6・夢で逢えたら
それからもその気配は、タミリアが夜中に目覚めると闇の中に確かに存在した。
離れていてもギードの魔力の気配に気づかないわけがない。
「ギドちゃん、ねえ、出て来ないの?」
ある雨の夜、タミリアはその闇に向かって手を伸ばした。
今日は雨のせいで遠征も訓練も中止になって、なかなか寝付けない夜だった。
普段なら夜中のお手洗いも行くのを渋るほど怖がりなタミリアだが、その気配がある間は闇を恐れることがない。
何故なら、そこにギードがいると確信出来たからだ。
雨の音は優しく、一定の音楽のように闇に溶けている。
タミリアはそれに勇気づけられて毛布を抜け出した。
ギードの気配へと近づき、手を伸ばす。
闇の中から出て来たのは白い手だった。
一瞬、タミリアはギクリとしたが、金色の指輪をした見慣れた手だと気づく。
「なんだ、やっぱり居たのね」
心配性の夫が自分を気遣って来てくれた。
いつもどこかで見守っていてくれると何となく感じていたので驚きはない。
タミリアは、闇に伸ばした手でその白い手を掴む。
ずりっと闇から生まれたように黒い髪のハイエルフが姿を見せた。
森の館での普段着の姿のままのギードだった。
「ギドちゃんも眠いでしょ?、こっちに来て」
おおよそ一か月以上、声も交わしていなかったことなど忘れ、タミリアはギードを寝台に誘う。
素直にギードの身体がタミリアに寄り添い、二人は毛布にくるまった。
ギードからはエルフ特有の森の匂いがする。
タミリアはうれしそうに微笑み、ギードをいつもしていたように抱き枕代わりに抱き締めた。
「ギドちゃん、おやすみなさい」
久しぶりの感触に、タミリアは喜びのあまり、ギードの異変に気付かなかった。
その姿は間違いなくギードであった。
普段通りの部屋着で、タミリアの声に反応して近寄って来た。
だけど、その瞳にはやはり何も映っていなかった。
朝になってタミリアはギードの姿がないことに気付いても驚かない。
ギードは夜明け前の森の散歩が習慣だったので、いつも先に起きている。
「んー、良く寝たあ」
タミリアは機嫌良く起き出し、いつものように朝の準備を始める。
ふと、部屋の食卓の上に朝食が置かれているのを見つけた。
「あ、パンケーキ、久しぶり!」
ギードはタミリアの好みを完全に把握している。
大皿に、焼き立ての大量のパンケーキとシロップ、果物のジャム。
そして薬草茶の入ったポット。
「さすが、ギドちゃん、ありがとう」
タミリアは天井に向かってギードに対するお礼を言い、さっさと顔を洗って椅子に座るとカップにお茶を注いだ。
「タミリア、朝食に行くよー」
いつものように食堂へ誘うためにヨメイアが部屋に入って来た。
しかし、パンケーキの山に驚いて動きが止まる。
「何、それ」
「うふふん」
ヨメイアは幸せそうなタミリアの顔を見て、それがギードからのものだと予想がついた。
「来たのか、あの腹黒エルフ……」
いつかは来るだろうとヨメイアも思っていた。
あれの動きは誰も予想が出来ないが、妻のタミリアがいる場所なら絶対に嗅ぎつけて来るに決まっている。
「ご、ごゆっくり」
一瞬ヨメイアもご相伴に預かろうと思ったが、どこからかギードが見ている気がして辞めておいた。
その日の遠征、タミリアは絶好調であった。
シャルネたちが訪ねて来てからしばらく何かを迷っていたようだったので、ヨメイアや遠征隊の兵たちはホッとするのだった。
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コンはギードの様子が変わったことに気付いた。
「タミリア様の香りがしますね」
ギードの側に行くと、ほんのりとタミリアが使っている石鹸の匂いがした。
少しずつギードの金色の混ざる深い緑の瞳が色を取り戻す。
「ギード様、タミリア様はお元気でいらっしゃいましたか?」
少量しか口にしない食事の皿を出しながらコンが訊ねる。
「タミちゃん……」
「お会いになられたのでしょう?」
食卓の椅子に座っていたギードが、驚いたようにコンを見上げた。
「夢の中のことなのに、なんでコンが知ってるの?」
感情を顕わにしたギードにコンは不思議そうに首を傾げる。
「このところ、ギード様が夜中にお出かけになっていらっしゃるのは確かですので」
「え?、出かけてる?」
もしかして無意識に、または無夢病とかいう病のせいで記憶が曖昧なのか。
コンは「タミリア様の香りがします」と、ギードの髪を証拠に突き付けた。
「……そうなのか」
ギードは大きく息を吸い込み、タミリアの香りを確認する。
「それじゃあ、あれは夢じゃなかったんだな」
確かに見慣れない台所で、大量のパンケーキを作った記憶があった。
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それはおそらく夢の中でもタミリアを求め続けたギードの執念のようなものだろう。
タミリアが遮断していた指輪の魔法を解除したことで、ギードはタミリアの魔力を感知した。
そして砦の魔法結界をものともせず、ギードは闇魔法による影移動で易々と侵入する。
「タミちゃん……」
ギードの目の前に寝間着姿のタミリアがいる。
「ん、どうしたの?」
五日ほど毎晩のようにギードが来ているので、タミリアは今更何も驚かない。
しかし、ギードはこの日、初めてタミリアを意識した。
「本物だ」
「当り前よ」
恐る恐る寝台に腰かけるタミリアの隣に座る。
毎晩、ギードは夢を見ていた。
いつものようにタミリアに抱き枕にされて眠る夢だった。
目覚めるのが辛くて、毛布の中で硬く目を閉じて一日を過ごしたこともある。
でも最近は、タミリアの寝顔を見て、パンケーキを焼き、満足して目が覚めた。
「タミちゃん」
薄っすらと涙を浮かべるギードの頭を、タミリアは子供のようにヨシヨシと撫でる。
「タミちゃん!」
ギードはたまらずタミリアを抱き締めた。
そして、これは夢ではないのだと実感する。
「良かった、無事で」
そう言ってまっすぐに顔を見ると、顔を寄せて唇を重ねた。
「ちょ、ギドちゃん」
その間、タミリアはただワタワタと戸惑っていた。
「タミちゃん、本当に良かった」
ギードの頬を涙が伝い落ちた。
「え、だから何よ」
ギードは抱き締めても、口づけをしても、タミリアに投げ飛ばされないことに気付いた。
以前からだんだんと殴られる回数は減っていたし、最近は知らない男性でもタミリアは話しかけられるようになっていた。
それはそれでとても複雑な心境で、だけど間違いなく良いことではあった。
タミリアは気づいていなかったが、それは『極度の男性嫌い』が治った証拠だった。
「タミちゃん、君は一か月以上も好きなことをしていたよね。
夫である僕に相談もなく」
突然、ギードが真面目な話をし始める。
ギードが自身を『僕』と言うのは珍しいことだが、一時的にしろタミリアに去られた傷が何かしらの変化をもたらしたようだ。
タミリアは少し負い目があったので目を逸らす。
シャルネとスレヴィにあんなに呆れた顔をされたのだ。
きっと不味いことだったんだろうと、少し反省している。
しかし、その気持ちはすぐに後悔に変わった。
「では、僕も同じように今日から一か月ほど好きにさせてもらうよ」
ギードが初めてタミリアに対して黒い笑みを浮かべた。
「は?、え?」
そのままギードはタミリアを寝台に押し倒した。
「あっ」
ギードの身体からは魔力の気配がした。
鍛えられた魔法剣士であるタミリアを抑え込めるほどの身体強化の魔法。
タミリアはギードを傷つけないよう、そっと腕を彼の背中に回した。
ギードはこの日が来ることをどれだけ待ちわびただろう。
タミリアが抵抗しないのを確認すると、身体強化を解き、ゆっくりと身体を重ねた。
翌朝、タミリアが目覚めると、ギードは朝食のパンケーキを焼いているところだった。
「おはよう、タミちゃん」
「ん」
タミリアは身体の怠さに顔を赤くしながら起き上がり、急いで服を着た。
「今日は遠征はお休みをもらっておいたよ。
ちょっと話があるんでね」
楽しそうにパンケーキを焼くギードの背中に、タミリアは「分かった」と返事をした。




