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2話 聖女の片鱗

 

「……ふう」


 人気のない王城の中庭。


 エミリーはまわりに人がいないことを確認する。

 それから大きく息を吸い、吐いた。


 足の痛みがひどく、一休みしたくなったのだ。


「……」


 春にはきれいな花々で彩られる中庭。


 だが、いまの時期は非常に殺風景だった。

 もの寂しいその中庭の様子が、いまの自分を映す鏡のように見えてしまう。


 エミリーはしゃがみこみ、顔を覆った。


(ダメ……)


 休息をとり、緊張の糸が切れてしまったようだ。


 聖女として、そして王太子の婚約者として。

 みなに尊敬される母のような凛とした女性であろうと、エミリーは必死に努力してきた。


 そんな積みかさねが、今日で終わったのだ。


 そう思うと、熱い感情があふれてくる。

 激情は胸からじわじわとせりあがり、一筋の涙となって白皙の頬をつたった。


 そして――ぽたり、と。

 雫となってこぼれ、地面に濃いしみをつくった。


 しかしそこで、ぶんぶんと首を振る。


(ここで泣いては……ダメ)


 夜会から帰るまでは――馬車に乗るまでは。


 侯爵家の人間として、凛と振るまわねばならない。

 それが国民の血税で生きる貴族たるものの務めだ。




「――どうなさいましたか?」

「!?」




 ふいに声をかけられ、ハッとする。


 顔をあげると、そこにいたのは若い男。

 やさしげな微笑をたたえた美貌の青年だった。


 シャープな輪郭。すっと通った鼻梁。

 穏やかで垂れ目がちな瞳。


 そして、透きとおる白肌は輝いているようだ。


 そんな整いすぎた青年の面差しが、こちらを心配そうにのぞきこんでくる。


「……ッ」


 ドキッとして、つい顔をそむけてしまう。


 その顔に見覚えはない。

 だが正装を見るに、夜会に来た貴族だろう。


 彼のやわらかな物腰もあいまって、エミリーはわずかに緊張をゆるめる。


「驚かせてしまって申し訳ございません。ぼくはケルエム帝国の使者として、貴国に滞在させていただいているマルス・スチュワートと申します」

「帝国の……?」


 ケルエム帝国は、この周辺の国々をまとめている盟主国だ。このシュトワールとは比較にならないほどの力を持った大国である。


 この国に使者が訪れているとは知らなかった。


「あ、申し遅れました。わたくしはウィンゼル侯爵家の……」

「エミリーさま、ですよね? リオン殿下の婚約者であらせられる」


 マルスはやさしげな微笑を深めた。


 自身のことを知られていておどろく。

 だがこの国を訪れた使者なのだから、知っていて当然なのかもしれない。


(……もう、婚約者ではなくなってしまったけれど)


 いま夜会においでになったようだから、破棄のことは伝わってないようだ。


 マルスがあの場にいなくてよかったと思う。

 もし見られていれば、王太子の醜聞が大国から大陸中に伝わっていただろう。


 そうなれば、国の内輪もめでは済まなくなる。


「……」


 それはともかく、と。

 マルスはこちらを観察するように見つめてきた。


「お体が優れぬのなら、人を呼びますか……?」

「あ、いえ……大丈夫ですわ、ご心配をおかけして申し訳ありません。体調が優れず夜会を抜けだしたのですが、馬車はそこですので」


 微笑とともに一礼。

 さっさと歩きだそうとするエミリーだが――




「……ッ」

「エミリーさま!? 大丈夫ですか!?」




 一歩を踏みだした瞬間。

 足首に激痛が走り、その場にくずおれてしまった。


「これはひどい……」


 腫れあがったエミリーの足首に気づいて、マルスは端正な眉をひそめた。

 それから、ちらと馬車のほうを見て――


「馬車までは距離がある、肩をお貸ししましょう」

「いえ、他国のお方にそこまでは……」


 足の痛みは増すばかり。

 動かすだけで刺すような痛みを感じる。これではまともに歩けない。


 正直、彼の申し出にすがりたい気持ちはあった。


 しかし婚約者でない男女の触れあいはご法度。

 婚約破棄も正式なものではないし、もし誰かに目撃されれば無用な誤解をまねく。


 このやさしい青年に迷惑はかけられまい。


「人目はありませんし、他言もしませんので」


 しかしそんなエミリーの思考を読んだかのように、マルスはそう言った。


「しかしそれでも……!」


 それでもやはり、断ろうするエミリー。


 しかしその途中――キャッ、と。

 急に青年に抱きあげられ、悲鳴をあげてしまう。


「な、なにを……ッ!」


 エミリーは自分がされたことを即座に把握。

 一瞬で顔を羞恥にそめる。


(は、恥ずかしいですわ……)


 初対面の男性に抱きあげられてしまった。


 ただただ、恥ずかしい。

 それ以外の感情は、頭から消えうせていた。


「申し訳ない、だがしばし我慢していただきたい」

「……ッ」


 マルスはそう言うと、馬車へと歩きだす。


 いまさらおろしてもらうというのも、彼に悪い。

 エミリーは逃げ道を完全にふさがれ、そのまま彼の腕のなかでうつむくしかなかった。


(こんなの小さい頃にお父さまにされて以来ですわ)


 幼い頃を思いだし、少し物思いにふける。

 昔はよく父クラストに、こうしてやさしく抱きあげられていたものだ。


 いまの父は厳しく、あのときの面影もないが。


(重くないのかしら? さいきんお腹にお肉がついてきた気もするし……)


 エミリーは細身とは言っても成人だ。

 それを軽々と抱きあげ、彼はすいすい進んでいく。


 細身に見えたが、想像以上に鍛えているようだ。


 あっというまに馬屋につき、エミリーを下ろした。


 しかも、馬屋から直接は見えぬ場所までだ。

 目撃されないように気をつかってくれたのだろう。


「ありがとうございました、このお礼はいずれ……」

「いえ、お礼を言いたいのはこちらのほうです」


 朗らかな表情で言われ、首をかしげるエミリー。

 マルスは「しまった」という顔で苦笑する。


「お気になさらず。高貴で美しいエミリー嬢のお役に立てただけで至上のよろこびですので」

「……世辞がお上手ですわね」


 あわてるマルスを見て、エミリーはくすりと笑う。


 細やかな気づかいに加え、この美貌なのだ。

 祖国のご令嬢にも、さぞ人気なのだろうなと思う。


「いえ、世辞は苦手です。心にもないことを言うのはむずがゆくてしかたない」


 そして、マルスはさらりとそんなことまで言う。


 世辞は苦手。それはつまり、エミリーを褒めた言葉は世辞でないという宣言で――




「……ッ、それではこれで失礼いたします」




 エミリーは赤みがさした顔を隠すように、マルスからさっと顔をそむけた。

 身をひるがえし、馬車へと歩きだした。


(もう……まったく、世辞が上手なかたですわ)


 世辞が苦手というのもふくめ、世辞なのだろう。

 しかし、少し元気は出た。


 エミリーは微笑をうかべ、馬車へと乗りこんだ。




     *





(彼女、大丈夫だろうか)


 エミリーが去ったあと、王城の中庭。

 さきほど別れた令嬢の馬車を見送りながら、帝国の使者マルスは難しい顔をする。


(泣いて、いたよな)


 取りつくろってはいたが、目元が赤らんでいた。

 泣いていたと思う。


 足の痛みで泣いていた、というふうではない。

 打ちひしがれた彼女の顔を思いだすに、別の要因がありそうだった。


(ん? 花……?)


 思索にふけっていると、視界に花を見つける。


 殺風景な中庭の一区画。

 そこにだけ、きれいな花々が咲きほこっていた。


 昨日もここには来た。

 だが、そのときには咲いていなかったはず。


(さきほど、彼女がいたあたりだな)


 もしかして、と。

 マルスはひとつの逸話に思いあたる。


 聖女の涙には、恵みの力がある。


 生きとし生けるものの傷を癒やす力。

 そして、草花を成長させる慈愛の力が。


(彼女には力がないのではなかったのか……?)


 咲きほこった花々が彼女の力によるものであれば、この国にとっては吉報だろう。

 聖女の力がついに覚醒したということなのだから。


 しかしマルスにとってそれは、()()であった。



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