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愛人契約はじめました  作者: NES
第8章 はなのいろあざやかに
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はなのいろあざやかに(1)

 セミが、やかましいくらいに鳴いている。まだ午前中なのに、元気なものだ。たった一週間という短い間に、セミたちは自らの伴侶を見つけて子をさなければならないとか。そう考えれば哀れだ。ケンキチならすぐにあきらめて、その辺の地面の上で引っ繰り返っていたことだろう。


 遠くから、祭囃子まつりばやしが聞こえ始めていた。今日は花火大会に合わせて、近隣の大きな神社で夏祭りがおこなわれる予定となっている。それがあるから、『翡翠の羽』も特別営業体制を取っていた。冷房の効いた店内から追い出されて、炎天下に屋外でかき氷の路上販売だ。商店街の末席に座るものとしては、断る訳にはいかない重要な役割だった。


「暑いから、水分補給はこまめにするんだよ?」


 せめてもの救いは、幼稚園のお泊り会であのやかましい息子が留守にしている、というところか。いや、息子は可愛いし、いない方が良いなんてこれっぽっちも思ってはいない。ただちょっと、内在しているエネルギーの出力値がケンキチには制御不能な程に規格外であるだけだ。毎日その相手をしてくれているフミカに対して、ケンキチは頭が下がる思いだった。


「大丈夫。フミカはチカちゃんと店の方を頼むわ」


 首の周りの汗を、タオルでぬぐう。既に汗でぐっしょりだ。午前中の間は、表の側は客どころか人通りすらまばらな状態となっている。店の方は店の方で、いつもと変わらず通常営業中だった。お祭り対応だけでもうけが出せるのなら、経営の苦労はない。とりあえず午後のランチ営業終了時刻までは、ケンキチはここで店番。店はフミカとチカの二人に任せる腹積もりだった。


「無茶しないでくださいよ、センパイ」


 フミカがふふん、と口のはしを持ち上げてみせた。生意気なのは昔から相変わらずだ。会社勤めしていた頃を思い出して、ケンキチはフミカの姿をまぶしく見つめた。


「その言い方、やめてくれ。チカちゃんに笑われる」


 不思議なものだ。気が付いたらケンキチは、フミカと結婚して子供まで出来ていた。何かの罠にめられたのかもしれない。ケンキチの知っているフミカなら、そのくらいのことは平気でたくらんでいたりしそうだった。

 何しろ結婚式の日に、面と向かって尋ねた程だ。


『お前、何で俺と結婚するの?』

『好きだからでしょ、ばーか』


 お陰様で、フミカを見たテルアキからは最初性犯罪者呼ばわりされた。誤解もはなはだしい。フミカは確かに背も低いし全体的にちんちくりんだが、れっきとした大人の女性だった。ケンキチとは七歳違い。ということは今、三十五歳か。


 ――まあ、そうは見えないか。


 知り合った当時から、「小さいな」とは思っていた。口を開くととんでもない発言ばかりするので、心の中では『ダイナマイト』とか『ニトロ』とか呼んでいたのは秘密だ。間違えても年相応には見えないので、彼氏とか恋人なんてものとは無縁なのだろうとちょっと下に見ているところもあった。


 それがまさか、ケンキチと付き合って……しっかりと関係まで持ってしまったのだから、ケンキチ本人も驚きだった。


「なぁ、フミカ。今夜は久しぶりに二人で飲もうか?」

「もちろん、そのつもりだよ。ここのところゆっくり出来なかったし、久しぶりにセンパイとはじっくりとお話しもしたいし」

「だから、それやめろって」


 二人の息子は、ケンキチよりフミカに似ていた。フミカの幼少期の両親からの印象は、「歩いているところを見たことがない」なのだそうだ。その血は確実にフミカの息子に受け継がれていた。

 店舗とは別にある自宅の方は、常に台風が直撃した後みたいな様相だった。ケンキチは子供が出来るなら、絶対に女の子の方が良いと思っていた。現在の惨状からして、ほれ見たことか、といった感じだ。ただしフミカに言わせれば、フミカに似るのであれば男だろうが女だろうが結果はビタ(いち)変化しない、とのことだった。


 じゃあ二人目は、ケンキチ似の女の子が良い。顔以外で。


「嬉しいくせに。今もちょっとにやけてるぞ」


 フミカを相手にして、ケンキチは隠し事なんて出来たためしがなかった。何もかもお見通し、という笑顔を浮かべると、フミカはすすっとケンキチの前まで滑るようにしてやってきた。そのまま、ちゅっ、と軽く唇を触れ合わせる。いつも遠りの、目にも止まらないあざやかな早業はやわざ、だった。


「テルアキさんが女子大生ゲットしたからって、浮気しちゃ駄目だからね」


 本当に、フミカは昔から何にも変わらなかった。ケンキチのことを翻弄して、ぐるぐると振り回して。それでいて、ちゃんと気遣きづかって優しくしてくれる。良く出来た妻だと思う。浮気だなんて、ケンキチは考えたことですらなかった。


 ばいばい、と手を振って店の中に消えていく。どこまでが計算済みで、どこまでが地なのか。ケンキチにはフミカのそういうところが、いまだに良く判らなかった。




 一番良く覚えているのは、安いオフィスコーヒーの味だった。給料から天引きされているのだから、飲まなければ損だ。それで腹をタプタプにして、眠気を制御出来ている気分になってキーボードに向かう。ブルーライトをカットするとかいう眼鏡をかけて、液晶画面と数時間単位でのにらめっこの再開だ。


 新宿にあるIT関連開発企業のオフィスには、人の姿はまばらだった。理由のまず1つは、時間のせい。そろそろ深夜残業手当が付くような時間帯だ。この近辺は、むしろ今ぐらいの方が外は賑やかになってくる。大きなガラス窓のブラインドの向こう側を、酔っぱらいの集団が楽しそうに通り過ぎていくのが判った。

 理由のもう1つは、この会社の業務形態にあった。所謂いわゆるプログラマーたちのいるような中小企業は大体そうなのだが、実際の作業は自分の会社のオフィスでは遂行したりしない。大部分は、客先常駐という形で仕事先の会社の環境を使わせてもらう。『現場』という呼び方が、いかにも『IT土方(どかた)』という揶揄を体現している感じでケンキチは嫌いだった。


 ケンキチの所属している会社も、実際には正社員の数は二百人を超えていた。ところがみんな、外の会社に働きに出て留守にしている。月に一度の全体会議の日だけは帰ってきて、このがらんとしたオフィスが急に活気に満ちてびっくりする。つい先週まではケンキチ自身も、誰もが名前を知っているような大手企業の開発部門で作業に従事していた。


「センパイ、ユニットどこまで通りました?」

「ん、下回りとは、もう繋げて大丈夫じゃないかな。バカ正直に全部やってるとそれこそ終わらないし」

「エビデンスとかいらないんですかね」

「難しい言葉知ってるな。どうせこんなテスト結果なんて、誰もレビューしたりしないよ」


 節電のため、広いフロアの中で灯りが点いているのはケンキチと――隣のデスクにいるフミカの席だけだった。ケンキチの場所は本当なら全然違う島にあるのだが、効率が悪いのでこっちに移ってきた。どうせどこも普段は空席なのだ。いない人間の代わりにどう使おうが、文句を言われる筋合いは微塵みじんもなかった。


 フミカはぶすっとした表情で、キーボードをリズミカルに叩き続けている。完璧なブラインドタッチだ。この業界に入って十年を超えるケンキチは、いまだにそれが出来なかった。個人技という観点からは、フミカは既に立派な一人前だった。会社に入ってプログラミングの研修を受けたのがコンピュータとの付き合い始めなケンキチとは、年期からして違っていた。


 代わりに、フミカには不足しているものがあった。それは平たく言ってしまえば……『世渡り』のスキルという奴だった。要求を仕様書に落として、そこから外部設計、内部設計、実装にテストという流れは完ぺきにこなすくせに。人との付き合い方となると、フミカはこれがからっきしに駄目だった。


 ケンキチが最初にフミカと接したのは、フミカがまだ新人研修を受けている頃の話だ。フミカはその年の新人の中で一人だけ大学院卒で、プログラミングの経験もあるということで鳴り物入りの入社となっていた。入社前に受けた適性検査も満点。役員たちはフミカをどのジョブに投入するか、うきうきしながら選定を進めていた。

 未経験者どころか文系のなんだか良く判らない学科卒の連中も含めた新人軍団に、ケンキチはプログラミング言語を教える役を与えられた。こういうのは、外部の講師に依頼した方が相当に効率は良い。だがそれをするには、先立つものが必要だ。丁度プロジェクトが解散して本社に戻っていたケンキチは、格好の暇人だった。

 断ったところで、次の仕事が決まるまでは無駄飯喰らいでしかない。素人を相手に、ケンキチは自身の経験にもとづいてぐだぐだと講義を始めることにした。

 とはいえ、相手はどうしようもないくらいの未経験者ばかりだ。その集団の中にいては、フミカの才能も埋没してしまうだろう。どうしたものかとケンキチが悩んでいると、フミカの方から自主課題を願い出てきた。


『この会社の稟議りんぎシステム……というかグループウェア全般は相当にイケてないので、私の方で作り直しさせてもらえませんでしょうか?』


 これがまずかった。ケンキチのいる会社の社内システムは、2課の肝入りだった。数年前に広範囲に渡って要求をヒアリングし、結構な金と工数を投入してようやく稼働を始めたばかりのものだ。それをいくら才女とはいえ、ぽっと出のド新人が「イケてない」の一言で片付けてしまうのはかなりヤバい事態だった。


『へぇ、今年の新人には面白い子がいるね』


 その結果が、これだ。フミカには特別な課題が与えられた。本来なら一円も稼げる訳でもない研修期間中には、残業代なんて無縁なはずなのに。フミカに対しては例外的に、満額で支払われることとなった。それはそうだ。フミカには会社のためのシステムをほとんど一人で開発するという、『仕事』が与えられたのだから。


「センパイ、今日はもう良いですよ。明日、定時から始めましょう」


 フミカはコーヒーをグイっと飲み干すと、キーボードへの打ち込みを再開した。こうやってケンキチが手伝いをするのを認めさせるまでが、またひと苦労だった。フミカはとにかく勝ち気で、当たりがきつかった。研修講師とは、すなわち新人たちの上司だ。ケンキチには、それを監督する義務がある。そうやって説得して、フミカはようやくケンキチが一緒に作業をすることを許してくれた。

 その中身を見て、ケンキチは正直舌を巻いた。なるほど、これは高評価を叩き出したというのもうなずける。設計から何から、とても今までにこういった仕事にたずさわったことがないとは思えない徹底ぶりだった。


「悔しいですが、手が足りないのは確かなんです。センパイがいてくれて、助かりました」

「そういうのは、全部出来あがってから言え。あと、ぶちかます前にやめとけ」


 ぶっきらぼうで、同期ともあまりコミュニケーションを取らないフミカと、ケンキチは少しずつ打ち解けることが出来始めていた。フミカは自分に才能があると、自負している。そしてそれを最大限に活用してくれる場所で働きたいからと、あえて大企業への就職を選ばなかったのだそうだ。

 ……まあつまり、ケンキチにいる会社は『現場最前線の泥臭い場所』だということだ。そういうところの方が、よりしっかりとした仕事をしているものだとフミカは確信していた。


 が、現実はそうでもなかった。それはそれなりに経験を積んできたケンキチにも、判っていることだった。みんなそこそこの場所でそこそこの仕事をして、そこそこに頑張っている。ITというと花形なイメージがあったのは、随分と昔の話だ。開発ならまだ良いが、保守とか監視とか、地味を通り越して拷問みたいな作業だってあれこれと存在していた。


「でもだからって、自分のところのシステムまでいい加減っていうのは許せなくないですか?」

「言うなっての。こんな会社でも、パワーバランスってのがあるんだよ」


 2課はこの会社のかせぎ頭だった。ただし、技術力があるかと問われればそうでもない。大事なのは、必要な人材を必要なタイミングで折よく手配出来ることにある。自社に人がいなければ、外から派遣社員や外注を上手く引っ張ってくるのだって重要な手管てくだだ。そういった「人材を回すことだけにけている」という批判に応える形で、この社内システムは企画されたものだった。


「それより、終電だ。お前こそ帰れ。最終退出処理は俺がやっとく」


 ちんちくりんのズタボロでも、フミカは女子だ。簡単にオフィスに寝泊まりさせて良いはずがない。一人暮らししているから平気とか、そんなのは理由にもならなかった。


「イヤです。今日中にガントの大項目2番までは終わらせる計画なんです」

「今日なんて後1時間もないだろうが。イイから帰れ! 風呂に入って汗臭い服を着替えてこい!」

「センパイの……セクハラ魔人!」


 割と本気で言ったのに、酷い返されようだった。フミカはいーっと、口を横いっぱいに開いている。最初にフミカを見た時、ケンキチのフミカに対する第一印象は小さいけど――綺麗な子だな、というものだった。

 色々な属性に誤魔化されそうになるが、フミカの本質は気骨のある正義感の強い女性だ。根性があって、負けず嫌いで。まるでケンキチにないものを全部固めて、ぎゅうっと圧縮したみたいな感じの性格だった。


 ――とはいっても、それほど長い付き合いにはならんだろうがな。


 フミカは恐らく、この会社の空気には馴染なじまない。それはケンキチにもすぐに判った。向上心と高いスキルを併せ持つ人材は、大体がもっと良い会社に移っていくものだ。フミカからは、そういう『デキる人間』の匂いがプンプンとしていた。

 それもあって、ケンキチはフミカがすぐに潰されてしまうのは見たくなかった。何の縁か、ケンキチは研修の担当に割り当てられたのだ。せめてその間くらいは、この小さなかんしゃく玉娘が暴れるのを好きにさせてみようと思っていた。


「じゃあセンパイも一緒にあがってくださいよ。レディを夜の繁華街に一人で放り出す気ですか?」

「はいはい、レディレディ、スモールレディ」


 ぎゃあぎゃあと五月蝿(うるさ)ののしり合いながら、二人で帰るのが楽しかった。社内システムは研修期間中に、無事完成した。が、ろくに評価されることもなく上司たちの手によってお蔵入りにさせられてしまった。フミカは会社を辞めた後になっても、その恨み節を延々と口にしていた。



 タイミング的なものもあって、ケンキチはフミカと共に次の仕事の現場に常駐することになった。今度は新人社員の仕事上でのおり役、OJTオン・ザ・ジョブ・トレーニング担当だ。想像していたよりも縁が繋がったな、と思った次の年。


 ケンキチは、フミカと交際を始めることになった。初めてのデートでキスをして、それからずっとフミカには振り回され続けている。ケンキチの何もかもはきっと、フミカという小さな魔女アセンブラ・ウィザードてのひらの上だった。


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