伊都国とは「肥の津」だったのか
そうか。――
伊都とは、「肥の津」だったのか。倭人が「ひ」と発音したのを、魏朝の役人が「い」と聞き間違えたのか。
それから「都」は「つ」と読むべきなのか。「津」とは、海や港の意味だった筈。つまり、
「肥の港町」
ってことかも。
「それじゃあ卑弥呼様、ここ『ぃやぅまとぅ』から、どこを通って伊都国……じゃなかった、『肥の津』へ行くんですか?」
「高千穂の『かりゃくに』のお山はどこにある?」
「ここだよ」
あたしはWebマップ上の、霧島連峰「韓国岳」を指差す。
「『ぃやぅまとぅ』から、こう……『かりゃくに』のお山の横をかすめて、ずっと山道を往くじゃろ!? で、この辺りで津(海)に行き当たるから、舟に乗るのじゃ。それからこう、島を避けつつ北へ向かう。……阿蘇のお山はどこじゃ?」
「ここだよ」
「それならこの辺りが、敵国じゃ」
卑弥呼は阿蘇山と有明海の間付近を示す。
「狗奴国、ですか?」
「『狗の国』ぞ」
なるほど。これも読み方が誤っているのか。
「『くぅの国』には『きくてぃ』という奴らがおって、我らを妨害しおる。だからこうやって、この島伝いに舟を操り、『肥の津』へと辿るのじゃよ」
と、卑弥呼は島原の東岸を撫でるように、有明海を北上し佐賀平野へ向かうルートを指し示した。……指し示しつつ、先日と同じように次第に薄らいできて……ふっ、と消滅した。
あらららら。もう消えちゃったよ。――
あたしはしばし呆然と立ち尽くした。
が、すぐに気を取り直し椅子に座ると、PCでテキストエディターを開き、卑弥呼様の話をメモする。
[伊都国]
伊都国→肥の津
やはり佐賀平野。福岡県糸島ではない。
[邪馬台国から伊都国(肥の津)へのルート]
宮崎市より小林市を抜け、
霧島の脇をかすめて人吉市を抜け、
八代芦北付近に出る。
八代海に出たら舟に乗り換え、北上。
天草を抜け有明海に出る。
敵勢力を避けるため島原東岸を島伝いに北上。
伊都国佐賀平野へ。
[敵勢力とは]
狗奴国→くぅの国
熊本平野から阿蘇山の間付近。きくてぃ。
卑弥呼様口述メモ、と名前を付けてファイル保存し、クラウドに転送する。