七十四話 内緒話
ティシリアはテントの外へ出ての休憩時間中、兄のムディソンに近寄った。
「お兄ちゃん」
「おや? 兄さんじゃないのかい?」
「いまは私的な時間でしょ」
茶化したムディソンに注意を入れてから、ティシリアは会議の中では言っていなかったことを伝える。
「お兄ちゃんが欲している情報をあげるわ。うちの、敵の人型機械の運転手だった人の知識が欲しいんでしょ?」
「おおー、頼まれてくれるのかい。なんていい妹を、僕は持ったんだろう!」
抱き着いて来ようとするので、ティシリアは手を突っ張ってガードした。
「お兄ちゃんには世話になったし、それに欲がる情報に目星はついていたから。あらかじめ聞いておいたのよ」
「それはありがたいけど、ずいぶんな塩対応じゃないかい」
「……情報、要らないのかしら?」
「要る要る、要りますから教えてください」
ティシリアはため息をついてから、小声で情報を語っていく。
「あの水たまりの広さは見た目通りだけど、深さは最低でも人型機械を縦に三機分はあるそうよ。そして人型機械の多くは、水に入ると壊れちゃうらしいわ。機体の中に水が入って電子部品が壊れたり、水圧っていう圧力で四肢が動かなくなっちゃうんだって」
「むむっ、それはいけないなあ。リアクターを引き上げる際には、人型機械で水面まで持ち上げようと考えていたんだけど」
「諦めて。その代わり、新しい案を持ってきたわ。風船膨らまし式って方法を教えてもらったわ」
ティシリアが携帯端末の画面を見せると、そこには紙芝居のように間と間が飛び飛びになっている絵の動画で、サルベージの仕方が流れていた。
仕組みは単純。水が入らないような丈夫な布を大量に袋状にして、そこに空気の注入ホースをくっつける。一度袋の空気を抜き、それを持って水底へ。リアクターに袋をしっかりと取り付け、地上から空気を送り入れる。膨らんだ袋が浮力になり、リアクターは水面へ上がってくる。
動画の頭から最後まで見たムディソンは、腕組みして使える方法かを頭の中で想像してみてから、顔を綻ばせた。
「これは値千金の情報だよ。深い水底までどうやって行くかという部分を抜きにしたら、とても現実的で可能性が高い方法だね。うん、これだけでも、ティシリアを呼び寄せたかいがあったというものだよ」
「褒めてくれてありがとう。でも、話はそれだけじゃなくて、懸念が一つあるの」
ティシリアがこうしてムディソンと内緒話をしているのも、他の人にその懸念を伝えるべきか迷ったからだ。
「うちの運転手が言うには、ここは人型機械の戦場になるんだそうよ。彼の見立てだと、あの作業機械が建築を終えたら、すぐにでもやってくるだろうって」
ムディソンはその警告を聞いて、眉を潜めた。どこからもそんな情報が上がってきていないからだ。ここ最近で特に重要視されるようになった、カーゴからもたらされる情報には、ティシリアが言ったようなことは欠片も載ってなかった。
「その見識を、ティシリアも支持しているのかい?」
「彼の言うことを聞いて間違いだったことは、ここまでないわ。それに慎重なのは、抵抗組織としては美徳よね」
「けど、臆病は悪徳だよ。僕からすると、今のティシリアの発言は、そう聞こえてしまうのだけど」
「お兄ちゃんでもそう思うってわかっているからこそ、こうして内緒話をしているんじゃない」
ティシリア自身、信用されない発言だという自覚を持っている。
それを聞いて、ムディソンは一層難しい顔になった。
「僕個人としてはティシリアの言葉を信じたいけど、『後ろ足を上げる糞虫』の頭としては、受け入れられないよ。水底のリアクターを回収しようと、人手を集めてしまっているからね。引き上げるにしたって、少なくとも引き上げが絶望的だったり、人型機械が襲来してこないと、怖気づいたと勘違いされちゃうしね」
「やっぱりそうなるわよね。被害が出てからじゃ、遅いと思うんだけど」
半ば予想していた通りの返事に、ティシリアは頭が痛い様子をあえて見せた。
この態度で、冗談で言っているのではないと改めて伝えたが、ムディソンに翻意を促すことは叶わない。
「まあいいわ。警告がもう一つあるの。運搬機にくる情報は、弱い運転手へ送られるものに限定されているらしいわ。だから、情報にない事態が起きる可能性があるってこと、覚えておいた方がいいわよ」
あえて婉曲な表現で告げたが、ムディソンはすぐに理解した。
「弱い運転手用の情報ってことは、強い運転手用の情報は別にあるということだよね。あーだから、ここから引き上げた方が良いって言っているわけだね」
「そうよ。ここに来るであろう人型機械たちは、『知恵の月』や『後ろ足を上げる糞虫』を襲撃してきた奴らよりも、強敵に違いないんだもの」
「これも重要な情報だ。流石は情報系の抵抗組織の頭なだけはある。お兄ちゃんとしても、鼻が高いよ」
頭を撫でてこようとする手を、ティシリアは横へ払った。
「警告は伝えたわよ。この情報をどうするかは、お兄ちゃんに任せるわ。そして私たち『知恵の月』は、リアクターの引き上げに賛同していないってことは覚えておいてよね」
「了解したよ。非協力的な組織に、重要なところを任せるわけにはいかない。って流れにすればいいんだね」
「うちは運搬機を保持しているから、これから先も水には困る予定はないわ。それに取水権なんてなくても、運営している休憩所から一定のお金が入ってくるもの。ここで無茶をする必要はないしね」
「それを言うなら、うちも同じような状況なんだけどね。『後ろ足を上げる糞虫』としては、ここでさらに一つ功績を上げて、組織としての立ち位置を向上させたいところなんだよ」
まるで嫌な仕事を押し付けられていると言いたげなムディソンに、ティシリアは微笑みを向けた。
「とかいって、お兄ちゃんって困難な状況を打破するのが好きな性格なくせに」
「おやおや、バレていましたか。でも、一度きりの人生なら、予想外なことに挑戦していかないと、生き甲斐がないってものでしょう?」
「それはどうかしらね。人々の幸福につながる行動こそが、人生を費やすのにふさわしい行いだと思うわ。困難は、その過程で否応なく当たってしまうだけよ」
「やっぱり、人の幸福のためにっていう、甘い考えは捨てていないんだね」
「お兄ちゃんこそ、自分の楽しみのために、部下や仲間を利用しているわよね」
仲は悪くはないが、譲れぬ心情で譲り合えないため、兄と妹は静かな顔でにらみ合う。
表情を先に変更したのは、ムディソンの方で、笑顔になった。
「ティシリアのその考えが、どこまで続くか楽しみにしてますよ」
「ふんっだ。死ぬまで捨てる気はないわ。そしてあっさり死ぬ気は欠片もないわ!」
「とかいって、ちょっと前まで借金が膨らみ過ぎて、『知恵の月』は解散しそうだったじゃないか」
「そ、そんな昔のことを持ち出さなくてもいいでしょう。実際、いまは順風満帆なんだし!」
「はははっ。そんな調子じゃ、また借金漬けの日々に逆戻りになりそうだなあ」
ムディソンは笑いながらも、「情報は助かった」とお礼を言い、先にテントの中へと戻っていった。
ティシリアは怒りの矛先を失ったように、口をむにゅむにゅと動かしていたが、誰かに見られている気がして振り返る。
少し離れた場所で待機していたキャサリンが、微笑ましそうな顔をしていた。
「なによ。文句があるわけ?」
「別にないわよん。ただ~、ティシリアちゃんって、お兄ちゃん子だったのねって思っただけよん」
「なっ!? お、お兄ちゃん子ってなによ! 私、そんな人間じゃないわ!!」
訂正を求めるティシリア。
キャサリンはハイハイと取り合わず、休憩時間が終わりかけていることもあって、ティシリアをテントの中まで引っ張っていくのだった。