『臺』を『とう』と読んだ痕跡があるじゃん!!
○ンツ丸出しのまま、一度だけ一階に下りトイレに行ったが、そのまま再び部屋に籠もり、ネットで片っ端から資料を漁る。
あたしは天才だから、大量の情報をアタマに入れると突然とんでもないインスピレーションが湧くタイプなんだよね。多分、脳幹がフツーの人より太いのかも。
あ、いやいや、ツッコミはご無用に願いますですわよ(笑)
ここ宮崎の歴史に絡む古史古伝と言えば、「上記」らしい。
中世鎌倉時代、豊後(大分県)の守護に任ぜられた大友能直という人物が、「山窩衆」と呼ばれる山岳民族の記録や伝承をごっそりかき集め、編纂したものである。
消された「ウガヤフキアエズ朝」の歴史が垣間見える、百科事典というべき書物。原典は「サンカ文字」や「豊国文字」と呼ばれる神代文字で書かれていて、それを鎌倉時代に翻訳し編纂したのだとか。大分宮崎県境から県北高千穂において、明治の頃まであちこちにこの豊国文字が残存していた、という。
上記によるとウガヤフキアエズ朝の天皇及び皇子は、世界各地を巡幸し、様々な学問や文化を伝えたらしい。竹内文書の記述、歴史観と重なるものがある。
残念ながら邪馬台国に関する記述は全く存在しない。しかしそれらウガヤフキアエズ朝の歴史に、卑弥呼邪馬台国が繋がる可能性を意識しておくべきかもしれない。まさに、雄治や敬太郎君の言う通りかも。……
古史古伝を一つ一つじっくり読んで研究する時間はないので、あたしはネットを駆使しエッセンスだけをかき集める。
某動画サイトでも、立て続けに古代史関連動画を視聴したせいで、
「オススメ動画」
として邪馬台国解説動画がリストアップされるようになってきた。
そのうち、たまたま目に止まった「新春特番魏志倭人伝を最新技術で読み解いた」という番組を視聴する。
なるほど。――
魏志倭人伝には「邪馬壹國」と書かれていて、それ以降に編纂された後漢書東夷伝や太平御覧(宋代の本)、梁書倭伝や隋書倭国伝には「邪馬臺國」と書かれているらしい。女王国の名をどう読むべきか、という議論はそこに端を発する。
番組の解説によると、「壹」は「台」の旧字で、「臺」は「壱」の旧字。それぞれ意味も読みも異なる。どちらが正しいのかは不明で、学者先生方の間でも見解が割れている。
「いや、しかし漢字の旁はどちらも『とう』と読めるので、結局どちらにしても『やまとう(やまと)国』と読むべきなのではないか」
というのである。そのような新解釈が、研究家によって提唱されているらしい。
早速漢和辞典サイトで両方の漢字を確認する。確かに「壹」→「台」、「臺」→「壱」と簡略化され、後々はそれぞれ異なる読みに変化しているようである。しかしそれぞれの漢字の、元々の発音はどうだったのか。番組動画の解説によれば、どちらも「とう」ではないか、という。
あたしは幾つかの漢字に関するサイトを読み漁るうち、意外な事実に気付いてしまった。漢字の歴史的変遷って、当の中国人にも既にナレッジが失われてしまっているらしい。どんな象形を元に成立したのか、どう変化したのか、どう発音していたのか……が不明で、様々な学者の間で諸説紛糾状態だとか。
(な~んだ。漢和辞典に書かれている事も、結局仮説に過ぎないのか……)
そう悟る過程で、あたしはさらにさらに面白い情報を見つけてしまった。
福岡博多の地は古代より大陸や半島の人々に知られていて、「覇家臺」「八角島」と表記されていた、というのである。
「『臺』を『とう』と読んだ痕跡があるじゃん!!」
あたしは思わず、叫んだ。
即座にテキストエディターを開いて文章をまとめ、グループウェアの掲示板に書き込む。