ゆずれないばしょ(3)
昨日の夜から降り出した雪は、小学校の校庭を真っ白に覆い尽くしてしまった。交通機関が乱れて先生たちが学校までこれないとかいう理由で、今日の授業はあっさりと潰れてしまった。東京にこれだけの降雪があるのは珍しい。緊急連絡網の電話を受けて、ケンキチは喜んで家を飛び出した。
同じことを考える仲間たちで、校庭は大賑わいだった。これだけのスペースに、有り余る程の大量の雪だ。雪だるまだって、ここにいる人数分は余裕で作れるだろう。知り合いの顔はないかときょろきょろとしていると、「おぉい」と声をかけられた。
「ケンキチ、こっちだ」
「おっす。やっぱりきてたな、テルアキ」
テルアキのことだから、こういったイベントには必ず顔を出すと思っていた。何年も一緒にいるのだから、行動パターンはお見通しだ。テルアキは校庭の端っこにある大きな雪の山の前で、垂直に突き刺されたスコップの柄に寄りかかっていた。
「なんだこれ、すごいな」
雪山はケンキチやテルアキの背丈と同じくらいの高さにまで、うず高く盛り上げられていた。テルアキの弟のヨシヒコが、てっぺんまで登ってからソリを使って滑り降りてきた。確か普段この場所には、何もなかったはずだ。雪だけで滑り台を作るとか、テルアキの体力と行動力にケンキチは舌を巻いた。
「こら、ヨチコ! そういう風に使うんじゃないって言ってるだろ!」
テルアキに怒鳴られて、ヨシヒコはべぇと舌を出して退散していった。滑り台……ではないのか。するとこれは何なのだろう。不思議そうに首を傾げたケンキチに向かって、テルアキは得意げに胸を張ってみせた。
「こいつは昨日の夜のうちに仕込んでおいたんだ。さあ、一緒にかまくらを作ろうぜ」
そういうことか。ケンキチはようやく合点がいった。以前テルアキの父親に、かまくらの作り方について尋ねたことがあった。ある程度のサイズ以上にしようとすると、どうしても途中で崩れてしまう。人が中に入れるような大きさのものは、どうしたら出来るのか。
寒い国の生まれのテルアキの父親は、丁寧に解説してくれた。あれは、その場で雪をかき集めただけでは耐久性に問題がある。前の晩のうちに大きな雪の塊をこしらえておいて、そこにざっと水をかけておく。そうすると、雪が凍って頑丈なかまくらの原型が出来上がるという寸法だった。
ガチガチに凍結したかまくらの表面は、ケンキチやテルアキの力では掘り進むのが恐ろしく困難だった。その間にも、反対側でヨシヒコたち低学年が雪山をゲレンデに見立ててソリ遊びをしている。テルアキもいい加減、それに対しては怒る気力もなくしてしまったらしかった。ケンキチと一緒になって、ただ黙々と手を動かしていた。
もう少し内側にまで到達すれば、後は柔らかい雪を掘り出すだけの作業になる。一時間ほどふうふうと息を切らしていると、ようやくスコップの手応えが「さくっ」という感触に変化した。
「やっとか」
「ああ、やっとだ」
汗だくの顔を見合わせて、ケンキチとテルアキは笑顔を浮かべた。まったく、とんでもない重労働だった。ただの遊びなら、ここまで真剣になったりはしなかった。テルアキが何を考えているのか、ケンキチもうっすらと悟っていた。このかまくらは、二人にとってはとても重要な意味を持つものだった。
「わぁ、すごいね」
後ろから、女の子の声がした。ケンキチとテルアキはお互いに目配せすると、ちょっと格好をつけて振り返った。やっぱり、そういうことだ。赤い毛糸のマフラーが、ひらひらと風にたなびいている。白い息を吐きながらそこに立っていたのは、ミヨコだった。
かまくらの話をテルアキの父親に聞いた時、その場にはミヨコもいた。その内容に一番興味を持っていたのは、他でもないミヨコだった。雪国でもないこの辺りで、そこまで大きなかまくらを目にする機会はまずない。「一度で良いから、中にはいってみたいなぁ」とミヨコはうっとりと口にしていた。
そのことをテルアキはしっかりと記憶していて、こうして実行に移したのだ。ケンキチだって覚えてはいたのだが、ここまでは出来なかった。それが、テルアキとケンキチのどうしようもない違いというやつだ。ケンキチは夜の闇の中で窓の外に舞う雪を眺めて、「綺麗だな」と思っておしまいだった。
「ケンキチと二人で頑張ってるところだ。もうすぐ完成するからな」
これもまた、ケンキチは真似出来ないことだった。テルアキはいつも、自分の成果を一人で誇ったりはしない。これを思い付いたのはテルアキだし、事前に準備を済ませておいてくれたのもテルアキだ。ケンキチは後からぼんやりとやってきて、渡されたスコップを使って穴を掘っているだけ。でもテルアキは何も言わずに、ケンキチのことを功労者のように扱ってくれた。
入り口がそれなりに開いてきたので、ケンキチとテルアキは上半身を中に潜り込ませて内側を削り始めた。この頃になると、二人が何をしようとしているのかが周りにも伝わり始めてきた。ここで全体が崩れてしまっては、ケンキチもテルアキもただでは済まない。低学年たちのソリ遊びは遠慮してもらって、他の子供たちはかまくらが完成するのを固唾を飲んで見守っていた。
「なあ――今年のバレンタイン、ミヨコからチョコ貰ったか?」
背中合わせに雪を掻き出しながら、ケンキチはぽつりとそんなことを訊いた。バレンタインデーには、ミヨコは毎年二人にチョコをプレゼントしてくれていた。今年も例外ではなく、ケンキチはミヨコから可愛いラッピングが施されたチョコレートの包みを受け取っていた。
「ああ。ケンキチだって貰ったんだろ?」
ケンキチとテルアキ、ミヨコは同じ保育園の出身だった。三人は幼い頃からの友達で、その関係は小学校の高学年になっても続いている。そんな中にあって、ケンキチはミヨコに対して特別な感情を持ち始めていた。
ミヨコは昔から、一つ飛びぬけて目立ったところのある女子だった。ミヨコと最初に会った時の印象なんて、ケンキチにとっては物心がつく前の出来事で全く記憶にない。気が付いたら一緒に遊んでいたし、好きになっていた。好意を抱いた理由とか何とか、訊かれても馬鹿馬鹿しくてお話にならないくらいに昔のことだった。
そのミヨコを巡っては、ケンキチとテルアキはライバルとしてお互いに認め合っていた。どちらがそれを先に言い出したのかとかも、もう定かではない。二人は当たり前のようにミヨコが好きで、その隣の座を巡って何度となく争い続けていた。
当のミヨコの方はどうかといえば、明確にどちらかを選ぶという意思は持っていない様子だった。二人に対しては分け隔てなく優しく接してくれるし、片方だけを取り立てて特別に扱うこともしない。ミヨコにしてみれば、「ケンキチもテルアキも大切な幼馴染の友人」ということになるのだろう。
「貰った――けどさ」
ミヨコは現状ではまだ、恋人なんて作るつもりはなさそうだった。でもそんな考えは、あと数年もすればあっさりと引っ繰り返る可能性だってあった。中学生になって、高校生になって。男子を異性として意識するようになれば、いずれは誰かのことを好きになる。その時にミヨコに選ばれる男になっているためにも、ケンキチは誰よりも先んじてミヨコの近くの位置を占めていたかった。
「自信、ないのかよ?」
正直に言えば……そうだった。ミヨコの目線になって考えてみれば、ケンキチには魅力的と言える部分が何一つとして存在していなかった。特にすぐそこにいるライバル――テルアキと比べてみると、悲しくなってくる程に無力だった。
顔がカッコいいなんて、一度でも評されたことはなかった。母親にまで「漫画みたいな顔」と言われたことがあるくらいだ。少なくともイケメンの部類には入れないと、ケンキチは自分ではそう思っていた。「愛嬌がある」なんてフォローをされても、ちっとも嬉しくなかった。
勉強はそれなりに頑張って、それなりに出来るつもりではいた。だがそんなのは、大して自慢にはならなかった。学校の勉強なんて、努力すれば誰だって身に付けられるものの一つにすぎない。テルアキだって、ケンキチとは成績では良い勝負だ。これで差をつけようと思ったとしても、それは容易なことではなさそうだった。
運動に関しては、これはどうしてもテルアキの方に一日の長があった。テルアキは地元の少年野球チームに参加していて、レギュラーメンバーとして大活躍していた。一方のケンキチは、サッカーチームでなんとかスタメンにくらいついている程度だった。最近では自分の能力に行き詰まりも感じてきていて、いよいよ見えてきた自身の限界に思い悩んでいるところでもあった。
個人の資質で考えてみれば、そんな程度だ。ケンキチは何をやっても中途半端。人に誇れるまでに極めているものなど、何もない。人並みに頑張って、人並みの結果を手にして。そこから先の世界には、どう頑張ってみても届きそうになかった。
「ミヨコはきっと、テルアキが好きなんだよ」
それは少し前から、漠然と感じていることだった。ケンキチがどんなにミヨコに対してアピールして見せても、所詮は道化でしか有り得ない。最初からその位置に辿り着くのは、適わない夢だった。
ケンキチがバレンタインにミヨコからチョコレートを貰えるのは、テルアキだけに渡すとあれこれと噂をされるから。
同じ幼馴染のケンキチにも渡しておけば、そういう義理であると周りに知らしめておくことが出来る。そんなカモフラージュのためにくれたチョコレートを、ケンキチは有難がって受け取っている。それが判ってくるようになると、ケンキチは自分が情けなくなってきた。
「俺はオマケだ。テルアキと一緒にいるから、上手く使われてる」
「……ミヨコがそう言った訳じゃないんだろ?」
直接伝えてくるなんて、ミヨコがそんな残酷なことをするはずがなかった。ただ周囲から色々と漏れ聞こえてくる声に耳を傾けてみれば、自然とある程度の類推は可能だった。
それにケンキチには、自分がどういうタイプの人間なのかは良く理解出来ていた。テルアキの引き立て役。テルアキが一番になるために必要な、二番手。「面白いね」とは言われても、好かれることはない。
「判るさ。ミヨコがいつも、誰を見ているのかくらい。俺は選ばれてない。今までもそうだし、これからもきっとそうだ」
スコップを握る手に、力が入った。じんわりと、涙が込み上げてくる。それが判っていてなお、こうやってミヨコを喜ばせようと思ってかまくら作りを手伝っている。我ながらとんでもない大馬鹿者だと、ケンキチは自嘲した。テルアキが輝くために、ケンキチは黙って手足を動かす。間抜け面を晒して、幸せな二人の姿を指をくわえて見上げているのがケンキチにはお似合いだった。
「ケンキチ」
テルアキに呼ばれたが、ケンキチは振り返らなかった。嫉妬している自分が恥ずかしかった。競う前から、結果が判っている程虚しいことはない。今だってそうだ。何もかもを、テルアキがお膳立てしてくれて。ケンキチはそれに乗っかって、さも頑張っているような振りをしている。
――情けない。
顔にかかる雪で、少しは頭が冷えないだろうか。ケンキチは昔から、テルアキが羨ましくてたまらなかった。父親とか、兄弟とか。ケンキチが願っても手に入らないものは、全部テルアキが持っている。このまま、ミヨコもテルアキのものになってしまうのか。悔しさと同時に、さもありなんという諦めの感情が強く湧き上がってきた。
「お前さ、それで本当に良いのかよ?」
テルアキの言葉が、ケンキチの胸の奥に鋭く突き刺さった。良いか悪いかで言えば、良くない。当たり前だ。そうやって全部捨ててしまっていれば、ケンキチには何も残されない。ケンキチにだって、譲れないものくらいはある。それを失くしてしまったら、もうケンキチではいられなくなってしまうような。
ミヨコは――違うのだろうか。
ミヨコをテルアキに取られたら、ケンキチはどうなってしまうのか。きっと、何も変わらない。二人が結ばれたことを、笑いながら祝福出来る。
……本当にそうか?
ケンキチはスコップを落とした。雪の欠片がまとわりついた手袋を、じっと見つめる。ミヨコの存在とは、ケンキチにとってその程度のものだったのだろうか。ずっと近くにいて、ずっと求めてきて。その答えが、簡単に取りこぼしてしまえるようなものなのか。
「テルアキ!」
その時何を考えていたのか、ケンキチは良く覚えていなかった。ただテルアキの肩を掴んで無理に振り向かせると、テルアキは不敵に笑っていた。まるでそうなることを、最初から知っていたみたいに。
それが、気に食わなかった。ケンキチの気持ちも、ミヨコの気持ちも全部知っているくせに。それを見越した高みにいて、そうやってケンキチの心を奮起させてくる。「まだやるんだろう?」って、目で語りかけてくる。
テルアキのそんなところが……ケンキチは大嫌いだった。
周りから見ていた子供たちには、完成間近のかまくらの中で突然二人が暴れだしたように見えたことだろう。ケンキチはがむしゃらになってテルアキに殴りかかった。テルアキも応戦してくる。凍って固まった、あんなに掘るのに苦労した雪の壁は割とあっさりと崩れ落ちた。
頭にごちんと大きな塊が当たって、ケンキチは一瞬気が遠くなった。テルアキの方も、似たようなものだった。身体中に雪が覆いかぶさってきて、重くて潰されそうになる。口の中に広がる血の味は、テルアキに殴られたせいなのか、それともかまくらの残骸のせいなのか。ありとあらゆるものがごちゃごちゃになって崩壊した後で、ケンキチはミヨコの手によって掘り起こされた。
「何馬鹿なことやってるのよ」
――本当にな。
ケンキチはミヨコに立たせてもらうと、今度は一緒になってテルアキを助け始めた。ヨシヒコがこちらを指差して、ゲラゲラと声を上げて笑っている。埋まっている間はぴくりとも動かなかったテルアキは、ケンキチとミヨコの顔を見て小さく溜め息を吐いた。
「ごめん、かまくらは失敗だった」
ケンキチの心がまた、ちくり、と微細な針で突かれたように痛んだ。テルアキはこういう奴だ。何も言わずに、ケンキチはその場を離れていった。ミヨコがテルアキに手を貸している。ほら見ろ、絶対に勝てないじゃないか。
雪が再び降り始めた中を、ケンキチはとぼとぼと一人家路につき始めた。舞い落ちるその様を眺めて、ただ綺麗だと感じるだけで良い。ケンキチはそういう人間だ。それ以上のことを求めたって、ケンキチの掌には何も残りはしない。
その日を境に、ケンキチはミヨコへの想いをずっと深いところに仕舞い込んで――決して外には漏らさぬようにと心掛けた。




