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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ランドリア王国の若姫

作者: 深川 火鼠

「か、神様……」


 王族の証である銀髪に、飛んできた赤が混じった。

 シェーラの部下――近衛騎士の血だ。


「こいつがそうか」

「間違いありません」

「いたぶり甲斐の有りそうな女だが……生かしておけとは言われてねえからな」


 眼前には麻布を巻いて顔を隠した男どもがいた。手にしたナタは錆の赤よりねっとりした血の赤に濡れている。


 窓の外から剣戟の音がしていた。宿の周辺でも部下たちが襲われているのかもしれない。

 助けを呼ばなければ。

 しかし腰が抜けて立てないシェーラは、男たちの下卑た視線に「ひっ」と喉が縮こまってしまう。


 龍にさらわれたときより、身近な人間が死体となって転がるいまの方が恐ろしかった。


「や、やめて……ください……」

「ソソることを言うんじゃねえよ。おい、始末しろ」

「へい」

「い、いやです……ああ、神様……どうか……」


 床板を軋ませて男が迫る。

 少女は目を閉じ、祈った。


 これが『定めの神』の思し召しなのだろうか。自分はここで終わるのか。自分などに使命を果たすことは最初からできなかったのか。


 吹き込んできた風に、シェーラの銀髪が揺れた。



「させねえよ」



 開いた窓の桟に両足を乗せ、男が座っていた。肩に担ぐように持っているのは、


「こいつぁ、ウチの姫サンだ」


 一振りのカタナ――東方の剣。


 一瞬で、男たちは絶命した。

 一拍遅れて、どたどたと部屋の外から足音が聞こえた。


「ひ、姫様ぁぁぁぁぁ! ご無事でございますかあああああ!」

「まん丸おやじ。もう終わったぜ」


 豪快に扉を蹴飛ばして入ってきた近衛騎士団長は、シェーラの姿を見るや否や足を引っ掛けて盛大に倒れてしまった。


「顔面からイったな。鼻大丈夫かよ」


 シェーラが最も頼りにする男。ジョウは、欠伸をしてベッドに腰掛けていた。




「姫サン。お前は弱腰すぎる」


 三白眼をギラつかせ、和装――東方の民族衣装――に身を包んだ男が、騎馬の上で言った。


「なっ、なっ、シェーラ姫様になんと無礼な!! いくら剣士殿でも聞き捨てならぬぞ! 王に言いつけてやろうか!」

「引っ込んでな太っちょ。そうすりゃ敵襲ですっ転んだ間抜けのことは親方にゃ黙っててやるよ」


『風車の町』で、シェーラたち一行は襲撃を受けた。

 ただの物盗りや山賊ではない。一〇人の騎士とジョウからなる小隊で打ち取り切れぬほどの手練れ集団。明らかにシェーラを狙った刺客であった。


「なんだありゃ。相手が刃傷沙汰に及んでこようってときに、お祈り? 目瞑って、『定めの神』サマとやらに助けを乞うたぁ」

「わたしたちは、神の思し召しに沿って生きていますから……」

「ちっ、仏様に手ぇ合わせんのと同じか。それにしたって一国の姫サンともあろう人間があの状況で情けねえ」

「ご、ごめんなさい」

「……あ? なぜ謝る」

「え? その……せっかく守ってくださったのに、わたしは『お祈りなんか』して……」

「お祈り自体はすりゃいいさ。責めやしねえ。てめぇらがそう信じてそう決めてんならシャンとしやがれ。だがな。『ごめんなさい』と言ったな。『お祈りなんか』だと?」


『定めの神』とは違う神、ホトケサマを信ずる男は、シェーラの騎馬に横付けすると鼻を鳴らした。


「オレが弱腰と言ってるのは、そういう情けねえ振る舞いのことだ。さっきお前はお祈りに『逃げ』やがった。『ごめんなさい』と。敵の向こうに神サマを見やがった」


 ジョウは己が持つ剣、カタナのようにギラついた瞳でシェーラを真正面から見据える。


 国ではそのように不敬な、堂々とした態度で姫へ物言いをする人間などいなかった。


「お前は一国の姫だ。これから女王になる女が、許しを請うな。敵を威してでも生き残って、そのあとに祈りを捧げろ。あんなチンケな場面で『謝る』ようなら、この先の試練なんぞ乗り越えられねえぞ」


 ジョウが手渡してきたのは、小刀。


「これは……?」

「覚悟の刃だ。オレの国じゃ、女子供に関わらず、刀で道を切り開くと誓いを立てる。これはお前が持っていろ」




 シェーラ・ランドリア姫は、ランドリア王国の次期女王である。


 母である先代女王エナが病で崩御し、父が北方の大国シグニエから仕掛けられた戦争で大怪我を負ったのはどちらも先月のこと。

 一七歳になったばかりの少女は女王となるため、『定めの神』の神殿へ旅に出なくてはならなくなった。

 いまだ続く戦争で兵を出せぬため、近衛の騎士たちと、サムライ・ジョウだけを連れて。


 ランドリアの王は戴冠にあたり神殿で『定めの啓示』を受けなくてはならない。

 魔獣が棲む渓谷を越え、灼熱の荒野を抜け、霧の深山を踏破し、ようやく辿り着く神殿。

『定めの神』は気まぐれだ。人々の声に応えるときもあれば、ただ眠り続けるだけのときもある。

 しかし神殿へ直接参った者であれば神への声を届けられ、その場で『啓示』として応じられる。


 ランドリアの長きにわたる繁栄は、神の啓示があればこそであった。歴代の王が世の趨勢を『啓示』として持ち帰り、それに沿って国家を運営する。代々続く伝統の儀式。


「『啓示』さえあれば、我が軍が戦争に勝つのはたやすいですぞ!」

「国家を導く女王となったシェーラ様が帰れば、ランドリアは真にひとつとなるのです!」


「ええ、わかっています……でも、それを邪魔しようとする勢力は数知れません」


 シェーラたちは灼熱荒野を馬で行きながら、追手にも気を配らねばならなかった。


「渓谷を抜けたトコを狙われたのは完全に気の緩みだぜ。魔獣をブッ殺して町に着いたと、安心したのを的確に襲ってきやがった。今後も必ず奴らは……」


 途端、大地から火が噴き上がる。先頭を歩いていた騎馬が呑まれ、火だるまとなった。


「……刺客を追い返す前に、丸焼きになっちまいそうだが!」


 駆け寄ったジョウたちが消そうとするが、騎士はそのまま絶命してしまった。


「申し訳ありません姫様! 我らが不甲斐ないばかりに……おお、目眩がしてきおった」


 近衛騎士がよろけたのを、周囲の人間が慌てて受け止める。でっぷりした体格の騎士団長は汗だくであった。


「いけません団長。水を飲んでください。あなたまで焼け死んでしまいます」

「し、しかし姫様……その水筒はあなた様のための……」

「いいのです。命は分けて進んでいくものでしょう」

「ぬぅ……かたじけない……」


 目を伏せた騎士団長が水筒を受け取る。


「飲みすぎるなよ、太っちょ」

「ジョウどの……あなたも、お水を」

「オレはいい。ガキのころから修行で慣れてる。気を集中すればこの程度なんともねぇ」

「ですが……」

「いらねえと言った」

「は、はい……」


 背を向けたジョウが行ってしまうと、騎士団長はカッと地団駄を踏んだ。


「ええい不心得者めが! 姫様のおやさしい言葉をあのような!」

「あの、騎士団長……そんなに頭に血を上らせては、また汗が出てしまいます。いいんです、わたしは」


「よいものですか! だいたいあやつは気に入らぬのです! この国へ召喚されたときから、態度は悪いし口も悪い! ワシの槍を受けても平然としておる強さだけは認めますが……!」


「……いいんです。あの人は」


 ジョウがそっと汗を拭うのを、シェーラは見逃さなかった。彼は残り少ない水をシェーラから奪わぬよう、あのようなそっけない態度を取っているのだ。


 なんと強く、やさしい人だろう。と思う。


 ジョウの背中をただ見つめる。頭の中に残るのは、昨日言われた『弱腰』という言葉だった。


(威してでも、生き残る……お祈りをするのは、そのあと……)


 シェーラが一五のとき東方から『召喚』されて以来、彼はずっと自分を守ってくれている。

 剣一本の実力で騎士全員を黙らせ、兄王子の叛乱を鎮めた。

 姫を娶ろうと攻めてきた南方の蛮人どもとの戦では敵将を打ち取った。

 シェーラをさらった悪龍の首も刎ねた。

 最強の剣士。一〇近く歳の離れた、東方人。波打つ黒のざんばら髪は少年のよう。


 シェーラはそんな彼に焦がれていた。


 だからこそ、彼に情けないと言われたことが恥ずかしかった。

 荷に挿した小刀の柄を、シェーラはそっと撫でた。


 強くなりたい。




 荒野を抜けると、小さな集落があった。

 シェーラたちを出迎えたのは『定めの神』を崇めるという一族だ。


「我々はあなた方ランドリアを歓迎いたします」

「ありがとう。族長さん」

「実に光栄です。ランドリアといえば、噂はかねがね。大陸でも最強の騎士がいると聞いております。なんでも龍殺しとか」

「むむ、それでしたら……剣士殿のことですな。彼奴を讃えるのは悔しいが、事実、姫様をさらおうとした不埒な悪龍を剣一本で退治したことがあるのです」


 壁際に立ったジョウは、つまらなさそうに腰の刀剣に手をやった。


「ただの剣じゃねえ。刀だ。オレの故郷では、コイツで山のような鬼をも斬り伏せる猛者がごろごろいるぜ」


「なんと、まさに御本人にお目にかかれてるとは。実に嬉しい」

「アンタ、南方人かい? 肌の色が同じだ」


 シェーラは妙に思った。ジョウが怪訝そうな顔をしていたからだ。


「……ええ、そうです。両親の代で移り住んだのが我々で」

「どこかで会ったか?」

「気のせいではありませんか?」

「そうかね……」

「もう日暮れです。大したものは出せませんがシェーラ姫様、よければこの集落で一晩、泊まっていかれてはいかがか? 剣士殿のお話も聞きたいですし」

「ええと、どうしましょう、団長」


 騎士団長が「有り難い」と諸手を挙げようとした瞬間――ジョウがそれを制した。


「悪いな。オレたちは先を急ぐ身だ」

「ですがここから先はすぐに霧の深山ですぞ。一休みすることも大切ではないですかな?」

「そうはいかねえな。親切で言ってくれてんだろうが、たとえ夜闇の中でもオレたちは獣道を進まないといけねえ。邪魔立てするなら――斬ってでも出ていくぜ?」


 気がつけば、ジョウはカタナの鞘を掴み、指をかけていた。わざとらしい鍔鳴りの金属音がシンと静まった集落へ響く。


「『オレの部下たち』も、全員そのつもりさ。そうでしょう、『姫サマ』」


 なにかを言おうとした騎士団長に目配せをして、シェーラは「そうですね、団長がそう仰るなら」とジョウへ頷いた。


「……仕方ありませんなあ。丘の向こうはすぐ霧が出てきます。山道を進めば、深山の彼方に『定め』の社があるでしょう。ただ、霧に迷って命を落とす者も多い。どうかお気をつけて」

「恩に着るぜ」




 荒野の熱波を終えた疲れもそのままに、シェーラたちは出立した。


「……ジョウどの。どういうことなんですか? せっかくああ言ってくださったのに」


 道行き霧が出始めたころ、ジョウは呟く。


「あの族長、見覚えがある」

「なんじゃ、たかだかそのような理由でウソをついてまで集落を離れたのか。しかも、ワシのフリをするとは不遜な奴だ」

「南方人にお知り合いが?」

「……いや、たしかあの顔は」


 そのうち、白く煙る風景に紛れて道が傾斜し、山道へ代わり始める。

 馬の背に揺られ登り始めた一行は、険しさにますます疲れが濃く現れてくる。


「……思い出した。やべえぞ姫サン、道を一旦戻って――」


 瞬間、飛んできた矢が、ジョウが乗る馬の首へ刺さった。

 断末魔に引っ張られて落馬するのと、角笛が響いたのは同時だった。


「て、敵襲じゃあ――――ッ!」


 シェーラの周囲へ駆け寄ってくる騎士たち。高く掲げた盾に、次々と矢が降ってきた。

 前と後ろ。山道の陰から、仮面の集団が弓を構えている。その肌の色は南方人のそれだ。


「囲まれています! 姫様! お隠れになってください!」

「ジョウどの! 大丈夫ですか!」

「平気だ。受け身は取ってる。それより連中は……昔ランドリアに攻めてきた蛮人、アカ族だ。あの顔は――オレが殺した将軍の顔そっくりだぜ」


 抜刀されたカタナの刃が、夜露の空気に冷たく光った。


「そのとおり! 我が顔を、双子の弟の顔を、よく覚えておったな! 寝首はかけなかったが、先回りすれば同じことよ!」


 斜面の上方、崖の上に立っていたのは、先程シェーラたちを見送ってくれた族長であった。


「首級を上げたのはオレだからな、忘れはしねえさ」

「そうだ! ジョウ・ゾウ! 一族を蹂躙した悪魔! 弟の仇! 決して許さぬ! シェーラ姫の命だけではない! お前の首もいただく!」


 号令がかけられ、手に手に大振りのナタを持った蛮人たちが駆け出してくる。その数はシェーラが認めただけでも、およそ五〇以上。


「騎士団! 姫をお守りしろ!」


 荒縄や革装具で身を包んだ蛮人を迎え撃つ、金属甲冑の騎士たち。


 しかし多勢に無勢。地の利は相手にあり。

 視界が狭い霧と、急な岩山が移動を阻み、敵はあらゆる方向から襲ってくる。しかも灼熱荒野の疲労が残る騎士団は、一人、また一人と鎧の隙間を狙われ、蹴倒され、血に沈んでしまう。


「みんな……!」


 シェーラの眼の前にいた騎士が、棍棒で兜を吹き飛ばされ、ナタで首を刎ねられた。

 惨劇に目を背けようとしたシェーラだったが、ハッと記憶の底から声がした。


『オレが弱腰と言ってるのは、そういう情けねえ振る舞いのことだ』


 強くなりたい。そう願ったのではなかったか。


『お前は一国の姫だ。これから女王になる女が、許しを請うな。敵を威してでも生き残って、そのあとに祈りを捧げろ。あんなチンケな場面で『謝る』ようなら、この先の試練なんぞ乗り越えられねえぞ』


 父が待っている。民が待っている。それなのに、

 神殿の試練ですらない。このような『チンケな連中』に、みすみすやられてなるものか。


 シェーラは涙目を拭い、前を見た。腰に差した小刀を抜刀し『敵』へ向ける。その切っ先に震えはない。

 迫っていた蛮人たちは、少女のまっすぐな視線に怯えが一切ないことに気づくと、ぎょっと歩みを遅めた。わずかに一拍ほど。


 その一拍で十分だった。



「いいツラになったじゃねえか」



 旋風が吹き荒れた。山肌を滑るように走る、銀色の風。

 風が止むのに合わせて、蛮人たちの胴や首がゆっくりと横に斜めにスライドし、落下する。

 シェーラの傍ら、カタナを握るサムライが三白眼をギラギラと揺らめかせていた。


「死にてえ奴は来い」


「死ぬのはお前だ、ジョウ・ゾウ!」


 頭上から、ただ一人仮面を被っていない――南方の蛮人アカ族で長と認められた者だけが許される――男が、巨大な双刃を叩きつけてくる。荒っぽい一撃をカタナが受け、弾き返す。

 族長はくるりと宙返りすると、猿が樹上を遊ぶような動きで再びジョウへ飛びかかってきた。


「ぐあっ!?」


 尋常の剣技ではない挙動に、ジョウの肩が裂ける。周囲のアカ族が一斉に刃を向けた。


「どうだジョウ・ゾウよ! 東方の神はここでは救けてくれぬぞ! なんなら今から呼びに行くか!」

「くっ、悪いがな、仏様ってのは生きてる間はいちいち救けちゃくれねえのさ! だからオレは刀一本で、生き抜いてみせる!」

「ならばそれを折って、終わりにしてやろう!」


 そこへ霧間を抜け、突き出された鋼の槍。


「ぬうん!」


 胴間声で薙がれた鋼の竜巻が敵を牽制する。

 鎧のそこかしこから血を流した騎士団長が、シェーラを挟んでジョウと背中合わせになった。


「なんだ太っちょ……手を出すんじゃねえよ」

「黙っておれ若造! そうすれば情けなく蛮族に一太刀浴びせられたこと、王には報告せんでおいてやるわ!」


 霧の中で周囲の騎士たちも押されている。

 このままではいけない。


「ジョウどの! 団長! ひとところに留まってわたしを守っていては、やられてしまいます!」

「心配なさるな姫様。我らはこのような相手に後れを取るほど弱くは――ぬおおっ!? え、ええい意外に鋭いナタさばきではないか!」

「だが、オレたちは姫サンがやられれば負けだ。どうしようもねえな」

「いいえ……問題は、わたしを守ることではありません。わたしが、動かないからいけないのです!」

「なに? ……なるほど! おい太っちょ! 後ろは任せたぞ!」


 シェーラの言葉を理解したジョウが、一陣の突風と化して元来た方角へ斬り込んでいく。その背中をシェーラは追った。


「姫様、なんと無茶を! ええい騎士たちよ! ワシとともに姫の道を作るのだ!」


 騎士団はひとつの生き物のように、ジョウを先頭、シェーラを中間に置いて霧深い山道を突き進んでいく。


「馬鹿めジョウ・ゾウ! この霧の深山は抜けられぬわ! 我々がどれだけ『定めの神』を探しても見当たらなかったのだからな! 霧の中で帰り道もわからずくたばるのが定めよ!」


 三度飛び跳ねて襲ってきた族長の剣を、ジョウの刃が受け止め――断ち割った。


「馬鹿はお前だ。刀を折らせねえのが侍ってもんなんだよ」


 返すカタナの一閃が、族長の首と胴を切り離した。




 いつしか追ってくる蛮人と戦い、立ち止まった近衛騎士たちを置いて、シェーラは走っていた。


「姫様、我々もここで奴らを食い止めますぞ!」

「行け、姫サン」

「はい!」


 天地を包む霞を吸い込みながら、シェーラは力強い足取りで深山を登っていく。

 どれだけ走っただろうか。


「はぁ……はぁ……こ、これが、神殿?」


 乳白色の霧に覆われ、来た道すらもはやどの方向だったか定かでなくなった頃、シェーラは山の頂上へ辿り着いていた。

 そこにあったのは、人の墓ほどの、岩を積み重ねただけの祠であった。


『ランドリアの子よ』


 頭の中に直接、声がした。遠くから語りかけてくる、耳鳴りや山彦のような響き。


「『定めの神』……」


『ここへ来た理由はわかっている』


「――で、では、『啓示』を与えてくださるのですね!」


 霧の中で、シェーラは訴えた。


「わたしの国はいま戦争をしています! 部下たちや、大切な人もすぐ近くで戦っています! どうかわたしに、女王としての証――『啓示』を! 彼らを救う言葉をください!」


 叫びに返ってきたのは、しかし、


『ランドリアは滅びる』


 思ってもいない答えであった。


「……え?」


『これが啓示だ。お前たちは、別の神を信ずる男を呼び寄せた。だから、滅びるのだ』


『定めの神』は、それだけを言った。


 ――嘘だ。

 シェーラは『啓示』の意味を考えた。深謀遠慮になにかが秘められているのでは。これは試練で、試しているだけなのでは。


 だが、『神』はそれきり黙ってしまった。


 ここまで来て。


 部下を失い、長い旅路を終えて。


 その果てが、これなのか。


「……ふ」


 笑い声のように、シェーラの口から感情が出ていた。



「ふざけないで」



 怒り、であった。

 歯を食いしばり、祠を睨みつける瞳に、絶望はない。


 なんということだろう、と思った。

『定めの神』とは、こんなに――『チンケな』ものだったのか。と。


「わたしは、何度も祈りました。何度も信じました。そうして、辿り着いたのです。けれど……そうですか。『その程度のこと』しか言えないのですか」


 周囲の霧が、震えた気がした。


「わたしが焦がれるあの人は、あなたが理由とするあの人は、わたしを何度も救ってくれた。何度もわたしに力をくれた。あの人は、あなたに囚われてもいなければ、別の神……ホトケサマに頼っているわけでもありません」


 ようやく解った。


 刀一本で、覚悟の刃で生き抜くとは、そういうことなのだ。


『ランドリアの子よ。小さき子よ。異神の名を口にするとはどういうことか、わかっていない』


「……女王になる女が、許しを請うとでも思いましたか?」


 生きている間は、神は――見も知らぬ誰かは救けてなどくれない。


『たまたま』なにかをしてくれたからと、それに『すがる』ような弱腰では、死ぬのだ。


「わたしは神を威してでも生き残ってみせます。あなたへはそのあとに祈りを『捧げてあげます』。それまで、この小さな神殿で霧の中に閉じこもっていてください」


 ジョウにもらった小刀を振り上げ、シェーラは祠を切りつけた。


「神の言葉はわたしが代わりに言ってあげます。『ランドリアがひとつになり、ジョウ・ゾウどのとともに戦えば、戦争など終わるのだ』と」


『愚かな子よ……』


 祠の周囲の霧が、ゆっくりと晴れていく。


「戦争なんて……わたしが終わらせてみせます」


 振り返りもせず、シェーラは山を降りていく。戦っているジョウたちの元へ戻るために。皆の元へ戻るために。国へ戻るために。

 自分がそうすると決めたから。

 もう祈りはしない。


 その瞬間、少女は女王となった。

『啓示』――誰かの言葉にすがらず、手にした覚悟の刃を握って、歩いていくのだ。

基本に立ち返ってバトルものの短編です。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 新着の短編小説欄で見掛けて、読ませて頂きました。 ジョウ・ゾウから小刀を渡されたシェーラ姫は最後に自刎するのではないかと心配しましたが、己の道を切り開く覚悟を決める象徴としたのは良かったで…
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