西都原考古博物館
さすがは全国有数の国指定史跡である。西都原考古博物館はキレイで、展示物も充実している。
異質な出土品が目立つ。大量の、様々な形の須恵器が並んでいる。
瀬戸内の産物らしい。デザインコンセプトが和モノとまるで異なる気がする。センスのルーツはどこなんだろう。……
鉄製の甲冑や馬具もある。プレートに書かれた説明によると、畿内大和勢力との強い繋がりが見られる……だそうである。
「つまり古代日向は、経済力なり軍事力なりが強大で、他の地方の産物を大量に引っ張って来れたっちゅうことやろね」
と、敬太郎君が言う。
写真をバチバチ撮りまくっていた雄治が、それを聞いて手を止める。そして何やら考え込んでいる様子。智ちゃんは壺型土器をじっと眺め、それから古墳や石室の解説を熱心に眺めている。その横顔が可愛い。
あたしは埴輪が気になった。三連式の大型家屋埴輪が目に付く。古墳時代ともなると、こんなゴージャスな家屋もあったんだ……。ちょっと驚く。
舟の埴輪もある。立派な構造船である。こんな家屋や構造船は、いつから存在したのか。古墳時代以降なのか、それとも弥生時代か? いやいや実は縄文時代からかもしれないよね。日本は酸性土壌なので、実物は早々に腐ってしまって残らないだけかも。
だってさぁ、大型の構造船がないと、半島と頻繁に往復するのは難しいじゃん。ましてや太平洋横断なんてあり得ないよ。
それに、各地の遺跡に復元されているような、ショボい竪穴住居や櫓くらいしか無かったのであれば、魏朝の使者御一行様に、
「未開国だ(ワラ)」
って書かれてそうでしょ!? でも魏志倭人伝の記述を見ると、そんなニュアンスじゃないよね。確か「宮室、楼観、城柵」って書かれてたよ。この家屋埴輪みたいにゴージャスな建物が、実は弥生時代の時点でごく当たり前に存在したんじゃないかな。……
それとさ、何かやたらと、
「朝鮮半島の影響で……」
って解説が目立つんだよね。この博物館の特色なのかな。
な~んかウソっぽい、と感じるんだよなあ。だってここ数日調べまくった情報によると、半島って古代からずっと、まさに未開国じゃん。だからこそ魏朝御一行様も、陸路半島を縦断せず岸伝いに海路狗邪韓国まで移動したっぽいし。
半島西岸って岩礁だらけで結構危険らしいよ。彼らが危険を犯してまで沿岸航行した理由は、なに? 未開国で治安が悪く、野盗等に襲われるのを恐れて、海路を選択したんじゃない!?
そんな国から、太古の日本はどういう技術や文化を伝授して貰ったって言うんだろうね。凄く違和感があるよ。――
智ちゃんが職員さんを掴まえ、また色々と根掘り葉掘り質問していた。
何やらディープな質問をしてるっぽい。職員さんが答え切れず、別の職員さんの応援を頼んで侃々諤々やり合ってる(笑)
智ちゃんは三〇分ばかし質問攻めした後、古墳群地図を写真に撮り、
「終わったよ。出来れば幾つか見てみたい古墳があるんだけど、いい?」
と言った。それを契機に、皆揃って展示ホールを出る。
出入り口脇に、ショップがあった。四人はちょっとだけそこに立ち寄る。
雄治は水晶の勾玉の、携帯ストラップを買っていた。あたしもそっとさり気なく、お揃いのローズクォーツの勾玉ストラップを購入。
その瞬間を智ちゃんに見られちゃった。智ちゃん、先日同様あたしに意味ありげな微笑を投げかけつつ、あたしの脇腹をツンツン突く。あたしは赤くなり、俯いた。