#1 泣き虫王子の旅立ち
かつて、平和な大地に覇を唱える者がいた。
武力で逆らうものたちを薙ぎ払い、傍若無人、唯我独尊の言葉のままに、人々を貶め見下し奴隷のように扱う。
世界を恐怖と暴力で支配したその者、いつしか人々は『魔王』と呼ぶようになった。
魔王を打ち倒すべく多くの勇気ある者が兵を挙げ、勇猛果敢に魔王に挑むが敵うことなく。
強大な力を前に、人々は絶望の闇に沈んでゆく。
幾数年の時が流れ、濃く深く人々を支配する闇のなかで現れた一筋の光。
光は恐怖を打ち払い、瞬馬の如き勢いで多くの人々を救ってゆく。
光を先頭に皆が続き、やがて強大な闇を討ち果たした。
魔王を倒し、世界を闇から救ったその者を、人々は『勇者』と讃えたのだった。
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『魔王』と『勇者』の戦いから数年。
世界には今日も平和な日々が続いている。
部族同士の小競り合いはあるものの、かつてのような大戦は無く、世界の多くの者達に争いとは無縁の時間が流れる。
それは大戦の中心に立った男にとっても同じことで。
「あ~、暇だなぁ、おい。」
「陛下、涎が出てますよ。」
縁側で寝転がり、涎を垂らしている長身の男、名をカイル・アーヴィン
だらしのないその姿からは到底想像もつかないが、この男こそかつて世界を救った勇者である。
魔王を倒し、世界を救った後、多額の報奨金を得た彼は、国を興し王となった。
大戦を経て有能な部下を持った彼にとって『王』とは退屈な職である。
政治や経済などの小難しい部分は部下が熟してくれるし、他の場面でも王である自分が出張る必要もない。
結局、自分は戦いの中でしか役に立たないのだと、痛感した。
「そういえばチビ助はどこ行った?」
「坊っちゃまでしたら、セナとともに中庭で稽古の時間かと。」
カイルには息子がいる。
王位継承者であるため息子は王子にあたるが、彼は自分の愛息を王族として育てるつもりはなく、自由奔放のままに愛情を注いできた。
結果として、彼はそのことを後悔することになったが…。
「うわぁぁぁん!」
「…あの泣き声、ったくチビ助め。」
「坊っちゃまにも困ったものですね。」
傍に控える執事と同じくため息を吐く、彼の愛息は優しい性格に育ったが、裏を返せばそれは臆病者で戦いを好まない。
せめて剣くらいは扱えるようにと稽古をすれば、大泣きし逃げ回る。
「若、いい加減逃げるのはおやめ下さい!アーヴィンの名が泣きますよ!」
「そんなこと言われてもぉっ!だって怖いものは怖いじゃないかっ!」
軽鎧に身を包んだメイドが木剣を片手に、幼さの残る王子を追い回す。
「この程度、当たっても痛いで済みます!」
「痛いのはゴメンだよぉっ!」
王子とて剣が一切扱えないということはなく、それなりの腕はある。
だが、勇気がない。
立ち向かうことなく脱兎の如く逃げ回り、戦うことを放棄してしまうのだ。
このまま平和な時間が続けば、臆病なままでも生きて行けるだろう、だが世の中そんなに甘いものではない。
いつか再び、戦火に包まれる時が必ずやってくる、王であるカイルにはその確信があったのだ。
『…我は滅ぶ、だがこれは終わりではない…。』
魔王の最後の言葉、その言葉を残し、魔王は炎に消えた。
再び、かつてのような戦いが起こったとしたら、カイルが健在であれば良いが、そうでなければ矢面に立たされるのはきっと愛息である王子、ロイ・アーヴィンである。
勇者と讃えられた自分と、救済の聖女と崇められた母の嫡子、人々の希望の光として担ぎ出されるの様は容易に想像できる。
無論、そのようなことのないよう、部下をはじめとした自分の周辺人物には言い聞かせてはいるが、民、所謂民意まではどうにも出来ない。
いつの世も、国を活かすのも殺すのも民意が大きな意味を持っている。
「びえぇぇぇぇん!痛いのは嫌だよぉぉぉっ!」
「さぁて、どうしたものかねぇ。」
王は腕を組み、空を見上げた。
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「…父様、いま、なんて…?」
「旅に出ろ、そう言ったのだ。」
謁見の間、本来ならば僕は父様の横に座るのが常だったが、今は僕が父様の前に跪き、王からの言葉を聞く立ち位置にいた。
「俺は今まで甘かった、おまえにはもう少し厳しく接するべきだったのだ。王族云々はどうでも良い、おまえは男として弱すぎる。…一度広い世界を目で見て肌で感じ、男を鍛えてこい。」
「そんな…!」
「安心しろ、一文無しで放り出すってわけじゃねぇ、食うに困らない金はやるし、旅の支えとしておまえの世話役であるセナも連れていって良い。ただし、一箇所に留まることは許さん。」
「急に、そんなこと言われても…。」
「身分も隠せよ?世界を周るなら王族なんて看板は邪魔になるだけだからな、おまえはロイ・アーヴィンじゃなくロイ・ホーキンスと名乗れ、俺の仲間だったやつの家名だ、話もつけてあるから裏を取られてもおまえが王族だとバレることはねぇ。」
「ちょ、ちょっと待ってよ!僕の話もっ!」
「広い世界を見てこい、そして俺がそうだったように多くの人達と出会え、経験を積み、心と体を鍛えろ、…帰ってくる頃には女の一人でも連れてくるんだな。」
口を出す事も出来ず、続々と僕の周りに旅の荷物が整えられてゆく。
「期間は設けんが、直ぐに逃げ帰ってくるようなことがあれば勘当だ。それこそ一文無しで外に放り投げるからな。」
「えぇっ!?それじゃあ、僕はいつ帰ってきたら良いのさ!?」
「おまえが男として自信がついたら帰ってこい、自分自身を省みて誇れると思えたとき、俺の前に戻って来い。」
「無茶苦茶だよ…。」
「これくらいでなけりゃ、おまえの弱虫は治らねぇだろうからな、外に出れば魔物に出くわすこともあるだろう、コイツを持っていけ。」
「うわわっ、これって剣?」
投げ渡されたのは剣、豪華な装飾や派手な細工もない、ごく普通の見た目をした片手剣だった。
「そいつは俺が旅に出るときに親父、おまえの爺ちゃんから譲り受けた剣だ。見た目はボロだがかなりの業物だから使い勝手は良い、俺が保証する。」
「父様の剣を、僕が…?」
今まで一度だって、他の人間が自分の剣に触れることを許さなかった父様が、僕にお古とはいえ剣を預けてくれた。
「父様…。」
「おう。」
しっかりと前を向いて父様の目を見る、正直、外の世界を旅するのは怖い、だけど、剣を預けてくれた父様の信頼にはしっかりと応えたい。
「僕は弱虫で、臆病者だけど、でも、僕は父様のような強くて優しい勇者になりたい、ずっとそうやって憧れてて、だからっ。」
僕には無理だと何度も思った。
書物や爺やから聞くような『勇者様』なりたいと思っても、臆病な自分に負けてしまっていた。
もしも、そんな自分が変われるとしたら。
変わることが、出来るのならば、今しかない。
「僕、行ってきますっ!」
「…あぁ、行って来いチビ助。セナ、倅を支えてやってくれ。」
「御衣のままに、身命を賭して、若をお支え致します。」
セナを連れて、僕は謁見の間を後にする。
いつになるか、自分にも想像がつかない。
だけどきっといつか、僕は父様のような強い勇者様になってここに戻ってこよう。