21話 帝国の皇子
「マルスさまが……あのマルシアス殿下?」
エミリーはあんぐりと口を開けた。
衝撃的な事実であった。
いや、話の流れで勘づきつつはあったのだ。
だがいざそうだと言われると、おどろくほかない。
「えっと、混乱していますわ……古代竜を打ち負かしてその心をつかんだ最強の竜騎士で、ケルエム皇帝の後継者と名高いあのマルシアス殿下ですわよね?」
エミリーはあまりの混乱のすえ、ブツブツとひとりごちながら眉をひそめる。
マルスがケルエムの第一皇子マルシアス。
副騎士団長や古代竜まで現れたことを考えれば、それは真実なのだろう。
理屈ではわかっているのだが、あまりに途方もないことで感情が追いつかない。
なにしろケルエム帝国はシュトワールふくめた周辺7ヶ国の盟主国であり、大陸でも覇権を争う大国。
これが真実となると、自分はその大国の皇子とこれまで気安く関わっていたことになるのだから。
実感がわかない。
だがじわじわと現実味を帯びてきて、エミリーは顔を青くする。これまでを思いかえすと、ひどく失礼なことをしてしまった気がする。
(茶会というのもケルエムでのことかしら?)
幼少期、母方の縁で帝国を訪れたことがあった。
たしか王侯貴族と茶会をご一緒したはず。
そのときに彼と出会っていたのかもしれない。
エミリーがあれこれ考えていると、マルスが――いや、マルシアスが口を開く。
「古代竜を負かした最強の竜騎士か……噂とは誇張されるものだ。矮小な人間ごときがこのディザシオンを打ち負かせるわけがないのだがな」
言いながら、古代竜の顎を優しくなでる。
ディザシオンはうれしそうに喉を鳴らした。
「それより殿下……ほんまに竜騎士団を雑な使い方してくれおったな。陛下ですらこんなあつかいせえへんぞ。素性もバラさんとわざと捕縛されたんやろ?」
メルヴィルがジト目を向けると、マルシアスは悪びれる様子もなく笑った。
「いかに第一皇子と言えども、竜騎士団を動かすにはそれなりの理由がいるからね。とりあえず捕まっておけば、きみたちも動かざるをえないだろう?」
あきれた御方や、と。
メルヴィルはやれやれと肩をすくめた。
マルシアスはメルヴィルの肩を叩いたあと、凛々しい顔をエミリーへと向けた。
「エミリーさま、黙っていて申し訳ございません」
自分が蚊帳の外だと思っていたため、突然話しかけられて慌てふためくエミリー。
「いえ、とんでもない……! マルスさまにも……いえ、マルシアス殿下にもご事情がございますから! お気になさることはございませんわ!」
慌てて名前を言いなおす。
だがそれにマルシアスは不満げだった。
「どうか、これまでどおりに呼んでいただきたい。愛称みたいなものですから」
「いえ、さすがに他国の皇子殿下にそのような……」
エミリーはぶんぶん首を振った。
いくら見知った仲でも、他国の皇子を愛称で呼ぶことなどできるはずがない。
そもそもマルスが愛称だとわかっていれば、他国の皇子でなくともそう呼ぶことは拒んでいただろう。
「……そう、ですか」
エミリーの返答にマルシアスは肩を落とす。
まるで、この世のあらゆる絶望をその身に受けたかのような表情であった。
哀しげな主を見てか、メルヴィルが横槍を入れる。
「……ほう、あんたがエミリーさまか?」
「お初にお目にかかります、副騎士団長さま。エミリー・ウィンゼルと申します」
メルヴィルは興味津々といった様子でエミリーを見やってくる。
不躾な視線ではあった。
だがその人柄ゆえか特に不快さはなかった。
「……まあなんだ。殿下もそう呼んでほしいっちゅうとるんやから、そう呼んでやってくれんか? あんたも呼びなれた名のほうが呼びやすかろう」
「え……しかしそれはさすがに」
エミリーはやはり断ろうとする。
だがそこで、マルシアスがあまりに切実な顔でこちらを見ているのに気づく。
そこで言葉を中断したのが罠だった。
断ればさらに落ちこみそうなマルシアス。
気づけば頭までさげてきているメルヴィル。
完全に断れない空気になってしまっていたのだ。
「では、マルス……さま?」
しかたなく、愛称だというその名を呼ぶ。
これまでそう呼んでいたのに、いざ愛称だと知らされてから呼ぶと気恥ずかしくてしかたがなかった。
直後――パッ! と。
マルシアスの表情が明るくなった。
まるで花が開いたかのようだった。
「はい、エミリーさま!」
凛々しい顔を無邪気にほころばせるマルシアス。
なぜこれほどまでにうれしそうなのか。
まるで新しい玩具を手にした子供のようだ。
(……尊い、ですわ)
そんなによろこぶことかしら、と。
疑問に思いつつも、そのかわいらしさに胸を射抜かれてしまうエミリー。
ふだんの凛々しさのせいで、無邪気な様子とのギャップがとてつもなかった。
元々かわいいものに目がないエミリーだ。その顔があまりにもかわいらしく、いますぐに彼をよしよしとなでまわしたくなる衝動に駆られる。
しかしそんな和やかな時間は――
「ええい、なにをイチャコラとしておる!!!」
「あたしらを無視してんじゃないわよ~!!!」
耳障りな二人の声にぶちこわされる。
リオンとジェニファーであった。
処刑台からキーキーと声を張りあげている。
「無礼なのはそっちやろ、身のほどを知れや」
メルヴィルがすかさず恫喝するように言った。
耳をふさぎ、不快そうに目を細めている。
だがマルシアスがそんなメルヴィルをいさめ、一歩前へと歩みでる。
「失礼いたしました、リオン殿下にジェニファー嬢。愛しい人を前にすると、どうしても自分の感情の制御できなくなってしまうのです。ご容赦ください」
貴公子の笑みで、とんでもないことをのたまう。
(い、愛しい人……って!?)
それが誰のことかは言及していない。
だがこれまでのことを考えると、それは自分のことを指す可能性が高くて。自意識過剰なのかもしれないけれど、エミリーは頬を朱にそめてしまった。
「……」
しかしそこで――ニコリ、と。
ダメ押しとばかりにマルシアスに微笑を向けられたものだから、エミリーはボフッと頭から音が出そうなほどに顔を真赤にしてしまう。
我ここにあらず。
昇天するのではというぐらいに呆然自失になった。
「愛しい……人?」
一方でリオンとジェニファーは首をかしげている。
それはともかく、と。
マルシアスは愛でる視線をエミリーに向けたあと、二人へと向きなおる。
「貴方がた二人の物語は、これにて閉幕です。ケルエム帝国皇子の名のもとに、聖女殺害をもくろんだ偽聖女ジェニファー・ロマノフおよび共謀した王太子リオン・フォン・シュトワールを拘束させていただく」
一転して厳しい表情でそう言った。
マルシアスの鋭利な視線が、リオンとジェニファーの二人を刺しつらぬく。
なにを世迷い言を、と。
リオンは余裕の微笑でそれを一蹴する。
「ここは俺の国だぞ? 此度の貴殿の行動は内政干渉であり、盟約違反だ!」
「そうよそうよ、そんなことがまかりとおると思ってるわけ~?」
「残念ながらまかりとおるのです。ここはリオン殿下の国でなく、殿下の父君の国ですから」
メルヴィルあれを頼む、と。
マルシアスはメルヴィルに声をかける。
「ほい、どうぞ」
メルヴィルはすでに準備をしていたらしい。
ふところから筒状になった羊皮紙を取りだすと、それをマルシアスに手渡す。
マルシアスはそれをリオンに広げて見せた。
「この書状には、同盟国ならびに貴方の父君カルロス陛下の署名がある。貴方がたを捕縛することに賛同いただいている証明だ。もはや貴方がたにはなんの権限もない。貴方がたは、ただの罪人だ」
「父上が!? まさか!?」
驚愕に目を見開くリオン。
マルシアスは書状を丸め、リオンへと放りなげる。
リオンは書状を広げ、その内容を確認する。
「俺が罪人だと……!? こんなことが……!?」
そして嘘がないことがわかったのだろう。
信じられぬと何度も首を振った。
「間違いあらへんで、血の契りもしていただいている。大変やったで、わざわざ同盟国それぞれにお伺いをたてにいったんやからな。しかもカルロス陛下は戦の真っ只中やったから、助太刀してわざわざ事情を一から十まで説明したわ」
骨が折れた折れた、と。
言葉とは裏腹に愉しげに説明するメルヴィル。
(……そういうことだったのですわね)
マルシアスのふいうちからようやく復活したエミリーは、ひとり納得する。
竜騎士という駿馬を持ちながら、メルヴィルたちはギリギリまで現れなかった。
それはカルロスと同盟国の承認を得るため、手回しをしていたからだったのだ。
大国だろうと、他国への内政干渉はご法度。
断りなくそんなことをすればいずれ問題になるから、それを防ぐために。
「さて、終わらせましょうか……この喜劇を」
鋭く目を細め、片手をあげるマルシアス。
すると竜騎士が騎乗するまわりのドラゴンが、古代竜のそばで咆哮をあげた。
準備万端。いつでも動けるという様子だ。
「ぐぬぬ……」
悔しげに歯噛みするリオン。
相手は古代竜ふくめ、十騎を超える竜騎士。主戦力の魔法騎士がカルロスと戦地におもむいていることもあり、リオンたちに勝ち目は皆無だった。
正直、抵抗するだけ無駄である。
リオンもそのことには気づいているのだろう。
「捕まってたまるもんですか~!!!」
しかし一方で、ジェニファーはまだあきらめていないようだった。
「なんであたしたちが捕まんなきゃなんないのよ~! いきなり出てきて、まじ意味不明! もう少しであの女を始末してぜんぶ手にいれられるところだったのに、ここで終わってたまるもんですか!」
「し、しかしジェニファー……ここは素直に拘束されたほうがよいのでは? 真実はあとであきらかにすればよい。相手はあの竜騎士だ、勝ち目はない」
リオンは諭すように言う。
しかしジェニファーは聞きいれない。
ガマガエルのように粘着質な微笑をうかべ、
「……勝ち目がないなら戦わなければいいのよ~」
全身から黒い魔力をあふれさせた。
禍々しいその魔力は生物のようにうごめく。
そして、まっすぐマルシアスへと向かった。
「マルシアスさま、危ない!」
エミリーが叫んだときには遅かった。
ジェニファーの魔力は、すでにマルシアスの体を覆いつくしてしまっていた。
ニチャア、と。
ジェニファーの口の端が不気味に広がった。
「……ねえねえ、マルシアスさま~? あんたにも野心があるでしょ~? あんたの力とあたしのこの力があれば、この大陸を統べることも可能かもしれないわよ~? どう、手を組まな~い?」
「大陸を統べる……ですか」
ジェニファーの甘美な誘惑が。
マルシアスに手を伸ばし、その心をなでる。
さきほどまでの勇ましさを失うマルシアス。
ジェニファーはそれを見て鼻息を荒くし、もう少しだとばかりに言葉を続ける。
「……そう、大陸どころじゃないわよ~? あたしの力とケルエムの国力があれば、この世界さえも手中におさめられるかもしれないわ……この世界の覇王になりたくない~? このあたしが聖女として……王妃としてあんたを支えてあげてもいいのよ~ん?」
しかしジェニファーがそこまで言い、とどめとばかりにウインクをして見せたときだった。
クスッ、と。
マルシアスは吹きだし、我慢できぬと笑いだす。
「な、なにがおかしいのよ~!」
ジェニファーが声をあげた瞬間、マルシアスは自身にまとわりつく黒い魔力を手で振りはらった。
そして肩が凝ったとばかりに首をまわす。
「精神干渉魔法は、ぼくには効きませんよ。この程度で影響を受けるようでは、ディザシオンの心などとてもつかめません。生半可な心では、古代竜の心に触れただけで壊れてしまいますから」
「あ、あたしの魔法が効かない!? 嘘でしょ!? いままでそんなのひとりもいなかったのに~!?」
よっぽど自分の魔法に自信があったのだろう。
ジェニファーは信じられぬという様子で首を振る。
マルシアスは構わず言葉を続ける。
「それに……貴方の力などなくとも、この大陸ぐらいは統べてみせるつもりです。それぐらいでなければ愛しい人には釣りあいませんから」
ちらとエミリーに視線を向け、微笑をうかべる。
彼は何度自分を昇天させるつもりなのか。
エミリーはふいうちをまともに受け、あわわわとふたたび呆然自失状態になる。
イケメンだし乗りかえようと思ったのに、と。
ジェニファーは悔しげに舌打ちする。
そしてあきらめるのかと思いきや――
「――まあいいわ、じゃあ死になさい!!!」
黒い魔力をふたたびその手に集め、魔力の矢に変えてマルシアスへと放った。
襲いくる禍々しい漆黒の矢を見つめ、だがマルシアスはまったく動かない。
代わりに動いたのは、古代竜だった。
古代竜は口腔内に一瞬で灼熱の炎を生成。
爆発のごとき轟音とともにそれを射出した。
黒い矢は炎にのみこまれ、一瞬で消し炭になる。
「……!?」
だが炎の勢いはいまだとまらない。
灼熱の熱線は、そのまま矢を放ったジェニファーその人へとまっすぐ向かった。
ジェニファーはそれに気づき、丸々とした体から想像できぬほど敏捷に跳躍。
しかし炎を回避して微笑をうかべたところで、ドレスに着火したことに気づく。
結局全身に炎が広がり、火だるまになった。
「うぎゃああああああ! あついあつい!!!」
耳をつんざくような悲鳴をあげながら、無様にのたうちまわるジェニファー。
そこに慌てて駆けよるリオン。
しばしあって――
なんとか火を消しとめることに成功する。
「言ったでしょう、貴方がたの物語は閉幕だと」
黒く煤けたジェニファーを睥睨し、マルシアスはあらためて現実を突きつける。
その目は、凍てつくほどに冷えきっていた。
こんがりと焼けたジェニファーの手当てをしながら、リオンが声を荒げる。
「帝国の後継者とあろうものが卑怯だぞ! 帝国の権力や古代竜を使いおって、こんなの貴様の力ではないではないか! どうせ他国も父上もこのように脅し、無理やり署名させたのであろう!」
マルシアスはフッと鼻で笑った。
「な……なにがおかしい!」
リオンがそう言ったときだった。
マルシアスは、なんと古代竜の背から跳躍。
はるか上空からの衝撃をものともせず。
処刑台の上、リオンの前に軽やかに着地した。
「……」
リオンとマルシアス。
二人の距離は、わずか十歩程度。
もはや、あってないような至近距離だった。
マルシアスに眼前で無言の圧力をかけられ、リオンはびくびくと後ずさる。
震える手で腰の剣に手をかけ――
「!?」
直後。マルシアスは一瞬でリオンとの間を詰める。
そして、その手の剣を蹴りあげた。
剣はリオンの手を離れ、くるくるとまわりながら上空へと舞いあがった。
「……ひいいいいい!」
マルシアスが殺気をにじませた眼光でギロリとにらむと、リオンはのけぞった。
そのままひっくりかえり、尻もちをつく。
その瞬間に蹴りあげた剣がちょうど落下。
視線すら向けず、マルシアスはくるくるとまわるその剣の柄をつかみとり――
「――――」
切っ先を、リオンの喉元に突きつけた。
リオンは剣を見つめ、ごくりと唾をのむ。
切っ先はわずかにリオンに触れ、首筋からスッと赤い血がつたっていた。
そこまで、わずか一瞬のことだった。
「貴方は自分を棚にあげ、他人の揚げ足をとるのが得意なようだ。だが自省できぬものに王は務まらない。民の心が離れていることに気づかないのですか?」
マルシアスはちらと広場に視線を送る。
さきほどの騒ぎで大勢逃げだしたとはいえ、広場にはまだまだ民が残っていた。
その民が処刑台へと声をあげていた。
『いいぞ、帝国の皇子さまー!!!』
『バカ殿下をさっさと殺っちまえ!!!』
『俺たちをゴミ扱いしやがって!!!』
完全に勝敗が決したからだろう。
罰せられるからと声をあげるのを躊躇していた民が、ここぞとばかりに声をあげている。なかにはリオンに石を投げつける民すらいた。
「愚民どもめ……この恩知らずが!!!」
「ああもう、痛いってば~! ふざけないでよ、薄汚い下層民のくせに~!!!」
リオンとジェニファーは絶えず投げられる石から身を守り、顔をゆがませた。
マルシアスはやれやれと息をつく。
「……恩知らずは貴方がたでしょう。誰のおかげで贅のかぎりを尽くせたと思っているのです? 国とは民だ。民への感謝がなければ、国は成りたたない。一方的に圧政を敷き、なにも民に返さなかった結果がこれです。民はもはや貴方を王太子とは認めていない」
「ボンボンの帝国皇子ごときが偉そうに語るな! いいご身分だな……! 帝国皇子で、最強の竜騎士となる才があり……その容姿だ! さぞもてはやされて育ったことだろう! 俺とは違って!!!」
なにが逆鱗に触れたのか、声を荒げてマルシアスをにらみつけるリオン。
その視線は、憎悪に満ち満ちていた。
マルシアスはリオンにあわれむような視線をかえし、ふたたび息をついた。
「スピカさまにさきほどあそこまで諭されたのに、まだわからないのですか?」
まっすぐにリオンを見つめ、言葉をつむぐ。
「貴方がどれほどの痛みを抱えて生きてきたのかは……ぼくにもわかりません。それは貴方以外の誰にもわからないことだ。だがそれはこの世界に生きる誰もが同じこと。それぞれが人に理解してもらえぬ苦しみや痛みを抱えて生きている」
「だから……なんだというのだ! 皆そうだから、おまえも我慢しろとでも!?」
リオンの怒声が、処刑台に虚しく響く。
その声はわずかに震えていた。
まるで飼い主に暴力を振るわれ、人を信じられなくなり、人を威嚇する子犬の鳴き声のように。
そうではない、と。
マルシアスはゆっくりと首を振った。
「いまでこそ……ぼくは皇子として、ありがたいことに皆に認められつつある。だが幼少期は妾妃の子だったこともあり、王宮内では疎まれていました。暗い暗い場所に閉じこめられたように、ぼくはずっとひとりだった。自分で言うのもなんだが、ぼくも苦しんでいたのです」
当時のことを思いだしているのだろう。
マルシアスは目を伏せ、唇を噛みしめた。
リオンはそれを見て、ごくりと唾をのむ。
「だが……そんなぼくにも、手を差しのべてくれた人がいた。闇にとらわれたぼくの手をとり、救おうとしてくれた人間が。おかげでぼくは立ちなおり、いま前を向いて歩くことができている。ぼくは思うのです。苦しみは誰もが抱えているものだ。だが同時にそんな人間を救おうと手を差しのべてくれるものもまた必ずいるのだと。貴方にもそんな人がいたはずだ。いまとなりにいる欲と嫉妬にまみれた悪魔でなく、純粋に貴方を救おうとしてくれた人間が」
ジェニファーを見て、マルシアスは首を振る。
そしてまっすぐに真摯な視線をリオンへと向けた。
リオンはジェニファーをかばうように手をあげる。
「なにを言っている、ジェニファは悪魔などではない! 彼女は聖女で……この俺を闇から、うッ」
しかしそこで頭痛を感じたように頭を抱えた。
ジェニファーの精神干渉魔法とリオンの理性が戦っているのかもしれない。
マルシアスはエミリーのほうをちらと一瞥する。
「……エミリーさまだって、きっと貴方のことを陰から支えてくれていたはずだ。きっと手を差しのべてくれていたはずだ。だが貴方は彼女の手をとらず、悪魔の手をとった。拒むことだってできたはずなのに、正しい道を選ぶことだってできたはずなのに、結局悪魔の甘い誘惑にのってしまった。それが貴方の罪です」
力強く、はっきりとそう告げた。
リオンはすぐに反論しようと口を開きかけ、しかしなにも言えずに口ごもる。
なにか迷うように唇を噛みしめた。
「俺は……俺は……」
苦しげにうめくリオン。
その苦しみがジェニファーの魔法との争いによるものか、あるいは単に彼の心の葛藤によるものなのかは判断しようもなかった。
そんなリオンを見つめ、マルシアスは首を振った。
「貴方の選択をいまさらどうこうは言いません。もはや取りかえしはつかない。精神干渉を受けていたとしても、根本は貴方の意志で責任だ。貴方は悪魔にそそのかされ、この世界の希望である聖女殺害をくわだてた。拘束してこの国のものにまかせるつもりでしたが、結局いずれ処刑されるのだ。いまここで、その罪を命で償っていただきしょう」
そう言い、剣を握りなおした。
リオンを見つめるマルシアスの目は――
(……なんと冷たいのでしょう)
これまでに見たことがないほどに冷ややかだった。
彼は本気だとエミリーは思った。
人の上に立つものは、時に無慈悲な決断をせまられる。本来は比べるべくもない人と人の命の選択すらせまられ、そして決断せねばならぬのだ。
眼前のマルシアスはこれまでに見た優しい彼であり、彼でない。支配者として人の上に立つ覚悟を決めたもの、皇子としての彼なのだ。
「ま、待て……! 命だけは……!」
リオンは目を見開き、慌てて後ずさる。
しかしマルシアスは無言でその距離をつめる。
冷えきった目でリオンを見おろし――
「……」
そして躊躇なく、断罪の剣を振りかぶった。




