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愛人契約はじめました  作者: NES
第2章 いままでとこれから
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いままでとこれから(1)

 この付近で高校といえば、よほどの馬鹿でもない限りここに進学してくることになる。小学校で同級だった連中は、九割以上が代わりえせずにそのままだ。いい加減に見飽きた顔ぶれに、ユミコは辟易へきえきとしていた。

 高校を卒業した後の進路だって、良くて県内の国立大学と相場が決まっている。経営だなんだを学んだところで、このド田舎に帰ってきて農業に精を出すのが関の山だ。ここは土地の繋がりが強い。裏を返せば、閉鎖的で外からの干渉を受け入れるつもりがないとも言う。いつまで経っても変化の一つも見出だせない、生きている化石みたいな土地だった。


「ユミコ、お前、どういうつもりなんだ!」


 休み時間の教室に、血相を変えたヒロキが飛び込んできた。ユミコはそれを無視して、窓の外を眺めていた。今年はカラスが少ないからか、ハトの群れが中庭で呑気のんきに地面をつついている。良く晴れているし、こんな日はのびのびと散歩に出かけるのも楽しいかもしれない。そうすればここ最近ユミコにまとわりついて離れない嫌な空気なんて、全部吹き飛んでしまうだろうに。


「おい、聞いてるのかユミコ!」


 ヒロキは頭に血が上ると、いつもこうだった。二人の姿が周りからどう見られるかなんて、お構いなしになる。小学校の頃はまだ我慢が出来た。中学に入ってからは、最悪だ。ユミコが陰で、同級生たちによってどんな心無い噂にさらされたと思っているのか。ヒロキはちっとも理解しようとしなかった。

 親同士が決めた許嫁いいなずけという関係は、そんなに重要なことなのか。そこにはユミコの意志は、欠片だって反映されていない。ヒロキの方もそうだろうに。物心つく前から住む場所や、従事する仕事、結婚する相手まで決めつけられているというこの状況を。どうしてヒロキは、容易に受け入れることが出来るのか。

 ユミコには全く解らなかったし、解りたいとも思わなかった。


「聞いてるよ。何? うるさいな」

「何ってお前、進路の話だよ」


 そんなことだろうと、大方の予想はついていた。だとすれば、また新たな疑問がユミコの中で首をもたげてくる。一体全体どこの馬鹿者が、ユミコの個人的プライベートな情報をよりによってヒロキに漏洩ろうえいしてくれやがったのか。

 この高校の教師たちの一部に対しても、月緒の家は強い影響力を持っている。やはりこの土地に住んでいる限り、ユミコには本当の意味での自由なんて望むべくもないことなのか。深い絶望と激しい怒りの衝動で、ユミコのはらわたは煮えくり返ってしまいそうだった。


「東京の大学を受験するって、本当か?」


 ざわり、と教室内の空気が一瞬どよめいた。ユミコはここいらではそれなりに名の通った豪農、月緒家の娘だ。月緒家は代々、この地域に根差した第一次産業を生業なりわいとしている。ユミコだってその例に漏れないからこそ、ヒロキとの結婚が親族間の協議によって決定づけられていた。


 それが県外――しかも東京という、いかにもな都会にまで出ていってしまおうとしている。これは土地の事情に詳しい者なら、それだけで引っ繰り返ってしまいそうなほどの大事件だった。

 現に進路指導の禿ジジイはユミコの進路調査票を見て腰を抜かしていたし、ヒロキだって泡を食ってやってきた。ユミコにしてみれば、これはこれで充分にしてやったりという気分だった。


「そうよ。仕事もそっちで見つけて、ここには戻ってこないつもり」

「そんなの親父さんが許さないだろう」

「今説得中なの」


 父親や母親とは、昨晩に早速一戦交えたばかりだった。村の外で暮らすなど、絶対に許さない。何と言われても、大学だけは東京の学校に通わせてもらう。学費なんぞ一銭も払わんぞ。それなら水商売だって何だってやってやる。月緒家の女が、そんなことを許されると思うのか!

 ……夕食を作ってくれた母親には申し訳なかったが、おかずの大部分は皿に乗ったまま宙を舞って、床や壁に激突してぶちまけられた。お陰様で久しぶりにインスタント食品で腹を膨らませることになった。農家の癖に、食べ物を粗末にするとかとんでもないばち当たりだ。


 そこではひとまず結論を出すのは先送りにされて、次が高校の進路指導室だった。学校側はユミコの進学先を、県内の国立大学なのだと完全に思い込んでいた。それも学歴を得るためだけで、何の実態も伴っていないものだ。

 ユミコは社会学科なんて、何を勉強するところなのか知りもしなかった。学力的には問題なく、安全に合格出来ますよ、という理由のみで提示された内実を伴わない進学先に過ぎない。提出されたユミコの進路調査票を見て、田舎教師たちはてんやわんやの大騒ぎとなっていた。


 そして今度は、ヒロキだ。意味のない混乱の連鎖反応が、この後どれだけ控えているのか。クラスメイトたちが奇異の目を向けてくるのが、ユミコには我慢ならなかった。ユミコがどこでどんな人生を送ろうが、全くもって彼らには関係がないだろうに。興味本位の助平スケベ心は、ユミコがこの田舎を好きになれない理由のトップ3には入る項目だった。


 そして耳元では、ヒロキが飽きることなくいつまでもぎゃあぎゃあと騒ぎ立てていた。ユミコ、聞いているのかユミコ。うるさい。五月蠅うるさい。ああ、うるさい!


「ヒロキには関係ないでしょう。もう黙っててくれる?」

「か、関係なくなんかないだろう。俺はお前と結婚する約束……」


 そこまで声に出してから、ヒロキははっとして口を閉じた。時すでに遅し、だ。ユミコはそれを言葉にされるのを、極端に嫌っている。それが衆人環視の場であれば、尚更のことだった。


 前時代的な許嫁いいなずけという制度に、どんな意義があるというのか。中学生の時に、ユミコは自分の意志とは無関係に散々あることないことを言いふらされて嫌な思いをした。ヒロキもそのことは、十分に承知しているはずなのに。デリカシーが足りていない。ユミコが思うヒロキの最大の欠点は、こういったちょっとした気遣いが不足しているところだった。

 どこかから、「くすり」という忍び笑いの声が聞こえてきた。まただ。この上、何をどれだけ我慢すれば良いというのか。ユミコはカッと頭に血が昇るのを感じた。


 ――もう、こんな生活は沢山だ!



「私は、あなたのモノなんかじゃない!」



 ばっちーん。


 平手打ちの音が、教室の隅々にまで響き渡った。ヒロキが、ぐらりと体勢を崩してよろける。よほど不意を突かれたのだろう。確かに、ユミコがヒロキに対して手を上げたのは初めてのことだった。

 ヒロキは頬を真っ赤に腫らして、呆然とユミコの姿を見つめていた。怒りにゆがんだユミコの眼から、数滴の涙が流れ落ちた。




 香ばしくてちょっと甘い匂いが、ダイニングの方にまでほのかに漂っていた。テルアキの淹れた、熱いコーヒーだ。コーヒーを淹れることに関しては、テルアキはちょっとしたこだわりを持っている。このマンションのキッチンで唯一、テルアキによって使い込まれている調理器具がコーヒーメーカーだった。

 専用のキャニスターには、いつ見てもローストされたコーヒー豆がぎっちりと詰められていた。それを電動ミルで砕いて粉状にして、フィルタに乗せてセットする。後はスイッチ一つ押すだけで、芳醇ほうじゅんな漆黒の液体が抽出されてくる仕組みだった。


 このコーヒーを口にするまで、ユミコはどちらかといえば紅茶党だった。コーヒーなんて、にがくて酸っぱくて何が美味しいのかさっぱりだ。ラテアートは可愛いけど、あれは見て楽しむものであって飲み物ではない。

 だからテルアキがどこかから買ってきているこのコーヒー豆の香りと味わいは、ユミコにとっては大きな驚きだった。


「テルアキさん、もうちょっとで焼けますからねー」

「ああ、楽しみにしているよ」


 今日はそのコーヒーともう一つ、朝のお楽しみが準備中だった。アイランドキッチンにビルトインされている装置の一つを、ユミコは先日初めてテルアキに説明された。大きな扉があるなぁ、程度にしか思っていなかったものだ。それが実は、最新式のガスオーブンだということを知って少なからぬ衝撃を受けた。


 電子レンジしかないものだとあきらめていたところに、この発見は僥倖ぎょうこうだった。ある物はやっぱり使いたくなってしまう。とはいえあんまり凝った料理となると、ユミコもそこまでの自信はない。

 ということで、まずはお試しだ。最近はテルアキもマンションの部屋にやってきて、ユミコと一緒に朝食を摂るようになっていた。そこでお手軽なメニューを用いて、今朝は調理実験の真っ最中だった。


「お、すっごい美味しそうに焼けましたよ」


 やはり火力とか、火の回り方が違うのか。これだけ立派なオーブンを使って出てきたのが、こんがりと焼けた食パン二枚というのは若干の拍子抜け感は否めない。……いやいや、ただのトーストではなくて、とろりととろけたチーズやスライスしたサラミがたっぷりと鎮座している。ユミコ特製のピザトースト。ピザソースがよくある輸入食品店で購入した既製品なのは、ご愛敬だ。


「四つ切りって、分厚いですねぇ」


 ユミコは今まで、八つ切りの食パンしか買ったことがなかった。六つ切りだって贅沢ぜいたくだと思っている。それが、一気に倍のサイズだ。大迫力のトーストに、具材もあふれんばかりに盛り付けてある。

 セレブだ。このパンの耳に砂糖をまぶして、カリカリになるまでいためて作った偽ラスクをおやつにすることもない。ユミコの中では、これはもう充分に高額納税者の食卓であった。


「うん、とても良く出来ている。コーヒーにも合うね」


 テルアキも上機嫌で認めてくれた。ユミコが作るものならば、テルアキはそれがどんな失敗作であっても手放しで褒めてくれる。しかし今回ばかりは大金星だろう。大きな口でがぶり、とトーストにかぶりついてから、ユミコは思い出したようにテルアキの表情をうかがった。


「テルアキさん、今日は泣かないですね」

「まいったな。その話は勘弁してくれ」


 以前テルアキはユミコの作ったオムライスを食して、突然泣き崩れてしまった。その理由を、ユミコは特に聞きただしてはいなかった。テルアキにはきっと、テルアキの事情がある。ここでユミコとこんな生活をしていることに、それは大きく関係しているに違いない。

 時がくれば、テルアキはユミコに打ち明けてくれるだろう。だから今は、笑い話にでもしておけば良い。ユミコの心(づか)いを察してか、テルアキも明るくおどけた調子で応えた。


「あれはユミコさんの料理に感動して泣いてしまった、ということにでもしておいてくれると有難い」

「うーん、じゃあ今朝のは感動には至らないレベルだったんですね。次こそは必ず泣かせてみせます」


 「勘弁してくれ」とテルアキは苦笑いを浮かべた。あれから、テルアキはユミコと共にいる時間を増やしてくれるようになってきた。食事は可能な限りにおいて、いつも一緒だ。特に朝と夜は、マンションのダイニングで向かい合って食べることが日常になりつつあった。


「一人分だと、材料の加減が難しいんですよね。テルアキさんが食べてくれる方が、作り甲斐もありますし」

「俺はユミコさんの手料理を食べることが出来て、普通に嬉しいよ」


 そんな『手料理』なんて呼べるほどの、上質なものとは思えないが。今回のピザトーストだって、食パンに材料を切って載せて焼いただけの代物だ。中学生、いや小学生だって何かの片手間に作ることが出来る。テルアキにあんまり高く評されてしまうと、ユミコには自分のやっていることがかえってしょぼく感じられてきた。


「こんなの、誰だって作れますよ」

「違うよ。ユミコさんが作ってくれたから嬉しいんだ」


 ぐむっ、とユミコは赤面して絶句した。たまに、テルアキはこうやってユミコのことをからかってくる。大人の余裕という奴か。そういう臭いセリフは言われ慣れていないので、腹立たしいことについ照れてしまう。


「随分と気障きざなことを言うんですね」

「気取ってるかもしれないけどさ――こういうのって、ちゃんと声に出して言うことが大事だと思うんだ。俺はユミコさんのこと、好きだよ」


 完全に油断していた。ぼけっとしていたらチーズがとろん、と舌の上に垂れて、ユミコは火傷やけどしそうになってしまった。コーヒーを飲もうとしたらこれも熱い。ひどい。アメリカンコメディか。


「……不意打ち禁止です」

「ごめんごめん。でも、俺はユミコさんのことを好きだから、こうやってここにいて欲しいって思っているんだ。可能なら、いつまででもね」


 六ヶ月という期日を超えて、ユミコがこの部屋に居続けること。それは、ユミコが正式にテルアキのものになることを意味している。おだやかすぎる毎日のせいで、つい忘れてしまいがちではあるが。ユミコがここにいられるのは、テルアキに愛されているからこそだった。


「愛人、ですか?」

「そうだね。それも、ユミコさんが自分の意志でそれを望んでくれるのなら、尚良い」


 『恋人』と称するには、テルアキとは年が離れすぎていた。生活全般の面倒も見てもらうのだから、世間一般には『愛人』と呼んだ方が通りが良い。その代わり、ついて回るイメージが最悪なのはいかんともしがたかった。


「結婚とかも、ひょっとして考えてたりしますか?」

「俺の年齢的に、それは視野に入れざるを得ないかな。ただユミコさんはまだ若いし、ちゃんと意識の擦り合わせはするべきだとは思ってる」


 テルアキは、どこまでも真面目だった。だからこそ、ユミコも安心してこのマンションで生活していられる。しばらくここで過ごしてみて、ユミコはテルアキのことを信用出来る人物であると判断していた。

 六ヶ月の猶予期間は、まだ半分以上も残されている。悩み始めるのは、もう少し後でも遅くはなさそうだ。今はこうやって楽しく食卓を囲んでいられれば、ユミコはそれで満足だった。


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