサついたり、膨らんだり。所長も癖毛だから、男の子の気持ちが痛いほど分かる。
「そう言った理由であるなら、引き受けましょう。デートに優秀な晴男を3名隠れて同行させて対応いたします。これで雨は降らないはずです」
しかし男の子は困った顔を作り、遠慮がちに言う。
「…3人も付けてくれるのは嬉しいんですが、あまりお金なくて…1人で充分です」
「そうですか。では、今回限り無料で結構です」
「え」男の子は目を丸くして驚いた。
「その代わり、デート相手に何かご馳走してあげて下さい」
そう言うと、所長は適した人材を選出するため、パソコンに向かいキーボードを打ち始める。
男の子が帰って行き、ひと段落ついたので、昼休憩を取ることにした。その時、事務所のドアが勢いよく開けられ、血管を浮き上がらせた女性が入ってきた。所長の妻である。
「お、お前…どうかしたのか?」
「どういうつもりよ」
「な、何が?」
「あなたのゴルフバックの中から、これが出てきたのよ」
妻の手には、所長が隠し持っていたもう1つの携帯電話が握られていた。
「あ、ああ…それか…それは…その…あれだ…ほら…あれだよ」
「あさみって女と随分親しそうにLINEしているじゃない」
「み、見たのか」
「文句あるの」
妻は眉間にシワを寄せ、男を睨みつける。
「い、いや、別に…」
「さ、ゆっくり話を聞かせてもらいましょうか」
そう言うと、妻はカウンター席に腰を下ろした。所長は妻から顔を逸らし、パソコンの方に向くと、いかにもまだ仕事中といわんばかりに、キーボードを打ち始める。雲行きが怪しくなってきた。大荒れになりそうだ。雷が落ちる前に…ここに晴男を派遣しなければ。なんて、冗談を言っている場合ではない。どうにかしなければ…
数日が過ぎ、事務所に映画製作会社の男から、お礼の手紙と映画の前売り券が届いた。本物の雨で撮影したラストシーンは、見応えがある素晴らしいシーンになったようだ。某プロ野球球団のゼネラルマネージャーからは、つい先日電話がかかってきて、8連戦という強行日程を6勝1敗という好成績で終われたようだ。雨で4試合目を中止に出来たことで、選手たちの体力が回復出来たと、たいそう喜んでいた。また使わせてもらうと言っていたので、リピーターになってくれそうだ。あの癖毛のウブな男の子の初デートも良い感じだったようだ。その日のうちに事務所にお礼のメールが届いた。メッセージの最後に彼女と撮ったツーショット写真が貼り付けてあった。よっぽど嬉しかったのだろう。写真の男の子は、癖毛を上手く活かしたオシャレな髪型をしていた。
所長は映画の前売り券をそのウブな男の子に送ってあげようと思った。妻とは喧嘩中だし、こんな青あざだらけの腫れあがった顔では、誰もデートなんてしてくれないだろうから。あの日、ここに血の雨が降った事は言うまでもない。
終