地名なんてすぐ変化するじゃん
「どういうこと!?」
山元智美は思わず声を上げた。
地名なんて、すぐ変化するじゃん。――
例えばここ宮崎だって、ほんの近年、地名変更があったらしい。宮崎市の東側、つまり一級河川大淀川の河口付近の地名が、ごっそり「港○丁目」に変更となった。
それこそ古事記に、
「伊耶那岐命が禊を行った」
と記されている、由緒ある地名「(橘の)小戸」も、その際危うく消滅しかけた……と聞いている。
縁起の悪い地名や、地形の悪さを敢えて後世に示そうとして付与した地名を、再開発に併せて「希望ヶ丘」だとか「ひまわりニュータウン」といった具合にローンダリング(洗浄)するケースもある。また過去においては、為政者の意向により改名されるケースも少なくなかった。
つまり、地名なんて頻繁に変更されるものだ……と認識すべきである。
一説によると山や川の名前は、意外と長く残るらしい。しかし地名はそうではない。奈良時代の記録に「怡土」という地名が残るからと言って、根拠としては弱いと見るべきだろう。それよりさらに古い時期の地名と一致する、という根拠にはならない。多少ポジティブポイントが加算される……といった程度に理解すべきではないか。
ましてや珍しい地名ならともかく、「いと」なんて極めてシンプルな名称である。それが一致したからと言って、果たしてどれほどの根拠となり得るのか。
(考古学的成果にしても、な~んかビミョーじゃない!?)
智美はそう思わざるを得ない。
幸か不幸か福岡市周辺は、考古学調査が比較的充実している。結果、伊都国比定地付近には強大な「クニ」が存在した、と考えられている。集落跡が幾つも見つかっているのである。
しかし魏志倭人伝によると、伊都国の規模は一千戸に過ぎない。
実際の考古学的成果の方が、デカ過ぎるのである。
ふう~~~~っ。
智美はため息をつきつつ、大きく伸びをした。
(こりゃネットサーフだけではダメだね。実際に学者先生方の書籍を漁ってみないと……)
彼女は階段を降り、リビングにいた母親に、
「明日、車を貸してよ」
と頼んだ。
車で、市立図書館や県立図書館に行ってみよう……と考えたのである。
「いいよ。明日は土曜日だから、いざとなればお父さんの車があるし……」
幸い、母は快諾してくれた。
「それはそうと、風呂沸いてるよ。アンタ早く入ってしまいなさい」
と促され、智美は着替えを用意して入浴した。
(あたしも紗耶香ちゃんぐらい、胸があると良いんだけどなあ……)
などと考えながら、いつものように念入りに胸のマッサージその他諸々を行いつつ、夜が更けた。