七十五話 離脱へ向けて
結局、ティシリアがムディソンに伝えた強い人型機械が襲来するという情報は、不確かなこととして議題にすら上がらないままで終わる。
その代わりではないが、風船を使って水底にあるリアクターを浮かばせるという、サルベージ方法は採用されることとなった。
ティシリアはこの結果を予想出来ていたようで、テントから外へ出るとき、特に何とも思っていない顔をしていた。
その様子が、キャサリンには不思議だった。
「ティシリアちゃん、いいの~? このままだと、ここに集まった人たち、強~いプレイヤーたちにやられちゃうことになるかもよ~?」
「警告はしたから、ここから先は自己責任ってものよ。私も義理は果たしたから、さっさとここから引き上げて、発掘現場に戻るつもりよ」
「ええぇ~、もう帰っちゃうのん。はるばるここまで、ファウンダー・エクスリッチに完全武装させてきたのに~?」
「私たちが追っていた飛行物体は、リアクターと作業機械を置いてどっか飛んでいっちゃって行方不明だそうだし。私たちにとって、得る者がない場所だもの。いても仕方がないわ」
そうやってティシリアが引き上げ準備を行おうとしていると、テントの前で歩哨に立っていた人たちの片割れが近づいてきた。
「どこに行かれるのですか?」
「引き上げ方法は伝えたし、お兄ちゃんと顔合わせしたし、用はもう終えたから撤収するつもりよ」
「それは困ります! ティシリアさんがどこか行こうとしたら止めるように、ムディソンさんに言われているんです!」
慌てて止めようとしてくる彼に向かって、ティシリアは不愉快そうに目を細める。
「私は独立した抵抗組織のリーダーよ。どんな権限を持って、あなたは止めると言うのかしら?」
「それはもちろん、『後ろ足を上げる糞虫』のリーダーから受けた命令を遂行するためです」
「そんなものが、私が行動を止める理由になると思っているの?」
「無理やり帰るようなら、実力行使も視野に入れて止めるようにと言われております」
手の銃器を向けてくる彼に、ティシリアは呆れ果てた。
「そんなもので脅しているつもりかしら。どうせなら、ああやって脅したらどう?」
ティシリアが指したのは、自分の横――真横ではなく、やや上空へ向けている。
歩哨の男は訝しがり、銃は向けたまま視線を示された方向へ。
そこにあったのは、少し離れた場所にあるファウンダー・エクスリッチ。さらに言うなら、その手にある人型機械用のアサルトライフルの銃口だった。
歩哨の男は自分が照準されていると悟って、顔を青くする。
「な、なんのつもりですか。ここで、あの人型機械に発砲させる気ですか!?」
「先に銃で脅してきたのは、そっちでしょ。それと言っておくけど、私は武力による脅しには屈しないから」
ティシリアは言いながら片手を上げる。
あたかも、その手が振り下ろされたら、ファウンダー・エクスリッチが銃撃すると言いたげだ。
歩哨の男は、ファウンダー・エクスリッチが持つ巨大な銃を見て生唾を飲み込むと、急に自分が持つ銃が頼りなく感じて心細くなってしまった。そして命惜しさと、ムディソンからの命令の板挟みになり、顔中に冷や汗を浮かべる。
一方のティシリアは、銃を向けられているにも拘らず、まるで相手の銃がオモチャだと思っているかのように、ふてぶてしい態度を崩さない。
膠着した状態が、十秒、二十秒と過ぎる。
このまま時間だけが過ぎていくのか、それとも歩哨の男が板挟みから精神に異常をきたして銃を乱射してしまうのか。
そんな状況を変えたのは、歩哨の男がティシリアに集中していると見て、彼の後ろへ回ってから忍び寄ってきたキャサリンだった。
「はぁ~い。こんな危ないものは、ないないしちゃいましょうねん」
後ろから近づきつつ片手を伸ばして、歩哨の男の銃を掴むと銃口をティシリアの体がある場所から反らす。その後で、もう片方の手で抱き着き、さらには足を絡めて体勢を崩させると、歩哨の男を地面へとうつ伏せに押し倒した。
「なんだ、なにをする!?」
「いや~ん。体の下で暴れられることは好きだけどぉ、青空の下でヤるのは好みじゃないわ~ん♪」
「なにを言っているんだ。放せ!」
歩哨の男が立とうとして地面につく手や足を、キャサリンは巧みに四肢で払って立ち上がらせないようにする。
焦る男に、その上にのしかかって笑顔で体をくねらせる女性。
事情を知らない人が見たら、つい勘違いから目をそらしてしまいそうな光景だ。
二人がそんなやり取りをしている間に、ティシリアは歩いて近づき、男の手から銃を蹴り飛ばした。
地面の上を滑った銃。ティシリアは追いかけて拾い上げると、引き金に指を掛けないままで、銃口を倒れている男の後頭部へ押し付ける。
「さて、これで形勢逆転なわけだけど、なにか言いたいことあるかしら?」
「こ、こんなことをして、良いと思っているのですか。いまならまだ、問題にならずに済みますよ」
「陳腐な言葉ね。情報としても、命乞いの言葉としても価値がないわ」
ティシリアの指が引き金に伸びていく。
あと軽く引けば銃弾が銃口から飛びでる、という場面で、パンパンと大きく手を打ち鳴らす音がした。
音がした方向をティシリアが確認すると、引き揚げ作業の詳細をテントの中で詰めていたはずの、ムディソンが不思議そうな顔でたっていた。
「おやおや、どうして僕の手下が押し倒されているんだろう。いい男ではあるけど、お嬢さんが青空の下で押し倒すほど、魅力的な人物ってほどじゃないと思うんだけどね」
この状況が目に入っていないわけはないのに、ムディソンが声を掛けたのは、銃を握って男を殺そうとしているティシリアではなく、圧し掛かっている方のキャサリンだった。
キャサリンはムディソンの発言を聞いて、チラリとティシリアの苦々しい顔を見上げてから、余裕たっぷりの口調を作る。
「あ~ら、勘違いしないで欲しいわん。このお兄さんが、ワタシたちに熱烈アプローチしてくるものだから、ちょこっといい目を見せてあげようとしてあげているだけよん。あと指をちょこっと動かすだけで、気持ちよく絶頂させられるところだったのにぃ。まったく、お邪魔虫なんだからん」
「それはいけない。彼には僕が用事を頼んでいたのに、あなたのような美しい女性と逢瀬を楽しもうなんてね。職務態度に問題があるようだ」
お互いに白々しいことを言い合った後で、二人は笑顔で見つめ合う。
そのまま少し時間が経ち、キャサリンが押し倒していた男から離れた。
「用事を果たす途中だったのなら、解放してあげないといけないわねん。ほら、ティシリア。落とし物をこちらに渡して」
キャサリンはティシリアの手から銃を取り上げると、セーフティーをかけてから、ムディソンへゆるい速度で投げ渡した。
「どうやら大事な銃を拾ってくれていたようで、彼の職務態度と合わせて、お詫びしないといけないね」
「ワタシたちこれから帰るから、お詫びなんて受け取る暇ないわ~」
キャサリンがイヤイヤと顔を振って拒むと、ムディソンは話し相手をティシリアへと変えた。
「おや、もう帰ってしまうのかい。提供してくれた、風船を使った引き上げ法がどんな結末になるか、見届けなくていいのかい?」
「必要ないわ。私が渡した情報をどう使うかは、受け取った人の責任だもの。その結果、どんな事態がおきようとね」
「引き上げ作業の全ての責任をこちらが負うとなると、そちらへの分配はないも同然になるわけだけど、それでいいのかい?」
「無用な責任を回避するためなら、分配なんて捨ててやるわよ。せっかく休憩所も軌道に乗って、『知恵の月』が躍進を始めたっていうのに、こんな場所で死ねないもの」
「本当に、手練れの人型機械が襲撃してくると思っているんだね」
「思っているじゃなくて、確信しているわ。だからこそ少しでも早く、ここから立ち去りたいの」
ティシリアの強い拒否の姿勢を見て、ムディソンは困った様子で後ろ頭を掻く。
「悪いけど、いますぐにティシリアたちを立ち去らせるわけにはいかないんだよ」
「それはどうしてかしら。情報は渡したんだし、私たちの利用価値なんて、もうないと思うけど?」
「利用価値はないけど、作戦成功の補償に必要なんだよ。風船で引き上げるなんて奇天烈な方法を提案した人が、いの一番に立ち去ったんじゃ、この引き上げ方法の信憑性が薄れてしまうんだ。そうなったら、不信感から新しい作戦を断てなくちゃいけなくて、再び無益な話し合いを行わないといけなくなるんだよ」
「つまり、上手くいくか見届けてから帰れと。もし失敗したら、新しい方法を出せ。そう言いたいわけね」
「賢い妹を持って、僕は助かるよ。どうだい、聞き入れてくれないかな?」
「まどろっこしいわね。この男みたいに、出席者の頭に銃口を向けて従えってやったらどう。その方が早いでしょ」
「おや、そんなことをやったのか。それは申し訳なかったね。でも僕の方針は『常に話し合い決める』だよ。武力で脅して言うことを聞かせるだなんて、とんでもない」
「そんなことを言って。話し合う前に裏から手を回して、全体の結論を手中に収める手法がお兄ちゃんの常套手段じゃない。今回は、突発的な事態だったから、その根回しがしきれなかったみたいだけどね」
「あははっ。今回の僕は発端じゃなく、横入りしたようなものだからね。会議の主導権を握るだけで、時間いっぱいだったよ」
ムディソンは、まるで褒められたかのように照れ笑いしている。
ティシリアは「相変わらず……」と言葉を濁すと、肩の力を抜いてみせた。
「わかったわ。とりあえず帰るのは待ってあげる。さっさと、引き上げの準備してよね」
「ありがたい! 僕の妹なら、話し合えば頼みを聞いてくれると思っていたよ」
ムディソンは無警戒に近づくと、片手を伸ばしてティシリアの手を取り、大きく上下に振るように半ば強制的に握手をした。
「引き上げには物資が居るから、一日二日じゃ作戦開始とはいかないけど、ティシリアはそれまで自由にしてていいからね」
ムディソンはにこやかに言うと、おずおずと起き上がっていた歩哨の男の腕に銃を突き返しつつ、テントの方へと戻っていった。
その後ろ姿を見送った後で、ティシリアは握られていた手を見つめ、少し悔しそうな顔になる。
そんな彼女の顔を、キャサリンが両手で挟んで軽く持ち上げた。
「ダメよ、ティシリアちゃん。眉間のシワは相手に威圧感を与えるから、女性の大敵よん。同じシワを作るなら、笑みシワじゃなきゃねん」
キャサリンは見本を見せるように顔全体で笑う。
ティシリアは少しムッとしていたが、頬をぐにぐにと手で動かされ、そのこそばゆさから笑ってしまう。
「笑えっていうのなら、笑ってあげるわよ。これで、どうかしら?」
「あら、素敵な笑顔ねん。でも~、もうちょっと口角を上げた方が、もっと魅力的になるわよん」
キャサリンとティシリアは向き合いながら、様々なパターンの笑顔を作っていく。
そんな遊んでいるようにしか見えない二人の様子を、ファウンダー・エクスリッチに乗って周辺警戒を続けているキシは見て、なにをやっているんだろうと呆れてしまったのだった。




