五十七話 決闘、第三戦
ティシリアの交渉のお陰で、キャシーが勝ち残り、『陽炎の蠍』の三機目と戦えることとなった。
「もういっちょう、がんばってくるわねん~」
笑顔を振りまきながらコックピットに向かおうとするキャシーを、キシは呼び止めた。
「この三戦目は、俺の作戦になかったことだけどさ。キャシーなら落ち着いて戦えば、勝てると思う。よろしく頼むね」
「まっかせなさいなー。ああでも、勝ったら、ご褒美が欲しいわねん」
キャシーの視線が、キシの顔からどんどん下がり、胸元、お腹、そしてさらに下に――のところで、脳天チョップをキシから食らわせられた。
「馬鹿なことやってないの」
「あーんもう、ちょっとした悪戯よぉ。それに、ご褒美が欲しいのは、本当なんだからん」
見た目が可愛らしい少女の上目遣いしての要求だが、キシの食指は動かない。
キシの女性に対するストライクゾーンは同年代付近から上だし、キャシーの元が『おホモな方』だと知っているので、肉体的と精神的の両面から好みに外れているためだ。
とはいえ、要求を無下にするよりも、飴をちらつかせた方がいいとも、打算的には判断できた。
「……じゃあ、ご褒美はハグ一回で」
「本当に!? 嘘じゃないわよねえ!」
異様な食いつきに、キシは少し後ずさりながら、首を縦に振った。
「二言はないよ。この決闘に勝てたら、抱きしめてあげるよ」
「むっふーー! こうなったらぁ、是が非でも勝つしかない!」
気合十分な様子でコックピットに向かうキャシーに、キシは提案を早まったかなと少しだけ後悔した。
決闘三戦目は、キャシーの乗るフリフリッツと、相手のハードイス三機目との戦い。
相手は半分に斬られた盾を持ちだしてきたことを考慮にいれると、それで半身を隠して戦う方法を取る予定だろうと思われた。
遠目に見えるハードイスをキシが目を細めて確認していると、横にいるティシリアのさらに横、双眼鏡を覗いているアンリズが報告する。
「あのハードイスに乗ったのは、先ほどティシリアと交渉して負けたターバン男――『陽炎の蠍』の代表、ヒビァジャビだ。人型機械の腕前の評判は聞かないから、キシなら楽勝の相手でしょうね」
「いままでの作戦を見ても、彼が策士タイプの人間だってわかるね。でも、こういうタイプは、その策が怖いんだよね。うっかりすると、一刺しやられかねないから」
「なるほど。『蠍は小さくとも侮るなかれ』ということね」
この世界の格言のようなことを言うアンリズに、キシは少しだけ驚きの目を向ける。
「もしかしてアンリズって、名言とか金言とか、好きな人?」
「……もう言いません」
ヘソを曲げた調子で、アンリズは双眼鏡で相手陣地を見ることに集中する。
地雷を踏んだとキシが後悔していると、ティシリアからも注意の肘鉄がやってきた。
「ダメじゃないの、キシ。アンリズはこうみえて、繊細な心の持ち主なのよ」
「いや。それを本人が横にいる場で言うのは、それこそダメじゃないか?」
「なんで? 私、褒めているのよ??」
誉め言葉だから大丈夫というティシリアの考えは、アンリズの顔が真っ赤になっているのを見るに、間違っているようだ。
しかしキシは、あえてこれ以上追求はせずに、始まろうとしている決戦に注意を向けなおした。
「相手の盾が半分になって、機体全体を隠せなくなった。これで、はみ出ている部分を狙えば、ペイント弾を当てられる」
「ここからは、本当に運転手の腕の戦いってわけね。でもそうなると、フリフリッツの体に相手の弾のペイントがついたままなのは、問題じゃないかしら」
キシが意味が分からずに首を傾げると、ティシリアが得意げな顔で説明を加えた。
「まともな戦いになるなら、弾の一発で勝敗が決まるような事にもなりかねないわ。けど、戦いが終わった後、フリフリッツが前の戦いで着いたペイントも数に入れられたら、勝ったと思っていたのに逆転ってことにもなりかねないわ」
『陽炎の蠍』のアラビア風男性こと、ヒビァジャビならそんな手を使ってきそうではある。
しかしキシは、心配いらないと太鼓判を押す。
「不正防止に映像記録を取っているんだ。当たったペイント弾の数は、誤魔化しようがない。それは相手も分かっているはずだ」
「それじゃあ、この戦いは真っ当ってことね」
「……そうとも言い切れないんだよなぁ」
戦いの前での勝敗交渉の際、ヒビァジャビの弁舌は緩かったような気が、キシはしていた。
あたかも、今後の戦いにおいて負ける心配がないため、有利な交渉を結べればそれでよし、ダメだったとしても盤をひっくり返すような真似まではしなくていいと、考えていたかのよう。
キシはそう考察を結ぼうとして、首を振って否定する。
(考えすぎだな。それに、ここでキャシーが勝てばいい。負けた場合でも、俺が次の戦いで勝てば、何も問題はない)
キシはそう結論づけ、第三戦の観戦に集中することにした。
フリフリッツと敵ハードイスの戦いは、地味な試合展開となった。
まず両者は真っ直ぐに近づき、そして両者とも持つアサルトライフルの射程に入ったところで、銃撃を開始する。
フリフリッツは両手持ちで精度高めの単発射撃。ハードイスは盾で当たりそうなペイント弾を防ぎつつ、三点射で弾を撒き、まぐれ当たりを狙っていた。
片方が押せば、もう片方は引き。片方が退けば、もう片方が詰める。そんな攻防を、アサルトライフルの射程範囲ギリギリで行っている。
一進一退と表現はできるが、消極的な泥沼展開といった方が的確な戦況といえた。
お互いに、いままで命中弾がないことも、試合展開のつまらなさに拍車をかけている。
それでも最初の一分は、誰もが緊迫した面持ちで見守っていた。
しかし二分三分と時間が経ち、制限時間半分の五分を超えたあたりから、ダレた雰囲気が『知恵の月』の陣営を覆っている。
ティシリアですら、生あくびをしていた。
「はわぁ~~……。ねぇ、キシ。あなたほどの運転巧者になると、この試合でも面白いのかしら?」
揶揄するように言われて、キシは苦笑いしながら顎先を指で掻く。
「俺だってつまらないよ。けど、キャシーの思惑を考えたら、最善とは言わないけど次善策ではあるなって、理解はできるね」
「この、なんの展開もない戦いに意味があるの?」
「あるよ、もちろん。そもそも、キャシーはこの戦いで、無理に勝ちに行こうとしなくてもいいんだ。だって引き分けなら『知恵の月』の勝ちになるんだから」
「……あー、引き分けは、両者脱落だったわね。それで、向こうはあの機体が最後。こっち側はキシが残っているんだったわ」
「その通り。だから、このまま時間稼ぎをすれば良し。相手が焦れて突っ込んできても、逃げに徹すれば勝ち。それこそ、相手に起死回生の一発が起きない限り、負けようがないってわけ」
「そう考えると、戦っている方は真剣そのものなのよね、きっと」
「キャシーは物凄く集中して、戦っているとおもうよ。一方の敵側は勝たなきゃいけないのに、この展開に付き合ってくれている理由がわからないから、なんとも言えないんだけど」
キシが不安を感じる言葉を出すと、ティシリアが疑問顔になった。
「そういえば、どうして無理にも打開しようとしないのかしら。時間はもう半分も過ぎているわよね」
「そこが不気味なんだよね。考えられるとしたら、本当に遠距離のまぐれ当たりを期待しているか、時間ギリギリに逆転の一手を放つ用意があるかなんだけど……」
キシは『自分が敵側ならどう戦うか』を考えようとするが、ヒビァジャビの考え方をなぞれる気がしないため、意味がないと思考を放棄した。
「切り札を隠していようと、この戦いで使わなけりゃ勝てない。使えば、次の俺の戦いでは通用しなくなる。気にするほどの事じゃないよ」
「それもそうなのだろうけど……」
ティシリアは、どこか腑に落ちない様子で、しきりに首を傾げている。
二人の疑問や懊悩を尻目に、戦いは同じ展開が続きに続き、残り時間が一分ほどとなった。
ここで、敵ハードイスが動き始める。
盾を掲げて、真っ直ぐにフリフリッツへ突っ込んでいく。
一か八かの勝負に出たと、観客の誰もが思うような、半ば無謀と思える吶喊だ。
ここでキャシーは、フリフリッツを冷静に操る。
左右に蛇行しながら後ろへ後退しつつ、たびたび一秒程度停止して単発射撃。牽制と命中弾を同時に狙う方針だ。
敵ハードイスは当たる場所を予想して、盾で防ぐ。
しかし、距離が近づいて、キャシーの命中精度が高まるにつれて、ヒビァジャビの盾防御に綻びが生じ始める。
命中率が高い胴体ではなく、盾の範囲から外れがちな、足元を狙って銃撃するようになったからだ。
それでも盾を動かしてヒビァジャビは防御に成功していた。だが、あと三十秒ほどで制限時間というところで、とうとう一発、左足に食らってしまう。
『よしっ、やったわ!』
キャシーが思わずといった感じで、外部音声で喝采を上げる。それと同時に、敵ハードイスに背を向けて逃げ始めた。もちろん、銃撃が当たらないように、左右に蛇行することも忘れない。
しかしこの戦法は、キシが見る限り、失敗だった。
(あのハードイス。重装甲機体なのに、中速度帯並みの直線速度が出てる。このままだと、時間内にキャシーに追いつくかもしれない)
一秒ごとに徐々に近づく両者のの機体。
しかしキャシーは、ハードイスの速度に気付いた様子がない。
(コックピットは全周モニターで、背後の景色を見ることも可能だけど、後ろを見るためには、パイロットが首を曲げて振り向かなければいけない。しかも、座席の背もたれをが後ろを見る邪魔になるため、より大きく体を曲げなければいけないんだよな)
しかもフリフリッツは、銃撃が来ても当てられないように蛇行しながら逃走しているため、通常より速度が遅くなりがちだ。そのため、仮にキャシーが後ろを振り向いて追ってくる敵機の姿を視界に入れても、追いあげられている認識が抱けない可能性が高い。
以上のことから、背中を向けて逃げることはやめた方がいいという判断ができる。
しかし、キシは通信機でキャシーにそう教えられないと悟った。
あと二十秒も時間がないのに、機体を再び反転させて後ろ向きに走らせようとしてしまえば、いま以上に速度が落ちるため、確実に追いつかれてしまうからだ。
ただでさえ、真っ直ぐに追ってくる敵機体に、徐々に近づかれつつあるため、これは出せない指示であった。
そんな危険を冒すぐらいなら、時間いっぱいまで背中を向けて逃げ切る方に賭けるた方が、まだ勝ち目が高いと判断した。
そこでキシは、通信機でキャシーに応援を届けることにする。
「あともうちょっとだ。そこを逃げ切れば、俺のハグが待ってるぞ!」
『それを聞いちゃったらぁ、あともうひと踏ん張りしなきゃだわ!』
キシの激が効いたのか、フリフリッツの逃走速度がやや上がったように見えた。
これで逃げ切れる。
そう『知恵の月』の面々が思った瞬間、追うハードイスのバーニアがひときわ大きく輝きを放ち始めた。そしてぐんぐんと追い上げ始めた。
明らかに、ハードイスが本来持つバーニアの噴射可能量を超えた噴射光。
その原因を、キシは二つ思いついた。
「バーニアの換装!? いや、噴射量増加剤を使用したのか!」
それは文字通り、一定時間バーニアに噴射量を上げる特殊液を注入する機能。
使われる液体は『ニトロ化合物』ではないし、車や飛行機エンジンに仕込む『ナイトロシステム』とは違うので、『ニトロ』と呼ぶのは厳密には間違っている。しかし、レースカー映画のように使用すると爆発的な加速度を得られ、長時間使うとバーニアが壊れてしまう欠点があるため、この愛称が付けられたという背景があった。
速度を上げる改造の一つだが、『改造法』なだけあり、既存機体には基本的についていない。
だからこそ、改造の才能がなくて既存機体になじみが深かったキシには、思いつかない隠し玉だった。
「重装甲機に噴射量増加剤って、やっている人見たことがないぞ。普通は、バーニアをフル改造した高速機の速度を底上げするために使うものだろうに」
キシが悔しげに呟くのも無理はない。
なにせ速度を上げようとするなら、高性能のバーニアを買って付け替えた方が手軽だからだ。少なくとも、ゲームとしてのメタリック・マニューバーズならば。
しかし、この世界に住む人たちにとっては、人型機械は大変に高価なもの。そのバーニアを買い替えるなんて真似、やすやすとはできない。それでも速度が必要な場合は『ニトロ』を使用する方が手軽で安上がりだった。
ともあれ、敵ハードイスが高速機もかくやという爆速を得たことで、あと十秒もない戦いの戦況は一変してしまった。
急速に近づいてくるハードイスの姿を、キャシーも視認できたようで、フリフリッツにアサルトライフルを片手に持たせて、後方へ連射する。
『もうちょっとで、ご褒美なのよぉー!』
弾倉を撃ち尽くす勢いで放たれたペイント弾は、半分ほどが狙いが逸れてしまい、命中した弾の半分は盾に当たった。それでも、少なくない数の弾が、盾からはみ出たハードイスの手足に命中していた。
あとほんの数秒で戦いは終了する。
その短い時間で、ハードイスが逆転するのは難しいと思われた。
だがここで、フリフリッツに手がかかりそうまで近づいたハードイスは盾を投げ捨てる。しかし、その手にあるアサルトライフルを構えようとしない。
試合を投げたと思われた次の瞬間、ハードイスの正面装甲が唐突に破裂した。
そして、前を逃げるフリフリッツの背中が一気に真っ赤に染まり、余分に吹きつけられた塗料が赤い霧と化す。
ここで決闘の時間終了を知らせるブザーが両陣営から鳴らされた。
その音を聞きながら、ティシリアは呆然とした顔をキシに向ける。
「ねぇ、なにが起きたのかしら? なんだかキャシーが負けている気がするんだけど?」
「俺も良く分からない。爆発したのは向こうのハードイスに見えたけど、なぜかフリフリッツの背中が真っ赤になっている」
「これは映像記録を確認した方が良さそうね」
ティシリアは端末を操作して、いまの戦いを記録していた映像を呼び出し、再生を始めた。
そして終了時間間際まで映像を飛ばして、問題のシーンをスロー再生させる。
「ハードイスが盾を捨てて、装甲が爆発したわ」
「装甲の破片のようなものが前に飛んで、フリフリッツの背中の背中に命中し、そして真っ赤に。となると、この破片に見えるものは、全てペイント弾ってことだな」
「えっ。ハードイスの正面装甲――首から足首までの装甲が爆発したのは、その全部分からペイント弾を発射させるためっていうの?」
「二戦目の跳躍地雷に使われていた、小粒なペイント弾を機体表面に仕込んでいて、それを反応装甲かなにかを爆発させて打ち出したんだろうね。道理で、正面から戦おうとしないわけだよ」
下手にフリフリッツのペイント弾が当たって、この『小粒弾発射装甲』が反応してしまえば、切り札としての機能が失われてしまう。だからこそ、不利な戦況でも被弾を極力避け続けていたのだ。そして終了間際という絶好のタイミングで使用することで、最大の威力を発揮させてもみせた。
ありていに言ってしまえば、ヒビァジャビの作戦勝ちに他ならない結果である。
しかしキシは、一つ残念に思ったことがあった。
「一戦目。唐突に敵機体が真っ赤になったけど。あれって、この発射装甲の試作型を盾の裏側に仕込んでいたからだ。あの現象の原因をよく考えて、それでこちらが見破っていれば、キャシーが負ける展開は阻止できていたかもしれない」
キシが失態だと考えそうになった瞬間、ティシリアのパンチが肩を抉るようにやってきた。
痛みに涙目になった瞳を向けると、怒ってますという顔が待っていた。
「それは自惚れよ、キシ。いま知ったことを過去に持ち出して、ああできた、こうできたって言っても意味なんてないわ! 知った知識と過去からの教訓は、今を生き抜くことと未来をよくするために使うものなのよ!」
ふんすっと鼻息荒く言い放ったティシリアを見て、キシはバツが悪そうな顔になる。
「それもそうか。後悔は先に立たないけど、悔いるよりも改善を模索したほうが健全だよね」
「わかればいいのよ。それで、キシはあのいけ好かない髭オヤジに勝てるの、勝てないの?」
「冗談。あんな手合い、俺の腕なら勝てない方がおかしいし」
キシが本調子に戻ったと見て、ティシリアの顔に笑顔が戻る。
「よろしい。では、キシに抵抗組織のリーダーとして命令します。次の決闘、絶対に勝ちなさい。そして、『陽炎の蠍』どもをギャフンと言わせてやりなさい!」
「アイ、マム! 命令を実行してご覧に入れましょう!」
キシが調子よく返した後で、二人とも真剣な顔を続けていたが、やがて堪えられなくなって吹き出し、大笑いをし始めた。
二人が気楽な様子を見て、他の『知恵の月』の面々も、心配いらないのだなと気楽に構えることができたのだった。